第9話 奴隷の館

 蕎麦畑の向こうにそびえる大きな館。

 ここは「奴隷の館スレイブ・マンション」と呼ばれている。


 通称というべきか、蔑称と言うべきか。しかしその名は、この屋敷の特徴を嘘偽りなく表していた。


 館の主はハウゼンという。蕎麦の売買で巨利を得て、豪商として近隣に名を轟かせる男だ。

 今では蕎麦以外にも、利益になりそうなものなら節操なく手を出しているようだが、持ち前の相場勘で大きな失敗もなく商売の手を広げ続けていた。


 様々な品物をあきなううちに、ハウゼンはある一つの結論に達した。

 この社会で最も求められているは「人」、そして「労働力」であると。


 この世の中には、圧倒的に「労働力」と「楽しみ」が足りないのだ。労働力が少ないから財が増えず、娯楽がないから労働に勤しめない。この二つは、いわば唇歯輔車しんしほしゃの関係にあるといえる。

 そして、その二つを賄えるのはと結論づけたのだ。


 こうしてハウゼンは、「奴隷売買」に手を出した。


 最初は捕虜や虜囚など、奴隷として流通していた人たちを買いつけ、需要のある地域で売りさばいていたが、男女共に若い奴隷ほど高く売れることが分かると、館を増築し、ブリンガルはおろか国外からも身寄りのない子供を集め、将来奴隷として売ることを前提に育てはじめた。


 館には、こうして集められた少年少女が300人ほど暮らしている。


 その300人の中でも、のある子たちをオデンとミランダにあずけ、特別な教育を施しているのである。


 ミランダは首都ソフィアで、上級貴族の相手をするような高級娼婦であったが、ハウゼンが拝み倒してデルピュネーに連れてきた。

 説明するまでもないだろうが、ハウゼンが選んだ少女たちに、男性の関心の引き方や、閨房けいぼうの技を教えている。


 オデンが「ハウゼンの子供たち」に剣術を教えることになったのは、まさに偶然であった。最初は気乗りせず、借金返済の足しにでもなればと引き受けた仕事であったが、少年たちが奴隷境遇から抜け出すために頑張る姿に胸を打たれ、今では積極的に戦うすべを叩き込んでいた。


「ここに集められた子供はね、戦災孤児だったり、飢饉で家族に捨てられたり、借金の形に売られてしまったような、本当に本当に可哀想な子供たちばかりなんですよ。この館に連れてこられなければ、死んでいたかもしれないんです。そんな辛い境遇の子供たちに、あなた方スペシャリストを雇い、世知辛い世の中を生き抜く技術を教えることで、子どもたちの未来を作ってあげているのですよ」

 と、ハウゼンはうそぶく。


 偽善にも程があるが、自分が傭兵になった経緯を考えると、ハウゼンの話もあながち的外れではないと思えてしまう。


 奴隷商人として暴利を貪る一方で、子どもたちを庇護しているのは事実である。ハウゼンは子供たちを奴隷扱いせず、むしろ自分の子供のように接しているし、オデンとミランダの生徒以外にも、様々なスキルを身につけさせている。

 それが将来、奴隷として高値で売るためであっても、人より抜きん出た特技があれば、それだけ自由民へ近づけよう。


 決して善人とは言えないが、悪人ともつかない男である。なにより、掴みどころがない。

 丁寧で慇懃いんぎんな振る舞いを貫くが抜け目がなく、ともかく底が知れない。ハウゼンとはそういう男だ。


 門扉の脇に吊るされた鋳物の鐘を鳴らすと、白髪交じりや痩せた男が現れた。彼はこの家の家宰かさいである。

 簡単に要件を伝えると、二人はそのままハウゼンの部屋に通された。

 突然の来客に驚いたハウゼンだったが、手にしていた金の台座を机に置くと、椅子を立って肥えた体を揺らしながら歩いてきた。悪どそうな仕事をしているわりに、愛嬌だけはたっぷりとある男だ。

「おやおやご両人、今日は稽古の日ではなかったはずですが…?」

「ハウゼンさん、今日は頼みがあってきた」

「頼みときましたか。なるほど、ただ事ではないようですね…。ともかく、ソファに座ってください。今、南の国から取り寄せたコーヒーを運ばせますよ」


 しばらくすると、物腰柔らかな妙齢の召使いが、3つのカップを運んできた。どれも珍しい白磁のカップだ。東方でしか製造できないという、貴重な食器である。

 カップの中は真っ黒な液体で満たされ、ローストされた原料の香ばしい香りが沸き立つ。

 コーヒーは、コンスクラード帝国のさらに南の地方で飲まれるものらしい。

 この国でも最近流通し始めたもので、ハウゼンはどこかで手に入れてきたようだ。

 コーヒーの苦味を味わうと、不思議なことだが頭の中が晴れ渡り、わずかながら体の疲れを忘れることができた。

「私はね、このコーヒーに山羊の乳と砂糖をたっぷり入れて飲むのが好きでしてね…。ミランダ先生も試してみますか?」

「では、お言葉に甘えて」

 ミランダもコーヒーカップにミルクを注いだ。オデンはそのまま、何も入れずに黒い飲み物の渋みと香りを楽しんだ。

「そうそう、コンスクラード帝国の首都コンスクラープルが陥落したという話、ご存知ですか?」

「そうなの!?」

 ミランダが口に手を当てる。驚いた時の、彼女の癖だ。

「オストラコン帝国の戦いで劣勢を強いられている、とは聞きいてたけど…」

 ミランダは大げさに首を振った。無理もない。コンスクラープルは彼女の故郷だった。

 彼女は、実は人間ではない。ダイモニアンという亜人デミオンである。

 ダイモニアンはその見た目ゆえ人々に恐れられ、迫害を受けやすい。まだ魔法で自分の姿を隠すことができなかった幼いミランダは、人間たちに追われブリンガルへ逃げてきた。

 しかし、そんなつらい思い出ばかりの街であっても、望郷の気持ちはずっと持ち続けていたのだろう。蒼白になったミランダの顔を見て、ハウゼンは首を横に振った。話題を間違えたとでも、思ったのだろうか。

「…」

 ミランダは、コーヒーをスプーンでかき回し続けながら、黙ってしまった。こんなミランダを見るのは初めてだ。

「仕方ないわよね。私がいた頃から、コンスクラープルの人たちは享楽に溺れ、国を団結して守ろうという気概に欠けてたもの。皇帝が2、3年で代わり、内政も安定しないまま飢饉や流行病がはびこり、おまけにオストラコンの侵攻…。いずれ、こうなる運命だったのかもね…」

 ミランダは自分にいい聞かせるように言ってから、コーヒーをすすった。

 コンスクラード帝国の旗色が悪いという話は、オデンも借金取りから聞いていた。借金取りは首都ソフィアからわざわざ取り立てにくるのだが、その際にチップと引き換えにオデンに国内外の様々な情報を教えてくれる。

「しかし、『千年都市』とまで言われ、難攻不落を誇ったコンスクラープルが落ちるとはなぁ…。アナトリアス半島の領土は失っても、さすがに首都までは取られないと思っていたが…」

「オストラコンは巨大な大砲で帝都を砲撃し、さらに『木馬』と言う山を走る船で陸地を越え、帝都を包囲したそうですよ」

「山も登れる船を作れるなんて、オストラコンはすごいのね」

「あるはずのない船に囲まれた、帝都の絶望は計り知れないな。そういう心理的な動揺も見込んだのだろうが…」

 首都を失ったコンスクラード帝国の滅亡は、もはや時間の問題だろう。

 そうなれば、ブリンガル王国とオストラコン帝国は国境を接することになる。オストラコン帝国の領土的野心は果てがない。彼らは宗教的情熱によって異教徒の地を侵略し、その勝利を唯一神に捧げるのだという。

 帝国にさえかなわなかった母国が、山の中に船を入れるような柔軟な戦術を駆使するオストラコン軍に対抗できるのだろうか。

 コンスクラードとの七年戦争は、オストラコンとの戦いに備え鉄を求めた帝国に対し、足元を見た母国が値段を釣り上げたことによる。これにより友好的だったコンスクラードとの関係は崩壊し、鉱床地域をめぐる戦争に発展したのだ。

 しかし、あの戦争の結果も虚しく、コンスクラープルは陥落した。

 自分の運命を変えた七年戦争の意味は…。オデンは戦士であるが、考えれば考えるほど、あのいくさの虚しさに身を蝕まれる気分であった。


「さて、ご用件をお聞かせ願いましょうか?」

 話が途切れたところで、ハウゼンがオデンに話を促した。コーヒーも、ちょうどなくなったところであった。

 オデンは、昨日から今日までのことを、かいつまんで話した。

「なんと! 伝説のザナドゥが見つかったと。これはなんとも喜ばしい話ですね!」

 先程までの暗い空気を吹き飛ばすような明るい声で、ハウゼンは大笑いした。

 予想通り、ハウゼンはザナドゥの発見に食いついてきた。カネに対する嗅覚はともかく鋭い男である。

「で、そのザナドゥに入るために、を貸してほしいと」

「そうなんだ。頼む」

「うーむ…。貸してほしいと言われても、あの子達は大事なですし…」

 ハウゼンは腕を組んで唸った。

「では、こうしましょうか」

 しばらく考え込んだ後、ハウゼンは口を開いた。

「ザナドゥで高値で売れそうな美術品などを見つけたら、私に譲ってください。なにしろ伝説のザナドゥだ。帝王ゴジャールの副葬品もきっと豪華でしょうし、を貸すのに十分な代金になりそうです」

「分かった。その条件を飲もう」

「ふふふ、それに宿の主人が大事にしている娘の救出なら、たっぷり恩が売れそうですしねぇ。これは面白いことになってきましたよ」

 ニヤニヤと、ハウゼンは悪人然とした笑みを浮かべた。


 オデンとミランダは礼を述べ、ハウゼンの部屋を後にした。

 そのまま、奴隷少年たちが寝泊まりしている別館へと向かう。

「誰を連れていくつもり?」

「ブラドヴァだ」

「あー、いいかもね。あの子、私も好きよ」

 「奴隷の館」の別館は、エントランスホールを隔てて西館と東館に分かれている。ハウゼンが奴隷少年たちを住まわすために建てたもので、西館には女子が、東館には男子が住んでいた。


 東館には入口のすぐそばに、大きなホールが設けられている。

 ここは訓練場で、オデンが少年たちに剣術を教えている場所である。

 ホールには訓練用の木人や的などが置かれ、オデンがいなくても少年たちが自主的に訓練できる環境になっている。

ブラドヴァ! いるか!」

「はい、先生!」

 オデンの呼びかけに、すぐさま大きな返事が戻ってきた。

 部屋の隅で、木刀片手に一人稽古をしていた半裸のドワーフの少年が駆け寄ってきた。

 背丈はオデンの肩ほどしかないが、筋肉に包まれたガッチリとした体つきをしている。鼻の下には、ドワーフらしくヒゲが生えている。まだ幼さは残っているが、精悍な顔つきをしていた。

 ブラドヴァと呼ばれた少年は、実直そうな目を、オデンに向けた。訓練日でもない今日、なぜ彼らがここに来ているのか。そんな細かい事は一切気にしないようだ。

「ハウゼンさんから、お前を借り受けることになった。お前はこれから、俺と一緒に遺跡ザナドゥ探索に加わってもらう」

「遺跡探索…ですか?」

「そうだ。探索と言えば聞こえはいいが、はっきり言ってしまえば実戦だ。恐ろしい敵と戦うことになる。やれるか?」

「先生と一緒なら、負ける気がしません。お供します!」

 一瞬も間をおかず、ブラドヴァは即答した。

「あら、頼もしいわね」

 ハキハキしたブラドヴァの答え方に、ミランダは小さく笑った。ブラドヴァは後ろ頭をかき、照れたように笑った。


 ブラドヴァを選んだ理由はいくつかあったが、一番大きな要因は、この明快な態度と明瞭な服従心、そしてオデンに対する尊敬と忠誠だった。

 ブラドヴァよりも強い子は何人かいたが、彼には人間の子供たちの中でドワーフとして孤立し、生きてきたことで鍛えられたメンタルと、武術の習得に対する貪欲さがあった。そして純粋な筋力は人間であるオデンをも上回る。

 動く石像リビングスタチューのような化け物が闊歩する地下迷宮ザナドゥだ。一個人の強さだけでは生き残れない。戦闘技術よりも、指揮系統チームワークに対する従順さと、恐怖に打ち勝つ強靭な心が必要だった。

 あとは経験次第だ。戦えば戦うほど、ブラドヴァは天井なく強くなっていくだろう。

「誰か決まったのですか?」

 後ろから、ハウゼンの声がかかった。オデン達の後を追ってきたようだ。

「ああ、ブラドヴァにする」

「そうですか、そうですか。これ、私からの選別です。ブラドヴァに、いい装備を買ってあげてください」

 そう言いながら、ハウゼンは金貨の入った小袋を差し出した。

「それは助かる」

「なんの。大切なに死なれたら、困りますからね」

 そう言いながら、ほっほっほと、ハウゼンは大きな笑い声をあげた。

「じゃあ、私も選別に、ブラドヴァの筆おろししちゃおうかしら。一度もヤラずに死んだら、かわいそうだし…」

「ほっほっほ、心配ご無用ですよ、ミランダ先生。オデン先生が、うちのかわいい子を死なせることなんてありませんから」

「そうです。先生といれば、負けることはありません!」

「それもそうね」

 ハウゼンとミランダ、そしてブラドヴァが笑い合っている。

 なぜか、あらゆる意味でハードルを上げられた気分になったオデンであった。



 ブラドヴァを借り受ける契約関係の手続きを済ませ、ハウゼンの館を後にした。

 陽は西の山陰に差し掛かりつつあったが、まだブラン大主教が戻るまでは時間がありそうだ。

「あら、あの子」

 蕎麦畑のあぜの上に立っていたニノを、ミランダが見つけた。

 置いていかれたからだろうか、その顔は不機嫌そうであった。

「ここ、奴隷商人の家だったんだね」

 どこかで覗いて、この建物の事を知ったのだろう。デッテならお手の物だ。

 ニノは鋭い目で、オデンの方を睨んだ。

「オデンはここでなにやってるの? まさか奴隷買ったりしてるんじゃないよね?」

「先生は、我々に剣を教えてくれてるんだ」

 オデンに代わり、ブラドヴァが答える。

「誰、こいつ。オレ、オデンに聞いてるんだけど」

 ニノは目を吊り上げ、自分よりも大柄なブラドヴァに食ってかかる。

「一緒にザナドゥにいくことになった、ブラドヴァだ。ブラドヴァ、こいつはニノ」

「よろしく、ニノ君」

 ブラドヴァはニカッと笑って、手を差し出した。

 しかしニノはブラドヴァの手を叩き、頬を膨らませた。

「あのなー! お前、子供じゃないか。オレはこう見えても大人なの! 年上にはもっと敬意を持ってほしいな!」

「そうなのか。それは失礼しました。では、よろしくお願いします。ニノ先輩」

「…うん、よろしく」

 ブラドヴァの素直な態度に毒気を抜かれたのか、分かればよろしいという顔で、ニノはブラドヴァの手を握った。



 蕎麦畑を抜け、デルピュネー街道まで戻った。

 その頃にはニノの機嫌も直り、ブラドヴァとすっかり打ち解けたみたいだった。ブラドヴァが長幼の序をわきまえているので、年上扱いされてニノは気持ちよかったようだ。

「子供って思われるの、コンプレックスみたいだもんね?」

ミランダが耳元に顔を寄せ、小さな声でささやいた。

 確かに、少年のブラドヴァの方が、ヒゲも蓄えているし、大人びている。体もブラドヴァの方が二回りほど大きい。

 ニノはここ二日間の出来事を、先輩風吹かせてブラドヴァに語っていた。

 真面目なブラドヴァは、真剣に、そして興味深くその話を聞いている様子だった。

「あの二人、案外うまくいくかもね」

「それなら、いいんだけどな…。…あと、筆おろしはしなくていいからな?」

「そうなの? 残念だなぁ」

 ブラドヴァを加えた四人は街道を横切り、デルピュネーの中心街に戻っていった。


(つづく)




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