真夜中の誓い
窓際の籐椅子に座り、小さく欠伸をする。
昨夜は結局、夜明け近くまで八雲の所にいて慌てて帰ってきた。
ほとんど眠れていないので頭がぼんやりとしている。
今度からはもう少し早く帰らないと、そのうち起き出した家の者に見つかってしまう。けれど、いざ帰るとなると、どうしても名残惜しくなってしまうのだった。
「奥様、昨夜外に出られましたか?」
お茶を持った小梅が突然尋ねてくる。
「え、どうして?」
私は内心焦りながら、なんでもないふうを装って聞き返す。
「今朝、お部屋の窓の鍵が開いていたのです。だから、奥様が夜中に外に出られたのかなって」
明け方、鍵を掛け忘れていたのだ。失敗したと思ったが、動揺を悟られないように努めてゆっくりと答える。
「あぁ、昨夜あまりにも寝苦しくて外に出たのよ。その時に鍵をし忘れたのね。次からは気を付けるわ」
「奥様、最近寝付けないみたいですね。大丈夫ですか?……って、奥様! 首が赤くなってます」
小梅が、私のうなじを指さして大きな声を出す。
私は反射的に手で指さされた所を隠す。
そこは昨夜八雲に口付けられたところだ。
「奥様、よく見せてください! 夜中に外に出たから虫に刺されたに違いありません」
「大丈夫よ。痛くも痒くもないもの」
「駄目です。その白い肌に跡が残ったら大変です」
「大丈夫だっていってるでしょ!」
相変わらず目敏い小梅を誤魔化すのが大変で、眠気も一気に冷めてしまった。
今度、八雲に強く注意しなければと心に誓う。
しかし、その機会はなかなか訪れなかった。あれから、時折夜中に小梅が頻繁に寝所に覗きに来るようになったのだ。
もう一人で外に出ないし、大丈夫だと言うが聞き入れない。小梅は私が眠るまで団扇で扇いだり、白湯を持ってきたり甲斐甲斐しく世話をした。
最初、小梅に八雲との逢引を感付かれたのかと思ったが、そういう様子は見受けられない。かといって下手に動くことができなかった。
いつも八雲の所へ行くときには合図として、昼間、窓辺にそっと黄色い薔薇の刺繍の手巾を出していたが、夜中いつ小梅が来るかわからないのでそれもできずにいた。
もう一月ほど八雲に会うことができていない。八雲は私の合図をどのような思いで待っているのだろう。
その間にも薔薇は毎日のように届く。
“どうしていますか? もう逢えないのですか?”と、尋ねられている気がして、胸が痛んだ。
八雲に逢いたい、私の心はただそれだけでいっぱいだった。
***
しばらくして小梅が一日実家に帰ることになり、私はゆっくりしてくるように言い、はやる気持ちで八雲に合図を出した。
久しぶりに夜に庭に出ると夜風が涼しくなっていた。
もう秋がそこまで来ている。
しばらくして迎えに来た八雲は無言で私を抱き上げる。道中、難しい顔で一言も言葉を発さない八雲に私も言葉を掛けられないでいた。長い間放っておいたから怒っているのだろうか。
小屋に入り、私は板の間に降ろされるなり八雲にきつく抱きしめられた。
土間に立ったままの八雲の顔はいつもより近くにあり、私の肩におでこを擦り付けてくる。
「蓮水様、逢いたかった」
その絞り出すような声音に、私は八雲の頭を抱き込むようにする。
「ごめんなさい。なかなか侍女の目が離れなくて」
謝罪を口にすると八雲は首を横に振る。
「いいんです。今夜、逢えたから」
八雲は顔を上げ、両手で私の顔を包み込み、確かめるように顔を覗き込む。そして、そのまま顔を寄せて口吻した。
久方ぶりに八雲の熱を感じて私はすぐに力が抜けてしまう。
八雲はその場にしゃがみ込みそうになる私をそのまま押し倒し、襟を乱して首筋に吸い付こうとする。
「あっ、だめ……跡つけちゃ。侍女に見られてしまうわ」
私は手で八雲の額を押す。
八雲は不機嫌そうな顔をした。
「最近、侍女殿に邪魔されっぱなしだ。なら、誰にも見えない所に付けるから。強く、いつまでも消えないように」
そう言うと、八雲の手が単衣の裾に割って入ってきて私の太腿に触れた。
私はたいした抵抗もできずに、きつく目を閉じて、ただ彼のされるがままになっていた。
それからどれくらい経っただろうか。
八雲は私を抱き込んで座り、髪を撫でている。先程まで散々攻められてくったりとしている私は彼の胸に縋り付くような格好になっている。
私が落ち着いてきた頃合いに、八雲は口を開く。
「蓮水様、逢えない間にいろいろ考えたのですが」
神妙な口調に私は胸に預けていた顔を上げて八雲の顔を見た。その顔はいつになく緊張の色を帯びていた。
「なぁに?」
私は先を促す。
「もうすぐ薔薇の季節が終ります。そうしたら、冬が来る前に二人で屋敷を出ませんか?」
「屋敷を……出る?」
私は突然の言葉に意味が捉えられず、聞き返した。
「そう。この屋敷から抜け出して二人で一緒に別の所で暮らしませんか? 今のような暮らしはできないですが、僕、貴女に苦労を掛けないように精一杯頑張ります」
八雲は真剣な顔で私を見た。
「僕と二人で生きてくれませんか」
私は思いがけない言葉に、ただ無言で八雲を見つめ返した。
屋敷を出るだなんて、今まで考えたことがなかった。私はずっと一生この屋敷から外に出ることはないと思い込んでいたからだ。
けれど、八雲とならそれができるような気がした。
私の心に光が灯る。
私はここから出て、新しい人生を歩くことが出来るかもしれないのだ。
「蓮水様?」
私が何も言わないでいると、八雲が不安そうに呼びかけてきた。
私は決意して八雲を正面から見据えて言い放つ。
「私、貴方と一緒に居られるならどんなに苦労しても構わない。私をここから連れ出して」
八雲は私の言葉に安心したように、そして、とっても嬉しそうに笑った。
「はい! 任せてください」
八雲と一緒になるためなら、全て捨ててもいい。私はその時心の底からそう思った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます