第3話 禿鷲のイヴァン
「おーい、
オデンが
「よし、わかったっ!」
声に応じたのは、オデンの視線の先にいた、橋の衛兵たちだった。
彼らは階段の先に置かれた台座に鎮座していた、大きな銀色の牛の像を二人がかりで持ち上げると、おもむろに台座の手前の穴の中へと落とした。
まもなく、鎖がジャリジャリと擦れ合う音が橋の内部に響き渡った。
振り返ると、荷馬車を載せたリフトがせり上がってくる。
丁度いい。これで楽して橋の階段をあがれる。
リフトの利用は有料だが、橋を登る途中でリフトがあがってきた場合、それに乗るのは無料とされていた。
下りの利用者がいる場合はリフトは使われないが、この時橋にいたのは橋を上るオデンだけだったので、衛兵は気を利かせてリフトを動かしてくれたのだろう。
リフトは、まもなく橋の階段の上に到達した。オデンは軽く衛兵たちにお礼を言うと、飛竜橋を後にした。
飛竜橋の先は、崖の下とは景色が異なる。
森の中へと伸びる道の先には、国境を守る砦と防壁がある。
この砦を隔てて接するムステラ・ハン国とは、比較的穏当な関係が保たれているが、国境付近に広がるオーカサス山脈は危険な獣や凶暴な亜人の住処であり、砦を守るデルピュネー国境警備隊は、人の
深い森は防衛上の理由で拓かれず、しかも街道はわざと曲がりくねった造りとなっていたため、旅人、特に隊商にはすこぶる評判が悪かった。
「さてと、まずは『館』に行ってみようか」
森の中には、砦に関連した施設がいくつか点在している。兵士の宿舎であったり、戦時には臨時の砦になるような建物である。
これから向かう
街道を挟むように築かれた土塁の上に建てられているのが、荒鷲の館だ。反対側にも同型の建物があり、こちらは「
土塁の先は深い空堀になっており、平時はここに跳ね橋がかけられている。いわゆる内堀だ。国境の防壁が破られたら橋が上げられ、ここが第二の防衛線となる。
荒鷲の館の門前に、
肩に槍をかついだまま、館の石段の前に座り込んでいる。一見重装のように見えるが、兜はかぶらず、毛髪が後退した頭部を晒している。
「隊長自らがサボリとは、感心しないな」
鎖帷子の男は特に焦る様子でもなく、ゆっくりとオデンの方に顔を向けた。
「なんだ、
荒鷲の館守備隊の長、
イヴァンは元より、表情と感情の起伏が少ない男だ。彼の言葉は強いだが、表情はいつだって読み取れない。禿げ上がった頭とあわさって、年険しい印象すら受ける。
いかにも、歴戦の軍人といった容貌の男だ。年齢も、オデンよりも上だろう。
「ここを見るんだ」
イヴァンは槍の石突で、地面を指した。
「これは?」
「見ての通り、足跡だ。それ以外の何に見える」
イヴァンは、このようなつまらない言い方をする男だった。
比較的大きな足跡だ。だがオーガやオークほどではない。人間の成人男性のものだろう。
「俺は時折、道に水を撒いてるんだ。ぬかるんだ道に残った足跡が、この街道を通る人間のことを教えてくれるからな」
「それで見つけたのが、これか」
「俺の記憶が確かならだが、この足跡は、ゴジャール人のものに間違いない」
「ゴジャール人だと?」
ここでもまた、ゴジャール人だ。
「ゴジャール人は、元は定住しない騎馬民族だ。だから、靴も
「よく知ってるな」
そんな違いなど、オデンには分からなかった。
「惹かれたんだよ、俺はゴジャールに」
そう言いながら、イヴァンは立ち上がった。
「
「なるほどな。ゴジャールには詳しいのか?」
「詳しいと自慢できるほどではないが、兵学校に置かれていた本は一通り読んだ」
「なら…」
オデンは、ねる子のことを訪ねてみた。
「黒装束とゴジャールにどのような関係があるかまではわからないが、ただ昨晩、それらしい姿は見た」
「どこで」
「この先の十字路だ。国境の砦から館に戻る途中で見かけた。いかにも怪しい姿だったので誰何しようとしたが、こちらの気配に気づいて北の方へと逃げられてしまった」
「逃げた?」
「俺にはそう見えた」
「北には何があるのだ?」
「さあな。この森は防衛上の理由で、その
「行ってみたいのだが」
「木こりや狩人が働いている場所だし、歩くのに許可が必要なところじゃない。今は戦時ではないし、誰かに咎められることもないだろう」
それでも、と言い、イヴァンは腰の革袋から、手のひらに収まるほどの
「これが通行証の代わりになるはずだ。もし夜遅くなって誰かに呼び止められたら、これを見せるがいい」
金属板を受け取り、オデンは館の前を去った。
空堀にかかる跳ね橋を通り、さらに道の先へ。
ねる子は果たして、どこに行こうとしているのだろうか。そして度々その名を聞くゴジャールとの関係とは…。
オデンはどこか、きな臭いものを感じていた。
(いよいよ、こいつの出番かもな)
オデンは飛竜橋を渡る時と同じように、腰の剣の柄をひと撫でした。
(つづく)
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