貴方に逢う方法
──貴女じゃなくていいならとっくにこの想いは捨ててます──
そう彼は言った。手放した方が楽だとも。
恋がこんなに痛みを伴うものだったなんて知らなかった。
そして、こんなにも心が震え、歓びに満たされるものであることを初めて知った。
***
朝食が終わり、居室で何の気なしに本を開いていると、古参の侍女がお茶を運んできた。
私は本から顔を上げて茶碗を手に取る。
そこへ、先程まで部屋の薔薇の手入れをしていた小梅が私の前に座る。
「奥様。月末に父が煙草の収穫のご報告に、旦那様の元へ参ります。もし旦那様に手紙などお書きになるなら言付かりますと申しておりました」
手を付いて顔を伏せて言う。いつもよりかしこまっているのは古参の侍女が見ているからだ。
「もうそんな時期になるのね。手紙が書けたら渡すわ」
私は思いを巡らせる。
この村は昔より煙草の葉の産地である。その質の高さに目をつけた夫が東京に販路を求め、うまく軌道に乗せ、財を築いたのが成り上がるきっかけだった。
今では手広く事業を展開しているが、煙草の栽培は村の殆どの人間が従事しているこの土地の主要産業である。例年、栽培の責任者である小梅の父が収穫時期に上京して夫に今年の出来などを報告している。
変わり映えがない生活で毎年同じようなことを手紙に書いて渡しているが、今年は薔薇園の礼を書こうと思う。
薔薇園のお陰で私の日常はすっかり色が変わってしまったのだから。
「奥様」
しばらくして古参の侍女が部屋を辞し、それを見計らって小梅が声を掛けてくる。
「昨日の庭で迷われた件ですが、奥様は薔薇園に行きたいのですよね」
「そ、そんなことないわよ」
急に核心を突かれ慌てて否定したが、小梅には通用しない。
「隠さなくても知ってます。以前、薔薇園があるとお伝えしてから度々お庭に出てらっしゃるでしょう?」
知られていたのか。私の心臓は早鐘をつく。
「奥様が一生懸命、隠そうとしてらしたので黙ってましたが、お一人では辿り着けないようですし、昨日みたいに迷われてしまうのは困ります。なので、今度私がご案内しようかと」
小梅の言葉に気が抜ける。どうも私は薔薇園に辿り着けないくらい方向音痴だと思われているようだ。おそらく、八雲が私が薔薇園に来たことがないと言っているのを信じているのだろう。
でも、そう思っていてくれているから、度々薔薇園で八雲に会っていたことに勘付かれずにいるのだ。これは幸運だと思わなくてはならない。
「庭師に言って、薔薇園を空けておいてもらいましょう」
「庭師には会えないの?」
「庭師に会いたいのですか?」
小梅が訝しげな顔をする。
「だって、昨日屋敷まで連れて帰ってくれたし、礼が言いたいわ」
昨日、八雲と共に屋敷に帰る際、真っ青な顔をして庭に出ていた小梅に見付かったのだ。八雲が機転を利かせて、山の向かう途中で迷っている私を偶然見かけたので連れ帰ってきたと説明して事なきを得た。
「お礼は私が言っておきます。奥様の手を煩わす必要はありません」
はっきりと言い切る。礼を言うのを口実に八雲の顔が見れないかと思ったが無理なようだ。やはり、私を若い男性には近づけさせたくないのだ。
どうやったら八雲と二人きりで会えるのか。小梅の目はなかなかごまかせそうにない。
何か方法を考えなければならないと、私は唇を噛んだ。
***
「奥様。こちらでございます」
数日経ったよく晴れた日、私は小梅に連れられて薔薇園にやって来た。
もう慣れ親しんだ所だったが、私は小梅の手前、初めて見たかのように大仰に驚いてみせた。
「部屋に持ってきてくれる花たちも綺麗だけど、こちらの方がもっと美しいわ!」
私は薔薇に近づく。
「あっ。棘があるのであまりお手を出さないでください」
「……わかってるわ」
小梅が自分の方が薔薇園を知っているかのようなしたり顔で小言を言うので、ちょっとむっとして答える。
小梅は私のこうした態度には慣れているとばかりに、出過ぎたことを、と言って取り澄ましている。
文句の一つでも言いたいところだが、私は薔薇の花を愛でることに専念する。
「本当に綺麗ね。毎日でも見に来たいくらい」
「毎日は無理です。庭師が作業できなくなってしまいます」
小梅がにべもなく答える。
「別に庭師がいても私は構わないわ」
「そういう訳にもいきません」
小梅の態度は頑なだ。ここまでする必要はあるのだろうか。私の思いがばれている訳ではなさそうだが。
「今日は庭師はどうしてるの?」
さり気なく聞いてみる。
「裏の方で作業をすると言ってました」
「この辺りにいるのね。じゃあ。この手紙を庭師に渡して来て頂戴」
私は懐から白い飾り気のない封筒に入った手紙を出す。
「庭師に手紙を渡されるのですか?」
「いつも見事な薔薇も持ってきてくれているのだし、直接言えないのだから手紙くらい良いでしょう」
小梅は尚も訝しげだ。
「ただ一言礼を書いただけよ。庭師だって字ぐらい読めるでしょう。そんなに気になるなら先に開けて読んでもいいわよ」
手紙をぞんざいに手渡し、少し苛立ちの混じった声音で返答すると小梅は引き下がる。
「いえ。そこまでは大丈夫です。では、届けて参ります。この辺りにいらしてくださいね」
そう言い置いて奥へ入っていく小梅を見て、大きく息を吐き出した。
***
その夜。
私は闇の濃い庭に出ていた。
小さな灯りを携えて迎えに来た八雲が、私を軽々と抱き上げ小屋に向かう。
「蓮水様。皆が寝静まった頃に庭に出るから迎えに来て、なんて手紙をよく侍女殿に持ってこさせましたね。侍女殿に見せないように済ますのに苦労しました」
道中、抑えた低い声で苦言を呈される。
「だって。他に方法が思い付かなかったのだもの。昼にはもう行けそうにないし、皆が宿舎に引っ込む夜なら誰にも見つからないかと思って。駄目だった?」
私が八雲の耳元に口を近付けて囁くように言うと、私を抱き上げる腕の力が強くなった。
「駄目じゃないです。ずっとこうして逢いたかった」
私は八雲の首に腕を回した。
「この夜の闇の間、私は貴方だけのものよ」
二人の熱い夜が始まる。
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