(2)
村崎
兄の建は灰色のブレザーをしっかりと着込んでいるが、弟の樹は思い切り崩している。
オシャレでやっているのかと思えば、単にキチッとするのがめんどうくさいだけだそうだ。それでも樹の秀麗な容姿や自由な雰囲気も相まって、似合っているのだから世の中は不公平だとかおるは思う。
建は眼鏡をかけているが、樹はコンタクトレンズだ。建がコンタクトレンズを用いないのは、眼鏡のほうに慣れ親しんでいるから――というのが表向きの理由で、実際は怖いから。
一度樹が建にコンタクトレンズをつけるよう迫ったときのキレっぷりを、かおるは未だに鮮明に思い出せる。怒った建が樹と口を利かないので、かおるにまでそのシワ寄せがいった際には閉口したものである。
そしてやはりふたりの同じ顔にもかかわらず、雰囲気を分けているのはピアスの存在だった。樹はピアスをジャラジャラと耳につけているが、建にはひとつとしてピアス穴はない。
樹がいずれは舌にもピアスを開けたがっているのはかおるも知るところだが、兄弟の母親に止められているらしくたまに愚痴られる。
典型的引っ込み思案の陰キャであるかおるとしては、耳に無数にピアスがついているのもちょっと恐れおののいてしまうところであるのに、舌にも開けるなんて、というのが正直な感想だった。
みんなが思い描くような優等生然とした建と、怖い雰囲気のチンピラ風の樹。坊主頭の男子生徒に絡んで行ったのは樹のほうだ。
かおるが未だに名前が思い出せない坊主頭の男子生徒は、威勢良く振り返ったものの、視界に飛び込んできたのがピアスをジャラジャラつけて制服を着崩した樹だったので、一瞬ひるんだ。
「む、村崎……」
「そうだよ村崎樹クンだよ~。こっちがオニーチャンの建クンね。――で、オレらがなんだって?」
樹の口と目元は弧の形を描いていたが、まぶたに納まる切れ長の瞳は一切笑んでいなかった。そのことに気づいたかおるは、これからの展開に思いを馳せて盛大なため息を吐きそうになる。
一方の坊主頭の男子生徒は樹の容貌に多少ひるみはしたものの、そこで引っ込みはしなかった。
尻尾を巻いて逃げ帰るようなマネはできなかったのだろう。教室には、他にも多数の男子生徒の視線がある。そこで先ほどまで侮っていた男の登場で撤退するなんて、プライドが許さないに違いなかった。
それでも樹の見た目は迫力がありすぎる。チンピラ風と評したものの、そこいらのチンピラのほうがまだ優しい
そんな樹が笑っていない目ですごんでくるのだ。常人はたまったものではない。
けれども坊主頭の男子生徒は果敢に――あるいは無謀にも?――樹に噛み付く。かおるは頭が痛くなった。
「お、お前らが藤島を独占してるって話を聞いたから……」
「独占だなんて、まるでおれたちがかおるの意思に反した行いをしているとでも言っているようだ」
「じ、実際そうじゃねえの?! 藤島は大人しいから幼馴染のお前らと仕方なく……!」
「――その妄想、面白くねえよ」
不愉快そうに眼鏡のレンズ越しに坊主頭の男子生徒を見る建。
男子生徒の戯言を「妄想」のひとことで切って捨てる樹。
場の空気が一触即発の色に染まる。
「お前はかおるの何を知っているって言うんだ?」
「少なくともお前みたいな脳筋はかおる、好きじゃないよ」
一刀両断とはこのことだろう。
かおるは無言を貫いていたが、もう何度も深く重いため息を吐き出したくて仕方がなかった。
「――で、なよっちくてオレらはかおるを守れないって? ……じゃ、やってみる?」
「――樹」
かおるはここにきてようやく口を挟んだ。
建も樹も体格はパッと見、そこらにいる普通の男子高校生と変わりはない。けれども実際には無駄のない筋肉がついていることをかおるは知っていたし、一時期は一緒に護身術を習っていた――インドアなかおるが途中で辞めた――ので、彼らの腕っ節が強いことも知っている。
坊主頭の男子生徒はスポーツマンらしいし、そんな彼にケンカで怪我をさせたとなれば
……たとえ、自分の「女」を奪われないため、守るための攻撃や反撃があるていど許容される風潮が世間にあるとしても、だ。
「建も……いつもみたいに樹を止めてよ」
建は見た目通りに杓子定規な優等生的な思考回路を持っている。……普段は。
だから樹が自由気ままに暴走するときは、かおると一緒に振り回されてため息ばかりついているのが普段の建だった。
しかしその思考回路は、かおるが絡むとブッ飛ぶことがあることもまた、彼女は経験的に知っていた。
それでもまだ建は理性のあるほうで、かおるの言葉に軽く息を吐くと、樹のほうを見た。
「やめておけ樹」
「止めんなよ建」
「……問題を無駄に大きくしてかおると一緒にいられなくなったら困るだろう? 世間がおれたちをかおるにふさわしくないとみなせば、厄介なことになる」
「世間とかどうでもよくない? これはオレたちとかおると、んでこの坊主頭とオレらの問題でしょ」
「周囲がそう見るかどうかはまた、別の問題だ」
イラ立ちが収まらないらしい樹は、坊主頭の男子生徒から視線を外し、今度は兄である建をにらみつける。
一触即発の空気から、また一触即発の空気へ。周囲が固唾を飲んで見守っているのがかおるにもわかった。
かおるは仕方なくわざとイスの脚で音を立てて、席から立ち上がる。通学カバンをしっかり持って、建と樹を見た。坊主頭の男子生徒のほうは、意地でも見なかった。
「……私、早く花のお見舞いに行きたいんだけど」
わざとらしい不機嫌そうな声を出して建と樹を見るかおる。一瞬、呆気に取られた無防備な顔をした双子は、しかしすぐに気を取り直してかおるのそばを取り囲む。その際に近くにいた坊主頭の男子生徒の肩を、樹が押しやったのをかおるは見たが、なにも言わなかった。
「あっ、藤島……!」
「……私、花の家にいかないといけないから。……じゃあまた明日」
「え、あ、ああ、うん。また明日……」
いつも通りの仏頂面の建と、ソッコーで機嫌を直した樹を引き連れて教室を出る。
出入り口の扉をくぐった途端、背後で教室内がにわかに騒がしくなったのを聞いて、かおるは密かな頭痛を覚えた。
「……あのね、不用意に喧嘩を売らないでっていつも言ってるでしょ?」
「どう考えてもケンカ売ってきたのは向こうだから」
「どう考えてもこじらせたのは樹たちだから!」
「そういうつもりではなかったんだが……かおるが口説かれていると思うと、つい、な」
まったく反省の色を見せない樹に対し、建は申し訳なさそうな顔をする。こういうことをされると、どちらにせよかおるは怒りにくい。
樹は絶対に反省なんてしないのは火を見るよりもあきらかだったし、建は建であまり責めすぎるとドツボにはまって落ち込みすぎる。
いずれにせよこの双子が扱いにくいことだけは確かで、それを再認識したかおるは昇降口で深いため息をついた。
「ため息ばっかついてると幸せが逃げちゃうよ?」
「だれのせいだと……」
「オレらのせい~? うふっ」
「『うふっ』、じゃないよ!」
「仲良くしているのは別に構わないが、山野の家に行かなくていいのか? その調子だと日が暮れるぞ」
建の冷静な指摘にかおるは我に返ってあわててスマートフォンをスリープから復帰させる。建の言った通り、思ったよりも教室でのやり取りで時間を食ってしまっていた。
花にはお見舞いに顔を出す以外に、プリント類も持って行くことを伝えてある。明日が提出期限のプリントもあるから、引き受けた以上、翌日の朝に花へ渡すという選択肢もない。
かおるはあわてて指定の革靴をコンクリート床に放りながら、もう何度目かわからないため息をついた。
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