第19話 老魔術師の歩んだ路

 ヨシルが先頭を歩き、ねる子とクッションに座った老婆は並んで丘の上へと向かった。


 赤い髪を、幾何学模様の組紐でポニーテールに縛っている。目は老婆と思えないほど鋭く、肌は灰のような色をしていた。


 よく見れば、ポニーテールに結ばれた髪の横には、尖った耳が伸びていた。

(エルフ…いや、ハーフエルフか)

「なんだい、ダークエルフとの間の子ハーフが珍しいのかい?」

 まるでねる子の心を読んだかのようだ。

「いえ。そんなことはありません。各地の迷宮で、一緒に戦ってきましたし…」

 ただ、ここまで老いたハーフエルフを見たのは初めてだった。当然だ。人同様、老いたハーフエルフが過酷な戦場いくさばに出向くわけがないのだから。

「そうじゃろう。なにせワシは、激レアな存在じゃからのう」

 老婆はそんなねる子の反応を面白そうに見ていた。



 老婆の小屋についた。丸太を組み上げただけの、素朴な家だった。

 魔法使いの家と思ったので、どれほど風変わりなのだろうと期待していたが、生活空間は至って普通だった。フェルトのラグが敷かれ、中央に小さな木製のテーブルがある。椅子は四脚あるが、普段は老婆とヨシルだけが使っているのだろう。

 老婆がクッションを降りると同時に、その左手に長い杖が現れた。老婆は、杖に体を預けた。

「もうババアなんでね。足腰が弱っちまって困る。さ、嬢ちゃん。そこにお座り」

 着席を促されたねる子が座ると、老婆も座った。

 ヨシルはリビングの奥に備えられた厨房に消えていった。

「この牧場は、ワシの余生を過ごすために造ったものでな。羊の毛や肉を商って、日々暮らしておる」

「でも、おばあさんは魔法使いですよね」

「そうじゃ。でも、魔法使いだろうが歳は取る。エルフでもない限りね。ワシは確かにエルフの血は流れているが、同時に半分は人間。だから老いと死の定めからは逃れられん。だから羊の世話でもして、のんびり余生を過ごすことにしたのじゃ」

「そうですか…」

 こうは言うが、この老婆、ただの魔法使いでないことは明らかだ。

 おそらく、ねる子が戦いで共にしたどんな魔法使いよりも強いかもしれない。

 魔法使いは知識職インテリジェンスだ。年を重ね知識を蓄えれば、それだけ使える呪文も増え、熟達していく。肉体フィジカルのコンディションが強さにつながる戦士など他のクラスとは強さのピークが違うのだ。

 だが、老ハーフエルフが魔術師として熟練しているのは当然だとしても、そういう単純な強さとは別のなにかを持っているような気がした。


 料理ができるには時間がかかるというので、老婆は暇つぶしに、と、自分の過去を語りだした。

「私が生まれたのは約三百年前。そう、世界がゴジャールの影に怯えていた頃さ。母はダークエルフで、父は人間。ブリンガル中部の、ある街の役人だった。父の家は地元の名士だったから、ちょっとは裕福な家庭だった。祖父母はダークエルフと父が結婚することには反対したそうだが、私達孫には優しかった。幸せだったね。目を閉じれば、昨日のことのように思い出す…」

 老婆は語りながら、ゆっくり目を閉じた。

「じゃが、その幸せも長く続かなかった。街にゴジャール軍が攻め寄せてきたのさ」

「でも、ゴジャール軍はこのデルピュネーで押し留められたのでは…?」

 しかし老婆は首を横に振った。

「記録では、ゴジャール軍はマンダリナ川を渡れなかったことになっているが、あれはブリンガル人のくだらない誇りプライドのために改ざんされた、嘘の歴史さね。確かに、ゴジャール率いる本隊はデルピュネーで足止めされた。当時ブリンガルでも最強の騎士団が配備されたからね。が、それが悲劇の始まりでもあった」

「悲劇…?」

 老婆は悲痛な表情で、ゆっくりと頷いた。

「騎士団の抵抗とマンダリナ川という天然の要害のせいで突破できず、痺れをきらしたゴジャールは、すでに攻略を終えていた北のワルキリアから、四駿ししゅんの一人、ウラーン・カーマー赤鼻率いる別働隊を侵入させ、騎士団の背後を脅かしたのさ」


 四駿とはゴジャール最側近の四人の将軍であり、特にウラーン・カーマーはその筆頭、「雷鳴の猛禽」と呼ばれ、神速と讃えられる高速の部隊行動でその勇名を轟かせていた。


 その二つ名にふさわしく、ウラーン・カーマー率いるゴジャール軍はたった二週間でワルキリアを滅ぼすと、最低限の駐留軍だけを残してブリンガルの北から侵攻。部隊を複数に分け、各都市の攻略をはじめた。

「別働隊に占領された街ひどい略奪と破壊を受けた。殺された住人たちは無惨にも路上に転がり、女達犯され、子供すら拷問を受けた。ゴジャールは抵抗した都市を徹底的に破壊する。恐怖で敵の戦意をくじくためだ。その魔手はブリンガル中部の私の故郷まで及んだ。幸い、ワシは生き延びたが、両親も、祖父母も、弟たちも、親しい友達も殺された。故郷は破壊されたまま、今の地図には載っていない」

 老婆はうつむく。老婆の人生において、これは最も悲しい記憶なのだろう。


 しかし、ウラーン・カーマーの別働隊がデルピュネーに到着する前に、ゴジャールが死んだ。


 残されたゴジャール軍は帝王の遺言に従い総撤退を開始した。次の帝王ハンを決めるため、故郷に帰ったのだ。

いくさが終わり、私に残されたのは、孤独だけだったさ。それを埋めるように、ひたすら魔法の勉強をした。魔法の才能については、エルフの血が幸いした。若くして上級魔導師となったワシは、ゴジャールによる大破壊後の世界を歩き、様々な魔法を習得していったのじゃ。あの旅は、楽しかったなぁ」

 老婆は天井を見上げ、しみじみと語った。

「おばあさま、羊のチャウダーができました」

ヨシルが厨房から土鍋を持ってきた。

「羊の骨と野菜でダシをとり、それを小麦粉で炒めて作ったルゥとダシをあわせたスープで子牛の肉を煮込んだ、とっておきのチャウダーさ。西の方の言葉でシチューと言うそうじゃ」

 ヨシルはテキパキと配膳していく。チャウダーと自家製のバニッツァ。パイ生地のパンだ。

「ほら、遠慮せずにおあがり」

 子羊の肉と野菜たっぷりのスープは、コクがあってとても落ち着く味。

 耶律唯忠理やりつゆたりとの戦いでささくれだったねる子の心を癒やすに十分だった。バニッツァにはほうれん草が練り込まれていた。

 ヨシルは老婆の後ろに控えて、食事は共にしなかった。まさに女中といった佇まい。老婆も、それが当然と言った様子であった。

 皿の中のチャウダーがなくなると、ヨシルは素早く、そして正確な動きでよそってくれた。戦った時と同じく、配膳すら隙がなかった。



 食事も半分進んだ時だった。

「で、あんたはなんであんなところから出てきたんだい?」

 唐突な質問だった。しかし、適当な嘘はつけない雰囲気。

 この老婆が只者でないことは分かっている。


 今、わかった。

 老婆から湧き上がる、この得体のしれない気配は、狂王の城の地下迷宮で遭った、あの邪悪な魔導師のものと酷似していた。


「ザナドゥがあったんです。あの森の先に」

「ザナドゥ…ゴジャールの墓か」

 ほう、と、老婆は短く声をもらした。

「そうです。森の中にあった丘が、ザナドゥでした。ザナドゥの中は大理石で造られた迷宮となっていました。そこにはドラゴンなど魔物がいて…。きっと、ゴジャール族が置いた墓守なんでしょうね」

 ねる子はあえて耶律唯忠理のことは言わなかった。

「私は、ゴジャールと共に葬られているという蒼き狼の宝玉を求め、はるか東方の島国から旅してきました」

「なんでそんなものを?」

「一族のためです。一族は今、日本じっぽんという国で、存亡の危機に陥ってます」

「日本…ジパングのことかね」

 ねる子はうなずいた。


 ジパングとは、大元だいげんを訪れた西方商人、マルコ・ポーロが著した「東方見聞録」に書かれた日本の呼び名である。ジッポンという国名が、西方人のマルコにはジパングと聞こえたのだろう。

 東方見聞録において日本は「黄金の国ジパング」として紹介された。

 屋根まで金でできた建物が立ち並ぶ、壮麗なことこの上ない都があるなどと書かれていた。

 確かに陸奥むつの平泉に、黄金でできた御堂みどうがあると聞いたことがある。だが、殆どは粗末な木造の家ばかりだ。黄金郷など程遠い。

 なにより今の都は、マルコが東方見聞録を書いた二百五十年前とは違う。大元を退けた鎌倉幕府も滅亡し、その後継たる室町幕府ももはや風前の灯。ミカドの住まう清涼殿せいりょうでんも、ショーグンが住む花の御所も度重なるいくさで焼け落ちた。ミカドもショーグンも都を落ち延びて、惨めな暮らしを強いられている。

 だが西方の人は、いまだに東方見聞録に書かれているホラを信じているようだった。

「人の世というのは、いつもどこかで戦争してるもんだ。身体が闘争を求めるのかね」

 老婆はため息をついた。

「しかし、これで羊泥棒の正体はわかったね。ザナドゥにいる、ゴジャール族の残党じゃろう。亡霊なら、大人しく土の下にいればいいものを」

 地下迷宮には食べ物がない。だから、羊を盗んでいたのだ。ゴジャール族は、羊を好んで食べる。羊肉を野菜と鉄鍋で焼いた料理を「ゴジャルカン」という呼ぶくらいだ。


「ならば、こちらから討って出るのもおもしろい。ヨシル、あんたも荷物持ちとしてついてくるんだ」


 老婆は振り返り、後ろに控えているヨシルに告げた。

「でもおばあさま、羊の世話は」

「なぁに、デルピュネーに住んでる弟子にでもやらせるさ」

 そして再度、ねる子の方に向き直る。

「嬢ちゃん、こんなババァで悪いけど、あんたと一緒に行くよ。イヤとは言わせない。なんなら、このヨシルとセットだ。どうじゃ?」

 願ってもない話だった。大魔道師と、ねる子すら圧倒する拳法使いのメイド。これほど心強い味方はいない。

「ワシの名前はチェルシー。ブリンガルの元宮廷魔術師さ。で、この子はヨシル。ワシの身の回りの世話と、羊追いをしてくれている…まあ、見ての通りのメイドじゃ」

「改めてよろしくお願いします。ねる子ちゃん」

「こちらこそ」

ちゃん付けで呼ばれたのは久しぶりだったので、少し気恥ずかしかった。


(つづく)

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