第22話「聡明な者」
アリスはアルを見据えて気合いを入れる。
風のブーストで一気に距離を詰め、杖の先端に描いたのは緑色の魔法陣。
「物理法則なら防壁は関係ない」
前方のアルに向かって強風を凝縮した空気砲を放つ。
軽々しく吹っ飛んだアルは風に抗い、空中で姿勢を持ち直す。背後に迫っていた家の壁を蹴り、空中歩行で追い掛けてきたアリスまでひとっ飛び。
「この状況で空中戦を選ぶとはロバーツらしくない」
アルの頭上から地面に向かって吹き荒れる一陣の風。
そして地面に突き落とされたアルが見上げた空にはあるものが浮かんでいた。
「——!」
水玉と呼ぶには大きい。人をも飲み込む水のドーム。
その水球は反応が遅れたアルに容赦なく降り掛かる。
大質量の水がアルを捕食し、アリスは水の形が崩れるよりも早くその水を瞬時に凍結させた。
「おおおおおおおお!」
「凄いです! 凄いですよアリスさん!」
狂戦士入りの水晶玉が出来上がったことで何処からともなく歓声が沸き、アリスにも聞き覚えのある僧侶の声まで広場に届く。
だが、ヴァンマルクはジッと氷を見つめ、言う。
「浮かれるには早い」
その声に呼応するかのように氷に一筋の白線。
ひび割れは次第に増えて広がり、氷の割れる爽快な音と共にアルが飛び出した。が、恐怖の笑みは少し強張っている。
「まだ動けますか……ですが」
アリスが見る限り、アルの限界は近い。
アーノルドと魔法全開で戦い、アリスと連戦。氷漬けにされて力任せに出てくるような戦い方をしているのだから言うまでもないだろう。
「氷は抜け出せてもこっちは無理でしょう」
アリスは魔法陣を描くのも面倒になり、杖を適当に振る。道路を組み替え、丈夫に作り替えた石でアルをガッチリ捕獲。生きた胸像のようになった。
アルは必死にもがくが抜け出せないようだ。
「ふふっ、ちょっと滑稽ですね。レイニー、来て良いですよ」
「うぅ、これ壊れませんか?」
怖がりながらもジゼットがアルに近付く。
「壊れません。魔力で作ってないので誰かが壊すか私が分解するまでこのままです」
「魔術じゃないんだぁ……凄いね……」
「っ!」
ジゼットはアリスの誘いに応じても他の騎士団は来ない。話を聞かれないだろうと油断していたアリスは聞こえてきた声に表情を変える。
近付いて来ていたのはジゼットが助けようとしていた魔術師と風船少女。
「そんな顔で見ないでよ。もしかして隠していたの?」
「そうです。黙っていられないと言うのならそれ相応の対応を……」
「大丈夫。隠しておくわよ。命の恩人の頼みだもの。私はケイト・レコーナ。宜しくね」
ケイトが差し出した右手をアリスはおずおずと握り返す。
「アリス・ガードナー」
「アリスちゃんね。にしても……アルさん、戻るの?」
「一応、時間経過で眠りこけると聞いていたんですが……」
アルはまだ身を捩り、脱出しようとしている。その様子をしゃがみ込んだ風船少女が悲しそうな目で見上げていた。
「ねぇねぇ、アル兄ちゃん。お腹空いてない?」
「がああああああ!」
アルは答えない。必死に石の檻から抜け出そうとしている。
それでも風船少女は声を掛け続ける。
「あれだけ一杯戦ってくれた。血だって出た。アル兄ちゃんなら知ってるよね? 血を作るにはお肉が良いんだって! 待ってて!」
「レコーナ。一緒に行ってあげて下さい。残党が居るかも知れません」
「分かったわ!」
ケイトは素直にアリスの指示を聞き入れ、風船少女を追い掛けた。
暫くして風船少女はバスケットを抱えて広場に戻って来た。かなり全速力で走ったようで、汗を額に流している。
背後から両親と思しき男女が追い掛けてきたが、アルに近付くのを恐れて止まる。
「ねね! アリスさん! これ、アル兄ちゃんに食べさせてあげたいの!」
風船少女はバスケットの中からサンドイッチを取り出し、アリスに見せる。
三角形に切られたパンの間には揚げ物。カツサンドだ。
「どうぞ食べさせてあげて下さい」
「でも……指まで噛まれない?」
「バスケットごとロバーツに近付ければ良いんじゃないですか?」
「届かない……」
「私に任せなさい」
ケイトが風船少女を脇の下から持ち上げる。
これでアルの口がバスケットの底まで届く。
「シャリー! 危ないわよ! 戻って来なさい!」
「嫌!」
遠くから叫ぶ母親に風船少女——シャリーは首をぶんぶん横に振る。
そうしている間にもアルは一心不乱にバスケットの中にあるサンドイッチを貪る。どんな食べ方をしているのか見えないが、綺麗でないことだけは分かった。
「あっ、もう終わっちゃった」
バスケットが軽くなった。
ケイトに降ろして貰ったシャリーはアリスたちと共にアルを見る。
あんなに元気だったアルとは打って変わり、瞼が半分落ちた状態で、こくりこくりと首を揺らす。
最後には眠ってしまった。
アリスはアルが眠ったのを確認し、石を元に戻す。
そして崩れ落ちるアルをシャリーが優しく受け止め、膝枕。
「戦闘態勢!」
ヴァンマルクが抜剣。
それに続いて周りの魔術師たちが杖をアルに一点集中。
まさかまさかの一触即発——その空気にアリスも杖を投げ捨てる。魔術師のフリなんかしていられない。
「ちょいちょいちょい団長! 一般市民も居るのになんてことしてるんですか!?」
ケイトが慌ててシャリーたちとヴァンマルクの間に入る。団長相手でも遠慮せず、意見を伝えるが。
「だったらそこから市民を避難させろ。その距離ではもしもの時に庇いきれんぞ」
「そうじゃなくて……!」
「そうよ! 騎士団長様の言う通り! シャリー! 早く戻りなさい!」
「その危ない男から離れるんだ!」
ヴァンマルクは聞く耳を持たない。加勢しろと言わんばかりにケイトを見る。
シャリーの両親も娘をアルから遠ざけようとする。
ジゼットはと言えば顔面蒼白でおろおろきょろきょろ。ふと、アリスを見てギョッとする。
隣ではアリスが拳を硬く握りながら周りの騎士団を形容し難い顔で睨んでいた。
しかし、今直ぐにでも爆発してしまいそうなアリスより先に動いたのは——
「お母さんとお父さんの馬鹿ああああああ!」
シャリーだった。
少女の叫びに両親は鳩が豆鉄砲を喰らったように呆け、ヴァンマルク含めた騎士団たちも狼狽するが唯一人、アリスだけが上機嫌になる。
「なんで……? アル兄ちゃんは皆んなを助けてくれたのに酷いこと言うの?」
アルは魔獣退治をしながら逃げ遅れた人々を庇い、助けた。その中には両親も居たことを、逃げ遅れたシャリーは知っている。
「こんなに怪我して……戦って……助けたのに……酷いよ。なんで悪く言えるの?」
哀しさで震えた声色に圧が込められる。
鋭く突き刺さる娘の発言に両親が口籠もった。
「そうですよ。ロバーツはこの騒動を解決した立役者の一人と言って良いでしょう。少しくらい感謝はないんですか?」
アリスが周りを小馬鹿にするように、言った。
「でもそいつは昔、親友を殺したんだぞ!」
「私は今の話をしているんですが?」
「今回だって一緒だろ! 暴走して、誰かが殺されてたかも知れないんだ!」
「そんな奴に感謝なんか出来るか!」
たった一人が勢い付けば周りも便乗する。加速するアルへのヘイトで騒がしくなる広場。
アリスは爆弾を一つ取り出し、空高く投げ上げ、火球をぶつける。
空で爆発した爆弾は激しい閃光と爆音から——広場に静寂が訪れる。
そして、アリスが最初に発言した魔術師に向き合う。
「現実を認識出来ない馬鹿なんですね。騎士団長、頭のトレーニングを訓練に入れた方が良いですよ……あぁ、でもお前も似たような頭してるから無理か」
「はぁ? 俺と団長が馬鹿だって!?」
「今さっき、お前の言葉に同調してた奴ら全員馬鹿です」
「何がだよ!?」
「なら聞きますが、何処にロバーツの殺した誰かが居るんですか?」
「それは……」
答えられるはずがない。
何せ暴走したアルは誰も殺していない。しかも、暴走してからアリスとシャリーがアルを眠らせる今まで周りの人々はアルを見ていた。
つまり、この場に居る全員がその事実を知っているのだ。
「居ませんよね? だって今回のロバーツは魔獣を倒し、下手な騎士では瞬殺される魔族を完璧にぶっ飛ばしただけですから。暴走後は私とこの小さな勇者が止めましたし」
アリスはアルを介抱するシャリーに微笑む。
どう言った経緯かはともかく、アルを眠らせるのに荒々しい手段を使わなくて済んだのは間違いなくシャリーのおかげだ。アルの魔法はまだまだ不明な点だらけである。
だが。
「それだってただの偶然じゃないかよ。あんたが居なかったら危なかったんだぞ!」
それでも魔術師は食い下がる。
一度、始めてしまった手前、引くに引けなくなってしまっている。
「偶然?」
「アル兄ちゃんはそんな馬鹿じゃない」
アリスに鼻で笑われ、シャリーに馬鹿はどっちだ、と詰められる魔術師。
「認識の順番が間違っていますよ。暴走した後に私が来たんじゃない。私が居たからロバーツは魔法を解放したんです」
今回の暴走はアリスが止めること前提だった。
なのに被害者が出なかったのが偶然だなんて的外れも良いところだ。
親友を殺した時と違い、アルは既に暴走することを知っている。その上で何の対策も立てずに魔法を使うほど馬鹿ではない。
「悲しいものですね。確かにロバーツは荒々しくて口も悪い、直ぐに手が出るし、敵も一杯作っているでしょう。ですが、この騒動を全力で止めたいと言う願いはあなたたちと変わらなかったはずなのに」
アリスが辺りを見渡す。ヴァンマルクや騎士たちは剣を構え、魔術師たちは今も尚、杖をアルに向けていた。
「ロバーツの想いを理解出来た聡明な者はたったこれだけ」
それに対してアルの近くに集まっているのはアリス、ジゼット、シャリー、ケイト。
シャリーはヴァンマルクを恨めしそうな目で見つめ、ケイトも仲間の団員たちに強い眼差しを向けている。
歯向かってでもアルを庇おうとする同僚やアリス、シャリーたちの気迫に魔術師は動揺する。
「何なんだよ……お前」
「私はロバーツパーティの錬……賢者アリス。アリス・ガードナー。その足りない頭に無理矢理にでも突っ込んでおくと良いでしょう」
「賢者……だと?」
ヴァンマルクの怪訝な視線にアリスは勝ち誇った表情を見せつけ、言う。
「ほら、さっさと解散して下さい。功労者をこんな場所に寝かせておくのはロバーツでも可哀想です。それに私たちにずっと構ってる暇あるんですか?」
アリスはアルを助ける前に空飛ぶ魔獣を蹴散らしてきた。魔獣は一掃したが、あちこちで怪我をした騎士団や冒険者、市民が居るのを見ている。
あれらを保護するのも騎士団の仕事だろう。残党の可能性だって捨て切れない。
何時まで危険のないアルを見張っているつもりだ、とアリスはヴァンマルクに圧を掛ける。
「良し。行きますよ。レイニー、ロバーツを抱えて下さい」
「わたし!?」
「当たり前でしょう。私やこんな小さな女の子に持たせるつもりですか?」
アリスはまだしもシャリーではとてもアルを運べない。
ジゼットは恐る恐るアルを背負う。
本当に良く眠っている。起きる様子は感じられない。
「何処に運ぶんですか?」
「寝床があるなら良いですが……私の家は遠いですね。シャリーちゃんの家も」
アリスはチラリとシャリーの両親を見る。あれだけ心配しているような発言をしている癖に、決して娘を引き剥がそうと近付いて来たりはしない。
とても協力を仰ぐのは無理そうだ。
そこで助け舟のオールを漕いだのはケイト。
「はいはいはーい! 私の家が近くにあるわよ!」
「良いんですか?」
「もっちろん。困った人を助けるのも仕事の一環よ。お父さんのベッドを借りれば問題ないでしょ。さぁこっちへ」
「ありがとう、お姉ちゃん!」
先行するケイトにアルを背負ったジゼットが続き、シャリーもその後ろを追う。最後尾のアリスはヴァンマルクを一瞥して、その場を後にする。
再来した悪夢は何事もなく終わりを告げた。
ケイトと言う新たな理解者を得て。
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