第12話 柳の剣
闇の中から浮かび上がったのは、暗色のフードをかぶった背の高い男だった。
右手に持っているのは、エペと呼ばれる刺突専用の長剣。あまりこの国では見られない、西方の国の武器だ。
鎧は着ていない。フードと同じく暗色のチュニックに包まれた体つきは若干細め。得物もそうだが、力よりも素早さやしなやかさで攻めるタイプの剣士か。
それにしてもエペは厄介だ。オデンがまとう
「俺の命を狙っているのか。誰の
「命令じゃない。依頼だよ。コミプトリ家を勝利に導いた
「なるほど。宮廷の権力争いのとばっちりというわけだ」
会話をしつつ、背負ってた
「こんな辺境にいる君は知らないだろうけど、今コミプトリ伯は宮廷改革の筆頭として
よく喋る男だ。
「大貴族どもには気の毒だが、無能が血筋だけで権力をほしいままにしていたのがおかしい。無能どもが真面目に戦わないせいで、母国はコンスクラード帝国に負けた。強いブリンガルを実現するためと考えれば、コミプトリ伯の改革は間違っていない」
「そこに関しては君とは同意見だよ。僕も大貴族は嫌いだ。だけど、彼らはたくさんのお金をくれる。金の価値もわからない馬鹿どもだからね。そして他人の命なんて軽いものだと考えている。だから、言い値で払ってくれるんだよ。こんなにいいお客さんはいない。親の借金を背負わされて、傭兵をさせられた君にはわかるだろう?」
この男、オデンの事をそれなりに調べているようだった。
気に入らない相手に自分のことを知られる。こんな不快なことはない。
「そもそも大貴族が、わざわざ俺なんて殺してなんになるというのだ!」
苛立ちを隠さず、オデンは言い放った。
「簡単なことだよ。単なる憂さ晴らしさ。コミプトリ伯にはかなわないから、君を殺してスッキリしたいんだよ」
「くだらないな。そんな嫌がらせしか考えられない頭だから、コミプトリ伯に疎まれるんだ!」
「同感だね。だけどそんなクソ貴族でも、僕にとってはクライアントなんだ」
話はここまでだと言わんばかりに、男はエペを構えた。
「名を聞こうか。こっちは身に覚えない理由で殺されようとしてるんだ、暗殺者の名を聞く権利はあるだろう?」
「
「
「通り名だよ。こういう稼業してれば、本名と違う名前がつくことも、そっちの方が 都合がいいこともあるじゃないか。それに君のオデンだって、本名じゃないんだろう?」
ソイレは言うなりエペを繰り出してきた。
速い。
風を切った音がオデンの右耳の直ぐ側で鳴った。とっさに頭をそらしていなければ、額を貫かれていたかもしれない。
突きの速度はすさまじい。額、喉元、左胸、腹。あらゆる急所を正確に捉えてくる。
闇に潜み、目も暗闇に慣れていたのだろう。
少し気を抜けば、歴戦の戦士であるオデンといえども一撃で深手を負う。盾と剣を駆使して防ぐことで手一杯だった。
防戦一方となる中で、オデンは活路を見極めるべく、ソイレの動きを冷静に観察した。癖さえ分かれば、そこに攻撃に転じる隙を見つけることができるかもしれない。
それは、オデンが戦場で、数々の手練を討ち取った戦いかたであった。
しかし柳とはよく言ったものだ。ソイレのエペは風になびく柳の葉のように流れ、簡単に剣筋を読ませない。左に繰り出されたかと思えば右、顔を狙ったかと思えば胴を貫こうとする。
数打ちの剣を
だが。
(攻撃が正確すぎる)
彼の攻撃は単調ではないものの、急所しか狙ってこない。
まるで勝負を急いでいるようにすら感じる。
そもそもエペは、あまり実戦向きの剣ではない。オデンのように、
また、
つまり戦場で使うには、頼りない武器で、実戦向きではないのだ。
そこから導き出される答えは一つ。
(こいつは生粋の暗殺者なのだ)
対人戦は確かに強い。だが実戦経験が少ないゆえの弱点もある。
暗殺者は手数を尽くして殺さない。一撃で殺す。それはこの正確な攻撃にも現れている。
ならばなぜ、わざわざオデンに話しかけてきたのだ。彼は闇に潜み、疲労したオデンを奇襲できる状況だった。
なぜだ?
ソイレの剣はますます殺意を増してくる。長引く戦いに少し苛立っているようにすら思える。
「俺を侮って、話しかけたのか?」
ソイレの眉がつり上がった。
「ならば見込み違いというものだ。お前の剣を受け続けて分かった。お前じゃ俺を倒せない」
アジューレ丘の戦い、コールバンズ平原での決戦…。あらゆる激戦地でオデンは戦い、そして生き延びてきた。
戦ったのは人間だけではない。異教徒の僧が操るキメラやゴーゴンといった魔獣も倒してきた。
死地で培った実戦の剣術と、ひたすら人を殺すための剣術。どちらが勝るか判断するのは難しい。
だが、オデンとソイレ、使い手自身の差は大きかった。
それはスタミナと、こらえる力だ。
ソイレの戦い方は、それこそ闇から現れ敵の急所を貫き、また闇に溶けていくやり方のはずだ。なのにオデンと長々と話しし、オデンに戦いの準備をさせる時間を与えてしまった。
それだけ自分の暗殺剣に自信があったのだろう。オデンが言った通り、その程度のハンデを与えても、イニシアチブは変わらないとでも思ったのかもしれない。
しかし、オデンが予想外に強かった。今頃、「こんなはずでは」とでも思っているのかもしれない。
事実、正確無比であった剣筋に乱れが生まれてきた。殺意が先走りすぎているのだ。同時に戦いが長引くことを恐れ、焦っている。
そして。
金属音が鳴り響く。オデンはついに、ソイレのエペを跳ね上げた。
「すまないな。死んでもらうよ」
そして振り上げた剣を、そのままソイレの首筋に叩き落とす。
…はずだった。
直前、腹に灼熱を感じた。
見下ろせば、ソイレの左腕に握られた短剣がオデンの腹に突き立てられていた。
「マンゴーシュまで使う気なかったけど、君がしぶといもんでね。恨まないでよ」
体から力が抜けていく。振り上げた右手から、剣が落ちる。
短剣が腹から抜かれた。オデンは膝をつき、そして土の道の上に倒れこんだ。
「何度も言うけど僕は、頼まれただけなんだから。悪く思わないでくれよ」
…。
意識が遠のいていく。
スタミナ切れや剣筋の乱れは、オデンを油断させマンゴーシュを使うためのフェイントだったのだろうか。
(侮ったのは、俺の方だったのか…)
なぜか止めはさされなかった。しかし、腹に空いた傷からは、止めどなく血が流れつづけている。このまま放っておいても死ぬとでも思われたか。
(よく、わからない男だ)
もう、目が開かない。
「大丈夫ですか! 大丈夫…今…呼びま…」
暗転する視界の中に、女の声が響いた。
最後の力を振り絞って、まぶたを開けた。
小柄な女が、大きな声を張り上げている。
安っぽいが、派手な服を着た、ポニーテールの女だった。
子供かと思ったが、違う。
(デッテ…の…女…?)
その思考を最後に、オデンの意識は暗く昏い深淵の中へ吸い込まれた。
(つづく)
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