第31話「ナナの人気」
座学を終えた翌日。
早朝、クロエはレイピアの運用と柔術を教わり、それが終わると仕事があるから汗を流してくると言ってアルたちと別れた。
執務室に残る二人。
「さて、お姫様。今日の予定は?」
アルはナナに語り掛ける。
「そうですね。今日は城下町へ行く予定ですが……」
ナナはそう言いながら執務室を見回す。
細かい動きの特訓ではあるが、剣はぶんぶん振り回し、柔術をやる時も見本を見せればそれなりに派手な動きになる。
故に、資料は散らばり、本がとっ散らかっていた。
部屋の中に大嵐でも吹き荒れたようだ。
「これを片付けてから行きましょうか。クロエも綺麗な部屋で仕事をする方が気分が良いと思います」
「……だな」
アルはナナと共に掃除をしてから部屋を出た。
まだアルが護衛を始めてさほど時間が経っていないが、城内を歩き回っていても変な目で見られることは少なくなった。
「貴族共も俺を気にしなくなったな」
「アルさんが決まって睨むからですよ」
「うざってぇんだからしょうがねぇだろ。それより今日はお忍びフードは要らないのか?」
今日のナナは動きやすそうな私服でフード付きの外套は羽織っていない。
しかも歩いている通路は食堂に続く通路ではなく、正面の入り口に繋がる最も大きい通路だ。これだと外出がバレてしまう。
「大丈夫です。怒られるのは護衛なしの外出なので」
「意外と心が広い王様代行の兄貴だな……」
そうして城下町に繰り出した二人の足取りは——非常に重たかった。
勿論、良い意味で。
「「「姫様ー! 遊んで遊んでー!」」」
「おう! ナナちゃん! 今日も良い野菜入ってるよ! どうだい!」
「ナナ様! つい先日は助かりました! 私の絵を買って下さりありがとうございます!!」
「姫様! 新メニューの試食を!」
町に出た途端、これだ。
子どもたちに怖がられることなく囲まれ、八百屋の店主やレストランのシェフに店に連れ込まれ、芸術家たちからも際限なく絡まれる。
ナナはそれらを嫌がるでもなく笑顔で対応する。全部。
また今度、なんて台詞はない。子どもたちと遊び、試食を頼まれれば漏れなく正直な感想を置いていった。
「ふぅ……なんか付き添いってのも疲れるな」
一段落したアルは大量に貰った野菜が入った紙袋をベンチに置き、座る。
大きく息を吐き出しているとナナがコップを差し出した。
「どうぞ。新メニューらしいですよ」
「美味しいかどうかは分からないのか」
「新メニューですから」
甘い香りから果物を使ったジュースらしく、中には白い球体が幾つか入っている。
アルはジュースを口に含み、白い玉も同時に食べた。もちもちしているだけで特に味はない。
「カグツチのしらたまをジュースに入れてみたらしいです」
「別々の方が美味いだろ。これ」
「わたくしもそう思いました」
「それかジュースを濃いめにするのが良いかもな」
ジュースの味がさっぱりしている所為で白玉に絡んでいない。
だが、一息入れるには丁度良い甘さだ。
「いつもこんなことしてるのか?」
「そうですね。クロエがフリーな時にはこうして国内を見回っています。その場で解決したり、後でであればお忍びで行く時も」
「それであの人気か」
「皆さん、とても良い人なんです。こうやって休憩していればそっとしておいてくれますし」
「それは俺が殺気を出してるからだぞ」
「わたくしの国民になんてことするんですか!」
「冗談だよ」
本気で怒られたアルはケラケラと笑う。
そうやってアルとナナが談笑している中に近寄ってくる人物が居た。
アルも見慣れたレヴィアの白い騎士服を身に纏った男。腰には剣を帯びており、一般的な騎士の姿であるが他の騎士と違う箇所がある。
それはマントの色だ。
今まで見てきた騎士は白いマントだったのに対し、青いマントを羽織っている。
「久しぶりの堂々外出ですね。殿下」
「今日は護衛がちゃーんと居ますので」
「おや、と言うと君が噂の冒険者の」
「誰だお前」
掌に顎を乗っけたアルが男を睨む。
「アルさん。こちらはレヴィアの騎士団長です」
「初めまして。ロリス・ホプキンス、呼び名は何でも構いません」
「騎士団長が何の用だ? 喧嘩なら買うぜ」
騎士団長が背負った大剣を見ながらアルが言うと、騎士団長が笑う。
「ははは、勘弁して欲しいですね。トーナメントが近いのに出場停止になるほどの怪我を負うのは頂けません」
「なんだ。ちゃんと騎士団長やってんだな」
「相手の力量を見抜けないようではまだまだ三流でしょう。それにクロエ殿と立ち会っているのを見ていましたから。進捗はどうです?」
「教えると思うのか?」
「どうしてそんなに敵意剥き出しなのかな……?」
どれだけ下から話しても高圧的なアルにロリスが困惑する。
王女の信頼している護衛でもここまでの対応をされて気分が良いはずがない。
「クロエの敵にペラペラ喋れるかよ」
「アルさん、大丈夫ですよ! ロリスはわたくしの支持者ですから!」
「そうなのか。騎士団の奴らは全員敵かと思ってたんだが」
「まさか。多くが殿下を批判している影響で言い出せないだけでしょう。数が多いとは言い切れませんが」
「それでも手札を相手には教えねぇよ。ま、俺の予想図では優勝間違いなしだ」
アルはどこまでも実践的な考えだ。技術の見栄えは度外視、相手を如何に殺せるか、無力化するか、と言うことに重きを置いている。
当然、持っている技術を見せびらかすこともなければ、不必要に話さない。
斯く言うアルも未だにアリスやジゼット、ゼドにすら教えていない奥の手がある。
アルの口振りに納得したロリスは優しく微笑んだ。
「それは楽しみですね」
「ところでロリスは何を? こんな昼間から出歩いてるのは珍しいですね。普段は団員が見回りをしているはずでは?」
「最近、妙な話を耳にするんです」
「「妙な話?」」
口を揃える二人に頷き、ロリスは話し始めた。
「空を飛ぶ謎の影の話が色んなところで噂になっているんですよ」
「い、色んなところで、ですか?」
「はい。夜、眠れなくて起き、窓の外を見たら——と言う報告が何件か見られたので自分も出向いている次第です。それと」
「それと? そんな変な噂の他になんかあるのか?」
「レヴィア領で魔族の目撃証言がありました」
「えっ? 魔族ですか!?」
なんだか慌てていたナナは何故か魔族と聞いて落ち着きを取り戻した。
「もしかしてそいつはスーツみたいなの着てて、落ち着いた口調の奴か?」
「もしやご存じで?」
「レヴィアに来る途中に変な魔族に会った。おかげで森が真っ黒焦げだ。アリスが居なかったらどうなってたことか」
どうやって行使したのか分からない火の魔術は辺り一帯を焼き尽くそうとした。
残念ながらアルに水を操ることは不可能なのでアリスが居なかったら大規模な火事になっていただろう。
「そうでしたか。あの焦げ跡は魔族の……その後は?」
「消化した時の水蒸気に紛れて逃げちまった。警戒はしといた方が良いかもな」
「そのようですね」
「ナナのことは任せとけ。俺が護衛である以上、絶対に守るし、襲ってきた奴はぶっ殺す」
アルはロリスに拳を見せ付けた。
ロリスと別れ、ナナも国内視察を終えた。
その後はとある目的の為、アルはナナを連れて街中を歩き回る。歩き回って歩き回ってアリスを探せど見つからない。
露店を出すとは聞いていたが、場所までは聞いていなかった。
「居ねぇな。ナナ、なんか見覚えのない金髪碧眼の少女が露店を出してる話聞いたか?」
「それでしたら確かこちらの方でやってると聞きましたよ」
「最初からナナに聞くべきだったな……」
パーティメンバーのはずなのにアリスの露店までの道のりをナナに案内して貰う。
それはレヴィアの冒険者ギルドに行くルートで、面倒事に巻き込まれそうだったからアルが避けていた場所。そんなギルドへの道中にアリスは店を出していた。
急造にしてはしっかりした出店を立てている。錬金術だろう。
「こんなところでやってたのか」
「冒険者に売り込むのが一番です。狂戦士が居ると言うことはそちらの方がお姫様ですか」
「初めまして。ナナ・アルファ・シーンです!」
「アリス。ここを出るまでは急拵えの店をやっているのでよろしくお願いします」
普段なら絶対に家名を名乗るはずのアリスが名乗らない。
何故なのか、アルは大体予想が付いたので追求はしなかった。
「定期連絡ですか」
「いや、メインは依頼だ」
言いながらアルはアリスに作って貰った異次元ポケットから魔術書を取り出す。
アリスはアルにしか気付けないほど一瞬だけ目を見開いた。
その魔術書はルミナが遺した物で、汎用性の高い攻撃魔術が書かれた一冊。
「これを増やしてくれ。取り敢えず二、三冊あれば十分だ」
渋い顔をしながらも魔術書を受け取るアリス。
「良いですが、何故私に? 印刷技術くらいあるでしょう」
「今、クロエを鍛えてるって話しただろ。クロエをトーナメントで優勝させる為だ。魔術書は隠し球にしておく」
「流通させるのは大会が終わってから、と言うことですか」
「それなら魔術書の需要も上がるし、使い方もバッチリ分かる」
「姫様が、と言うより国が専売すれば儲けも出そうですね。他の国にも売り込めます」
「そっか……ルミナ様の魔術書は交易にも使えるのですね」
アルから魔術書の使い方を教えられた矢先にそれ以外の使い方も知り、ナナの目から鱗が溢れ出る。
「全く今の今まで魔術書の使い方を気付けなかったってどんな怠慢ですか。引き継ぐ必要なんてないんですよ。あるがままを使えば良いだけなのに」
「耳の痛い話です……」
ルミナが宮廷を去り、この世から去ってもずっと明るみに出なかった魔術書。
これを機に少しずつ世界に広まっていくだろう。魔力さえあれば誰でも使える便利な技術として。
「何年後かにはルミナって奴の後継者が現れるかもな」
使える人が増えれば造詣を深める人物も居るかも知れない。
しかし、アリスは首を横に振った。
「発展するとしたら狂戦士の弟のような魔法陣でしょう。魔術書は魔術や魔法の才があれば重宝しませんから」
魔術書の利点は使い勝手の良さ。イメージを膨らませる必要もなければ杖も必要ない。反面、魔術のような自在性には乏しく、ド派手な威力を出すのも向かない。
最初こそ注目されるが、最後には民間人の自衛目的が大多数になるだろう。
「騎士が魔導士とタッグ組んだ方が手っ取り早いよな」
「だからと言って魔術書を甘く見てると痛い目を見るんです。間違いなく損はしない代物ですよ」
「それをクロエが証明する訳ですね」
「私も楽しく観戦させて貰いますよ。お姫様」
ナナに優しく微笑むアリス。
「お前……」
「何ですか?」
「愛想良くとか出来たんだな」
「ぶっ飛ばしますよ。魔族領まで」
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