第16話 耶律唯忠理(やりつゆたり)
爆発の衝撃波で全てを吹き飛ばし、超高温の熱球であらゆるものを焼き尽くすこの呪文は、その驚異的な破壊力に比して味方にすらダメージを与えかねない高リスクの呪文だった。
しかし高位の術者は爆発を収束して前方に撃ち出し、大砲のようにこの呪文を影響範囲をコントロールすることを可能とする。
それをねる子は見逃さなった。直撃しなければどうということはない。呪文が弾ける直前にカカッと
ねる子の背後で閃光が走り、少し遅れて轟音と爆風が部屋を揺らす。
「ニュークリアーブラストをかわすとは。どこかでサイデルと戦ったことがあるのかな?」
「ある国の呪われた穴で」
「ほう。経験が生きたね」
唯忠理は愉快げに右の口角をあげた。余裕を見せつけてくれる。
なめるな、心の中で叫び、
「その、一瞬の油断が命取りです!」
ねる子は体制を低くして走り出す。サイデルの脇を抜け、唯忠理の首筋を狙うためだ。瞬間、再び琴の音が部屋に響いた。
ねる子の
「まさか、
巨人の腕が、ねる子を叩き潰そうとする。バックステップし、無遠慮で荒っぽい叩きつけから逃れる。途端に腐臭が部屋に満ちた。思わずねる子は袖で鼻を覆った。
あの琴だ。あれが、化け物を呼び出している。
あれを壊せなければ、唯忠理を
不死の魔物は床から生えてくる。床を走って近づけば、また接近を阻まれる。
「ならば!」
ねる子はジャイアントゾンビの懐に飛び込むと同時に首を刎ねとばし、首を失った腐敗巨人の肩を足場にして高く飛び上がった。
「馬小屋忍術!
そして天井を蹴ると、手刀を突き出し、唯忠理の首筋目掛けて急降下した。
これはフェイクだ。本当の狙いは琴にある。琴を盾にすれば、そのまま勢いで砕いてしまえばいい。
ローブ姿の女。忍者であるねる子の動きについているはずがない。
だが。
唯忠理は予想に反して素早く、そして大きくバックステップし、ねる子の狙いを外すと、また琴を
「ニュークリアーブラスト」
唯忠理が呟く。ねる子の直前で閃光が弾けた。
「!!」
ねる子は空中で身を捩って軌道を変え、着地と同時に床を蹴り、核熱の火球の外へと逃れた。
まさか、高位の魔法まで使うとは。しかもほぼ詠唱なしで、最強の呪文を放った。
やはり、あの琴だ。琴が、そのような非常識な芸当を可能としているのだ。
だが、床には不死の化け物が蠢き、唯忠理自身は最強の対空呪文まで備える。
「どう? この
唯忠理は勝ち誇ったほうに言う。
ねる子一人では、もはやあの琴を壊す術はない。
「それで終わりかな? 私はこのままタイムアップでもいいのだが?」
唯忠理はどこまでも余裕だ。憎らしいほどに。それが、萎えかけたねる子の闘争心に火をつけた。
「まだです! まだ終わりません!」
ねる子は懐から星型の手裏剣を取り出すと、それを唯忠理に投げつけた。闇の中で視認しづらいように、黒く塗られた手裏剣だった。
だが唯忠理は、飛んできた手裏剣の軌道を読むと、軽々と高くジャンプしてかわした。
「なっ!」
それこそ、忍者のような身のこなしだった。召喚や魔法のみならず、軽快なアクションも得意なのか。
「私はこれでも、
唯忠理はクククと喉の奥で笑う。
「それなら!」
水平に手裏剣を投げつつ、唯忠理が逃げるだろう上空にも同時に
だが、これはフェイントだ。
本命は次にある。
背中の刀を引き抜き上を見上げると、上空にいる唯忠理目がけて跳んだ。
「キエィ!」
そして裂帛の気合いと共に刀を振り下ろす。
しかし、唯忠理は顔色一つ変えず、馬頭琴の弓で刀の側面を弾いて剣筋を変える。
剣先がむなしく空を切る。
完全に、手の内を読まれていた。
その上、
「
空中で琴を鳴らし、巨大な火の玉を作り出す。
至近距離だった。
直撃すれば、ねる子とて無事では済まない。
身をよじって態勢を変えると、着地と同時に床を転がって逃げる。
だが火球の爆発は予想外に大きく、爆風で飛び散った炎が広範囲に広がる。
飛び散る火の粉がねる子の覆面を焼いた。
もう、なす術がなかった。完敗だ。
唯忠理は崩れて膝をつくねる子の目前まで歩むと、右手を向けた。
その掌が稲妻をまとう。バチバチと電気が空気を焼く音が、ねる子の耳にも入った。
しかし、急に音が聞こえなくなった。
見れば、唯忠理は右手もおろしていた。
「ここで殺してもいいけど、私にたった一人で挑んだその無謀に免じて、見逃してあげる。ただし、サイデルを倒せたら、の話だけどね」
そう言い残すと、唯忠理は転移魔法を使い、この部屋から消えた。
残されたのは、ねる子とサイデルのみ。
サイデルは低くうなりながら、鎌状になった両手を振り上げた。
ねる子は素早く立ち上がり、一気にサイデルの懐に飛び込むと、頭蓋骨をつかんで握りつぶした。
「お前なんか、首を刎ねるまでもない」
頭部を失ったサイデルはバラバラになって崩れ、やがてサイデルを構成していた人骨も煙をあげて消え去った。
ねる子は、歯ぎしりをしていた。
見逃された。生き恥を晒した。
強い敗北感と屈辱がねる子を支配し、視界が真っ赤になるほどの怒りに身を焦がした。
「耶律唯忠理…いつかその首刎ねとばす」
そうつぶやき、強く心に誓った。
(つづく)
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