第5話 毒針(POISON NEEDLE)

 遺跡の床は、朽ちた木材で埋まっていた。

 おそらく、屋根材が風雪に耐えかね、落ちてきたものだろう。


 入口の祠で感じた建物の粗雑さは、この遺跡に入っても変わらなかった。

 壁の石材もでこぼこだし、屋根に至っては見てのとおりだ。


 そしてこの地は、地震が滅多に起きない地域。

 もとより、丁寧に作られたものではなかったのだろう。


 一体、誰が建てたものなのだろう。


 廊下だったと思われる通路、部屋らしき広間を見ても、おそらく人間か、人間に体格が近い亜人デミオンが建設したものに思える。


 つまりこの丘には、かつて人に類する者が住んでいたのだ。


 デルピュネーの住人や国境警備隊は、この遺跡を知らなかったのだろうか?


 確かに生活圏や防衛線からは大きく離れた場所である。

 ここに至る道も、林道というよりは獣道のようだったし、道も雑草が生え放題で踏み固められておらず、人の行き来はほとんどない様子だった。

 それでも辛うじて道としての形を成していたのは、このあたりを縄張りにしている猟師や木こりの往来がわずかながらあったからだろう。


 しかし彼らは、この丘の異様さに気づかなかったのだろうか?

 オデンですら気づく不自然さに、森の中で働く彼らが気づかないはずがない。


 街に戻った時に聞き込みすれば、なにか分かるかも知れない。

 酒場の親父に尋ねれば、客の誰が猟師か木こりなのか、教えてもらえるだろう。



 バキバキと、オデンが歩くたびに足元の木材が鳴く。

 人が住まない建物が朽ちるのは早い。先の戦争七年戦争で戦場となり、放棄された村をいくつも見た。野盗すら住まぬ廃墟は早々に崩壊する。

「さて、ねる子さんは、この建物のどこかにいるのかな…」

 形跡を求めてあたりを探すが、荒れ放題の遺跡の中で、その跡を見つけるは難しいように思えた。


 やがて、小部屋に入った。

 建物各所につながる廊下のハブになる部屋らしく、扉を失った入口が四方の壁それぞれについていた。

 床は相変わらず木材が散乱し、屋根のない天井から昼下がりの空が見えている。


 適当な廃材に腰掛け、腰のポーチから酒場で買った羊の燻製干し肉を取り出す。少し遅い昼食だ。腰の革袋を外し、来る途中に寄った井戸で汲んだ水を飲む。

 デルピュネーはマンダリナ川の扇状地にあるので、伏流水にも恵まれ、清潔な水は平野部の都市に比べ得やすい環境にあった。それがこの街が宿場町として栄える大きな要因ともなっている。


 食事休憩を終え、立ち上がった。

 バキッと、大きな音が鳴った。

 オデンの足元にあった廃材が折れたのだ。


 続けて、何者かの声が聞こえた。

 こんなところに、自分以外の誰かがいたのか。


 耳を澄ます。


 人の声ではない。


 これはゴブリンの言葉だ。


「誰か来たのか?」と、ゴブリンは言ったのかもしれない。


 ゴブリンは、赤い肌を持つ小型の亜人デミオンである。

 デッテ族よりは大柄で、人間に近しい体格や生活習慣を持つが、人間とは倫理観が合わず、人間の社会に組み込まれることは稀である。

 それどころか人間に敵意を向け、害を及ぼすことも多い。大きな群れを成して、村を襲撃することすらある。


 デルピュネー山脈で旅人を襲うことも多い。そのためオデンのような傭兵が護衛として雇われる。


 油断した。

 確かにこの廃墟は、街道を稼ぎ場にしているゴブリンにとっては、格好の隠れ家になるだろう。



 ゴブリンは必ず複数で行動する。声だけではわからないが、五匹以上いるなら厄介だ。


 急いで離れよう。

 来た道を引き返そうとした。


 だが、運が悪いことに、ゴブリンたちはオデンの前に立ちはだかった。


 ゴブリンたちも驚いてる。オデンの退路を断ったのは、意図しない偶然だったのだ。なんと運の悪いことか!


 その数四匹。一人で相手するには苦労する数だ。鎧でも着ていれば別だろうが、今のオデンはキルトのダブレットしか身につけていない。


 この部屋で応戦するのは悪手だ。なんとかして逃げたい。ゴブリンたちを常に視界にとらえつつ、オデンは再度部屋の構造を確認した。


 部屋には四つの出入り口がある。一つはオデンが入ってきた入口。これはゴブリンたちの背後にある。次にオデンから見て左手。ゴブリンたちが出てきたところだ。そしてオデンの背後と右手の壁の二ヶ所。


 ゴブリンの背後と左手の出口は論外だ。

 後ろの出口から逃げるのがセオリーだが、このまま遺跡の奥に逃げれば追い詰められるおそれもある。あまり分のよい賭けには思えなかった。

 となれば、右の出口から逃げるしかない。


(やるか)


 オデンが腰の剣真っ二つの剣を抜くと、ゴブリンたちもそれぞれの武器を構えた。幸いなのは、誰も飛び道具を持っていなかったことだ。


 足元の石をゴブリンたちの方に蹴り飛ばす。石はゴブリンたちの頭上を飛び越え、背後の壁に当たって派手な音を響かせた。


 ゴブリンたちが気を取られて振り返った隙に、オデンは素早く右手の入口に飛び込んだ。


 だが、ゴブリンは簡単に見逃してはくれなかった。オデンを追って、次々と通路になだれ込んでくる。


 足元が悪い。木材に足を取られる。全速力では走れない。

 おまけに通路は人がすれ違えるだけの広さがある。立ち止まって応戦すれば囲まれかねない。


(ならば…)


 オデンはわざと逃げる足を遅らせる。

 すぐに、先頭を走っていたゴブリンが飛びかかってきた。

振り向きざまに、真っ二つの剣を振り下ろす。

 跳躍していたゴブリンの右肩から先が床に落ち、盛大な悲鳴と出血を呼び起こした。


 真っ二つの剣の名は、伊達ではない。


 しかし、ゴブリンたちはひるまない。むしろ歓喜の奇声をあげて、オデンに迫ってくる。とどめを刺している暇はなかった。


 ゴブリンは残虐な種族だ。多種族を虐殺することを好み、その子供を喰らう。そして同胞の死すら悦びに変える。

 亜人の中でも人間社会に馴染まず、野性的な生活を送る種族は「獣人ビーストマン」と呼ばれる。ゴブリンやオーク、オーガがそれにあたる。

 とはいえ、オークは人間社会のルールにある程度教化されているし、オーガは凶暴だが高い知性を持つので交渉の余地がある。

 だがゴブリンは違う。彼らは原始的で知性のかけらもない。だから会話すらままならない。


 ゴブリンと人は、分かりあえないのである。


 もう一匹のゴブリンがオデンに追いついた。振り向く勢いで横薙ぎにする。ゴブリンの胴体は上下泣き別れとなった。


 走り続ければゴブリンの隊列は縦に伸びる。さらにそれぞれの走力の違いからバラツキがでる。通路を逃げつつ、先頭のゴブリンを斬れば、相手が多数でも囲まれずに戦えるのだ。


 しかし、残る二匹のゴブリンは違った。どうやらオデンの戦法を看破したらしい。お互いの速度を合わせると、両サイドから迫ってきた。


 戦訓や知識ではなく、本能でこういう真似ができるところがゴブリンの厄介なところだ。オデンは舌を鳴らすと、一刻も早く遺跡から脱出すべく、できうる限りの速さで駆けた。


 幸い、通路は遺跡の外につながっていた。

 扉のない出口の向こうにトーロイの森が見える。

 外まで出れば、さほど足の速くないゴブリンを振り切ることは可能だ。

 もしくは広い空間で、機動戦に持ち込めるかもしれない。


 だが、遺跡の出口を駆け抜けた、その時であった。


「た、たすけて~~~!!」


 今度は人の言葉ブリンガル語が聞こえてきた。


 甲高い声である。


 見れば子供が、こちらに向かって走ってきていた。


 いや、よく見れば、それは子供ではなく、先程オデンの剣を奪おうとした不届きなデッテであった。


 さらにデッテの背後には、その四倍はあろう巨大な石像が、土煙をあげながら追っている。右手に握る長大な剣を振り上げ、今にもデッテを叩き潰しそうだ。


 眼前に広がる、理解し難い光景。いったい、何が起きたというのだ。


「あ、あんた! 後生だから助けておくれよ!」

 デッテもオデンに気づいたのだろう。少し顔色に生気が戻ったように見えた。


 オデンくらい強ければ、この危機的状況から救ってくれるとでも思ったのだろうか。だがデッテは、オデンの後ろにゴブリン二匹が迫っていることをまだ知らない。


 後門のゴブリンに前門の石像。まさに万事休すである。それにあんな巨大な石像は、さすがに真っ二つの剣でも斬れそうにない。


 ならば。


 オデンは駆け寄ってくるデッテを素早く抱き上げ、地面を蹴って真横に飛んだ。そのまま転がりながら、巨像から距離を取った。

 先ほどデッテがいた場所に巨像の剣が振り下ろされた。石の剣は地面を揺らし、盛大に土煙を吹き上げた。


 遅れて遺跡を出てきたゴブリンたちは、オデンの姿を見失ったようだ。

 キョロキョロとオデンを探すゴブリンの頭上に、巨像の剣が振り下ろされた。ゴブリンたちは潰されて、ただの肉塊と化した。


 だが、巨像はその虐殺だけでは気がすまなかったらしい。なおもデッテ、そして助けたオデンを追ってくる。

 巨像には、人間を感知する能力があるらしい。正確にオデンたちに向かって走ってくる。しかもその速度はゴブリンなどの比ではない。あの巨体で、この速度で動けるのか。


 急いで逃げなければ。


「ついてこい! 走らなければ死ぬぞ!」

 抱いていたデッテを下ろすと、再度遺跡に向かって駆けた。

「ま、待っておくれよ!」

 抱いたまま転がったせいだろうか。苦しさからなのか走っていたからなのか、顔を赤くしていたデッテは、急いでオデンの後を追う。

 デッテの足は速い。先行したオデンの横にすぐ追いついた。この走力があるからこそ、あのでたらめな走力の石像から逃げ続けられたのだろう。

「遺跡の中に逃げるんだ。入口はできるだけ狭いところで」

「巨像を足止めするんだね」

「そういうことだ」

 元より戦うことは考えていない。巨像の接近を阻み、当面の安全が確保できればいいのだ。


 オデンとデッテは、別々の入口から遺跡に飛び込んだ。

 刹那、轟音が鳴り響き、遺跡の空気が震えた。


 巨像自身がぶつかったのか。それとも剣で殴りつけてきたのか。


 だが、確認の必要はない。オデンたちの安全は確保された。遺跡から出ない限り、巨像に殺される心配はないだろう。

「ふぅ~。助かった…」

 巨像による攻撃が続き、壁が振動する中、デッテがオデンのいる広間にやってきた。

「お前、なんであんなのに追いかけられてたんだ」

「あんたがいなくなった後、あのほこらに戻ったんだ。ほら、何か、お供え物でもないかなと思って」

 考え方がさもしいが、これがデッテという生き物である。

「そしたらさ、石像が動き出しちゃって。殺されそうになったから、必死に逃げまわっていたんだよ。あいつ、図体デカいのにやたらと速いし、ホントに死ぬかと思ったよ」

「祠でなにかしたのか?」

「何もしてないよ。お供え物を探しただけ」

 そんなはずはない。勝手に石像が動き出すものか。そのお供え物探す過程で、なにかしでかしたのだろう。

 だがこのデッテは、そのきっかけをまったく認識していないようだ。

 物を壊した時に「何もしてないのに勝手に壊れた」と言い張るのと同じようなものである。

 つまり、これ以上聞くのは無駄だということだ。


 しばらくして、壁の振動が止まった。巨像はようやく、オデンたちを殺すことを諦めたらしい。

 窓から覗くと、祠へ戻っていく石像の背中が見えた。

「なあなあ。ゴブリンなら、どっかに宝物を隠してるかもしれないよ。ちょっと探してみようよ」

 懲りないデッテである。おもわずため息が出てしまう。

 付き合う義理もないが、しかしオデンは思うところがあって、デッテの行動をしてみようと思った。

 デッテは周囲の壁や通路、入口などを見定めながら、迷路のような遺跡を「宝物」目指してすいすいと歩いていく。

 元々、空き巣などが得意な種族だ。茂みや灌木の森を素早く駆け、獲物となる獣を追う中で、デッテは複雑な空間把握能力を獲得したのかもしれない。

「お前。物探しは得意か?」

「ん~、人間ヒューマンよりは得意かな? オレ自身も、追い剥ぎよりは向いてると思う」

 といって、デッテはいきなりその場でかがみ込んだ。

 ごそごそと木片の間に手を入れ、そしてオデンに何かを差し出した。

 それは長細い銀貨であった。

 この国のものではない。しかも古いものだ。

 表面には、見たこともない文字が刻まれていた。

「よくこんなもの見つけられたな」

 山の日暮れは早い。遺跡の中は、先程より薄暗くなっていた。

 影と瓦礫に覆われた床。オデンの目には、もはや足元に何があるのかさえ、判別がつかなかった。

「まあね。これがオレの本来の生業だもん」

「そのさとい目に頼んで、お願いしたいことがあるのだが…」

「あっ、見つけた!」

 オデンの声を遮り、デッテは小走りに駆けていった。

「ほら、箱があった。あんたが殺したゴブリンのもんだよ、きっと」

 デッテの前には、粗末だが大きな木箱があった。上蓋は背面の蝶番ちょうつがいで上下に開閉する構造になっているようだ。

「ふんっ、生意気にも鍵がかかってるな。でも、オレの手にかかれば…」

 デッテは取り出したピッキングツールを、箱の鍵穴に差し込んだ。

「で、さっきの話なのだが」

「ニノ」

「ん?」

「オレの名前だよ」

 ガチャガチャとピッキングしながら、デッテは名乗った。

「あんたは?」

「オデンだ」

「へえ。神様みたいな名前だね?」

 そうなのか。そう言われたのは、初めてだ。


 空を見上げる。夕焼けが始まっていた。

 あと二刻もすれば、飛竜橋ワイバーン・ブリッジの門が閉まる。そうしたら、待ちには戻れなくなってしまう。

 ピッキングは難航していた。

「そろそろ諦めて帰らないか? 街に帰れなくなるぞ?」

 と言うものの、集中しているのか、生返事さえされなくなった。

 これは、鍵が開かない限り終わらないだろう。ため息をつく。

 

 やることもないので、愛剣真っ二つの剣の刃こぼれ具合を確認した。

 クロスボウ一丁、ゴブリン二匹を斬ったが、剣はどこも刃こぼれしていない。さすが名工の品である。魔法こそかかっていないが、オデンの腕なら魔法銀スリバーの剣よりも遥かに強力な得物となる。

 宿に戻ってからメンテしよう。そう思いつつ、満足気に剣を鞘におさめた時だった。


「イタッ!」


 いきなり、ニノが悲鳴をあげた。

「どうした?」

「なんでもない。なにか、尖ったところを触ったらしいや」

 刺した指を口で吸いながら、ニノは蓋に手をかけた。

 ギギギときしむ音をたてながら、蓋の上蓋が開いていく。

「ほら、結構なモノが入ってる! この袋の中を見てみろよ!」

 興奮した面持ちのニノは、コイン袋を一つオデンに投げた。

 中には、デルピュネー街道で使われている様々な国の通貨が詰まっていた。

 死んだゴブリンたちの追い剥ぎの成果だろう。その過程で、幾人もの人が殺されたのかもしれない。持たされても、あまり気分のいいものではなかった。

 だが、ニノの方は苦労した鍵開けが成功した高揚感からなのか、恐ろしく興奮気味だった。

「それにほら、クロスボウだ。ゴブリンのかな。でも、デッテのオレでも丁度いいサイズじゃない! オレのはさっき、あんたに壊されちゃったし…」

 そこまで言うと、ニノはクロスボウを抱えたまま床に倒れてしまった。

「どうした、ニノ」

 まもなく、ニノの口から、白い泡が溢れてきた。目もうつろになり、もはや焦点が合っていない。

「おい、しっかりしろ!! ニノ!」

 先程まで喜色一色だったニノの顔は、徐々に血の気を失っていく。

 箱に仕掛けられた罠だ。ニノが触った尖ったなにかには、盗賊避けとうぞくよけの毒が塗られていたのだ。


(つづく)





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