第11話 地下墓地で睡るエルフ

 果たして、ブラン大主教は大聖堂に帰っていた。


 ニノの口車のおかげで、を着たオデンは、丁重な扱いを受けつつ、貴賓室に通されることとなった。

 大敗北に等しい七年戦争で唯一領土を守りきったコミプトリ辺境伯は、ブリンガル国民の自尊心の拠り所となっていた。宮廷での発言権も急速に増しているという。

 そんなコミプトリ家の紋章をつけているのだから、下にも置かない扱いなのは当然の事だろう。このサーコートは、オデンに社会的な立場を与えてくれていた。

 だが、これはこれで、落ち着かないものである。

 そして本日二度目のコーヒー。コーヒーは最近流通を始めた飲料だが、異教徒との戦争で古くよりコーヒーの存在を知っていた聖職者たちは、「栄光ある戦利品」として収奪したコーヒーを清涼剤の一種として飲んでいたそうだ。

 貴賓室に招かれると、外来者にももてなしとして供されることもあった。


「お待たせして申し訳ないな、オデン殿」


 そう言いながら貴賓室に入ってきたのは、見事な金糸の刺繍が入った緋色の法衣カズラと、同じく金糸で彩られたミトルという絹の頭巾を身につけた老ノームだった。

 見るからに高位の僧と分かるこの老ノームこそ、オデンたちが待ちわびたブラン大主教であった。


 大主教は二人ほど従者を伴っていた。どちらも司祭の地位にある者だろう。こちらは人間で、小柄なノームの大主教は、二人の肩の間に挟まるようであった。

 こちらも見事な刺繍の法衣ダマルティカを纏っている。それぞれ、革表紙の本と箱を抱いていた。本を抱いた司祭は細面でいかにも学者肌という面持ち。反対に木箱を持った司祭は、僧兵でもあるのだろうか、オデンを上回る体格の持ち主であった。


 大主教たちは、オデンたちの対面に座った。

「すでに用件は伺っておる。地下墓地の殿の話じゃな?」

 大主教は、ノームらしからぬ威厳を伴う声で、しかしゆっくりとした口調で話しだした。

「ええ、そうです」

「オデン殿、隠し事はナシじゃ。儂は、心を読む魔法が使える。いざとなれば、貴殿の話が本当かどうか、魔法で知ることができるのじゃ」

 あえて言ったことがどういうことか、考えてほしいと言わんばかりだ。

「あのエルフ殿は、この聖堂にとっても特別な存在なのじゃ。の事は秘匿とは言わずとも、あまり口外されている話ではない。そなた達を疑うつもりはないが、そのエルフ殿の話を聞きつけてきたというだけでも、儂らにとっては少し身構えざるを得ないのじゃ」

 ならば、隠し立てすることもない。そもそも、隠すような話もない。

「この街の郊外に、夏の都ザナドゥがありました」

「なるほど。この地は帝王ゴジャール終焉の地。ならば、不思議なことではないのかもしれんな」

 大主教は一人得心し、特に驚く様子もなかった。何か、知っていたのかもしれない。

 オデンは、ザナドゥを発見するまでの経緯を詳細に話した。

 おそらく、大主教は読心の魔法など使うまい。そう思わせる徳の高さがあった。だからこそ、ここに至るまでの話をしっかり聞いてほしいとも思えた。

「なるほど、エルフ殿の話はファルナ殿に聞いたのじゃな?」

「ええ。でも、気を悪くしないでいただきたい。彼女は、私達の力になろうと助言したまでで、ゴシップ的なものは」

「分かっておる。彼女は真摯な正教の使徒じゃ」

 大主教はオデンの言葉を遮り、そして話を続けた。

「まず、ここに葬られているエルフ殿が何者か、そこから話さねばなるまいの」

 そういうと、右手の司祭が、手に持っていた文献をオデンの前に差し出した。

「これは」

「三百年前、この街にゴジャール軍が押し寄せた際、この聖堂にいた僧が記録したものじゃ。日記か日報のようなものじゃな。これによると、地下墓地のエルフ殿は、東のキエルフ公国から逃れてきた尼僧であったという」

 右手の主教が呪文を唱えると、本がひとりでに開いた。そのページに、葬られたエルフについて記載されているようだ。

「キエルフ…今はムステラと呼ばれている地には、エルフと人間が協力して統治していた国があった。キエルフ公国という。公国の君主は人間であったが、土着のエルフたちが貴族として国を支えていたのじゃ。しかし、ゴジャール帝国の苛烈な攻撃を前にキエルフ公国は滅亡してしまった。多くのキエルフ国民がオーカサス山脈を越えてブリンガルへと逃れてきた。この大聖堂にねむるエルフ…マルーシャ=コジャチェンコ殿もそのようなキエルフ公国の貴人の一人であり、高位の僧職にあった方じゃ。母国をゴジャールに奪われたマルーシャ殿は、同じくゴジャールの侵攻を受けつつあったブリンガル軍に合流し、僧侶魔法で傷ついた兵士たちを治療してまわったという…」

 パラララッと音を立てて、本のページが幾枚かめくられた。

「帝王ゴジャールが死に、ゴジャール軍が東へ戻った直後、デルピュネーを疫病が襲った。ゴジャール軍が持ち込んだ疫病とも、はるか西方よりやってきた死病とも言われた。この病で、ゴジャールの侵攻を耐えきったデルピュネー市民の多くも亡くなることとなった。そして、運が悪いことにマルーシャ殿も罹患してしまい、死を待つ身となってしまったのじゃ」

 次のページがめくられた。左半分のページには、ベッドの上で懇願するエルフと、膝をついて祈りを捧げる人間の高僧の絵が描かれていた。その周囲には、幼子達がいて、今まさに天に昇ろうとしているエルフを見守っている。

「しかしエルフは神より永遠の命を与えられた種族。魂魄が不安定な人間と違い、肉体を失わなければ、復活の儀式により蘇ることができる。しかし、不思議なことにマルーシャ殿は、その申し出を断ったのじゃ」

 本によれば、マルーシャは死に際し、再びゴジャールの脅威が世に顕れる時、私が甦ることができるようにしてほしいと、当時のデルピュネー大司教に願ったらしい。そのシーンを描いたのが、この絵なのだろう。

「マルーシャ殿は、貴人墓地に葬られてはいるが、厳密には死んでいないのじゃ。その体は死んだその時のままに保存され、復活の儀式を行えばこの世に蘇る。ザナドゥは帝王ゴジャールの墓。その墓の発見と共に、ザナドゥに挑まんとするオデン殿がマルーシャ殿の元を訪ねてこられたのは、なにか運命的なものを感じるな」

 本は一人でに閉じ、司祭の手元に戻った。

 高僧の手助けは、強敵との対峙が予想されるザナドゥ攻略には大変ありがたい。マルーシャという尼僧は高位の僧職にある者。治癒の術も、おそらくファルナに劣るものではないだろう。ぜひとも仲間に加えたいところだ。


しかし、大きな問題もあった。


 復活の儀式には、莫大な金がかかる。特に寺院で行う儀式には、の他にも儀式の成功率を高めるために、こうや触媒など高価なアイテムを多く使用する。

特にマルーシャというエルフは、三百年前に死んでいる。いくら身体の保存状態がよくても、一か八かの簡易な儀式ではリスクが大きい。なにより、マルーシャ自身の意思を踏みにじることになりかねない。

 復活に失敗した遺体は、灰になるか、最悪魂が失われ、世界の終わりにくる歓喜の時代にも復活できなくなる。それは人間もエルフも一緒だ。

「今回は無料で構わぬ」

 本当に心を読まれたのだろうか。オデンが煩悩していると、大主教が笑いだした。

「マルーシャ殿の復活は古の大主教の願いであるからな。資材も大聖堂のストックで賄う。しかし、一つ仕事を頼まれてはくれぬか」

「なんでしょうか? 私達でできることがあれば」

「これへ」

 体格の良い左手の司祭が、素朴なしつらえの箱を差し出した。

 司祭が箱を開くと同時に、ニノが「ヒッ」と短い悲鳴をあげた。

 開けて見ると、人間のものらしい腕が入っていた。左腕のようだ。

 切り口に迷いが見られない。この腕を斬った者は、相当の手練であろう。斬り落とされたばかりのように見えるのは、マルーシャと同じく遺体保存の魔法でもかけられているのだろう。

「先日、この大聖堂に賊が入ってな」

 大主教が話始めると、左手の司祭は木箱を閉じた。ニノに気を使ったのだろうか。

「賊自身はここにいるバスタバン司祭が追い払ってくれたのだが、よりによって寺宝である「銀の鈴」を奪われてしまってのう…この腕は、バスタバン司祭が賊と戦った際に斬ったものじゃ。司祭は僧職としても優れるが、剣の腕もたつ」

「恐れ入ります」

 バスタバン司祭はうやうやしく頭をさげた。戦士のような大柄なわりに、仕草が優雅であった。

「銀の鈴はこの世と冥府をつなぐもの。死者を蘇らせるための媒体でもあり、同時に死者にかけられた呪いを解く道具でもある。悪用されると大変なことになる。一刻も早く取り戻したい」

「なるほど。鈴の件は、私達にお任せください」

 大主教は、満足げにうなづいた。

「盗んだ者の命は取らずとも良い。腕を落とされたのじゃ。十分罰は受けているであろう。盗まざるを得なかった事情もあったかもしれぬしな」

「大主教はいつも甘い。賊の腕だって、わざわざ保管せずとも」

 バスタバン司祭は、少し熱くなっていた。彼はおそらく、宗教的なものも含めて「正義」というものを愛しているのだろう。と同時に、大主教がなぜ腕を残しているかも分かった。大主教は、犯人のの可能性を信じているのだ。

「バスタバン司祭、そなたは若いからまだ分からぬかもしれぬが、生きる上でゆるすことは大切なことじゃぞ。それを人々に促すのもまた、我ら聖職者のつとめじゃ」

 バスタバン司祭は引き下がった。大主教の言葉は、聖職者として一分の隙もない正論であった。と同時に、大主教の聖職者としてのスタンスも分かる言葉であった。

 デルピュネーを含めた地方の領主を含め、多くの貴族から崇敬の念を集めているというが、納得である。

 一足先に立ち上がった細面の司祭が「では、こちらへ」と、オデン達を案内した。



 地下墓地は大聖堂裏手の山の中に作られていた。

 司祭は施錠されている鉄製の門を開け、オデン達を招き入れた。

 オデンたちに随行するのはこの司祭とブラン主教で、バスタバン司祭は手にした腕を戻すと告げ、貴賓室の外で別れた。

「ヨハネ司祭は大聖堂の記録全般や書籍の管理担当でな。その関係で、墓地の管理もお願いしているのじゃ」

 地下墓地カタコンベはさながら地下迷宮ダンジョンのようだ。

 入口の壁には頭蓋骨がびっしりと並び、遺骨で作られたオブジェが飾られていた。美しいと思うより悪趣味だと思ってしまうが、これも弔いのかたちなのだろう。

 骸骨が苦手らしいニノは、オデンの背中にしがみついて、なるべく周囲を見ないようにしていた。

「ここは、かつて大理石が採掘されていた石切場。デルピュネーは昔、大理石鉱山の街として栄えていました。その頃の聖堂はまだ粗末な修道院であり、石切場の閉山と共に規模を拡張、ブリンガル正教会の認可を経て、この周辺の教区を管理する大聖堂になったのです」

 手にランタンを持ったヨハネ司祭は、書庫管理係らしくカタコンベや大聖堂の由来などを語りながら、一行を奥へ奥へと導く。

 石を切り出した跡には遺骨が詰め込まれ、このカタコンベが長らく使われていたことを物語っていた。なるほど、石切場の跡はカタコンベと相性がいいらしい。

 その一番奥まったところに、たっとき者のみが葬られる貴人墓地があった。

 聖句が刻まれた重たい観音開きの鉄扉が、一般墓地と貴人墓地とを隔てている。鉄扉には物理的な鍵と施錠の魔法がかけられ、盗掘者の侵入を阻む。

 ヨハネが長い呪文を唱えると、鈍い音をたてて鉄扉が独りでに開いた。

「ふむ。そろそろ、ここの蝶番ちょうつがいにも油を差さねばな」

 ブラン大主教はあごひげをしごきながら、開かれていく扉を眺めていた。

 扉が開かれると、奥から清涼な風が吹いてきた。一般墓地と隔たれているが、貴人墓地の中は独自の通風孔が造られ、しっかりと換気されているようだ。

「マルーシャ殿のは、最も奥まったところにあります。引き続き、ご案内いたします」

 キエルフ公国のエルフ、マルーシャの墓地は貴人墓地からも少し離れた坑道の中にあった。ドーム状の天蓋が設けられた玄室で、ここが大聖堂にとっても特別な場所であることが一目で分かる。

 玄室の中央には大理石製の棺があった。蓋は木製であり、解封ディスシールの呪文を唱えれば、ヨハネ司祭一人の力でも開けることができた。


 オデンとニノは、揃って驚きの声を上げた。

 絹の骸布がいふに包まれたエルフの顔は、まるで眠っているようだった。

ヨハネ司教の持つカンテラの炎のゆらめきに合わせ、表情が変わっているかのようにさえ見る。金色の髪もつややかで、カンテラに照らされて輝いているようにさえ見えた。

「相変わらず、お美しい顔をされている」

 ブラン大主教は聖句を唱え、眠れるエルフ、マルーシャに祈りを捧げた。

「復活と降霊の儀式は、本日すぐというわけには参りません。明日改めて儀式を行い、マルーシャ殿の回復を待ってオデン殿たちと合流する…という段取りでいかがでしょう?」

「それで構わない」

 ヨハネ司祭の提案に、オデンはうなづいた。

 ねる子の行方は気になるが、焦っても仕方ないことだった。それにあのねる子の腕なら、急いで追いかけなくても問題はないように思えた。

「では、早速儀式の準備をしなくてはな。なに、デルピュネー教区一の聖職者たる、儂が行うのじゃ。心配はいらんぞ」

 大主教は高らかに笑った。高僧とはいえ、朗らかな人だ。ノームだからだろうか。

「オレ、このお姉さんが目を覚ますところ見てみたい」

 マルーシャの美しさにすっかり魅了されたニノは、オデンの鎧の裾を引っ張る。

「よいともよいとも。オデン殿も立ち会われるかの?」

「ぜひ」



 カタコンベを出た時には、すでに日は落ち、夕闇があたりを覆っていた。

 大主教たちとはカタコンベの入口で別れ、オデンとニノは聖アグレスタ通りへと向かった。

 大聖堂の敷地を出ると、目抜き通りである聖アグレスタ通りに出る。

 ここから南、デルピュネー街道までの通りは旧道、北に伸びた道は新道と呼ばれる。

「じゃあ、オレも帰るから。オデン、また明日!」

 通りに出たところで、ニノは手を振りながら、新道の方へと去っていった。

 明かりの少ない通りだ。ニノの小さな体は、あっと言う間に暗闇の中に消えていった。

 ニノはどこに住んでいるのだろう、などと思いつつ、店が閉まり静かとなった聖アグレスタ通りを歩く。

 冒険者の宿アドベンチャーズインは、聖アグレスタ通りよりも西のデルピュネー街道沿いにある。いつもなら街道に出て宿に帰るのだが、今日は鎧も着ているし、いろいろなことが重なりすぎて疲れていた。

 特にマルーシャ復活の段取りがついたところで張り詰めていた糸が切れ、一気に今日の疲れが押し寄せてきたようだった。

 なので、普段は使わない裏路地を通って戻ることにした。


 重い足を引きずって、家屋と家屋の合間を縫うようにして通る路地を歩いていた時だった。

「君が、オデンさんだね」

 若い、男の声だった。どこから聞こえてきた声なのか。疲労に頭を支配され、完全に油断しきっていたので、声の発せられた場所を知ることはできなかった。

 あまり、好意的には思えない声色。オデンは先程買った剣の柄に手をかける。

「誰だ?」

 誰何すいかに返ってきたものは、勢いを伴って繰り出された鋭い剣先であった。

 闇の中から飛び出した剣を、オデンは辛うじて剣で打ち払った。

「フフフ、そうでないとね…。地焔ワイルドファイアのオデンたるものが、こんな奇襲であっさり殺されたらガッカリだ」

 闇の中で、誰かが笑った。


(つづく)

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