第17話 迷宮の奥、さらにその先

 ねる子は激怒した。必ず、かの邪智暴虐な耶律唯忠理やりつゆたりを倒さねばならぬと決意した。


 だが、ねる子にはあの女の倒し方が分からぬ。


 少なくとも、ねる子一人では唯忠理をたおすのは無理だ。

 脳裏にオデンの顔が浮かんだ。しかし、首を振ってその思いを振り払った。

 核熱魔法ニュークリアーブラストが飛び交う危険な戦場に、誰も巻き込みたくはなかった。ねる子の身のこなしがあったこそ、無事でいられたのだ。並の戦士であれば、とっくに蒸発している。


 部屋を出た。そこは正しく迷宮であった。

 敗北の屈辱感に焚きつけられ、迷宮の玄室に飛び込んでは、手当たり次第に魔物たちを殺しに殺した。

 ねる子は今、灼熱の怒りに身を焦がした冷酷な殺人マシーンとなっていた。

 オークの群れ、ゾンビの集団、四本腕の下級悪魔たち、這い回るコインに牙を持った危険なうさぎ…。

 玄室の床、通路の壁。大理石で組み上げられた白亜の迷宮が朱に染まる。


 魔物を100体ほど斬殺したところで、ようやく冷静さを取り戻した。

 肩を大きく動かし、罠を外したばかりの宝箱から、鶏もも肉のローストを取り出した。

 部屋には、首のないオーガたちの死体が転がっている。このローストの、元持ち主たちだ。


 目を見開いたままの首領オーガオーガロードの首が、ねる子の方を見ていた。唯忠理に雇われたオーガの傭兵だろうか。

 中級の魔法と怪力を持つ恐るべき亜人であったが、骸蜈蚣サイデルさえ片手でほふるねる子の敵ではなかった。

 「私に会ったのが、運の尽きでしたね」

 鶏もものローストの味は悪くなかった。焼き加減も絶妙だった。皮がパリパリしている。殺したオーガの中に、料理上手がいたのかもしれない。

 見れば部屋の隅に、肉を焼くためのロースターがあった。肉にハンドルをつけ、火で炙りながらくるくる回すタイプのものだ。

 ねる子は使ったことがないが、おいしく焼くには火からあげるタイミングを見極めるのが肝要だという。

 そしてうまく焼けた暁には、仲間たちが「上手じょうずに焼けました!」と褒めそやす決まりがあるそうだ。

「お肉、美味しかったです。ごちそうさまでした」

 ねる子はオーガたちに手を合わせると、玄室を後にした。



 このフロアは、特に見るべきものはなかった。下り階段はすぐに見つかったが、ほかになにか隠されているかと思い、魔法の羊皮紙に迷宮の地図を書きながらマッピング歩き回った。


 すると、迷宮の北西に、不自然に欠けた部分があった。そのあたりの壁を丹念に探すと、巧妙に偽装された隠し扉があった。


 中に入ると、もう一つの階段があった。しかも、上り階段であった。

 この上のフロアは、竜がいたドームだ。しかし宝石のアミュレットによれば、ここはドームの下ではなかった。つまり階段の先は、ねる子にとって未踏の地となる。

 これまで攻略した迷宮にはない複雑さだ。魔導師の迷宮も呪われた穴も、ただただ下に降りていくだけの構造だった。

 さすが豪舎龍ごじゃるの墓所。ザナドゥと言われるだけのある。

わざわざ隠されていた階段だ。この先に何もないはずがない。

 下に降りる前に、この先を調べたほうがいいだろう。それは幾多の迷宮を踏破した迷宮探索者ダンジョンエクスプローラーとしての勘でもあった。

 ねる子は意を決し、階段を登り始めた。


 階段の先は、岩盤を削って作られた野性味ある坑道だった。まさに洞穴というにふさわしい。

 地下二階はまるで地下街のように整然と部屋が並んでいたが、ここには扉が見当たらない。それどころか、横道さえあるように思えなかった。

 人力で掘られた隧道なのか。それにしては、ザナドゥの中に比べて粗雑な印象があった。


 少し歩くと、後ろの通路がふさがった。一方通行の通路だった。戻ろうとしても現れた岩盤がねる子を拒絶した。

 仕方なく、ねる子はそのまま歩いていった。



 やがて、通路の先から轟音が聞こえてきた。


 これは、滝の落ちる音だ。


 阿波にいた頃、飯尾川の上流にある清滝きよたき水神すいじんの滝で滝行をした時のことを思い出した。

 あれももう、何年も前のことになってしまった。


 もう少し歩くと、洞窟の先から日差しが入ってきた。この先は外につながるようだ。



 洞穴を出た。

 そこは、断崖絶壁の上だった。

 右手には大瀑布があり、凄まじい轟音を響かせていた。

 足元の崖の下には、滝から生まれる清流が南の方へと流れていく。

 ここはどうやら、デルピュネーの街を縦断するマンダリナ川の上流らしい。

 対岸には同じく崖があり、その上は鬱蒼とした森が茂っていた。


 洞穴の出口からは、滝の方へ桟道さんどうが作られていた。

 崖から張りだした、人歩ける程度の広さに作られた羨道には多くの修繕の跡があり、何十年と使われていることがうかがえた。


 羨道は滝の裏を通り、やがて対岸へとつながった。


 向き直ると、切り立った岸壁に、ねる子が出てきた洞穴がぽっかりと空いていた。   

 その上には焼き切られた縄梯子もあった。

 途中、羨道の橋桁が落ちていた。ねる子にとって飛び越えるのは容易な事であったが、ザナドゥの住人にはそうではなかったのだろう。


 推測するに、この桟道は、ザナドゥの住人が出入りのために使っていたものなのだ。

 何かしらの理由で出入りができなくなり、この羨道を作ったに違いない。


 思い当たることがある。入口を塞いでいた、あの石像だ。

 石像は何らかの理由で、ザナドゥの住人のコントロール下を離れてしまった。だからザナドゥの住人は、あの洞穴を堀り、羨道を使って下山するしかなかったのだ。


 しかし、耶律唯忠理やりつゆたりの力をすれば、あの石像を排除するのは容易いはずだ。

 それでもあえて石像を排除しなかったのは、ねる子がドラゴンを仕留めなかったのと同様、入口を隠すのに都合がよかったからだろうか。


 だが、その門番はもういない。



 この森を抜ければ、デルピュネーに戻れるはずだ。

 だが、ねる子はデルピュネーに戻るつもりはなかった。食料は森で調達すればいい。石の一つでもあれば、鳥でも兎でも容易に狩れる。

 川沿いに歩いて、再度ザナドゥの丘に入る。そのためには飛竜橋ワイバーンブリッジを渡らなければならないが、ザナドゥに向かった時同様、夜になってから天井にのぼって渡ればいい。

 今度は誰かに見られないようにしなければ。


 しかし、林道は川からどんどん遠ざかる。

 この道はなんなのだ。

 道は草に覆われており、普段から使われているものには思えない。

 森の奥だから、と思ったが、この獣道まがいの森の路がザナドゥの裏口につながっていたことを考えると、このままデルピュネーに出ることはないのかもしれない。


 果たして、どこに行き着くのだろう。

 知っている場所に出れば、デルピュネーを経由してザナドゥの上に戻れる。



 太陽も西に傾きつつある。

 ザナドゥを出てから二刻も歩いただろうか。


 突如、森が開けた。


 そこは、草に覆われた小高い丘だった。遠くには羊の群れが見える。

「牧場かな…?」

 そういえば、デルピュネーの北西の丘陵には、羊の牧場があると聞いた。

 普通羊は、羊飼いが羊の餌となる草が生えた草原を巡回して育てるものだが、この牧場は一箇所に放牧したまま、羊を飼育しているという。それがどういう仕組みかは分からないが、少し変わった牧場だと、宿の主人が語っていた。


 太陽は西の山に差し掛かっていた。夕焼けの赤い光が、丘と世界を包んでいた。


 牧場に近づくのは姿を見られるリスクもある。

 誰かに見られる前にと、きびすを返した。


 その時だった。


 キーンと、耳障りな高音がねる子の鼓膜を貫いた。

 直後、ドンッという重厚な地鳴りが鳴り響き、あたりに土煙が舞った。

砂を吸って咳き込むねる子。


「誰の許可を得て、ここに踏み込んだのですか。あなたは」


 土煙の向こうで、女の声がした。

 毅然とした、よく響く声だった。


 土煙が晴れてきた。


 そこには、夕日を背にした、黒い羊毛のカートルを着込み、腰には白いエプロンを巻いた女が、腕組みをして立っていた。


 その瞳は背後の夕陽のように紅く輝いていた。


(つづく)



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