第18話 羊追いのメイド
「あなたは誰ですか。ここに、なんの用ですか」
夕日を背にしたまま、黒いカートルとエプロン姿の女は誰何した。
微動だにしない。
腕は組んだままで、威圧をかける。名工の手によって創られた彫像のような美しく整った顔に、明らかな敵意が滲んでいた。
夕焼けの逆光が、肩で切りそろえられた
女のねる子でも、美しいと思える女性だった。
そしてあまり見慣れないこの姿。確か、西方の
なぜこんなところに女中が、と思う余裕はなかった。
口調は研ぎ澄まされたナイフのように鋭く、返答次第では容赦はしないという殺気が込められていた。
「私は馬小屋ねる子。ただ、道に迷い、ここに来ただけです」
「嘘おっしゃい! あなたが来た道は、いつも羊泥棒どもがやってくるところです」
と言いながら、メイドはねる子がやってきた森の方を指さした。その間も、蔑むような紅い瞳は、ねる子を捉えて離さない。
「正直に言いなさい。そしたら、苦しまずに殺してさしあげます」
メイドは唐突に、物騒な事を言いだした。
「言わなかったら」
「もちろん殺します!」
ねる子は愕然としてしまった。どちらにせよ、殺すことは決定しているらしい。
「羊泥棒なんてしません! 本当に、迷い込んだだけなんです。この先の滝から来たのですが、街に戻りたかったのに帰れなくて…森を抜けたらこの丘に出たんです」
さすがに罪殺されては堪らない。ねる子は言葉を尽くして説明したが、メイドは頑として聞く耳持たない。
むしろ、往生際の悪い言い訳ととらえたのか。メイドの瞳が怒りのせいか紅から碧に変わる。そして、右足を引いて身構えた。
「おばあさまの羊を盗む者は、
そう言うなり、メイドは地鳴りするほど大きく踏み込み、固く握りしめた拳を突き出してきた。
ねる子とメイドの間合いは、まだまだ拳が届かない距離だ。だが、ねる子は凄まじい殺気を感じ、考えるよりも早く横に飛び退いた。
ねる子の左頬のすぐ横で、風を切るような音がした。
直後、後方で何かが
メイドの拳が衝撃波を生み出したというのか。
メイドは距離を詰めると、さらに拳を繰り出してくる。拳の速度は、ねる子の手刀の倍を越える。驚くべき早さだ。しかも、どの拳も重い。体重を乗せている。一撃でも貰えば本当に死ぬかもしれない。
拳が飛んでくる。そしてまた拳。拳。拳。息もつかせぬラッシュで、メイドはねる子を圧倒する。
「やめてください! 私の話を聞いてください!」
拳をさばき、かわしても、メイドの攻撃が止むことはない。身を翻し距離を空けても、メイドはすぐに間合いを詰めて拳を叩き込んでくる。
「問答無用と言った!」
「言ってないです!」
歴戦の冒険者とも劣らない攻撃。驚くべきは、それだけの速度と手数で攻撃しているというのに、メイドは一つも息を切らしていないことだ。だからどれほどの攻撃を繰り出そうと、彼女は
本気で、ねる子を殺しにかかっていた。
一方のねる子は、肩で大きく呼吸しはじめている。これ以上長引くのはまずいかもしれない。
「おばあさまの羊、何匹盗めば気が済むのですか!」
またメイドの拳が闘気をまとって、衝撃波となった。ねる子は素早く手を交差して受けたが、斥力に押されて後方に大きく吹き飛ばされた。
戦いたくはなかったが、メイドは話を聞いてくれない。
首は刎ねたくなかった。刎ねてしまえば、このメイドは二度と蘇らない。彼女が守ろうとしている「おばあさま」が悲しむことになるだろう。
忍者は、戦いの中では冷酷であれという。
だが、このメイドは悪人ではない。むしろ羊牧場という一地を命をかけて守ろうとする気高き侍の如きであった。
殺してしまえば、それこそメイドの言う羊泥棒と同じになる。そこまで堕ちたくはなかった。
とはいえ、防戦一方では拉致があかない。体力も限界だ。
「悪いですけど、ちょっと痛い思いしてもらいます!」
ねる子は立ち上がると、一気にメイドとの距離を詰めた。
拳。手刀。拳。手刀。達人二人の腕が、何度も何度も交差する。
激しい攻防を、沈みかけた夕陽だけが見守っていた。
赤い光が満ちあふれ、燃えるような雲が空に漂う。
手数では勝てない。だから繰り出される拳を受け流し、メイドの防御の隙を作る。
そして、チャンスは来た。
「ごめんなさい。メイドさん!」
ねる子は拳を握りしめると、メイドのみぞおちに叩き込んだ。
当て身だ。これでメイドは動けなくなる
…はずだった。
「こんなもので、私を無力化できるとでも?」
メイドは口角をあげ冷徹な笑みを浮かべると、
「侮らないでください!」
ねる子の小さな体を思い切り蹴り飛ばした。
恐るべき戦闘力に比して小さすぎるねる子の身体が地面を転がった。
ねる子は、自分の拳の感覚を疑った。
恐ろしく硬い腹部だった。どれだけ腹筋を鍛えているというのか。竜の鱗すら
「これでおしまいですか。なら、死んでください」
メイドは、カートルの襟を掴むと紐を解き、なぜか胸元を開いた。
豊満な乳房の谷間があらわになる。
一体、何をするつもりなのか。
ねる子はかかとを浮かした。メイドの次の、おそらく必殺になるであろう一撃をかわす態勢をとった。
「ちょっとお待ち! ヨシル!」
だが、その答えを知る前に、老婆の声があたりに響いた。
「おばあさま。止めないでください! 羊泥棒を殺すんです!」
ヨシルは振り向いて抗議の声をあげる。
「馬鹿なことをお言い! この娘は羊泥棒なんかじゃないよ。見てわからないのかい!」
やがて、空飛ぶクッションの上にあぐらを、ローブ姿の謎の老婆が姿を現した。
青い羊毛のローブ。手には短いステッキを持っている。一目で魔法使いとわかる出で立ちだった。
「ドカドカと騒がしいからなんかと思ったら、やっぱりあんたが暴れてたのかい。 呆れてものも言えないよ!」
と、老婆はメイドを叱責する。メイドは肩をビクッと震わると、借りてきた猫のようにしゅんとしてしまった。さっきまでの獰猛さは、もうどこにも残っていなかった。
「でも、この人はあっちから来ました。格好だって真っ黒で、いかにも闇に紛れて行動する泥棒って感じです。ほら、髪の毛まで真っ黒ですよ」
ヨシルと呼ばれたメイドは、ねる子が来た森の方向を指さした。
「おばあさま」は、大きくため息をつくと、「私の教え方が悪かったのかねぇ」とこぼし、あからさまに残念そうな顔をして後ろ頭をかいた。そしてクッションに座ったまま、ねる子の側までやってきた。
「申し訳ないね、お嬢ちゃん。ヨシル…この子も、悪気はないんだ。世間知らずなのと、このところ羊がよく盗まれてね…ちょっと殺気立っていたんだよ」
そう言うと、ヨシルの方を振り向いた。
「ヨシル、人の善悪が見分けられないなんて。まだまだだね。それじゃ、この農場の
老婆の言葉は優しげだったが、声には厳しさがあった。ヨシルはうなだれて、小さく「はい」と答えた。「おばあさま」に諭されたことが、相当堪えたらしい。
「彼女を立たせてあげな。あんたが倒したんだよ」
「ごめんなさい、ねる子さん」
ヨシルが差し伸べた手を、ねる子は握った。と思ったら、グイッとすごい力で引き上げられた。
「ご、誤解が解けて良かったです」
慌てた様子を取り繕うように、ねる子は引きつった笑顔を見せた。
「これで仲直りですね。ねる子さん」
ヨシルは美しい顔に、闘神の如きだった先程と同じ人物とは思えない、優しい笑顔を浮かべた。
老婆は満足気に、うんうんと頷く。
「お嬢ちゃん、お詫びに、うちで夕食を食べていきな。とっておきの羊料理をふるまおうじゃないか」
一刻も早く、ザナドゥに帰りたい気持ちはあった。
だがなぜか、老婆の言葉には有無を言わさない圧力があった。
(つづく)
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