第34話 最初から、最後まで、全部、私だったよ(加筆修正分)
三日後。相変わらず僕が「僕」に干渉することが叶わないまま、無為に時間を過ごしてしまった。梓との関係は、変わらず冷え込んだまま。
普段より遅い時間に目を覚ましては、適当に焼いたパンを牛乳で流し込んで雑な朝食にし、寝癖を直す暇もないまま「僕」は制服に着替えて学校に出かけた。
ただ、これまでの時間とひとつだけ違う点があるとするなら、
(……あ、梓? 何で喧嘩中なのに僕の家の前で待ってるんだ……? こんな時間ギリギリまで)
梓が、少しだけ申し訳なさそうな表情で、玄関前に俯きながら立っていたことだ。
それと共に、ある違和感を僕は覚える。
(……なんか、梓のスマホのストラップ、心なしか白く光ってないか……?)
まるで、これから何か起こしますよ、そう言わんばかりの主張。
(……まさか!)
──事故に遭った日の朝に、お母さんから凌佑のお母さんが亡くなった理由、聞いて
──謝るつもりだったんだ。でも、最後まで凌佑は私のこと『たかのさん』って呼んで怒ったままだったし
──謝る間もなく、凌佑は車に轢かれるし……
「あっ、あのっ、凌佑っ!」
家から出てきた「僕」を見つけては、梓は少しだけきまり悪そうに視線をあちらこちらに遊ばせてから、
「そ、その……い、言いたいことが」
きっと、謝ろうとしたんだ。先に折れようとしてくれたんだ。なのに、
「……早く行かないと、遅刻するけど。たかのさん」
(……マジで「僕」いい加減にしろよ! そこ代われ、今すぐ代われ!)
「僕」は梓の話をまったく取り合わずに、駅の方角へとスタスタ早足で歩きだした。
「あっ、えっ」
梓は呆気に取られてしまい、数瞬固まっていたけど、ほどなくしてしゅんと落ち込んだ様子で「僕」の後を追い始めた。
(まずいまずいまずい……! 今日の放課後がタイムリミットだ、そうに違いない! 早く、早く仲直りしないと! でないと……って、あれ……?)
(もし、事故が起きる前に「僕」と梓が仲直りしたら、僕はどうなるんだ……?)
──せめて、せめて、仲直りだけは……したい、そう思って……無意識だった。別に、凌佑を生き返らせたいとか、そんなつもりは更々なかった。ただ、謝りたい、それだけを思ったら
過去を、やり直した。
……梓がタイムリープを決断したのは、僕と仲直りができなかったから。その原因を取り除いてしまえば。
僕だけがいない世界で、梓は生きていくことに、なるっていうのか。
行きの電車でも、通学路でも、「僕」は一切梓と口を聞かなかったし、昼休みに佑太と羽季に仲裁されても、態度を変えることはしなかった。
その間、僕は僕で浮かび出した疑念に頭を悩ませていた。
……何もしなければ、同じループを繰り返すことになる。仲直りできなかったことを悔いた梓が、タイムリープを試みて、僕の死をなかったことにする。
その辻褄合わせが、梓を襲うことになる。それが「現在」だ。
ならば、なんとかして僕が「僕」に干渉して、過去に干渉して、仲直りをしたとする。
それで、果たして事故は回避できるのだろうか?
二十回以上も、僕は都合の悪い未来を見て、やり直してきたんだ。
このときだけうまくいくなんてそんな生易しいこと、あるはずがない。
だとするなら、
(……僕が死んでも、梓がタイムリープしないルートに入る可能性が、高いのか?)
……なんでもするって、あのとき言ったよな。僕。
地獄に落ちてもいい、この先どんなことがあっても受け入れるから、って。言ったよな僕。そうまでして、祈って、希って、手に入れたチャンスなんだよな、これは。
欲しかったものは、梓の笑顔と、幸せだよな、そうだよな、僕。
……例え、それが僕に向けられないものでも、僕がいない世界のものだとしても。
守りたかったのは、世界でたったひとりだ。
……嘘になんかさせない。
それが、梓のためになるのなら、僕は、
放課後。帰りのホームルームが終わるなり、そそくさと帰り支度を整えた「僕」は、誰を待つまでもなく教室を出て、家路につこうとした。
「あっ、凌佑待って! わ、私、は、話したいことが──」
背後から、彼女の呼び止める声がするけど、「僕」はお構いなしだ。
「凌佑―、女の子に恥かかせるんじゃねーぞ」「保谷、そろそろ頭冷やしてもいいんじゃないのー」
「…………」
(頼む頼む頼む! 五分でいい! 五分だけでいいから僕に体を貸してくれ「僕」!)
階段を降りるときも、下駄箱で靴を履き替えるときも、生徒玄関から校門に向かうときも、
「ま、待ってよ凌佑っ! はっ、話くらい、聞いてくれてもっ」
梓は諦めることなく「僕」に追いすがってみせた。しかし、それでも「僕」は応じない。
ただ、彼女の気持ちは、それこそ過去をやり直してまで叶えたかったものだ。そう簡単に引き下がるわけもなく、校門を出たところで、
「いい加減にしてよっ! 凌佑!」
近くに他の生徒が歩いているのも憚らず、梓は「僕」の背中に抱きついてきた。
「なっ、ちょっ、ここどこだと思ってるんだよ!」
刹那、急に僕の心がドクドクと激しく脈を打つようになっていく。
「はっ、離せって、たっ、たかのさんっ」
「その呼びかた、やめてって! そんな他人行儀みたいな呼びかたで名前呼ばれるの、寂しいよ凌佑!」
……ああ、だからあんなに嫌がったんだね。僕が、梓のことを「たかのさん」って呼ぶのを。
思い出したくない過去を、なかったことにしたはずの過去を思い出してしまうから。
物理的にっていうのもあるだろうけど、背中越しに、梓の程よく温かい体温が伝う。いや、違う。これは体温だけじゃない。
「……私がいけなかったの! 凌佑のお母さんが亡くなった理由知らなかったから、それでっ! 凌佑の気持ち何も知らずに、無神経なこと言ってっ!」
……泣いて、いたんだ。君は。僕の背中で。
「いやっ、それはっ……」
あれ……? 喋れる? 今、僕が喋った? 僕の意思で僕が喋った?
梓の涙が、僕を解かしたのだろうか。
「……僕のほうも、言い過ぎたっていうか……」
十分あり得る話だ。だって、
僕が死んでまで幸せにしたいって願った女の子が、泣いていたんだ。
どうもしなかったら、そんなの。ただ、理想だけをモノローグで並べる痛い男じゃないか。
「……僕が悪かった。意固地になり過ぎていた。やっぱり、ひとりじゃ駄目な奴だよ、僕。あはは」
くるりと向きを変えて、泣きじゃくる梓の顔を胸元に収める。
「り、凌佑……」
僕がそう口にすると、梓は安心したように、涙が浮かんだ柔らかな瞳を指先で拭って、ツバキが咲いたみたいに微かに笑ってみせた。
うん。やっぱり、梓はそうでないと。
艶やかに伸びた黒い髪も、汚れのない真っ白な肌に、ほのかに浮かび上がる頬の桃色も。楕円がかった柔和な瞳も。
普段は真面目で、どこまでも真っすぐで。
僕にだけ見せてくれた、無邪気な笑みも。
そんな高野梓の全部が、僕はたまらなく──
辺りを歩いている生徒から、悲鳴に近い何かが聞こえてきた。恐らく、僕らを冷やかすものなんかではないだろう。その証拠に、僕にも、耳障りの悪い音が入ってきたから。
──好きだ。大好きだ。……人生を、賭けるくらいに。
その音に反応した僕は、視界にまったくもって止まる気配のない居眠り運転のトラックを捉えた。
……やっぱり、全部が全部、上手くいくわけないか。
でも、これでいいんだ。これが、本来の世界だったんだ。
君が、僕が一番幸せになって欲しい梓が、これで終わりのないループから抜け出せるのだったら、
「……ごめんね、梓。……約束、破って」
「え……? 凌佑……?」
僕は、梓の身体を、目一杯の力で押して、トラックの走るルートから逃がそうとした。
なのに。どうしてか、梓は僕の側にいたままだった。
「あ、梓? なんでっ……はやくっ、早く逃げないとっ……!」
計算外の出来事に、思わず僕はかぶりを振って視界をグルグルと揺らしてしまう。その際に、
「なっ……」
梓の右手が、しっかりと僕の左腕にしがみついていたんだ。
「……駄目だよ凌佑」
「約束したよね? 自己犠牲はなしだって」
逆に、梓が今度は僕を押して事故から救おうとする。
まっ、それじゃあ、それだと意味がっ!
また、また繰り返すのか、僕は!
背中から倒れていき、遠ざかる幼馴染の姿を見て、僕は思う。
──違ったんだ。犠牲じゃうまくいかないんだ。今までもそうだった。なら。
──梓のために、僕は僕が助かることを選んでみてもいいのかもしれない。
そうであるならば。
伸ばせ! 腕を伸ばせ!
今まで何度その手を離して、後悔してきたんだ。腕がちぎれるくらい伸ばせよ! もう五センチ、十センチ、伸びてくれよ!
それだけで、それだけでいいんだ。
右手を泳がせて、僕はなんとか梓の左腕を掴み取る。
「あっ、だっ、駄目だよ凌佑! それじゃあ──」
もう、目の前までトラックは迫ってきていた。なんだったら、ばっちりと驚愕と恐怖と後悔の目を浮かべた運転手の顔まで見えた。
「くっそおおおおおおお!」
右手がか細い梓の腕を掴んだと同時に、死ぬ気で僕は彼女の身体を引っ張った。
「言っただろ! 言っただろ梓! もう僕の前で死にたくないって!」
──だったら、
「助かってくれよ、今度こそ!」
梓も、僕のために梓が梓自身を助ける道を、選んで欲しい。
僕の背中が地面に叩きつけられ、強烈な痛みは走り抜けたとき、
「んぐっ、くっ!」
スローモーションみたいに流れていた景色はその速度を上げ、
キィィィィィィ!
急ブレーキ音と一緒に、トラックは僕らのすぐ側を通過して、学校の校門に激突した。
二十回目のやり直しで聞いたような衝撃音が、辺りに響き渡った。
「……はぁ……はぁ……はぁ……」
でも、仰向けに倒れた僕の両腕は、がっちりと無傷の梓を抱きしめていて、
緊張のあまり、荒くなった息をなんとか落ち着けようとして、
「……どこから。どこから梓だったの?」
そう、尋ねた。言葉の表面だけなぞれば、意味がわからない問いだったけど、
「……最初から、最後まで、全部、私だったよ」
梓はそう答えて、微笑んでみせた。
……そっか、そうだったんだ。僕と、同じだったのかな。君も、「君」のなかで、もどかしい思いをしていたのかな。
「……また、過去やり直しちゃったね」
「……そう、だね」
なんとか原型はある程度留めているトラックに目をやって、梓は言う。車内で運転手の人もなんとかではあるけど、動いているから、死人はひとりも出なかったのだろう。
「……凌佑のバカ」
それを見て、安心したのか、堰を切るように次々と梓から言葉が溢れてきた。
「……ごめん」
「バカ、バカバカバカバカバカっ、あんな格好つけて謝らないでよっ」
「……ごめん」
散々罵倒しているように見えるけど、そこに強い語気は窺えない。むしろ、潤んでさえいる。
「凌佑言ったよね。自己犠牲はナシだって。私たちふたりが一緒に幸せになれる未来を探すって!」
「……ごめん」
「……私もあまり人のこと言えないけどさ……。でも、でも……!」
「……ごめん」
「……私だって……! 凌佑が死ぬくらいだったら、自分が死ぬの選ぶに決まっている! 凌佑の幸せが一番欲しいものなんだから!」
梓の心のうつわから溢れた感情は、次々と涙雨に姿を変えて僕の頬に落ちる。言葉になって僕の耳に溶ける。熱となって、僕の手を伝う。
「……それを言ったら、僕も同じなんだよ。僕だって、梓が苦しむなら、僕が犠牲になるのを選ぶんだよ」
「……もう、何なんだろうね、私たち。私も凌佑も、揃いもそろってバカなのかな……」
「……バカでいいよ。直んないよ、こんなの。でも、きっとそれだけじゃ駄目だったんだ」
ぎゅっと、梓は僕を抱きしめる腕に力を込める。甘くて心地よいシャンプーとせっけんの香りが、僕の鼻腔をくすぐる。
僕は、止めていた二の句を継いだ。
「……お互いがお互いのために、自分のことを大事に、するべきだったんだよ」
「……それが、自己犠牲はナシ、の約束」
「わかっているようで、わかってなかった。……だから、うまくいかなかったんだ」
「……ここから先、どうなるんだろうね、私たち。また、同じループを延々と繰り返すのかな……」
そう、問題はそこだ。
僕と梓は、結局事故を回避してしまった。梓が二度目の世界でやったように。
本来梓のために僕だけが死ぬはずだった未来を、変えてしまった。
これでは、結局本題は解決しない、まま──
「……梓。つかぬこと聞くけど、あのストラップって、あんな光り輝くものだった?」
「え? 凌佑、何言っているの? って、あれっ?」
……朝の段階で、ほのかに光る程度だった砂時計のストラップが、今は直視できない太陽のように発光していた。
「……凌佑。このとき凌佑って、あのストラップ、スマホから外していたっけ」
「……いや、買ったときから外したことは一度もなかったけど」
「ズボンのポケットからはみ出しているの、凌佑のスマホだよね……?」
「そ、そうだけど……あれっ」
梓の言葉で自分のスマホにようやく意識を向けると、彼女の指摘通り、スマホにはつけているはずのストラップがついていない。
「……もしかして。だけどさ」
反対に、最後の一個である梓のストラップは、今まさに光を纏ったまま、その輪郭を徐々におぼろげにしようとしていた。
「……三度目の世界で、僕らはタイムリープできなくなるんじゃ」
一度目は梓が経験した悲しい過去。二度目は僕らが繰り返したループ。そして、今。
「えっ、でっ、でもっ! これがないと、私は凌佑のこと!」
「……そもそも、僕らを苦しめるためのものじゃなかったとしたら?」
「え? ど、どういう……」
「本当はただ、純粋に僕と梓のために、僕らを助けるために与えられた力だったとしたら?」
「……もう、必要ないから、消える、ってこと……?」
「……それ以外の説明を、僕は考えられない。でないと、ものが勝手に光り輝いて、消える理由が想像つかない」
「……そうなの、かな……? 本当に信じていいのかな……」
「……信じよう? 信じて、みようよ」
もう、ほとんど透明に近い色合いになったそれを視線に捉えたまま、僕は呟いた。
「……僕が、梓のために僕自身が幸せになろうとして、梓が、僕のために梓自身を幸せになろうとしてくれたら、きっと」
やがて、最後に残った輪郭さえも消えていって、光の粒だけが僕らふたりに残されて、
「このループは、終わってくれるんだ」
そして、青空のなかに、砂時計は溶けていった。
不思議な力を与えてくれた、僕らの青春の半分以上を占めたと言っても過言ではないそれは、跡形もなく、僕と梓、ふたりの視界から、姿を消したんだ。
「……お、終わったの……? 終わったってことなの……? もう、もう何も不安にならなくていいの? 凌佑」
「……そうだよ、そうに違いない。そうに決まっている。もう、もういいんだ。もう、全部終わったんだ」
そう口にすると、僕の上に乗っかっていた梓は、大粒の光り輝く雫を流し、聞いたことがないくらいの泣き声をあげだした。
「うっ、うっ……ひぅ、っっっ……うううう……っ!」
校門のほうから、事態を把握した先生が駆けつけてきて。そして、誰かが呼んでいてくれたであろう救急車のサイレンが遠くから鳴り響いてきていた。
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