空白概念モルモット
夢遊中 迷兎
第1話 第2話 プロローグ いつかの月夜の晩に1
プロローグ いつかの月夜の晩に1
月明かり踊る寒空の下、白い建物の屋上で男が一人地面に座り込んでいる。男の手元でパソコンキーが鳴り、そしてそれは何処にも響く事が無いまま風に攫われてゆく。
蒼白い光が男の顔を照らし、同時に陰を作り出す。白衣を着た男は二十代に入ったばかりだろうか、どこか幼さを残した顔立ちだが、その瞳に悲しみの影がさしているように見えるのは、蒼い光に照らされているからだろうか。その瞳は今、一人の少女を映している。
◇◇◇
俺は目をうっすらと細め、指先を画面上に滑らせた。
画面の中の少女は静かに猫を撫でている。パソコンからの音声が問いかけてきた。
(ヤサシイヒトってゼンリョクでイキレナイじゃないですカ?)
そうなのだろうか?
確かに、何かに向かって走り続けている人は、呆れるくらいわがままで、呆れるくらい真っ直ぐ前を見て、そして輝く核がある気がする。そう、あいつのように。
俺は?
(アナタはゼンリョクでイキていますか?)
どうなのだろうか?
他人の事ばかり気にして、どこか醒めた自分がいる。全力で生きているかと聞かれたら違うのに、何故か疲れている自分がいる。
それが普通?
(アナタはヤサシイヒトですか)
違うと思う。優しいと言われても、好きとは言われない。優しいと呼ばれる人にも二種類いて、世界に答えを出せる人と、世界に疑問を投げかける人が存在するのじゃないかなとも思う。
だけれど……
(アナタはジシンがないの?)
きっとそうだろう。自分の中に基準がないから他人の目をいつも気にしている。認めて欲しいくせに、自分を見て欲しいのに、人の評価に傷ついている。人に優しいようでその実は自分の事で頭いっぱいだ。
それでも……
それでも俺は
(アナタは・・・)
小さなため息を吐いて、ノートパソコンの蓋を静かに閉める。
そして静寂と闇が訪れる。
眩しい光は既に過去の物になって、それでも瞼の裏に焼き付いている。
君は俺に疑問を投げかけてくれた。優しい行為だ。勘違いしてしまうほどに。
違う! 俺はあいつに頼られていたかった。俺だけを見ていて欲しかった。
だけれど、もうそれも叶わない。
手元の明かりは消え、冷たい屋上にただ一人だけ存在する。建造物の窓から漏れる温かな明かりも、空に輝く美しい明かりさえも今は遠い。
光を失ったパソコンからはわずかな重さだけが感じられる。
地面からはコンクリートの冷たさと硬さだけが伝わり、風が徐々に、そして確実に体温を奪っていく。
「ごめんな」
誰に向けた言葉だろうか。
空虚な言葉は風にさらわれて何も残らない。
そう、何も残らない。
パソコンの端を優しく指で撫でた。優しいカーブを描き鈍く銀色に輝くそれは、もう何も答えてはくれない。
指先がそれにお別れを告げ終えると俺はゆっくりと立ち上がった。
闇夜でその白さを主張するように、白衣が風に揺れる。
腕時計を見る。表示された時刻は0:00。
ふと、この時計を貰った時の事が思い出された。
「何かに集中してると、すぐ時間を忘れるんだから」
そんな呆れたような、怒ったような声が聞こえた気がした。
あいつには怒られてばっかりだったな。自然と優しい笑みが浮かびそして消えた。
あいつの時間まで連れて行く訳にはいかない。
時計を腕から外してパソコンの上に置く。
あいつの時間は今も止まっている。だが動き出した時、俺は不要だろう。時間を止めてしまう俺にはあいつの可能性を巻き添えで連れて行く訳にはいかない。
一歩
二歩
パソコンは冷たい地面に置き去りのまま。
三歩
四歩
五歩
世界の端に向けてゆっくり歩きだす。
六歩
七歩
静かな世界。温もりなんて存在しない。
八歩
自分の鼓動だけ聞こえる。
九歩
九・五歩
ここが世界の果て。
九・五歩
九・五歩
来た方向を振り返る。
首から銀色のロケットの形をしたアクセサリーを外す。嫌なことがあった時はいつもそのロケットを眺めていた。汚したくないという想いもある。
何分そうしていただろうか
蓋を閉め、手のひらの中にロケットを握りしめる。
そして体重を何も無い支える物が無い背中側に移してゆく。
ゆっくり傾く世界。閉じられていく世界。
月の光がとても眩しくて。世界が僕から離れてゆく。
「ごめんな」
そして何も見えなくなった。
とても月が綺麗な夜。一人の男が世界から零れ落ちた。
第2話 1章 魂は揺り籠で眠る
1 目覚め
俺は世界の狭間に居た。
光の粒子が脳に否が応にも流れ込み、暴力的に闇を打ち払おうとしてゆく。うっすらと開かれた瞼は、そんな光に抗うようにまた閉じられた。
「んー」
夢と現実の境界線上で立ち止まり続ける事は出来ずメトロノームのように覚醒とまどろみを行き来する曖昧な存在の自分は、なにか夢を見ているようだ。その夢の断片が近づいたり遠ざらったりする度に煌めく。
白いカーテン、白いベッド、白で満たされた部屋。そしてゆっくりと落ちる点滴。ここは病院ではなく研究室で、そこでは記憶の研究をしていた。何故かそれは知っている。そしてベッドの横には黒髪の女性が佇んでいる。
酷く悲しい気持ちがしてその映像に手を伸ばそうとした。それはとても大事な物のような気がしたからだ。しかしそれはうっすらとかかった霧に邪魔され、思い出そうとすればする程、記憶は遠ざかってゆく。
(るか……?)
「痛っ!」
後頭部に激しい痛みが襲った。そして俺は思いだしたように辺りを見回した。
もう夢の記憶、不思議な感情、痛みも跡形無く消えていて、同時に全てを忘れていた。
「白いな」
代わりに口から出たのは見たままの感想。目から入った情報が脊椎反射のように口から逃げてゆく。まだ完全に覚醒した訳ではなさそうだ。
部屋は一面真っ白で、見渡してもドアも窓も照明すらない。しかしどういう原理か、部屋の中は明るかった。
「何処だここ?」
一人暮らしになってから独り言が多くなったと言っていたのは誰だっただろうか。いまいち思考がまとまらないせいか、自我を確かめるように自然と声が出る。どうやら俺はこの白い部屋で寝ていたようである。地面で寝ていたせいか身体があちこち痛く、機嫌があまり宜しいとは言えない。
「んー」
もう一度部屋を見渡してゆっくり立ち上がり、目に入った物の方にゆっくりと近づいてみた。
白い部屋の真ん中にある白いテーブル。そしてテーブルの上には一つの箱があり、それには癖のある文字でこう書かれていた。
”ドキドキクジ引き! ハズレ無し! ”
(……?)
「なんだこれ」
もう一度周りを見渡した。机と箱以外何も無い白い部屋。
俺はどこから入ってきたのだ?
(脱出ゲームか?)
アナタは部屋に閉じ込められました。さぁこの部屋から脱出しましょう。みたいなあれ。
箱に目を戻した。上に穴があり中はよく見えない。どう見ても怪しいのだが、他に何も手掛かりが無いのも事実である。
白い部屋の中の暗い穴。おそるおそるその穴に腕を伸ばす。その中にゆっくり腕が飲み込まれてゆく。
「……」
「……」
(あれ?)
ガサガサ
(え?)
(あれ?)
何も無い……
(……?)
あー。確かにハズレは無いわ。だって何も無いもんな
白い部屋、白い机、空っぽの白い箱。そして男が一人。付け加えるならため息一つ。
(俺はハズレすら引けませんでしたとさ)
残念感? 虚無感? 形容しがたい感情のまま箱を逆さまにして叩いてみる。
ぽんぽん。
「……」
ぽんぽん。
「……」
ぽんぽん。
「オラァァァ! なめとんのかぁー!」
ポコん。軽い音を立てて、箱は壁にぶつかり床に落ちた。
「どうなってんだよこれ……」
何に期待していたんだ俺……死にたい……
俺は憂鬱な気分のまま、もう一度部屋の中を手で壁を触りながら一周したり、あちこちを調べまわってみたりすることにした。
◆◆◆
数分後。
俺は座り込み、睨むことで箱を攻撃していた。そして箱に何も変化がないのを見てとると髪の毛をくしゃくしゃっとかき乱す。なんせ扉もドアも窓も穴も希望も何も見つからないのだ。
「はぁ……出口の無い白い部屋で男が途方に暮れています。さて、男はどこから部屋に入ったのでしょうか?」
白い壁に向かって話しかけた。所謂独り言というやつである。勿論誰かの返事など期待してはいない。
「うーん。まず男の人が居て、その人の周りに壁と天井を作ったとかかな?」
「なっ!!!」
自分の声では無い声に驚き、周りを見渡すも誰もいない。
幻聴が聞こえ始めるには早すぎる気がする。
すると正面の壁の一部が淡く発光し始め、そこからゆっくりと腕が生えてきたのである。確かにそこには白い壁しかなかった。そこに二本の腕が生えてきていて、なんだかうにょうにょ動いている
あまりの状況から目が離せない。
多分女性の腕。細くて綺麗な腕だと思う。ただ、細くて綺麗な腕でも、壁から生えているなら恐怖でしかない。
「でも、やっぱり、それとも? 秘密の通り道があったって考える方がリアルだよね」
最後に音符でも付きそうな言葉と共に、足、頭、体が壁から生えてきた。いや、人が壁をすり抜けてこようとしている。
壁から女が現れようとしている。さて、どうする?
(戦う)
(逃げる)
(アイテムを使う←)
俺は壁から生えてきた女に転がっていた空の箱を投げつけた。
ポコん。
「痛ったー!! ひっどーい!!」
「うしっ!」
俺はガッツポーズを決めた。
「なにしてるのよ。早く行きなさいよ」
先程聞こえた高い声とは別の声が聞こえる。
「へへっ」
徐々に現れてくるパーツが女性の形をとってゆく。そして言葉を無くした俺の前に、一人の女性が姿を現した。
「どっきり、ちゃっかり、じゃじゃーんと登場! ねっ。びっくりした?」
にひひなんて感じの笑顔の少女。間違いなく喧しいタイプだろう。
何故かぴょんぴょんジャンプしていて、その動きに合わせて黒髪がゆれている。
「はぁ……」
間抜けな言葉しか出てこない。
「はいはい。どいてどいて」
そして、黒髪の少女の後ろからもう一人少女が出てきた。こちらはうって変わって無愛想な顔つきだ。値踏みしているような目でこちらを睨み付けている。そして何より特徴的なのは白く輝く長い髪。
「早く仕事を始めましょ」
少し低めの声で事務的に白髪の少女は言った。
「あんたら誰よ?」
「ちゃんと自己紹介しないとね。私はくろかみだよ」
「あんなぁ、誰が髪の色を聞いてるんだよ。そんなに俺の目が悪いように見えるか?」
状況がいまいち飲み込めていないせいか苛立ちが隠せず、どうしても言葉使いが荒くなってしまう。二人の現実離れした雰囲気についていけないせいかもしれないし、その雰囲気に飲み込まれまいとしているのかもしれない。
「悪いけど、本人と全く繋がりのない意味を持たない名前を名乗ったりはしないわ」
白髪の少女はそう言った。
「じゃぁ、あんたはしろかみか?」
「残念、近いけど外れ。私は死神。貴方は死んでるの」
「は?」
「私は死神。貴方は死んでるの。耳が悪いの?」
白髪の少女は無表情で言った。
死んだということが何を指しているのかは分からないが、この少女の性格が悪い事ははっきりした。
「私は死ぬ神と書いてしのかみ。空に色の白でこはく。こっちは色の黒と神様の神でくろかみ。歌と音でうたね」
「そうだよ。死神 空白(しのかみ こはく)と黒神 歌音(くろかみ うたね)だよ。ちゃんと、しっかり覚えてね」黒い髪の少女はニコニコしている。
「そうよ。よろしく」
俺は死神に宜しく言われたのか?
「訳が分からない」
「もう一度言うわ。貴方は死んでるの」
空白と名乗った少女は、やはり事務的に冷たく言った。
(死んでる?)
死んだ男子。逆から読んでもしんだだんし。あぁ男子って歳でもないな。全然関係ない事を考えてしまう。
後ろを振り返ってみると、白い壁があり、白い箱が転がっている。
前を見ると少女が二人居る。
自分の手をみて、開いたり閉じたりを繰り返す。いつもと変わらない手がそこにある。
「はい?」
本気で何を言っているのか分からない。
「君は完全に、ばっちり、しっかり死んでるんだよー」
楽しそうに笑いながら歌音が言う。
(ドッキリかなんかか?)
「まぁ、理解しなくていいわ。別の世界に来たとだけ思って頂戴」
「俺は今こうしてあんたと話してる訳だ。死神と話してるって言えばそれまでだけど、悪いがあんたは死神に見えない。俺は社会的に死んだって事か?」
「あんたって呼び方気に障るからやめて」
死神空白と名乗った少女は言った。
「あぁ悪い。で、死神さんは俺は死んでるって言ってるんだよな?」
「死神さんもやめて。空白でいいわ」
空白はそう言って続けた。
「社会的には勿論だけど、私が言ってるのは肉体的な死よ」
「何言ってるのか全然わからない。黒神って子説明してくれ」
どうもこの空白という少女は苦手である。黒神の方を向いて聞いた。
「うーん。説明苦手ー。私は聞いてるから、シロちゃん説明おねがーい」
だよな。なんとなく想像は出来ていたが、ため息が出る。同じ事を思ったのだろうか、横で空白もため息をついていた。
「いいわ」
少し考えた様子をした後空白は言った。
「貴方は魂って信じる?」
「いや、あんまり考えた事無いけど、もしかしたらあるのかなーってくらいだな」
「そうね。人は自分が何であるかあんまり考えようとしないもんね」
空白は白髪の先をくるりと指に絡めながら言った。
「何であるかねぇ。俺が分かるのは……」
俺はカメラがどこかに無いか探しながら答えようとしたのだが。
(あれ? 俺の名前は?)
ズキンと後頭部が疼く。
思い出せない。自分の名前を。それは焦りを通り越して恐怖へと変わる。嫌な汗が流れ、数々の単語が頭の中を猛烈なスピードで行き交う。
(え? なんで? 自分の名前だぞ!)
分からない筈が無いのに全く思い出せない。空白。箱。歌音。痛い。出口。死んだ。薬。違う! 魂。月夜。時間。刹那。光。誰。心。時計。パソコン。違う! 違う! 違う!
「俺の名前は……俺の名前は……」
「貴方の名前は墨膳 奏流(ぼくぜん そうる)よ。しっかりして」
「あ、そうか」
ジグソーパズルのピースが正しい場所に嵌まるように。
「俺が、墨膳 奏流ってくらいしか分からないな」
空白が、先程一瞬こちらを心配しているような表情を見せた気がしたが、今確認しても硬い表情で白い髪の毛を指でくるくる弄っていた。
「で、なんで俺の名前を知ってるんだ?」
新たな疑問を俺は空白にぶつけた。
「顔に書いてあるわ。僕は墨膳奏流ですって」
「うえっ? ってそんな事あるかよ」
「知ってるから知っているの。それでいいでしょ」
空白はにべも無い。
「全然よくねぇよ……」
「話がそれたわ。魂の話だけど、人間は魂を持って生まれたりしないわ」
「こっちの話きけって」
俺はむっとして食い下がった。
「優先順位があるの。いいから話を聞いて。必要なの」
「わかったよ。後でまた聞くからな」
空白は小さく息を吐いてから話し出した。
「心を空っぽのビンだと思って。人間は生きていく過程で、色々なエネルギーをその体に貯めていくの」
「ビンねぇ……」
「本を読んだ。絵をみた。家族に不幸があった。朝起きた。ご飯を食べた。なんでもいいけど、そんな外からのエネルギーが元々空っぽだったビンを満たしていくの」
「ふぅん」
「喜びとか怒りとかはその魂のエネルギーから産まれてくるの。沢山エネルギーが溜まっていく時は感情も大きく、エネルギーが停滞している時は感情も小さくなる」
「いまいちピンと来ないな」
話がうまく頭に入ってこない
「そのビンが壊れる。つまり死ぬとそのエネルギーが解放され世界は循環される」
「俺はエネルギー体って事か?」
「二十四点」
空白は短く言った
「低いな、おい」
なんで、こんな女に採点されなきゃいけないのだ。
「それなら、その話と俺は何の関係があるんだよ」
そして、俺はなんでお前の話に付き合っているのだよ。ドッキリなら十分驚いたからもう終わりにして欲しい。
空白は何故か表情を曇らせてこう言った。
「貴方は解放されずにエネルギーを満たしたビンのままこの世界に存在しているの」
ビンですか、俺はビンですか
自分の手を見てみたが、幸い透けてはいないようだ。資源ごみの日はいつだったかな。そんな考えが頭をよぎった。
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