第22話 ……そんな、……そんな問題じゃないんだよ

 映画デートをしてからも、夏休みの間、梓は頻繁に僕を誘って出かけようとした。水族館に、放映中のアニメとコラボしたカフェだったり、はたまた夏の終わりに開かれた夏祭りと花火大会だったり。

 その全てに、僕は断ることはしなかった。


 水族館に行ったときに、梓は色々と前調べをしてくれたみたいで、どこをどう回ればスムーズにいけるか、穴場のランチスポットはどこかとか、きっちり把握していたし、夏祭りと花火大会の日に至っては、きっちり浴衣を用意して隣を歩いてくれた。水玉模様の着てくれた浴衣を、僕は忘れることはできないと思う。


 ただ、その全ての日に、少なくとも一回は僕がヒヤリとするようなシーンが起きた。例えば、花火の日、慣れない浴衣と草履で足元がおぼつかないなか、階段で人混みの押されてバランスを崩しそうになったりとか。僕がすぐ横にいるなか、道に迷った(フリをしていたんだと思う)外国人に道を尋ねられて、わざわざ人気のないところに連れて行かれそうになったりとか。


 梓と出かける度に、精神をすり減らしていた僕は、気づけば、ただただ梓と出かけるのが怖くて怖くて仕方ないイベントへと切り替わっていた。


「……梓っ。……ゆ、夢か……」

 次第に、夢にまで梓の不幸を見るようになってしまい、また、僕の見ていないところでもしかしたら梓が、と思うと、夜も眠れなくなる。


 綱渡りに近い夏休みを終えて、二学期を迎えた。いつまで保つかわからない、地獄に近い綱渡り。落ちて失うのは、僕の命ではなく、梓の命かもしれないから、尚更緊張感が増す。それは日に日に増大していっていて、僕の心をすり減らしていく。


 沼袋駅までの道のりも、ホームで電車を待つときも、電車に乗っているときもそこから学校に向かうときも、一瞬たりとも気は抜けず、

「……な、なんか凌佑、目が充血してるけど……大丈夫?」

 と梓に言われる始末。


「……え? ほんとに? 寝不足だからかなあ」

 などと適当に誤魔化しておく。実際、寝不足なのには変わりないし。

 それに、そんな言葉すら聞けなくなるかもしれないと思えば、今の状況だって受け入れられる。


 二度目を作れない今、一度目の世界で失敗は許されないんだ。

 ……校門を通って、生徒玄関に入り、ひとまずホッと一息ついた僕は、自分の下駄箱を開けて外靴から上履きに履き替えようとしたのだけど、


「……あれ?」

 下駄箱のなかに、可愛らしい便箋に「保谷君へ」とこれまた丸文字で書かれた文字が目に入った。


「どうかした? 凌佑──っっ」

 僕がなかなか靴を履き替えないのを不思議に思ったのか、梓は僕の手元を覗き込むと、途端に顔を青ざめさせ、ブツブツとひとりごとを口にする。

「……な、なんで、どうしてっ……」


 ……この感じは、どこからどう見ても「放課後、話したいことがあるので教室(もしくは屋上)に来てください」の手紙だろ……。

 便箋の封を切って、中身を読むと、やはり予想通り。教室で待っててください、だった。


「り、凌佑、話、聞くの?」

 そして、さっきから何故か顔が真っ青の梓が、恐る恐る僕に聞いてくる。

「……いや、だって、さすがに無視は酷いし……」

「だっ、駄目っ。行っちゃ駄目っ」


 答えると、すぐに梓は両手を取ってブンブンと上下に揺らしてから首を横に振る。一言で伝えるなら、まさしく懇願、だ。


「……でも、話くらいは聞いてあげないと、失礼だし」

「そっ、それはっ、そうなんだけど……」

 梓は、何をそんなに心配しているのだろうか。僕に言わせてみれば、ここで起きるイベントが梓ではなく、僕に起きていることに拍子抜けしている。


 引き続き注意はしないといけないことに変わりはないけどさ。

「……梓がいるのに、そういうことにはならないから大丈夫だよ」

 僕は下駄箱の便箋を制服の胸ポケットに押し込んでは、震えている梓の肩にそっと手を当てて、安心させるように言う。


「……そんな、……そんな問題じゃないんだよ……凌佑」

 僕が教室に向かいだしたとともに囁かれた梓の言葉を、ちゃんと聞き取ることはできなかった。


「すぐ終わるからさ、ちょっとどこかで待っててくれない?」

 放課後、帰りのホームルームが終わると、僕は梓にそう一声かけて、教室の前で掃除が終わるまで時間を潰そうとした。


「……ほんとに、待つの?」

 そんな僕に、梓はまるで待って欲しくないような上目遣いで、口にする。

「……待つよ。……じゃないと、せっかく便箋まで用意してくれたのに、失礼でしょ?」


 それに、ただでさえ幾度となく、梓の告白を踏みにじってきたんだ。これ以上、誰かの気持ちを無下にしたくはない。

 せめて、ちゃんと断ることは、しないといけない。


 それでも待って欲しくなさそうに冴えない表情をし続ける梓の頭を、僕はポンポン、と撫でる。

「……やっぱり、そうしちゃうんだね」

「え? ……あ、梓?」

「ううん、なんでもない。私、生徒玄関前で待ってるから。終わったら、来てね」


 僕の手をそっと頭から外しては、悲しそうな眼差しの梓は、トボトボとした歩調で生徒玄関へと向かっていった。

 ……そんなに、信用されていないっていうか、心配だったのかな……。


 いや、まあ、夏休み中のデート中、梓のことで張り詰めまくっていたのが伝わっていたとするなら、信用されないのも理解できなくはないっていうか。

 他人から見れば、全然楽しめていなかっただろうし、僕。


 ……とりあえず、話だけ聞いたら、なるべく穏便に済むように断ろう。これで告白じゃなくて果たし状ならそれはそれで問題ないし。

 しばらく待っているうちに、教室の掃除も終わったみたいで、三々五々とそれぞれの家路につく当番の生徒と入れ替わって教室に入り、静かに自席につく。


 時間が経つにつれて廊下から聞こえていた喧騒も遠くなって、聞こえるのは僕の息遣いと、思い出したタイミングで体育館から響いてくるホイッスルの掠れた音くらい。

 頬杖をついてぼんやりと黒板の消えかかった日直欄を眺めていると、


「あっ、あのっ……! すっ、すみませんっ、お待たせして……!」

 きっと手紙の主であろう、クラスメイトの女子生徒が恐縮しきった様子で僕の待つ教室にカチコチになりながら入ってきた。えっと……確か名前は、所沢さんだ。


 ……ああ、これはやっぱり果たし状ではないな、とひと目で理解できた。

 ならば、僕はこれから、彼女に酷いことを伝えないといけなくなってしまう。そう思うと、わかってはいたけど、胸の奥がチクリと痛む。


 手紙の女の子は、ロボットみたいな動きで僕の目の前に立つ。僕も、ゆっくりと椅子を引いて席から立ち上がる。

「……え、えっと……そ、そのっ、保谷君……」

「うん」

「こっ、これっ! 読んでくださいっ!」


 顔を火照らせたその子は、頭を下げながら両手で朝の便箋とはまた別の手紙を僕に差し出した。

「……えっ、あっ、う、うん」

 てっきり、口頭で言うのかな、って思いこんでいたので、僕は思わず拍子抜けしてしまう。ひとまず、シールで留められた手紙を開封しようとすると、


「ああっ、そっ、そのっ、めっ、目の前で読まれるの、恥ずかしいので……あ、後で読んでもらえると……嬉しいです、っていうか……」

「……あー、は、はい、じゃあ、そうします」

 そう言われると、もう後で読むという選択肢しかなくなってしまう。僕は仕方なく、受け取った手紙をカバンのなかにそっとしまう。


「おっ、お返事はいつでもいいのでっ! でっ、ではっ、さよならっ!」

 彼女の緊張はもう限度いっぱいだったみたいで、僕がカバンにチャックを閉じると同時に叫んだかと思うと、バタバタと音を立てて教室から出て行った。


 ひとり残された僕は、

「……後日、になっちゃったよ……」

 と、行き場のないひとりごとを呟くしかなかった。


 終わったらすぐに戻るっていう話だったので、僕もカバンを肩にかけて、梓の待つ生徒玄関に駆け降りる。

「……ごめん、梓、お待たせっ……」

 話通り、梓は待ってくれていた。下駄箱前の段差にちょこんと座って、スマホのストラップを念じるように握っているところに、僕は声を掛ける。


「えっ、あっ、もっ、もう終わったの? はっ、早かったねっ」

 僕の到着に驚いたのか、慌てて梓はスマホをカバンに入れて、ぐいっと立ち上がった。


「いや……なんか、ラブレター的な感じで受け取って……。返事は後日になったんだ」

「あっ……そっ、そうなんだ……へー……」

「だ、大丈夫、明日、明日にはちゃんと返事するからっ。だから、梓が心配することなんて何もないよ、うん、何も」

「……だよ、ね」

「じゃ、じゃあ、帰ろう?」


 どこか消化不良気味な感も否めないけど、どうしようもないと言えばどうしようもないので、仕方ないと割り切り、また梓の身に何も起きないように注意を怠るまいと気を引き締めて、僕は上履きから外靴へと履き替えた。


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