私だけの薔薇

 朝、居室に生けてある薔薇を見ていると小梅がやって来た。

「奥様。おはようございます。今朝のお花が届きました」  

「今日も綺麗ね」 

 私は小梅が持っている薔薇の中から、一際大きい薔薇を一本抜き出す。

 落ち着いた桃色の薔薇は上品な愛らしさだった。自然と顔が緩む。


 その薔薇を一輪挿しに入れて、文机の上に飾る。まじまじと眺めているとふいに大きな欠伸が出た。

「奥様。昨夜、眠れなかったのですか?」

「ちょっと本の続きが気になってしまって」

 目敏く尋ねてくる小梅に用意しておいた返答をする。

「この間、旦那様からたくさんの本が届きましたものね」

「屋敷には古い本しかないから手紙でお願いしたの。流行の女流作家の本が読みたかったのよ。小梅も読んでみる? 面白いわよ」

 小梅は首を振る。

「私は本はあんまり。数頁読んだだけで寝てしまいそうです。奥様、あまり根を詰めて読まないでくださいね。夜は寝ませんと」

「眠たくなったなら昼寝でもすればいいのよ」

 私がなんでもないことのように言うと、小梅は渋い顔をする。

「昼と夜が反対になってしまいますよ」

「そうなっても困らないんだけどね」

「奥様」

 小梅は嗜めるように呼ぶが、実際、私には昼間起きておくべき理由はないのだ。この屋敷で私の役割はそう多くはないのだから。

 


「あの、奥様、お願いしたいことがあります」

 小梅が改まった口調で切り出す。

「なぁに?」

 私が促すと、小梅はおずおずとといった感じで口を開く。

「薔薇園の薔薇を私にも頂けませんか。庭師にお願いしたのですけど、奥様にお尋ねしないと駄目だと言われたので」

「薔薇をどうするの?」 

「ただ、自室に飾りたいだけです」

 私は少し考える素振りを見せる。

「許可したいところだけど、あなたにあげると、他の者にもあげないと不公平になるから」

「そうですよね……」

 小梅は残念そうな顔をする。

「あっ。あなたにこれをあげるわ」

 私は思いついて小梅に白い手巾を渡す。それには薄い桃色の薔薇の刺繍が入っていた。

「よいのですか?」

 小梅が遠慮がちに聞いてくる。

「刺してみたものの、この色は私が使うにはやっぱり可愛らしすぎるから貴女にあげるわ。ただ、やっぱりこれも他の人には内緒ね」

 私は唇に人差し指をあてる。

「ありがとうございます」

 小梅はそれを素直に受け取り、嬉しそうな顔をする。

 私はもう一枚の白い布を取り出す。

「私はこれを使うから。これは落ち着いた感じでしょ」

 それには黄色い薔薇の刺繍が刺してあった。

「赤色は刺さないのですか?」

 小梅が聞いてくる。

「赤いの刺繍糸が足りなくて刺せなかったのよ。この間小梅が町に出たときに買ってきて貰えばよかったのだけど」

 あの時、言いそびれてしまってから頼む機会がなくて、そのままになっていた。

「今度、誰かが町に買い出しに出る際に言っておきます」

「別に急がないからついでの時でいいわよ」

「かしこまりました」

 小梅は姿勢を正して礼をした。




 小梅が部屋を出ていってから、私は文机の薔薇を眺める。

「あれだけある薔薇を一本も渡したくないだなんてね」

 私はひとり自嘲する。

 いつからこんなに欲張りになったのだろう。けれど、彼のもの何ひとつとして誰にも渡したくないのだ。

 彼一人のものになれない私の独占欲。彼がそれを知ったらどう思うだろうか。

 そっとを薔薇の花弁を撫でた。

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