第6話 ゲオルギオスの酒場
オデンはニノを背負い、森の中を走っていた。
ニノがデッテで、子供のような体格だったのは幸いだった。
このくらいの重さなら、遠征時の背嚢と変わらない。歩いて一刻程度の距離だ。背負ったまま
箆鹿の館は、有事には野戦病院となる建物である。
そのため平時も
彼らは兵士だけでなく、町人や旅人の治療も有料であるが請け負っている。
それにオデンは、衛生部員の長とも顔見知りだ。駆け込めば、ニノを助けてくれるに違いない。
ニノの呼吸は、か細くはあるが続いている。
「死ぬなよ、ニノ! お前にはやってほしいことがあるんだ」
「なに? やってほしいことって」
ニノのか細い声が、首元から聞こえた。
「起きたのか?」
「こんなに揺らすから、目が覚めちゃったよ」
「いいから寝ていろ。今すぐ毒を抜いてやるからな」
「そう…じゃあ、寝るよ」
それを聞くと、ニノの体から力が抜けた。
死んだわけではない。ニノの体は、まだ温かかった。
「はーあ、それは、災難でしたねー」
間延びした声で応対したのは箆鹿の館の主、
ハーフエルフの女性僧職だ。元はどこかの教区の主教であったそうだが、敗戦後、軍の立て直しを図る王国軍にスカウトされ、この地に赴任してきた。
デルピュネー国境警備隊の旗印が描かれた白い法衣をまとった彼女は、その法衣の長い袖をまくり、ベッドの上に仰向けで寝かされたニノに解毒の魔法をかけている。
「うーん、この毒は、指から入った程度では、こんな重い症状にならないんだけどね。指の傷も浅いし…」
解毒の魔法は、まずその毒がどのようなものか分からないとかけられない。
指の傷から採取した毒を分析して分かったことは、とある山草から取れるありふれたものだったということだ。
しかも、猛毒と言えるほどのものでもなく、服用すると稀に危険…という程度だそうだ
つまり、針に塗っても毒針としての効果はほぼ見込めない。そもそもの使い方が間違っていたのだ。低能なゴブリンらしい話である。
しかし、そんなゴブリンの思惑にまんまと乗ってしまったのがニノだった。
オデンには、ニノがなぜこんな重体に陥ったのか心当たりがあった。
ニノは針に刺された後、指を舐めていた。それで口の中に毒がはいってしまったのだろう。
「なるほどー。毒は体格によって効き方が変わるので、デッテみたいな小さな
なんにせよ、ニノの迂闊さの結果だった。
「治りそうですか?」
「治らないわけがないですって。こんな軽い毒」
ファルナはピシッと断言した。
「むしろ消耗が激しいので、体力の回復には時間がかかりそうかな。今夜はここで預かるから、明日また迎えに来てくれます?」
うなずくと、生気の戻ったニノの顔を見た。
眠ったままだが、呼吸は穏やかになっている。
命の危険が去った今となっては、ニノの間抜けさばかりが目立って困る。
だが、オデンの
オデンは館を後にした。太陽が東の山の中に隠れようとしている。山の上の空が、燃えるような橙色に染まっていた。
向かいの
「お前も街に帰るのか。なら、酒場までつきあえ。少しの酒なら、おごってやるぞ」
「大盤振る舞いだな。だが、ちょうどよかった。俺も聞きたいことがあるんだよ」
「俺に? なんだそれは」
オデンとイヴァンは、閉まりかかった飛竜橋の扉を抜け、デルピュネーの街へと帰っていった。
国境警備隊の兵士は、非番のときも森の中の兵舎にいることが義務付けられているが、イヴァンはこれでも士官なので、デルピュネーに休暇用の家を持っていた。家といっても、老夫妻が経営する下宿の二階であったが。
「俺は、元より学者になりたかったんだ。だから、兵舎に寝泊まりするのは性に合わん。たまには街に降りて気分転換しないとやってられんのだ」
「なのに、ずっと軍人をやっているのか?」
「しかたがない。それが家ってものだ」
イヴァンはとある地方の領主に仕える騎士階級家庭の出身で、何人か上級将校を輩出している家柄だ。イヴァンもその家の習いに従い、渋々軍人となったのだという。
「だから、時折自宅に戻り、様々な本を読むのだ。父上は私を軍に縛り付けるためのアメとして、本をいろいろと送ってくれる。ありがたい話だ」
「親不孝な話だな」
「なにを言う。家のために人生を軍隊に捧げているのだ。これ以上の親孝行があるか」
そこへ真っ赤なカートルを着た、胸と尻がよく育った肉感的なウェイトレスがお酒を運んできた。
彼女の名はマリエラ。このゲオルギオスの酒場の看板娘で、主人の姪だという。数ヶ月前に、この酒場にやってきた。
この容姿に加え、生まれ持った才能なのか、彼女は誰とでも打ち解け、なおかつ客あしらいがうまかった。彼女に恋心を抱いている常連客は多いと聞く。
「で、聞きたいこととは?」
去りゆくマリエラの大きな尻を目で追っていると、イヴァンがその視線を遮るように、質問を投げかけてきた。
少し、目が冷たいような気がする。
「いいじゃないか。男の本能だろう?」
「そんな言い訳を聞いてるんじゃない。今日の出来事を話してくれ。俺は女給の尻より、そっちの方が興味ある」
相変わらず面白みのない男だ。これで都に妻と子がいるというのだから驚きである。
「森の奥に丘があってな、その頂上で遺跡を見つけたんだ。それが奇妙な遺跡でさ。学者志望のイヴァンなら、なにかわからないかと思ってさ」
「なるほど、それは興味深い。詳細に話してみろ」
オデンはリクエストに答え、今日体験した出来事を、できるだけ細かくイヴァンに説明した。
長い話となったが、イヴァンは時々酒を飲みつつも、興味深げにオデンの話に聞き入った。そしてオデンの話が終わると、腕を組んでうーんと唸った。
「思うに、だ。その巨像に描かれた模様は、もしかしたらゴジャール軍の重装騎兵の鎧に近いかもしれない」
「またゴジャールか」
推測になるが、と前置きしつつ、イヴァンは話を続けた。
「ゴジャールの重装鎧は、革の鎧の上に金属の小札を貼り付ける。それで、軽さと強度を両立している。その鎧の軽さが、ゴジャールの武器でもあったわけだ」
「その話は昼間にも聞いたよ」
「端的に言えば、そのゴジャールの鎧が、お前が見た石像の模様に似ているんだ」
テーブルの水滴を使って、イヴァンは鎧の絵を描いた。
なるほど、確かにその絵は、石像の模様と近かった。特徴的な兜の形もそっくりだ。
「この国や、七年戦争で戦ったコンスクラード帝国の重装騎兵は、圧倒的な防御力と突進力で、進む先にいる敵軍を粉砕する。だから、矢や槍を受けても傷つかない重たい鉄の鎧を使う。一方、ゴジャールの重装騎兵は、戦況に応じて弓と剣を使い分け、軽快な機動で敵の前線を破壊する。その機動を支えるのが、軽くて硬いゴジャールの重装鎧なわけだ」
「どっちが強いんだ?」
「どちらの戦法が良いと一概には言えないが、三百年前のゴジャール帝国の侵攻においては、
だからこそ、マンダリナ川の東まで迫ってきた。
「不敗のゴジャールが死ななかったら、どうなっていたのだろう?」
「この国はおろか、大陸全土が彼の手中に収まっていただろうな」
当然だ、と言わんばかりのイヴァンの言いようであった。
その志半ばとはいえ、大陸の殆どを版図とし、空前絶後の大帝国を打ち立てた覇王ゴジャール。その爪痕が、あの丘に残っているということなのか。
「明日は非番なんだ。一緒についていってやろう」
「それは助かる。俺では今話した以上のことは分からない。ゴジャールに詳しいイヴァンなら、もっといろいろと分かるかもな」
「フフ、任せとけ」
表情に乏しいイヴァンが、珍しく口角をあげた。
二人でしばらく飲んだ後、オデンは思い出したかのようにカウンターに向かった。
「ゲオさん」
カウンターの中にいる初老の男が、ジョッキを洗いながら目だけオデンに向けた。
「なんだ、宿屋の居候か」
白いものが交じる長いひげと長い眉毛が特徴的な彼は、この店の主であるゲオルギオス。大層な名前だが、長いため常連客からはゲオさんと呼ばれている。
「ゲオさん、今日の客の中に、東の森で猟師か木こりをやってるヤツはいないか?」
「ん…木こりかぁ。そこにいるよ」
ゲオは、カウンターの隅に座っている男を指差した。
首周りの太い、筋骨隆々の男であった。いかにも、木こりという体格だ。手にしている陶器のジョッキも小さく見える。
「ビール、一杯もらえるか」
「あいよ」
ゲオはジョッキにビールを注ぐと、オデンに手渡した。
そのジョッキを持って、オデンは木こりの隣に座った。
「なああんた。東の森で木こりやってるんだろう? ゲオさんから聞いたんだ」
「そうだが…あんたは?」
「俺はオデン。
「ほお。その傭兵の兄ちゃんが、俺になんの用なんだ?」
「ちょっと長くなるんだ。よかったら、俺たちのテーブルにこないか?」
こいつはおごりだといい、先程ゲオからもらったジョッキを差し出した。木こりはニヤリと笑い、手にしていたジョッキに残っていたビールを一気に飲み干すと、席の移動を快諾した。
「あの丘に近づくと殺されるって噂でな」
オデンの問いに答えつつ、木こりはジョッキを煽った。
「殺される…だって?」
死ぬ、ではない。木こりは殺される、と言った。
「ああ。森で働くヤツが丘の近くに行くと、時折死体となって発見されるんだ」
巨像か、ゴブリンの仕業だろうか。
「どうだろうな。俺の知ってる猟師も、丘の近くで殺されたんだ。獲物を追ううちに、近づいちまったんだろうな。だから、俺らは丘には近づかないようにしている」
人通りが少なく、道が草に覆われていたのは、そのせいだったのか。
「どのように殺されたか、覚えてるか?」
「よく覚えているさ。胸をでかい刃物でザクッと切られた。来ていた服ごと真っ二つさ。あれは、このあたりの剣の仕業じゃねぇ」
「剣だって、よく分かるな」
「七年戦争時には、俺も徴兵されて軍隊で働かされてたんでなぁ…。ムステラ人傭兵が、似たような剣を使っていたんだ。たしか、
戦争末期、劣勢となったブリンガル王国は、常備軍や傭兵だけでなく、彼のように体格に恵まれた民間人を強制的に徴用したことがあった。
「ともかく、丘に近づくと死ぬんで、俺たちは近づかないようにしている。だから悪いが、詳しいことは分からねぇな…。そんなところだ」
「分かった。ありがとう。俺のおごりと言って、ゲオさんからもう一杯もらってくれ」
「へへ、ありがとよ」
木こりは元のカウンターへと戻っていった。
「曲剣か。これまた珍しい武器が出てきたな」
黙って話を聞いていたイヴァンは、顎に手をやって考え込んでいた。
「あの丘に、ムステラ・ハン国の密偵が潜んでる場所でもあるのかな?」
「それはないな…。ムステラ・ハン国が我が国と事を構える気配はないし、仮に密偵がいたとしても、殺しなどしない。見つかるリスクが大きすぎる。殺したとしても、死体を残すことはないはずだ」
確かに、とオデンは頷く。死体を残すのは、ある種の警告だと言える。何者かが、あの一帯に近づけさせないように、あえて残しているのかもしれない。
そして
「ねる子という少女の行く先々にゴジャールの痕跡があることには、なにか理由があるのかもしれないな」
むしろ、ねる子が失踪したことそのものが、ゴジャールと深く関係するとさえ思える。
「俺の勝手な推測だが、この話、結構危険なところにつながるかもしれんぞ。オデン」
「そうだな。覚悟するよ」
しばらく雑談した後、二人は酒場を後にした。
「おやすみなさい、オデン」
出口付近にいたマリエラが、つややかな肌に包まれ顔に、魅力的な笑みを浮かべた。
マリエラとは、実はあまり話したことがない。自分の名前を知っていたのかと驚きつつ、オデンは帰途についた。
宿に帰るなり、主人が駆け寄ってきた。
主人は心配のあまり、顔を蒼くしていた。この様子では、今日一日の仕事も手につかなかっただろう。
ねる子を伴わず戻ったオデンに、主人は露骨に失意の表情を向ける。
なんとなく責められている気もしたが、気づかないフリをして今日の出来事を報告した。
しかしまったく要領を得なかったようで、遺跡とはなんだ、ゴジャールがどうしたと、しつこいくらい根掘り葉掘り聞いてきた。
仕方がない。オデンにも分からないことだらけなのだ。
酔っていたし疲れてもいたので、ともかくねる子に直接つながる足跡はつかめなかったこと、そして明日もう一度、イヴァンらと丘に行くことを告げ、話を切り上げた。
「今日のお礼に簡易寝台を貸してやる。ゆっくり寝てくれ」
主人なりに、オデンの尽力に報いようと思ったのだろう。だが、オデンは首を横に振る。
「せっかくのご好意だけど、俺はベッドより馬小屋の藁の方が落ち着くんだ。悪いけど、遠慮させてもらうよ」
こうしてオデンは、いつもの馬小屋へと戻っていった。
ああは言ったが、本当はベッドに寝てしまうことで、緊張感が切れてしまうことが怖かった。
戦場でも、厳しい戦闘が続いた時には、帷幕の外でフェルト一枚敷いて寝ていた。地面の硬さが、激戦の渦中にいる現実をオデンに寝ている間も伝え続けた。奇襲にそなえ、熟睡を避ける意味もあった。
こうして緊張感を持続させた事が、今日まで生き残れた理由でもあると思っている。
しかし、何がここまで彼の畏怖を呼び起こすのか。
巨像の存在か、それともゴジャールの影か。
なによりあの丘は、なにか恐ろしい秘密をはらんでいる。その不安が、寝るまでオデンを離さなかった。
(つづく)
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