(3)

 かおるが花の家に行く、イコール建と樹もついてくるということは向こうにもわかっているだろう。女の子を外へひとりで歩かせるなんてあり得ないのだから。


 それでも一応、と花にテキストメッセージを送ろうとする。テキストエリアをタップしたところで、樹がかおるの肩に顎を乗せてスマートフォンを覗き込む。


「ちょっと、覗き込まないでよ」

「山野にならさっき伝えておいたよ」


 批難の声を上げるかおるに対し、まったく意に介した様子もなく樹は淡々と告げる。


「……どっちに? 山野先輩? イズミくん?」

「山野センパイだけど……どっちでもよくない? ふたりとももう家に帰ってるってさ」

「そう……まあ、そうだけど……」


 花の両親は再婚同士で、共に連れ子がいた。それが花であり、かおるたちの一年先輩であるアオイと、一年後輩であるイズミの兄弟であった。


 花から見て義弟にあたるイズミは確かサッカー部に所属していたはずであるのだが……と考え込むかおるの頬を樹がつつく。イヤな顔をするかおるを見かねた建が、樹の手をどけてくれた。同時に、かおるの顔色から思考を読み取ったのか、上手いこと補足をつける。


「サッカー部は今日は休みだ。グラウンド整備があるらしい」

「あ、そうなの」


 まあ仮に部活動の予定があったとしても、花が不幸にも頭を打って病院に行っただなんて聞いたら、あの弟はサッカー部の予定などすっ飛ばして彼女のもとへ向かうだろうが……。


 かおるはいつもその過保護ぶりにため息をついている花を知っているので、少々複雑な気持ちになった。


 それから義弟のイズミが花を姉として扱わないことも、花にとっては不満の種であるらしい。


 なにも花とイズミは不仲ではない。花はイズミを弟として可愛がっているのだが、イズミにはそれが不満なのだ。だから、ときおり素直じゃない態度を取る。しかしそう深刻な話ではない。花自身、そんなイズミを「ツンデレ」と評しているのだから。


 一方の義兄のアオイは花を妹扱いして可愛がってくれているのだそうだ。花としてはそんなアオイと同じ調子でイズミを可愛がりたい……ということらしい。


 かおるからすればアオイとイズミ、それぞれの態度に含まれるものなどバレバレだったので、一種能天気とも言える花の態度にはヒヤヒヤしている。


 とにもかくにも花の義兄弟は彼女に対しては過保護で、その延長線上というか、かおるもおこぼれにあずかっているような状況だ。ときたま彼らが親切にしてくれるのは、ひとえにかおるが花の自他共に認める親友だから。


 もしそうでなければ……と考えたところで三人が暮らす山野家の、青みがかったペールグリーンの屋根が見えてきた。


 かおるはそれを見て無意識の内に筋肉を引き締めていた自分に気づく。


 花の怪我は一〇〇パーセントかおるのせいではない。のだが、その場に一緒にいたのは確かで。


 アオイもイズミも、それでかおるを叱るような理不尽かつ狭量な人物ではない。しかし花が絡むと途端に狭量かつ理不尽になるのも確かで。


 しかも今回の訪問、かおるには建と樹がついている。もしかおるが望まない展開になれば全面戦争必至である。


 ――まあ、そんなことにはならないだろうけれど……。


 さすがにそれは妄想がすぎると心の中で自分の考えに釘を刺す。


 インターフォンを鳴らせば、すぐに返事があった。スピーカー越しではあったが、この穏やかな声音は花の義兄であるアオイだろう。


「いらっしゃい。来てくれてありがとうね」


 アオイはすぐに玄関扉を開けて三人を迎え入れてくれた。いつもの物腰柔らかな語り口、いかにも優しそうな笑顔。でもかおるはいつだったかの記憶が想起されて、その裏にある腹黒さを見通してしまったかのような、気まずい気持ちになった。


 しかしすぐに気持ちを切り替えて「おじゃまします」と頭を下げる。アオイは「そんなかしこまらなくていいのに」と、やはりいかにも優しげな微笑を浮かべて言った。


「山野センパーイ、オレらそっちで待てていい?」


 樹は玄関を上がってすぐ左手にあるリビングルームを指して言う。


 いつも通りすぎる物言いの樹にかおるは内心であせったが、彼らは花との「女子同士の会話」を尊重してくれるらしかった。


「リンゴジュースでいいかな? あとで持って行こうと思うんだけど」


 特に気分を害した様子のないアオイに、胸中で安堵のため息をつきながらかおるは「はい……お気遣いありがとうございます」と頷く。


 アオイが「花なら二階で待ってるよ」と言うので、その言葉に甘えてかおるは建と樹をリビングルームに残し階段を上がって行く。


 踊り場を挟んで二階に上がってすぐのところに花の自室があることは、既に何度も山野家へ足を踏み入れているかおるには既知のことであった。


 小学生の時に工作の授業で作ったというドアプレートが下がる扉をノックする。聞き馴染んだ花の声が扉越しにくぐもって返ってくる。かおるは気負いもなく扉を開けた。


 花は思ったよりも元気そうだった。顔色が少し青白い気がするのが、それも気のせいと言われればわからないくらいの差である。


 しかし花はなぜか勉強机に座って、半身はんみになってこちらを見ている。勉強机の上には、ノートと文房具が広げられていた。


 普通に考えれば勉強をしていたと思うところだろうが、テストは常に「一夜漬け!」と言ってはばからないのが花である。彼女が真面目に頭を働かせるのは、ハマった作品の考察をするときくらいだということを、かおるは経験上知っていた。


 だから、勉強机に向かってノートを広げている姿には――失礼ながら――違和感しかない。


「勉強してたの?」


 ノートを指差し、親友同士らしい気安さでかおるは花に問うた。


 途端に花の顔が曇った。かおるは理由がわからず、困惑する。


 かおるに比べて快活な花にしては珍しく、しばらく視線を泳がせる。そしてなにかを決心したように眼光鋭くかおるを見たかと思うと、花は絞り出すような声でこう言った。


「わたし……人生にかかわる重大な事実に気づいてしまった」

「は?」


 かおるは頭の回転が速い方ではない。むしろ遅い。失礼なことを言われても、すぐには理解できずにあとになって怒りが湧いてくるようなタイプだ。


 そんなかおるでも花の物言いが尋常ではないことくらいにはすぐに気づけた。


 頭を打ったせいかと思った。打ちどころが悪く、そんなタチの悪い新興宗教に目覚めてしまった人間のような物言いをしたのかと思った。


 あるいは、花の冗談か。


 そのほうがまだいい、とかおるは思ったが、残念ながら後者の願望は外れることになる。


「かおる、真面目に聞いて!」

「いや、すごく真面目に聞いてる」

「じゃあ、もう……もう結論から言っちゃうんだけどさ」


「――ここは乙女ゲームの世界なんだよ」

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