恋敵のいない恋愛 (題内乖離) (短文詩作)

春嵐

恋敵のいない恋愛

「夫婦さん入りまぁす」


 アシスタントの声と共に、ひとが入ってくる。ふたり。仲睦なかむつまじい夫婦。


「ひさしぶりやねえ監督」


「ええ。おひさしぶりです」


 この謎のなまりのほうが嫁で。


「せりふ書いたやつある?」


「どうぞどうぞ。これです」


 このおっとりしてるのが夫。


「わたしのせりふ見せてえな」


「かけあいあるね」


「初っぱなからやね。ええわあ」


 わきあいあいの、ふんわりとした感じで下準備が進む。予行演習本読みはない。

 いきなりの。

 本番が始まる。


「貴様っ」


 斬りかかる夫。かわす嫁。


「なぜ殺したっ」


 下段から派手に逆袈裟。


「やらしいわね。死にたいならそう言えばいいのに」


「友を、殺した、おまえがか?」


 大音量。びりびりと震える撮影現場。


「あら。友だち一人も救えないの?」


 凄まじい圧。踏み込む脚の画角が、もはや画面を飛び越えるほどに立体。


「カット」


 耐えきれなくなったので、いったん止める。


「ひさびさの空気はええね?」


「何時間でもやっていたいな」


「すみませんいったん休憩挟みましょう」


 撮影する側が、もたない。こちらの想定を遥かに上回る、凄まじいほどの演技。なるほど、迫と真、どちらも普通のそれではない。現場監督の自分でさえ、思わず声をあげてしまうほど。それほどの、演技。


「ええ」


「まだひとカットも取りきってないんに」


「次のせりふ見て待っていようか」


「見るう」


 そして、このおっとり感。

 この夫婦。

 敵なし。



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恋敵のいない恋愛 (題内乖離) (短文詩作) 春嵐 @aiot3110

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