Ⅱ.馬小屋ねる子の試練〜忍者ねる子の章Ⅰ〜
日本からきた少女
第14話 ねる子の旅立ち
一門は海に張り出した鳴門山に砦を兼ねた
透破とはその名の通りスパイ行為を得意とする者であり、別の名を忍者ともいう。
一門が暮らす鳴門山東の岬の先には、渦潮と呼ばれる大渦があった。馬小屋流忍術は渦潮のように変幻自在。その高い作戦能力により、阿波のメジャーダイミョウでありショーグンを補佐する
頭領の馬小屋家は代々優秀な
しかしメジャーダイミョウたちが都を舞台に繰り広げたオーニン戦役が長く続き、
馬小屋一門が仕えてきたメジャーダイミョウ、細川家もオーニン戦役で大きく力を失い、また当主
しかし西のメジャーダイミョウ、大内家が周防国に落ち延びてた先のショーグンを奉じて都に攻め上ってきた。
大内の軍勢が畿内に到着すれば、都は再び戦火に包まれるだろう。
大内軍迫る。そんな危機の最中、ねる子は父と共に都に赴いた。今や細川家の
三好家は阿波シュゴダイ。馬小屋一門との関わりも深かった。
「ショーグン家と細川家の関係を盤石とするために、あるものを手に入れてほしい」
「あるものとは…?」
基長と父が話す中、ねる子は後ろで控え、黙ってその会話を聞いていた。
「
「豪舎龍とは…大陸の大半を制覇し、大艦隊を持ってこの日本にも攻め寄せたという
「そうだ。大陸の北の草原の少族に過ぎなかった豪舎龍が世界の覇王となったのは、蒼き狼から授かった宝玉の力で周囲の部族を圧倒し、その力を糾合して大陸を席巻したからだという。そして宝玉は、豪舎龍と共にその墓所に眠っていると伝えられている」
まるでおとぎ話だ。だが、語る基長の顔は真剣であった。
「その宝玉さえあれば、細川家は安泰。ショーグン家の後ろ盾として…いや、ショーグン家を超えることさえできるかもしれぬ」
この時ねる子は、基長の瞳の中に妖しい光を見た。
「大変なことを、言いつかっちまったなぁ」
船が鳴門の大渦のそばを通りがかった時、父が唐突にぼやいた。先程までの改まった武家口調は崩れ、いつもの田舎言葉に戻っていた。
「そもそも豪舎龍がどこに葬られているか、それは誰も知らないと聞いたぞ。基長様も無茶を言うよ」
「しかし、今のショーグンや細川家の立場は、それほど危ういものではないのでしょうか?」
ねる子は、基長に感じたものを心のうちに隠した。
「確かになぁ。大内と細川がぶつかれば、どちらが勝つともわからん。細川…いや、基長様が敗れれば、今のショーグンは都を追われることになる」
基長が推戴して当主となった澄基は、世間知らずの暗愚と聞く。最近は細川家当主の地位を驕って人心が離れているとの噂もあった。
「かつての細川なら、大内を圧倒できたかもしれん。なにせ管領。将軍を補佐するダイミョウの筆頭だからな。その血はショーグン家にもつながる名門。だが、いかに基長様がやり手であっても、先のショーグンを担ぎ勢いに乗った大内を止められるかどうか。基長様が敗れれば、細川家も終わりじゃろう」
細川家が滅べば関係が深い馬小屋一門も、どうなるかわからない。基長の懸念がそこにある。こんな無謀な依頼をかけたのも、そのような背景があるからだろう。
どこか心にひっかかるものを感じつつ、ねる子はそう思うことにした。
「だが、私は鳴門を離れるわけにはいかん。今回の件は、話を全て聞いたお前に任せたいと思うんじゃが、どうじゃ?」
「え…」
突然の話にねる子が目を丸くしていると、父は腕を組んで話を続けた。
「お前ももう14歳。武家なら元服できる歳じゃ。その若さで馬小屋流忍術も皆伝したお前には、忍者としての天賦がある。行ってくれないか?」
世界のどこにあるか分からない宝玉を持ち帰る。まるで雲を掴むような話だ。正直、戸惑いもあった。
「少し、考えてはくれぬか」
この話は、ここで終わった。
鳴門に戻ったあと、ねる子は考えつづけた。
東に張り出した岬の上から、大渦を眺めた。
海に穿たれた巨大な渦。淡路島の西から放たれる早い流れが渦を作るのだという。ゆえに渦は、潮の流れにより常に姿を変えていく。ねる子は大渦が作る変幻なうねりが好きだった。
そして自分も常に変わり続けるべきだと思っていた。
忍術を皆伝してしまったねる子は、実は鳴門山での生活に飽きていた。なにか新しいことがしたいと思ってもいた。
そのため、父に頼んで都に上ろうかと思ってさえいた。
だから故郷を出ることに躊躇はない。
だが、今回の使命は都どころか日本を出て大陸に行くのだという。
単なる好奇心だけで遂行できる任務ではない。生まれて以来阿波に根付き、阿波のことしかしらないねる子である。
そんな自分が、日本を出ていくことができるのだろうか。
渦を見ながら、長らく自問していた。
答えが出たのは、日が落ちた後だった。
「わかりました、父上。馬小屋ねる子、必ずや豪舎龍の宝玉を持ち帰ります」
その日の夜、父の部屋を訪れて決意を伝えると、父は大きくうなずいた。
「これを持っていくがいい」
父は傍らにあった、
匂袋には、
狸は馬小屋一門の守り神であった。
翌日には鳴門山を発ち、伊予国まで歩くと、村上水軍に頼み込んで博多まで送ってもらった。
博多から大陸までは、倭寇の船に乗った。
倭寇は海賊という認識があるが、この船はいわゆる武装商船で、博多から
「今の倭寇ってのは、日本人じゃないんだよ。明や朝鮮のヤツらが倭寇を名乗り、商船を襲ったり沿岸の町を略奪してんのさ」
船の中で船頭はそう教えてくれた。
倭寇の蛮勇と凶暴さは、東シナ海沿岸に轟いている。倭寇と名乗るだけで降伏する船もあるというほどだ。倭寇と偽る中国人や朝鮮人は、その悪名を利用しているわけだ。
「俺たちは真の倭寇だが、同時に偽倭寇に狙われる側でもあるんだ。ヤツらが来たら頼むぜ、
海上で一度、偽倭寇と遭遇したが、こちらが真倭寇と知った途端に遁走した。幸いなことに、海上でねる子が馬小屋流忍術を披露することは一度もなかった。
寧波に到着すると早速、宝玉があるという豪舎龍の墓、すなわち
明は、豪舎龍の子孫が建国した大元を打倒し、ゴジャル族を北走させて打ち立てられた国である。今でも大元やゴジャル族の話は人々の中に残っており、ねる子はこれら大小の情報を丁寧に集めていった。
その結果、豪舎龍の終焉地ははるか西方のブリンガルという国であったことが分かった。
しかし、
ねる子は豪帝陵があると噂となっている場所を、片っ端から当たることにした。
ある時は狂王が統べる国で、地下迷宮に事務所を構える悪の老魔導師を倒して盗まれた護符を奪還した。そしてある時は、女王が統べる国で魔人が穿った大穴に挑み、護国の杖を取り戻した。
このような過酷な戦いを経て、ねる子の忍術はさらに磨きがかかり、特に素手による格闘術は他を寄せつけないほどとなった。
透破は、素っ破ともいう。
潜入工作のために手荷物は最低限しか持ち歩かない透破は、徒手空拳の技法も身に着けなければならない。
馬小屋流忍術にも打の術と呼ばれる格闘術があるが、これらの試練を通じて「素手で敵の首を
首を刎ねらればどんな生き物も死ぬ。そして高位の僧侶魔法を使っても蘇らない。だから戦場では、倒した敵、特に将の首級をあげる。
つまりねる子の
これらの戦いに挑んだのは、冒険者として名をあげることで、豪帝陵の情報を集めやすくするという思慮があった。
それら断片的な情報を糾合すると、まず西方では豪帝陵をザナドゥと呼んでいること、そしてザナドゥは終焉地、ブリンガル北東のデルピュネーという地域が候補として一番有力という結論に達した。
ブリンガルの地を踏んだ時、ねる子は16歳になっていた。
この地で腰を据え、長く活動するために仕事を探した。
ブリンガルは隣国コンスクラード帝国との戦いの最中であったが、デルピュネーは戦線から最も遠く、市民の生活こそ戦時下の気配があったが、これまで旅してきた地域と比べても平穏なものであった。
つまり、忍者としての仕事は、さほどないように見受けられた。
戦争もブリンガルが降伏し、まもなく終結した。
到着した日に泊まった宿屋のロビーの壁に、住み込みで働ける下働きの募集の木板を見つけたのは、本当に幸運なことだった。
翌朝早速主人に申し出ると、東方人の中でも珍しい日本生まれの少女であったためか、すぐに雇ってもらうことができた。
西方では珍しい烏の濡羽色の髪に、オニキスの瞳。そしてトレードマークの太い眉。戦闘では冷酷な忍者ではあるが、愛らしい容姿のねる子は、すぐに宿の看板娘となった。
子供のいない主人夫婦はねる子を我が子のようにかわいがってくれたし、交易の街だけに西方の国にありがちな東方人差別もなかった。
むしろ、人間以外のエルフやノームといった
狂王の城塞都市などにも亜人の冒険者がいたが、彼らは根無し草であり、そこでの戦いが終わると次の冒険へと旅立った。中には街に住む者もいたが、マジョリティたる人間たちとは折り合いが悪そうであった。
しかしデルピュネーは違っていた。亜人たちはこの街を訪れる亜人の商人たちの窓口にもなっており、この交易都市の活性化に一役買っているようだった。
そして亜人たちは、種族独自のネットワークを持っていた。ねる子はこれらの種族の有力者にも接近し、豪帝陵あらためザナドゥの情報収集につとめた。
豪舎龍(この国ではゴジャールと呼ばれている)が存命中に最後に布陣したのは、街の頭部にある河岸壁上の森の中だという。
宿の仕事を続けつつ、暇を見ては森に赴いた。
そして半年ほどの調査を経て、丘の上の遺跡がザナドゥの痕跡らしいことを突き止めた。
街の人達によれば、この丘は呪われているという。
しかし
この丘がザナドゥであると、ねる子は確信した。だが、いくら探してもザナドゥの入口は見つけることができなかった。
そして二日前のこと。
父から久々に手紙がきた。ねる子の居所は街道の各所に設置された駅に行き先を告げ、日本との連絡が途切れないようにしておいたのだ。
手紙は、三ヶ月ほど前に出されたもののようだった。
そこには、驚くべきことと、馬小屋一門がおかれた存亡の危機について書かれていた。
馬小屋一門に宝玉入手を命じた三好基長が戦いに敗れ、死んだというのだ。
しかも戦ったのは、こともあろうか基長の擁立によって当主となった細川澄基だというのだ。
ねる子が旅立った後、基長は自分が擁立し細川家の当主とした澄基と関係が険悪となった。基長が力をつけすぎることを恐れた澄基は、基長を冷遇し、他の家臣を取り立てるようになった。
その関係悪化はやがて対立するまでとなる。澄基は基長の館を奇襲し、基長を捕らえることに成功した。だが、敵の手にかかることを恥じた基長は、監禁された牢の中で舌を噛んで死んだそうだ。
三好家の家督は、わずか十歳の長男、
父は囚われた基長の救出を目論んだが、これが澄基に憎まれる原因となってしまった。
父は幼い仙熊丸を匿い、一門衆と共に吉野川流域の山中へと身を隠した。
今や馬小屋一門の命運は、三好家の再興にかかっていた。
父は一刻も早く宝玉を手に入れて帰参してほしいと記し、手紙をむすんだ。
父や一門の置かれた立場は、相当に苦しいものだろう。手紙から、父の悲痛な声が聞こえてきそうだ。
もはや一刻の猶予もない。
ねる子が宝玉を得る前に三好家と一門が滅びたら、この旅の意味はなくなってしまう。ねる子は父からもらった狸の匂袋を握りしめた。
デルピュネーに着いてから、すでに二年が経過していた。
宿での暮らしが穏やかすぎて、少しふぬけていたのかもしれない。
ねる子は宿を出る決心をした。
誰も起きていない早暁に、置き手紙を残して宿を出ようかと思った。
しかし、最後に宿の主人たちの顔は見たかった。また、いつも馬小屋の軒下で寝起きしている、借金まみれの戦士とも、最後の言葉を交わしたかった。
午前中に宿の人々と何気ない会話を交わすと、用事があるからと暇を乞うた。
別れを告げないのは、不義理だと思った。だが、宿の主人を悲しませることになるだろうし、引き止められるかもしれない。そうなれば、ねる子の決心もゆらぎかねない。
ねる子は一門のため、冷徹になることを決めた。
一門再興は、今やねる子の最も重要な
荷物は、以前から少しずつ、ある場所へと移動させておいた。だから、いつものように手ぶらで宿を出ることができた。
荷物の隠し場所に着くと、戦闘服である黒衣に身を包んだ。そして夜の帳が降りる頃を見計らって、丘の遺跡へと向かった。
ねる子はこれまで以上に、丹念に丘の遺跡を探った。
だが、結果はいつもどおりだった。
やはり陵にはいるための入口を見つけることができなかった。この丘はもう、探し尽くしていたのだ。
それでも、ねる子は探し続けるしかなかった。
そしてザナドゥへの入口は、思いも寄らないことで発見されることとなる。
(つづく)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます