第13話 真っ二つの剣
「おい、お前。そう、兄貴のほうだ。こっちの部屋にこい」
開いた扉の向こうから、男の声がした。声の主は、暗くて見えない。
今は夜。弟と妹は、穴だらけの粗末な毛布に包まり、体を丸めて眠っていた。
オデンはここ数日、弟や妹と共に、ある場所に監禁されていた。
住んでいた街がコンスクラード帝国軍の猛攻を受けて陥落し、戦火に巻き込まれた両親が死んだ後のことだ。
オデンと兄弟は、廃墟の奥に隠れていたところを、借金取りの集団に囚われ、どことも知れぬ建物に押し込められていた。
「土地も建物も馬も残ってねぇ。もちろん、カネも宝石もだ。おまけにお前の父親はは、うちの親分から借りた大きな借金がある」
頬のこけた、青白い顔の痩身の男だ。額から右頬にかけて、大きなキズがある。
軽装であるが、腰には短刀がくくりつけられている。戦士や傭兵には見えない。ヤクザものだろうか。
「だから、お前らがその体で、親の借金を返すことになる。借りたものは返さなきゃならねぇ。お前はまだ十七歳のようだが、その歳にもなれば社会の道理くらい分かるだろう?」
その返済方法を決めるまで、逃亡できないようにと監禁されていたのだ。
この部屋での待遇は、それほど悪いものではなかった。食事も毎日飢えない程度には出る。馬蹄の音も聞こえない。戦火からも遠い場所にあるようだ。
これまで大きな商家の子として、不自由のない生活をしていたオデンたちにしては確かに粗末であったが、戦場となった生まれ故郷を逃げ惑い、何日も廃墟の中で怯えてた時と比べれば、ここの生活は幾分もマシであった。
こうして数日を過ごしていたが、ようやくオデンたちの処遇が決まったらしい。
痩身の男に椅子を勧められた。オデンが座ると、男は棚から羊皮紙を取り出し、それをオデンの前に広げた。
「お前には傭兵になってもらう。弟と妹は人質として、こちらで預かることになる。なぁに、悪いようにはしない。いきなり奴隷として売り飛ばすとか、そういうことはしないから安心しろ。これは親分の慈悲だ」
痩身の男はクククと、喉の奥で笑った。
親分とは、首都ソフィアで金貸しを営むベレツというジュドー人だ。
国教たるブリンガル正教は、金を貸して利子を取るという行為は悪魔の所業として認めていない。しかしジュドー人が信じる宗教にとっては、金貸しは決して禁忌ではない。
だから、ベレツたちジュドー人はこの国の金融を独占し、莫大な利益をあげている。その利益で、ジュドー人たちは様々な事業を行っていた。
「親分が経営する傭兵団に入ってもらう。そこでお前は、一から戦う術を学ぶのだ。
剣術や馬術は、わずかながら心得がある。男はオデンの体つきを見て、奴隷として売り飛ばすよりも儲かると判断したのだろう。
「お前は奴隷ではないが、借金を返し終わるまでこちらの命令に従う義務がある。そして稼いだ金は、当然のように俺たちのものだ。無論、生活するだけの金は残してやるが、お前の取り分が多いと、その分借金の返済も遅れることになる。お前ばかりじゃない。小さい弟や妹も不自由なままだ。分かるだろう?」
オデンは、無言でうなずいた。
「だったら、がむしゃらに稼いで自由をとりもどせ。今のお前にできることは、それしかねぇ」
男はインク壺に入っていた羽ペンを渡し、羊皮紙の下部にサインするよう求めた。
親の借金を肩代わりすること、傭兵団に所属すること、そして稼いだ金に対しての取り分がそこには書かれていた。
「いいところの坊っちゃんだったんだ。字は読めるんだろう? 俺はそれに何が書いてあるが、まったく読めないが」
皮肉を言いながら、男は書きやすいように、ろうそくを羊皮紙に近づけた。
サインを書くと羊皮紙が僅かに光り、オデンのサインを固定化した。羊皮紙に魔法がかけられていたようだ。それがどのような魔法なのか。素養のないオデンにはわからなかった。
男は羊皮紙を丸めて紐でしばり、棚に戻した。それと引き換えに、棚の脇に立てかけられていた剣を持ち、それをオデンの前に置いた。
両手を広げたくらいの長さのある剣だ。鞘に収められているので刀身は見えないが、作りがよいものであることは素人目にもわかった。
「借金分のカネを稼ぎ切る前に死んでもらっても困るからな。それなりにいい剣を用意させてもらったよ」
男は再度、クククと笑った。彼の笑うときのクセなのだろう。気に障る笑い方であった。
「
オデンは初めて声を出した。まだ、少年の声色の残る、高い声だった。
「そんなものはねぇよ。だが、俺がそいつに名前をつけた。
借金取りの男、アジスが
オデンの戦場での成果は目覚ましかった。
戦争後期には帝国との最前線となったコミプトリ辺境伯の領地に送り込まれ、数々の激戦地において目覚ましい功績をあげた。
傭兵団に入った時は子供だったオデンも、成人する頃には
だが、それでも借金は返し終わらなかった。父は、どれほどの借金を作ったというのだろうか。
ブリンガル王国がコンスクラード帝国と屈辱的な和平を結んだ翌日。アジスがオデンの帷幕にやってきた。
ビリビリに引き裂かれた帷幕を見て、アジスはクククと笑った。
「悔しかったのか、戦争に負けたことが」
「当たり前だ。両親の仇を取れなかっただけじゃない。この国にとって重要な南の鉱山地帯まで割譲させられた。和平なんて名ばかりの完敗じゃないか」
「負けたのはお前のせいじゃねぇ。うちらの王様がトンマなのと、大貴族どもが戦争に本腰を入れなかったためだ。俺たち庶民は、貴族様の胸先三寸なんだよ。俺やお前がどんなに頑張って、流れを変えることなんざできやしねぇ」
アジスはいつものように、クククと笑った。
「で、今日はなんの用だ」
「お前は傭兵団を抜けてもいいということになった。戦争も、終わっちまったしな」
オデンは驚きの顔を隠せなかった。アジスが来る時は、だいたい部隊転属の話であったからだ。
母国での戦いが終わり、今度は外国の戦争に駆り出されるのかと思っていた矢先であった。
「その腕があれば、どこでも剣士として食っていけるだろうという
やだねぇ、と言いながら、アジスは机に腰掛けた。
たかだか四年の事なのに、彼の顔は初めて会った時よりだいぶ老け込んだように見えた。
「傭兵団を抜けるなら、自力で稼いでもらうことになる。もちろん、こんな立派な帷幕なんてナシだ。お前の背負った借金は莫大だ。稼ぐために戦い、少しでも多くカネを貸すために、馬小屋の軒下で暮らさなければならなくなるかもしれない。だが、お前にとっては六年ぶりの自由だ。俺たちは借金の返済以外でお前を拘束しない」
アジスは帷幕の中に吊るしてあった
オデンは迷わず、傭兵を辞める道を選んだ。
デルピュネーに居着いて一年。毎月アジスは、
「おいおい、馬小屋で寝ろというのは冗談だぜ。それにこんなにカネもいらねぇ。もうちょっと手元に残したらどうだ」
初めてデルピュネーに来た時、アジスはオデンから渡されたコイン袋の重さに呆れていた。
「早く、弟と妹を自由にしてやりたいんだ」
「
「それは俺が「稼げる」からだ」
オデンは、アジスの言葉を遮った。
「俺の稼業は常に死と隣り合わせ。借金を返す前に死んでしまったら、今度は弟か妹が残債を背負うことになる」
「それはそうだが…」
「仮に死ななかったとしても、怪我をして稼げなくなれば、あんたの親分は俺たちを見捨てるかも知れない。弟を奴隷として売り、妹に望まない仕事を強制するだろう」
「親分はそんなことしねぇよ」
知っている。この国の人達が借金の利子を忌むべきものとしているように、ベレツたちジュドー人にとって奴隷売買は禁忌なのだ。それには、ジュドー人の悲しい歴史があると聞く。
これは傭兵団に入り、自分同様ベレツに借金して傭兵となった者たちが多いことで知った。奴隷として売れないから、手元において働かせるのである。幸いジュドー人は金融で荒稼ぎしているので、それを元手にいくつもの事業を行っている。働かせる場所はいくらでもあった。
「ともかく俺は…俺達は、早く自由になりたいんだ」
戸惑うアジスの手にコイン袋を握らせ、首都に帰るように言った。
アジスとはもう五年の付き合いとなる。オデンの中では、最も付き合いの長い他人といなっていた。
七年戦争の活躍で傭兵小隊長となり、立場も逆転しタメ口にはなっていたが、オデンはアジスに対する最低限の礼儀だけは守っていたし、この鬱陶しい借金取りを決して邪険にはしなかった。
年齢が20歳以上離れていることもあるが、本当の理由はこの
あの日アジスは、
だが本当は、まだ大人になりきれていないオデンが戦場に出ることを哀れんで、アジスが私費で買ってくれたのだ。
もちろん、今まで知らないふりをしているし、アジスもわざわざ言う事はしなかった。
七年も付き合っていれば、その人がどう振る舞おうと、本性が分かるものだ。
痩身でひょうひょうとしながらも隙はなく、一見冷酷そうに見えるが、債務者のことを気にかけ、困った時には相談に乗り、借金が返せなくなった者にも決して冷たくすることはない。粘り強く説得し、働かせ、借金が返済できるように促す。
字は読めない男だが、決して頭は悪くない。情もある。
そのアジスが先月、ただでさえ色の悪い顔を、さらに蒼くしていた。
病を得た、と言っていた。どんな病気かはわからないが、ただの風邪というわけでもないようだった。
「死ぬような病気じゃねぇよ。クソガキめ、お前に心配される筋合いはねぇ」
いつものように威勢よく言っていたが、その語気にも勢いがなかった。
そして今月、アジスはこなかった。
代わりに見知らぬ男が、オデンの借金を取り立てにきた。
アジスのことを聞いたが、男はアジスの名前すら知らなかった。
…。
オデンは、周囲を白い霧に包まれた空間の中にいた。
ここがどこだか、わからない。なぜこんなところにいるかもわからない。
「よお、クソガキ。お前はまだ、こっち来るには早いんだよ。」
霧の中から、ぬっとアジスが現れた。
「お前は運が良かった。なにより人の縁がいい。それはお前が、この地で頑張り、人々の信頼を得たおかげかもしれないな。目を覚ました時、周囲の人に礼を言うことを忘れるんじゃないぜ?」
クククと、いつもの笑い声。
「去る前に、なぜ俺がお前を傭兵に推挙したか教えてやる」
目の前のアジスの顔は、傷こそ目立つものの、見たことがないほどに穏やかであった。
「ひと目見た時、俺は分かったんだよ。お前には戦いの才能がある。そればかりじゃね。お前には、誰かを守ろうとする意思と力がある。
アジスの輪郭が薄くなっているかのように思えた。
「信念を貫け、オデン。そうすれば、お前は無敵だ」
この言葉。一度、アジス自身の口から聞いた。
声をかけようとした。だが、オデンの喉からは、どうやっても声が出なかった。
「見つかるといいな。その、ねる子って女。じゃあな。俺はいくぜ。稼ぎまくって、一日も早く弟妹と仲良く暮らせるよう、祈ってるぜ」
アジスは背を向けると、白い霧の中へと去っていった。
やがて、その細い体は見えなくなってしまった。
…。
目を覚ました時。
なぜか泣いていた。
わけもなく、悲しくなった。
「オデンが! オデンが目を覚ましたよ!!」
ニノの声が聞こえた。そこで初めて、自分が刺されて倒れた事を思い出した。
「大丈夫か? オデン!?」
ニノがオデンの顔を覗き込む。
ドタドタと、慌ただしい足音が扉の向こうから聞こえてくる。
なぜかオデンは、あの夜に見たデッテの少女を思い出していた。
(つづく)
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