第22話 リュクルゴスの咆哮

 グレーターデーモンの増殖はとまらない。

 ねる子が首を刎ねても、ヨシルが殴り倒してもきりがない。

 苦戦する様を耶律唯忠理やりつゆたりはニタニタと見ているのだろう。それだけで腹立たしい。今すぐにでも首を刎ねたい気分だ。


 グレーターデーモンが現れるのは9体までのようだ。部屋のキャパシティの問題だろう。

 最初に悪魔の笛で呼ばれたのと同じく、グレーターデーモンは誰かに召喚されなければ出て来ない。次から次へと現れるのは、顕現しているグレーターデーモンが地獄から眷属を呼び寄せているからだ。

 つまり、この九体を同時に倒し、全滅すれば新たなグレーターデーモンは出てこない。

「ヨシルさん、そちらの四体を頼みます!」

「はい!」

 彼女は即座にねる子の指示を信じた。二人の共闘は今日が初めてだが、この戦いを通じて信頼のようなものができていた。


 ねる子は懐から五枚の手裏剣を取り出すと、高く垂直に飛び上がる。


「馬小屋流忍術 紅葉飃くれないつむじ!」


 そして手裏剣たちを、回転をつけて同時に投げ放つ。


 五枚の手裏剣は円弧を描きながらグレーターデーモンの群れに向けて飛翔する。

 キンキンキンと、高い金属音を鳴らして手裏剣が壁に刺さる。

 刹那、手裏剣を襲来を受けた五体のグレーターデーモンの首が鈍い音を立てて床に落ちた。

「へえ。これが馬小屋流忍術か…。なるほど、日本じっぽんの秘術。破壊力ばつぐんだね」

 木箱の上の唯忠理が関心したようにもらす。彼女は、本当に傍観を決め込んでいるようだ。どちらに手を貸すわけでもない。

 ヨシルは二体を倒し、三体目に挑みかかっている。

 床に魔法陣は描かれていない。ねる子も飛んでくる火球をバックステップでかわしつつ、間合いを詰める。

「これで終わりです!」

 ねる子は飛び上がり、手刀を振り上げた。

だが。


核撃魔法ニュークリアブラスト


 グレーターデーモンの背後から、凄まじい爆圧が襲ってきた。

 唱えたのはリュクルゴスか。

「はやく!障壁の中にお逃げ!」

 声を取り戻したチェルシーの鋭い声が響く。

 そして再度障壁バリアの呪文を唱えた。

 高熱を帯びた閃光が部屋を満たす。そして爆音と共に巨大な火球が生まれ、部屋の壁を揺らし、焦がしていく。

 間一髪でバリアの中に逃れたねる子とヨシル。だが、爆熱が障壁をジリジリと削っていく。

反障壁アンチバリア!」

 さらにグレーターデーモンが障壁を破る呪文を唱えた。

 バリバリと音をたて、チェルシーの障壁が崩れていく。

 開いた障壁の穴から、爆炎が入り込む。

 チェルシーが素早く氷霧玉アイスブラストの呪文を投げつけ、爆炎を消し去った。だが、他方でも障壁に穴が空き、爆炎が吹き込んでくる。

 リュクルゴスは、グレーターデーモンを巻き込んでニュークリアブラストを放った。


 非情ではない。グレーターデーモンは魔法を無効化キャンセルするからニュークリアブラストの影響を受けない。それを見越して、容赦のない殲滅戦を挑んできたのだ。

 クレーバーだ。"法典の大悪魔"の二つ名は伊達ではない。


 果たして、爆炎の消滅まで障壁はった。

 しかし、炎の直撃さえ避けられたものの、高熱でねる子もヨシルも大きく消耗した。特にヨシルは、両手を床について死んだかように微動だにしない。ねる子もなんとか片膝をついて戦闘態勢を取り続けたが、正直ハッタリでしかない。


 リュクルゴスがトーガを揺らしながら迫ってくる。何か、呪文を唱えているのは、顎骨の動きで分かる。


 だが、この呪文が完成することはなかった。


 球体の魔法陣がリュクルゴスが包む。魔法陣の中に光が満ちた。そして光が消えると、リュクルゴスが消えていた。そしてグレーターデーモンも同じ現象が起きて消えていた。


「なるほど、送還レパトリエーションの魔法だね」


 木箱から飛び降りた唯忠理が言う。

 声を取り戻していたチェルシーが、悪魔たちを地獄に追い返したのだ。

「リュクルゴスほどの最高位の悪魔を追い返すとは。その力量、敬意を表しますよ」

「そうかい。その敬老精神は褒めてやるわぃ」

 そんなチェルシーの言葉を、唯忠理は意味ありげな笑みで受け取っていた。 

「次は…あなたの番です」

 ねる子はよろよろと立ち上がり、手刀を構えた。大きく上下する肩は止められなかった。

 その姿を見て、唯忠理はふっと小さく笑った。

「強がらなくてもいいよ。、嫌でも戦う機会は訪れる。それまでは死なないでくれよ?」

 唯忠理は大きな胸を揺らし、琴を鳴らしして転移魔法を奏でると、ダンジョンの闇の中に溶けていった。

「ふん、気に入らないね。あの女」

 フワフワと、チェルシーが乗ったクッションが近づいてきた。

「おばあさま、こんな醜態を」

 ヨシルは小さな声を絞り出した。

「いいんだよ。あんたはよく頑張った」

 そう言いながら、なぜかチェルシーはヨシルに氷霧アイスミストの魔法をかけていた。

 足元を流れる冷たい空気が気持ちいい。

 その冷めたい空気が、ねる子の緊張を解き放った。

「はぁー!」

 ねる子も、その場にへたりこんでしまった。もう一寸ちょっとも動くことができない

「さすがにあのジジィを倒しただけのことがあるじゃないか。あれだけのグレーターデーモン相手に、全くダメージを受けてないとはねぇ」

 チェルシーは、一つとして破れたところのないねる子の黒衣に感心していた。

「その分、攻撃に専念できなかったのが残念です。メイン盾と回復役ヒーラーさえいれば、もっと早く全滅させられたのですが」

「すまないね、しゃべれなくなったせいで、全く役立たずになってもうて」

 魔法使い、魔法がなければ ただの人、である。

「しかし耶律唯忠理やりつゆたり。ワシの障壁を貫いて沈黙の呪文を当ててくるとは。さすがゴジャールの側近中の側近だっただけはある」

「あの馬頭琴ばとうきんの力なんです」

「バトウキン?」

 ねる子はうなずく

「あの琴を鳴らすことで、唯忠理は様々な呪文を使い、そして幽世かくりよから不死者アンデッドを呼び寄せるんです」

操屍術師ネクロマンサーか。厄介じゃな」

 ネクロマンサー。それは魔術師の到達点の一つである。

 チェルシーのような純粋な魔導師ウィザード以外にも、魔導師には様々な分野スクールに特化した者達がいる。

 その中でも召喚術を得意とするのが、召喚師サマナー悪魔召喚師デビルサマナー、そしてネクロマンサーだ。それぞれ魔獣、悪魔、不死者を召喚する。

くだんの地下迷宮の老魔術師は、ウィザードであると同時にサマナーであり、デビルサマナーであり、そしてネクロマンサーだった。

 デビルサマナーの能力は悪魔の王デーモンロードと契約することで手に入れ、ネクロマンサーの力は吸血鬼の王ヴァンパイアロードと友誼を結ぶことで得たという。

 事実、ねる子たちが老魔導師の事務所に踏み込んだ時、ヴァンパイアロードは客としてもてなされている最中だった。

 ヴァンパイアロードは、老魔術師よりも早く狼藉者に気づいた。そして扉が開け放たれた時、老魔術師に早くアミュレットを持ってくるように言うと、眷属の吸血鬼ヴァンパイアと共に、ねる子たちの前に立ちはだかった…。


「もう大丈夫です。おばあさま」


 ヨシルはすくっと立ち上がった。

「嬢ちゃんはもう少し休んでな」

 そう言いながら、チェルシーは背嚢を魔法で引き寄せると麻袋を取り出し、中に入っていた干し肉を差し出した。

「ありがとうございます」

 ヨシルは、にっこりと美しい顔に笑顔を浮かべた。

「嬢ちゃんの地図には、下の階に向かう階段が書いてあるのだろう?」

「ええ」

「なら、下には明日行こう」

「しかし、私は一刻も早く蒼き狼の宝玉を」

「嬢ちゃんの一族の危機は理解しているつもりじゃ」

 チェルシーは、ねる子の言葉を遮った。

「じゃが、こんな疲弊した状態で強行して嬢ちゃんになにかあったら、宝玉は誰が日本に持ち帰るのじゃ? それが分からない嬢ちゃんじゃないだろうに」

「…」

 しばしの沈黙の後、ねる子は小さく頷いた。

「ヨシル、戻るよ。その背嚢は私のクッションに乗せるんじゃ。あんたは、嬢ちゃんを背負っておやり」

 壁に刺さったねる子の手裏剣を回収していたヨシルに、チェルシーが声をかける。

「はい、おばあさま」

 チェルシーの乗るクッションが倍に広がった。ヨシルはそれに背嚢を乗せると、ねる子に歩み寄り、背を向けてしゃがみこんだ。

「どうぞ」

「でも…」

 逡巡するねる子。ヨシルは振り向いてにっこり微笑む。先程までのひどい疲弊など、もうどこにもないようだ。

「遠慮することはないよ。この子のバカ力は嬢ちゃんだって分かってるだろう?」

「ヨシルさんだって疲れているのでは」

「私は大丈夫です。はい、どうぞ」

 ねる子が乗るまで、ヨシルもチェルシーも動かないつもりだろう。

 渋々、ねる子はヨシルの背にしがみついた。

 ヨシルは、ねる子の重さなど関係ないかのように、スクッと立ち上がった。改めてすごい力だと思った。

「じゃあ、帰ろうかね」

 隠し扉に向かうチェルシーのクッションの後ろを、ヨシルがついていく。

 メイド服越しに感じたヨシルの背は、堅くて冷たかった。



 ヨシルとチェルシーは羨道を抜け、牧場に戻る林道を歩く。

「ふふ、ねる子ちゃん、寝ちゃいました」

 右肩に頭を乗せ、寝息を立ててるねる子を見て、ヨシルは笑っている。

「あれだけ身体を酷使したんじゃ。仕方あるまい」

「かわいいです。こんなに小さくて」

 右手でねる子の尻を抱えたまま、左手でその頭を優しく撫でる。

「この子は小さな肩に見合わない、大きなものを背負ってきた。その中で、いくつもの国を救い、英雄となって旅をしてきた。それは、きっとワシらが想像もつかない、壮絶なものだったじゃろう」

「そうでしょうね」

「ヨシルよ、もっと人を知るのじゃ。どう生きてきたのか、どう生きてきていくのかを。それを知ることは人間の理解に繋がり、手がかりとなるじゃろう」

「はい」

 風が渡り、森をざわめかせる。

 だが、ねる子が起きることはなかった。


(つづく)












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