第28話 じゃあどうしろって言うんだよ

 〇 *


 高校入学して初めて迎える夏、ひとつのニュースが私の耳に入ってきた。

「お、おい凌佑……今お前もしかして……女子の手作りお菓子を貰ったんじゃ……」

 昼休み、クラスの女子に呼び出された凌佑は、何やら可愛らしい包みを片手に私たちのところに戻ってきた。


「え? あ、ああ……なんか調理実習で作ったから、貰って下さいって……断るのもあれだし……」

 彼は、困ったように眉を三角にしつつ、席に座る。


「……まさかとは思うけど、告白されたりとか、じゃあないよな?」

「ははは、そんな馬鹿な、こんな僕みたいな奴に誰が……」

 そう言いながら、凌佑は貰ったお菓子をカバンにしまい、私の作ったお弁当を食べ始める。


 ……自分でああは言っているけど、凌佑はそれなりにモテる。大っぴらに人気があるとか、一目ぼれを誘うほど格好いいとか、そういうわけではないんだけど、凌佑は基本誰にでも優しいし人当たりもいいから、それで好きになっちゃう女の子は一定数いるんじゃないかと思っている。


 実際、今日の子もそうだったと思うし……。

 ……他の子に、取られちゃうのは……嫌だな……。


「いいなぁ、俺も誰かからお菓子貰いたいわ……」

「練馬の場合、もう少し行動を頭良くしないとー」

「なんだよーそれ」

 でも、昼休み中、凌佑の顔が浮かないままなのには、少し違和感があった。


 放課後、私は凌佑を誘って帰ろうと思い、声を掛けようとした。けど、

「ごめん、ちょっと用事あるから先に帰ってて」

 と彼は言いカバンを持ってどこかに行ってしまった。


「う、うん……」

 帰りの坂道をトボトボと下りつつ、私は駅へと向かっていった。

 今までこうやって一人で帰ることはたびたびあったけど、この日のそれに関しては、今までのとは違う寂しさが混ざっていた。


 次の日の朝。変わらず起こしに行って、ご飯も食べて登校するとき。囁くような小さな声で凌佑が私に言った。

「……ごめん、しばらく放課後一緒に帰れない……」

 あまりにも小さな声だったので、一瞬私に話したかのかもわからなかった。


「……あ、え? ……そっか」

 あの子、と帰る……ってことなのかな……。

 サーっと広がっていく灰色。まるで波に侵食されて沈んでいく砂のように、心が重くなる。


「……無理なら、仕方ないよね……」

「……ごめん」

 こんなに萎れた様子の凌佑を見るのも初めてだった。よく見れば、目もとにクマができているようにも。

 ……そんなに悩むような、ことだったのかな……。


「これからも、今まで通りでいいんだよね……?」

 それを聞くと、驚いたように目を見開いた凌佑は、これまた自信なさげに小さくボソボソと答えた。


「……うん。大丈夫」

「わかった」

 感じるドキドキは、きっと。

 凌佑がどこか遠くに行ってしまうのではないか、という不安と。

 誰かに取られてしまった、という自分の行動の遅さに対するあと残り。


 凌佑の宣言通り、その日の放課後から、一緒に帰ることはなくなった。それでも、幼馴染としての距離感は維持し続けた。

 それでも、どうしても私の凌佑に対する態度がぎこちなくなってしまうことはあった。凌佑も私に対して申し訳なさそうな表情をすることが多くなった。


 そんな状態を見かねた羽季が、

「パッと気晴らしにカラオケ行こう? ね? たまには遊ぼうよ」

 と言われ二人でカラオケに行くことになった。

 こうやって帰り道にどこか寄って遊ぶ、っていうのはなかなかやらなかった。というより、もしかしたら初めてかもしれない。


 新宿に寄ってカラオケに入った私と羽季は、三人くらいは入れる部屋に通された。

「じゃあ、私入れちゃうね」

 と言い、羽季は機械をいじっていく。

 あっと言う間に一曲目が入り、部屋中に明るい感じの曲が流れ始めた。


「さ、歌お歌おー」

 マイクを持つ彼女は、弾けるような声をあげて、場を盛り上げようとする。

 一曲目に入ったのは最近話題のグループの代表曲。ノリの良さと、テンポの速さが特徴だ。

 テンション高く歌いきり、羽季はマイクを私に渡してきた。


「え? え……?」

「ほら、梓も入れる、歌うっ。せっかくお金払ってカラオケ来たんだから、歌わないと損でしょ? はい」

「あ、う、うん……」

 羽季の勢いに押され、結局その後私達は一時間くらい歌い続けた。


 そして、お互いになんとなく曲を入れることがなくなった頃。

「……気分転換になった?」

 ドリンクバーのメロンソーダを飲みながら、羽季は尋ねた。


「最近、元気なさそうだったから」

 私の顔を見つめつつ、続ける彼女。

「……保谷のこと?」

「……うん」

 羽季は、そっか、と顔を上下にゆっくりと動かす。


「きっとさ、大丈夫だよ」

 優しく語り掛けるように、羽季は始めた。間を持たせて、二の句を継ぐ。

「あの次の日、保谷目もとにクマ作って来たんだよ? 十人が見れば十人が寝てないなってわかる。……それだけ、悩むようなことなんだから」

 モニターからはカラオケの宣伝の映像が延々と流れ続けている。私達はそれには気にも留めず、話を続ける。


「それに。保谷は告白をオーケーはしてない、って話らしいし」

「え……?」

 考えもしていなかった事実が告げられ、一瞬呆けた声が出た。

 ……付き合っているんじゃ、ないの……?


「あの日、確かに保谷は告白された。でも、保谷はオーケーも断りの返事もしていない。……まあ、あいつ、無駄に優しいところあるから、振れなかったのかもね。でも……きっとオーケーも出せなかった」

 明かされていく事の真相。私の想像と違う答えが提示され、理解が追いつかない。


「……告白されたとき、保谷は答えに詰まってた。らしい。……他に好きな人がいるんですか、って聞かれたときも、何も答えていないらしい。まあ、私が思うに、何も言わない時点で好きな人他にいるんでしょ、って思うけど、告白した子は無理に解釈して、『好きな人がいないならお試しでもいいんで付き合って下さい』って。……だから、多分長続きしないよ。保谷にその気がないなら、続くはずはない。だから、大丈夫。って話」


 そういう、話だったの……?

 じゃあ、今まで私に申し訳なさそうな表情や態度を取っていたのって……。


「保谷はちゃんと、梓のこと考えてる。大丈夫。だって梓が好きな人でじょ? その人が無神経なことするわけないじゃん」

 最後に羽季は少し表情を崩して笑みを浮かべた。

 少し、救われた気がしたんだ。


 それから数週間が経った。その間、私は変わらず凌佑の家に行っては彼を起こし、彼にお弁当を作って、晩ご飯を一緒に食べた。

 それでいいと、凌佑に言われたから、私はそのままの幼馴染でいた。


 梅雨が終わりに差し掛かった頃だった。やっぱり問題は起きたんだ。

 朝、凌佑と一緒に教室に入ると、いきなりクラスの女子達に凌佑が連れていかれた。


「ちょっと保谷、話があるんだ」

「え、ちょっ……」

 カバンを机に置く間すらなく、彼は教室の外に連れて行かれた。

 どこか嫌な予感がした私は、その女子の後をつけることにした。


「あ、朝から何……? どこに連れていくんだよ?」

「いいから黙って」

 少し高圧的な態度をちらつかせる彼女は彼を無理に引っ張っていく。

 そして、その後ろには。

 ……この間凌佑に告白した子だ……。


 五階の図書館前に連れられ、ようやく凌佑は自由に動けるようになった。私は階段近くにある柱に隠れて様子を見る。

「ここに連れてこられた意味、わかる? 保谷」

「いや……わかんないから少し抵抗したんですけど」

「……保谷は、肇のことどう思ってんの?」

 怒った様子の彼女は、自分の後ろに隠れている子を指さしながら凌佑に聞いた。


「……別に、所沢さんは、ただのクラスメイト、かな」

「まあ……それはいいとして」

 詰まることなく答えた凌佑に対し、彼の目の前に仁王立ちしている彼女はそう言い続ける。


「……何なの? あの女」

「誰のこと?」

「高野だよ、高野」

 私の名前が呼ばれ、一瞬身が縮こまる。


 え? 見られてる? 気づかれてる?

 私は慌てて少し身を引いて様子を窺い続ける。


「保谷が肇とお試しとはいえ付き合い始めたっていうのに、何あの女は保谷に構い続けているのって話」

 彼女の言葉を受けて、胸がチクリと痛くなる。


「未練タラタラでしょ、いくらなんでも。漫画とかでよくある『誰かに取られてから気づいちゃった』的なパターンなの? 何食わぬ顔して朝一緒に学校来るし、お弁当だって作ってくる。それに朝起こしにきて夜は一緒にご飯も食べてるんでしょ? 何様なの?」


 思わず、一歩二歩、後ずさりしてしまった。

 だって、事実だったから。


「あんなクラスでは真面目な委員長ですーって顔して、保谷絡みになるとセコいんだね、高野って」

 自分の靴を見つめ、唇を噛む。


 ……客観的に見れば、そうだよね。だって凌佑は「彼女持ち」。それに構う私って、端から見れば泥棒猫だよ。申し訳なさそうに立っている所沢さんを見て、改めて思う。

 やっぱり、いつも通りでも、駄目だったのかな……。


「……梓のこと、悪く言わないでもらえるかな?」

 そう、思ったとき。彼は口を開き始めた。

「……基本、僕はあまり怒らないよね、とか言われること多いけど……梓の悪口言われるのはちょっと許せないっていうか……。僕が、普段通りのままの関係でいいよって、梓に言ったんだよ。別に梓は悪くない」

 凌佑……? なんで、私をかばうようなこと……。


「は? 何考えているの? 仮にも彼女いるのにそうしてって高野に言ったの? 馬鹿なの、保谷」

「……まあ、そうかもね」

「ふ、ふーん」

 顔を赤くして怒りをさらに強めた彼女は鼻を鳴らして言う。


「やっぱさ、片親だとそういう非常識なことしちゃうんだね」

 え……? 今、なんて言った……?

「母親いないんでしょ? 保谷? まあだから高野があんなに甲斐甲斐しくお世話しているわけなんだろうけど」

 それは……ひどいよ。

 そんな、凌佑のことをお母さんがいないことを理由に否定するなんて……!


 あんまりだよ。

 足が一歩前に出ようとしたタイミングで、彼は返した。


「……そう思うならそう思えば」

 今にもこの場の空気を凍らせようと言わんばかりの冷めた声で。「たかのさん」と呼ぶときよりも、冷えた声色で。


「ごめん、所沢さん。僕がはっきりしなかったのがいけなかった。……他に好きな人がいるから付き合えない。……なかったことにしよう?」

 凌佑は怒った彼女の背中に隠れていた所沢さんに向かい、そう言った。


「ちょっと保谷。どういうつもり」

 その清算の言葉に、きっと彼女の沸点は超えた。

「その振り方はひどくない? 肇の気持ち考えたら?」

「……言った通りだよ。申し訳ないけど、やっぱり所沢さんはクラスメイトでしかない。それ以上には、なれない」


「っ──肇、行こう! もういいよこんな奴!」

「え、あっ」


 所沢さんの手を引いて、彼女は私の隠れている階段の方に来た。通り過ぎる際、私の姿を認めると「……盗み聞きとか、最低。泥棒猫」とだけ言い、教室のあるフロアへと降りていった。

 目線を図書館前に移す。


「……じゃあどうしろって言うんだよ」

 小さく毒を吐き捨てる凌佑。右手を廊下の壁にたたきつけて、怒りを露わにする。

 そんな状態の彼に、掛けるべき言葉が見つからず、私は逃げるようにその場を去った。盗み聞きをしていたことを凌佑に知られたくなかったから。


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