第102話 おかえりなさい
side とある大学病院教授
「成瀬さん、調子はいかがですか?」
10年近く見てきた患者さんがご夫婦で来院された。
あの頃は講師だったのに気づいたら教授にまでなってしまった。
僕が見始めたときは、ALSの症状はまだ軽微なものだったけど。だんだんと進行し、2年ほど前には寝たきりに近い状態だった。
瞼だけ動かせるような状態。
それがこの半年でいきなり改善された。
「調子いいですよ、先生。あの新薬というんですか?……あれのおかげでこうして喋れるまでになりました。以前はわざわざ自宅まで来てもらってたみたいで……」
50代くらいの女性が、僕に対して不器用に笑う。
まだ顔の筋肉が動かしづらいのかもしれない。
あの静注の薬はすごかった。
遺伝子から、個々人の正常な細胞を復元、そのうえで、病気に繋がる原因遺伝子を排除したうえで、最適なIP○細胞を構成していく。
マウスの段階では。症状の緩和ではなく、症状の根治的治療を目標にした、尺度は軒並みよくなったと聞いている。
だからこそこの結果は。
「いえ僕の力なんてほとんど……治験のお薬がよかったんですよ」
「いえいえそう言わずに先生が治験?のお話を持ってきてくれたんですから。おかげで私も頑張れたんです、あきらめかけた私を先生が根気強く説得してくれたから……」
「いやー、あの時はびっくりしましたねぇ。家族と縁を切ったなんて言うんですから」
あの時は本当に驚いた。色々な患者さんを見てきたけど、本当に家族思いと思った、方向性が正しいかどうかは別としてだけど。
あの頃の成瀬さんにはもう生きようという活力がないに等しかった。
でもちょっとしてから、生気が戻り始め、途中からは旦那さんが付いてくるようになりリハビリとかも頑張り始めた。
だから本当に僕はちょっとした手伝いしかしていない。
「あの時はあれが正解だと……先生のおかげです」
「僕なんて微力なもので……あれはご家族のおかげですよ?」
「いやー自分でもそれは思ってます!」
後ろに控えていた男性があははと笑う。
人のよさそうな顔でにこりと笑う。
ちょっと前までの深刻そうな顔とは打って変わり顔もふっくらした。
「はいはいありがと」
「雑だなぁ」
そんな風に対応しながらも。奥様も旦那さんをおもっていることは表情からも見て取れる。
「そんな風に会話が出来るようになってよかったです」
2人して微笑む。
「これで今日の診察は……?」
「ああ、いえすみません今日はもう一つあって、その新薬のことで、患者さんの薬の印象を聞きたいと海外の方がいらっしゃってるので、お話してもらってもいいですか?」
僕のその問いに、困ったように顔を見合うお二人。
「……私たち英語話せないですけど?」
「大丈夫ですよ、日本語もいけるので」
というか母国語ですしね?
なんなら……
まぁそこはお愉しみということで、
「じゃあちょっと呼びますね」
別室に待機してもらい、年若くして海外で准教授になった先生をお呼びする。
30になったら教授にもなるかもしれないなんて話も出てきているらしい。
なんだろ化け物かな?
そんな彼は別室に待機していて、連絡するとすぐにやってくる。
それはそうか、彼にしてもすごい久々の再会だろうから。
「お薬の調子はいかがですか?」
え、と目の前の二人が驚いたように顔を呆けさせる。
ゆっくりと診察室の扉を見れば、利発そうに眼鏡をかけた若い男性が僕と同じ白衣を纏って、微笑みかける。
まぁ白衣の割にはピアスをつけていて、髪も長めで、少しチャラいけど。
……これが海外か。
「お、おまえ」
「た、たくみ?」
「……ああ」
何とも形容しがたい雰囲気。
「久しぶり……いやただいま、かな親父…………それに母さん」
守秘義務とかもあるし、僕は一旦席外そうかな。
たぶんここは僕がいていい場所じゃないから。
あの時の高校生とは思えない。
真剣に状況を聞いてきたあの時の子。
すごく立派になった。
ドアを閉じてからの様子は知らない。
でも最後に。
あのなかなか笑顔を見せない成瀬さんが。
「おかえり、たくみ」
と泣きながら言ったのだけは見えてしまった。
「さって僕も論文書こうかなぁ」
晴れ晴れとした気分で僕は診察室を後にした。
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俺の目の前には、この10年でやせ細った髪をオールバックに撫でつけた姿の親父。
親父の下には、車いすに座る女性。
そっか、ここまで……。
こみあげるものがある。
親父と話すのは本当に久々だ。
それこそ目の前の女性とは文章でやり取りはしたけど、直に話すのはいつぶりだろ。
「……調子は?」
「……まぁまぁかしら」
「……そうか」
「……」
「……」
お互いに無言。
昔は言いたいこともあった、でも高校生の時みたいに自分の感情を素直に伝えるのは難しくなった。
一応社会人を経験してきて、相手のことを考えたうえでの苦渋の選択であったことを分かってしまったから。
俺は正しいと思わないけど、でも母さんの選択も間違い、って断じることは出来なくなってしまったから。
だから俺も母さんも実際何を言えばいいのかもわからなくなった。
「え、気まずくね」
親父が無神経な一言を放った。
だから一瞬だけ目線を映し、またスルー。
母さんは目線すら会わせない。
「え、無視?俺会社では一応役員にまでなって無視されたりすることもないんだけどなぁ」
どうやら親父は気づいたら出世したらしい。
母さんの介護しながら、ってすごいな。
まぁそんなことはどうでもいいんだけどさ。
何をいうか。
「……巧」
そんなことを考えていたら、口火を切るのは母さん。
「私のことはを許さなくていいから、一つだけ聞かせてほしいの」
その眼は昔みたいにまっすぐ俺の眼を見ていて
「…なに?」
「……今幸せ?」
幸せ、か。
傍から見たら、素晴らしい奥さんがいて、仕事では留学して、医師もやっていて順風満帆に見えるだろうな。
でもその中で、いろいろな苦労もあったし大変だったことも多い。
死にそうになりながら勉強して、時には海外で慣れぬことに戸惑いながら。
想い出が脳内を駆け巡っていく。
でもそうだなぁ……幸せかどうかなら。
「ちゃんと8割くらいは幸せだよ」
それだけは自信を持って言える。
「……6割?」
「そ、6割」
逆に親父たちは不思議そう。
「……後の4割はなんだ?まさか……」
「だってこれからも家族とか増えてくわけだし、もっと幸せになっていくつもりだから将来の子供とか出来たらもっと幸せになるから3割は残したのよ、今だけでいえば9割は幸せだよ」
「それでも9割?」
「ああ、あとは親父たちが幸せになれば今のところは大満足なんだけどな」
「巧……」
2人は驚き、眼を見張る。
「薬……いやまだ実際薬ではないか、治験だし。調子はどう?副作用とか動物実験とかではそこまで出てないけど」
とはいっても、データがないというのはどうだ?
「寝たきりだったのが、車いすで動けるまでになったんだもの、いいわよ」
「そっか」
母さんが苦笑しながら、じぶんで車いすを動かしていく。
「巧……その……」
母さんが眼を伏せがちに、話を切り出そうとする。
「謝らなくていいよ、だってまだ母さんの病気は治ってない訳だし。医者に案って病気の事も、患者の家族がどういう決断をしたのか、救えなかった命もあった。母さんが心配したような、家族の辛さもな。だからそこまで怒ってないよ。あるとしたら感情面で、相談してほしかった、かな。でも最初にもいったけど俺の中では消化している、それでももし!」
「?」
「それでももし母さんがあのことを気にするならさ――」
昔の記憶がよみがえる。
家族みんなで幸せにしてた頃を。
病気によって家族がバラバラになったあの時のことを。
それからの10年を。
色々な思いがこみ上げる。
だから笑顔で言おう。
「親父と、幸せになってくれ」
俺がそう言うと、親父は笑って、
「ばーか、お前とかすみちゃんも一緒に幸せになるんだろ?いやかすみちゃんの家族もだからあーっとみんなで、幸せに、だな」
10年前と変わらない答えを親父はいい、母さんは。
「……ごめん、そしてありがと」
更けた顔で、不器用に笑う母さんは、昔見たあの頃のような笑顔をしていた。
「改めて、おかえりなさい、巧」
久々だなぁそれ。
「うんただいま」
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次回最終回
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