3

 こうして僕はサンパウロにやってきた。ヨーロッパとは季節が逆、と言っても異動したのは九月なので、それほど気温に差があるわけではなかったが、ヨーロッパでは冬に向かっていくのに対して、こちらはこれからどんどん暑くなるのだ。夏が終わったかと思いきやまた夏がやってくる。ちょっと体調が不安だった。


 それはともかく。


 とうとう日本から見て地球の反対側まで来てしまった。おそらく地球上で、日本から距離的に最も遠く離れた場所だろう。彼女と背中合わせになってから、もう5年。そのまままっすぐ進み続けて、こんなところにたどり着いてしまった。


 だけど、ここまで日本から離れているにもかかわらず、僕の周囲ではなぜか日本語がそこら中に飛び交っていた。それもそのはず、サンパウロはかなり多くの日系ブラジル人が住んでいて、日本の企業も多い。ここのリベルダーデという東洋人街は日本語の看板がやたら目に付くし、普通に日本語が通じたりする。僕がサンパウロに来た大きな理由の一つが、実はこれだった。日本人にとって割と暮らしやすい街なのだ。


 その日、僕はサンパウロ市立市場にやってきた。ここの名物、モルタデーラというハムが入ったサンドイッチを食べようと思ったのだ。ここではこのハムサンドを売っている店がたくさん並んでいる。僕はその中の一つに入り、早速オーダーした。


 正直、かなりでかい。直径20センチくらいのパンの中にこれでもかってくらいのハムが詰め込まれている。とても一人では食べきれない。


 店のテーブル席に腰を下ろし、ハムサンドにかぶりついた、その時だった。


史孝ふみたか……」


「!」


 僕は思わず声の方に振り向く。いくら日本語が飛び交っていると言っても、固有名詞、それも僕の名前を知っている人間は、そうはいないはずだ。


 黒縁の眼鏡。おさげのひっつめ髪。化粧っ気のないその顔は、あの当時のそのままだが……やはり若干年齢の経過を感じさせた。だけど、間違いない。その人物は……


真理恵まりえ……?」


 そう。5年前に京都のアパートの前で別れた、彼女だった。


---


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る