第4話 トーロイ林の丘の上で

 ねる子が北に去ったという十字路に来てみた。


 大陸東西の交易路「繭の道コクーン・ロード」の西端たるデルピュネー街道は、太陽が正中に入るころには人々の往来が多くなってきた。


 大きな背嚢バックパックを背負った行商人。女エルフの三人連れ、小脇に竪琴を抱えた吟遊詩人らしき男…。


 中でも目立ったのは、荷馬にうま驢馬ロバを数頭引き連れた隊商だった。

 着ている服装は、ムステラ・ハン国よりも遥か東方、大陸の果てに住む人たちのものだ。一見で駿馬と分かる馬に乗るリーダー格の男は、独特の唐草模様があしらわれた青い服を着ていた。



 三百年ほど前。デルピュネーから東を全て支配した強大な軍事国家があった。


 その名をゴジャール帝国という。


 『不敗のゴジャール』と呼ばれた不世出の覇王、ゴジャール・ハンに率いられたゴジャール帝国軍は、大陸に存在したあらゆる国家を討ち滅ぼしながら、これまで誰もなしえなかった広大な版図を築き上げた。

 それにも飽き足らず、ゴジャール・ハンに率いられた帝国軍は貪欲に西進を続け、途上にあった国や都市を飲み込みながら、このブリンガル王国に迫った。


 かつてデルピュネーは、国境の街ではなかった。

 ゴジャール帝国侵攻以前のブリンガルは、オーカサス山脈の向こうにも領土を持ち、複数の属州を含む広大な勢力圏を誇っていた。

 だが侵攻したゴジャール軍にムステラ地方アラカン高原の戦いで大敗し、さらにオーカサス山脈での足止めにも失敗、後退に後退を重ね、ついにデルピュネーで防戦せざるを得なくなったのだ。


 マンダリナ川の東岸を制したゴジャール軍。あとは川を駆け下り、占領した他の都市同様、奪い、殺し、犯し尽くし、思うままに蹂躙するだけであった。


 しかしなぜか、ゴジャール軍はこの地で長らく動きを止めた。


 そしてある夜、大軍は忽然と姿を消し、オーカサス山脈の東へと去ったのだ。


 理由は定かではない。だが、その後ゴジャール・ハンは死んだとの話が広まった。ゴジャール軍が撤退した、翌年のことである。


 ゴジャール・ハンを失った帝国は、早々に派閥による内紛・内戦が始まった。ゴジャール・ハンには子がなく、また後継者を指名していなかったため、皇族たちがそれぞれ皇位継承を主張したのだ。

 内戦は激しくなり、とうとうまとまることができなくなった帝国は、それぞれの皇族を王に戴き、いくつかの国に分かれて今に至る。


 ムステラ・ハン国も、ゴジャール帝国の流れを汲む国である。

 だが、すでにゴジャール人による王統は途絶え、今では被支配階級であり、ムステラ土着の民族であったアラカン人が統治権を回復している。ブリンガル王国とムステラ・ハン国の関係が比較的穏やかになったのも、それからであった。



 唐草模様の東方人は、ゴジャール人の生まれ故郷よりはるか東に住む人達だ。

 そこには、この大陸の果てがあり、向こう岸が見えないほど広い海があると聞く。

 その地もゴジャール・ハンによる侵略と支配を受けた。海の果てからこの地まで、ゴジャール・ハンは一代にして、空前絶後の巨大帝国を作り上げたのだった。


 しかし、大陸の果てにたどり着くには、実に二年以上はかかるという。

 こんな長大な道を歩く隊商はほとんどいない。先程の隊商も、ゴジャール帝国の侵攻によって住処を移し、近隣に土着した東方人の子孫かもしれない。


 大陸の東の果てに住んでいた人々の子孫が、西方世界に住む。ゴジャール帝国による侵攻は、それほどまでに民族の地図を書き換えてしまったのだ。


 イヴァンがゴジャールに惹かれるのもわかる。

 ゴジャールはこの国の民にとって、いや、大陸全土の人々にとって、破滅をもたらす魔王のような存在であっただろう。

 しかし、あらゆる敵を蹴散らし、望むものを手に入れたその人生に憧れない男はいない。だから覇王ゴジャールの名は、ある時は残虐な侵略者、そしてある時は無敗の軍神として語られるのである。



 十字路から北へ一刻ほど歩いた。


 森はますます深くなり、鳥のさえずりと獣の声ばかりが聞こえてくる。


 上り坂が続く。森の奥は、小高い丘になっているようだ。


 丘が始まる頃から、明らかに植生が変わった。

 樹の生え方に規則性があり、オデンはどこか不自然さを感じていた。


 そもそも、丘の上に生えているのは、このあたりの樹ではなかった。

これらの樹はトーロイの木といって、大陸を東西に横断する「繭の道コクーンロード」の沿道地域に生えている樹だ。オデンも、ムステラ・ハン国まで隊商を護衛した時に、この樹を見たことがあった。


 しかしトーロイの木は、オーカサス山脈以西には自生していない。

 繭の道が山脈に入るところでデルピュネー街道と名を変えるのも、トーロイの木が生えていないからだ、という説もあるそうだ。


 その木が、林となって丘を覆っているのだ。

 不自然に思えるのも当然であった。



 トーロイの林を抜け、丘の頂上に辿り着いた。


 そこには、開けた広場と、崩れかけた石造りのほこらがあった。

 祠の後ろには、屋根のない壁だけ残された遺跡があった。


 改めて、祠に目を向ける。 

 基礎は残っているが、いくつかの柱は折れ、壁も数箇所崩れていえる。

 一見すると古そうな祠に見えたが、祠を構成する石材を見ると、それほど風化した様子もない。

 作りが雑なのか、それとも急ごしらえだったのか。

 だが、オデンは建築家でもなければ、考古学者でもない。見た目以上のことは分からなかった。


 祠の中には、大理石で作られた坐像があった。

 武将の像だろうか。

 四角い鱗のような模様が描かれた鎧をまとい、右手で人の背丈ほどもある巨大な剣を突き立てていた。左手には、円形の盾が下げられている。

 頭には長いしころを持つ縦長の鉢型の兜を被っている。

 「この鎧は…なんなんだ…?」

 見たことのない様式の鎧である。

 南の砂漠の民のものではない。騎馬民族や東方の民がよろうものであろうか。しかし、ゴジャール帝国の流れを汲むムステラ・ハン国の鎧ともどこか違っている。

 (イヴァンを連れてくれば、なにか分かるかもしれないが…)

 オデンは荒鷲の館ハウス・オブ・イーグルの前で、異国の装備について珍しく多弁となった守備隊長を思い出した。


 像に近づいた。

 大きな像だ。坐像であったが、立っているオデンよりも大きかった。

 不思議なのは、その像に顔がなかったことだ。

 元からなかったのか、それとも削られたのか…。


「おっと、動かないでおくれよ」


 突如、背後から、声がかかった。


「振り向くのも禁止だよ。少しでも動いたら、あんたの背中を狙っているクロスボウの引き金を引くからな」

 ものものしい言いぐさであったが、その声は子供のもののように聞こえた。

 まるで声変わりさえしてない、幼い声だ。女性のようにも思える。

「なにが目的だ」

「その、だよ。良さそうな剣じゃんか。そいつをくれ」

 実にシンプルな要求だった。


 瞬間、オデンの顔が、戦士の表情となった。

 目は鋭さを増し、頬はこわばり、茶色の瞳に赤味が差す。


 背中に狙いを定めているという敵の正体を探る。振り向けない今、視覚以外の情報で敵を測るしかない。


 本当にクロスボウを持っているのか。それともはったりなのか。相手の技量はどれほどなのか。これは見ないと分からない。

 だから本当にクロスボウを持ち、やろうと思えばいつでもオデンを射殺できるものと想定する。楽観視によるたらればは、命取りになりかねない。


 しかし、奇襲するつもりなら、いつでも撃てたはずだ。現に今も、オデンの背後を取っている。それなのに、なぜ撃たなかったのか。


 そもそも、殺気が薄い。これは何を意味するのか。


 オデンにとって幸いだったのは、その声の高さだ。高い声は出ている位置が分かりやすい。戦場で培った勘で、だいたいの距離も分かる。

 クロスボウ一射で正確に射殺すなら、三十メートル以内に近づかなければならない。声から分かる距離もだいたいそれくらいだ。


「分かった。剣をくれてやる。その代わり、命は保証してくれ」

「約束は守るよ。オレも人殺しは好きじゃない。剣は足元に置くんだ」

 声を出させて位置を測るため、オデンは無駄な話を続けた。


 位置、把握。

 瞬間、オデンの頭の中に、この不届きな追い剥ぎハイウェイマンを沈黙させるプランが組み上がった。


「ところで、この剣には、名前があるんだ。聞きたいか?」

「へぇ…。銘のある剣なのか。そいつは高く売れそうだ。なんて名前なんだい?」

真っ二つの剣ソード・オブ・スラッシングだ!」

 オデンは剣を地に置いた態勢のまま剣を抜くと、柄を声のする方に投げはなった。

「なっ」

 追い剥ぎは間抜けな声を出してのけぞった。

 オデンは地を蹴る。右手で抜き身になった愛剣真っ二つの剣を掴み、クロスボウの射線をかわすように身を低くして駆ける!

 ボルトが風を切る音が聞こえた。クロスボウはハッタリではなかった。

 だが、こうなっては手遅れだ。矢は二秒ほど前にオデンがいた場所に撃たれている。反応が遅い。戦うのは得意じゃないのかもしれない。所詮は、ケチな追い剥ぎだった。


 一方、オデンの瞳は敵を確実に捉えていた。


 剣でクロスボウを、文字通り真っ二つにする。これで相手は無力化した。そのままのしかかり、追い剥ぎの小さな体を組み敷く。


 オデンが鞘を投げ放ってから六秒。決着はついた。

 斬り殺さなかったのは、この追い剥ぎから殺意を感じなかったからだ。


 しかし。

「何しやがるんだ! せっかく買ったクロスボウを壊しやがって! 高かったんだぞ!」

 状況が分かっているんだろうか? 追い剥ぎはオデンの下でジタバタもがきながら、的はずれな抗議をする。

「剣を黙ってそこに置いていってくれれば、何もしなかったのに!!」

「狙う相手が悪かったんだ。追い剥ぎ失格だな」

「仕方ないだろ! 追い剥ぎなんて、今日が初めてなんだから!」

「子供が追い剥ぎなどやるな!」

「子供じゃねーよ。オレはデッテだ!」

 デッテと言われ、改めて追い剥ぎを見る。


 デッテ族。

 成人で、人間で言えば12歳くらいの子供程度の体格にしかならない小型の亜人だ。手先が器用で敏速で、隠密行動が得意。その特性を生かして人間の軍隊に斥候や伝令として雇われることもある。


 しかしこの追い剥ぎのように、盗賊稼業に手を染めるものも少なくない。

 デッテは草原に住む陽気な種族だったが、人間社会に依存するうちに、「人間からかすめ取る」というを知ってしまったのだ。

「デッテなら空き巣でもやってればよかっただろう。なぜ追い剥ぎなんてやったんだ」

「まとまったカネが必要なんだよ! それ以外の理由があるか! こんな危ないこと、やりたくてやったわけじゃない!」

 つまり、何度も追い剥ぎなどやりたくないから、「一攫千金」を狙ったというわけか。


 馬鹿らしい。


 真っ二つの剣に目をつけたのは慧眼だったが、しかしオデンの技量までは考えなかったらしい。実に短絡的であるが、深慮しないデッテらしいとも言える。


 デッテは気配を消すのがうまいし、足音を立てずに歩く技に長ける。このようなデッテの特技は、草原での狩りに適応していった結果らしい。

 、隠れたデッテを探し出すのは難しいのだ。

 実際、このデッテも明確な殺意を持ってオデンに矢を放っていれば、本当に死んでいたかもしれない。

 しかし、デッテは後先を考えないし、深く物事を考えない。だから罪の意識は低いし、ゆえに盗賊稼業にとまどいがない。

 だから、盗みはともかく追い剥ぎなどやらせると、こんな間抜けが出てくるのだ。


 丸腰のデッテを殺してしまうのは簡単だ。でも、この追い剥ぎを殺してもオデンになんらメリットもない。

 おそらくこのデッテは、街道の十字路あたりでオデンに目をつけたはずだ。追い剥ぎをするのに、人の行き来のない森の中に潜むのは効率が悪い。

 殺意がなかったのも、ここまで奇襲せずに尾行してきたのも、「殺し」に抵抗があったためだろう。おそらくこのデッテは、今まで一度も人を殺していない。でなければ、森の中でオデンを撃ち殺し、剣を奪うこともできたのだ。

 追い剥ぎは許されざる行為だが、殺すことで生き延びてきたオデンからすれば、その罪も軽く思えた。

「一つ聞く。このへんで黒い東方服を着た女を見なかったか? 答えたら解放してやる」

「知らないよ。離せ!」

 オデンはため息をつき、立ち上がった。

 デッテは素早くオデンから離れると、2つに切られたクロスボウを拾いあげた。

「覚えてろよ! いつかオレを生かしたことを後悔させてやるからな!」

 戦場で何度と聞いた、使い古された捨て台詞を残し、デッテはトーロイの林へと消えていった。

 だが、その言葉を聞いた後、後悔したことなど一度もなかった。


 二度と会いたくないと思いつつ、オデンは投げた鞘を拾い上げると、祠の後ろの遺跡へと向かった。


 祠と遺跡を見て、ねる子はこのあたりにいると、確信に近いものを感じていた。


(つづく)

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