溺愛からは、逃げられない!

やなぎ怜

(1)

「――はなっ!」


 藤島ふじしまかおるはそう叫んで咄嗟に手を伸ばしたものの、その指が親友である山野やまの花に届くことはなかった。


 かおるよりもずっと小柄な花に思い切りぶつかったのは、彼女よりも一回り以上大きな男子生徒だった。その男子生徒は、別の男子生徒に胸倉をつかまれて、それを振りほどいた拍子に花へとぶつかったのだ。


 廊下ではじめは軽い言い合いから。それが徐々にヒートアップして、生意気だのなんだのという主観的な話から水掛け論になり、ふたりの男子生徒のうち片方の手が出てしまった。


 かおると共に廊下を歩いていた花は、運悪くそのケンカに巻き込まれてしまったのだ。


 背中に男子生徒が思い切りぶつかってしまっては、小さな花にはひとたまりもない。事実、彼女は大きく体勢を崩して窓際のほうへと倒れ、ちょうど角に頭をぶつけてしまった。


「花! 大丈夫!?」


 倒れ込んだ花のもとへかおるはあわてて駆けつける。女子生徒にぶつかった上に、頭をぶつける怪我をさせてしまった男子生徒は、先ほどまで赤かった顔を一転させて青白くしている。


「わざとじゃない」と言い訳をする男子生徒に、かおるは「心配するか先に謝れよ」という言葉を呑みこんだ。


 かおるは、典型的な陰キャのオタク。親友が怪我をする原因になった見ず知らずの男子生徒を前にして怒りを覚える程度の情緒はあったが、しかしいかにも「体育会系です」といった彼にイラ立ちをぶつける度胸はなかった。


 そんな自分にもどかしさを感じながらも、かおるは花を見る。幸い、意識は明瞭なようだ。しかし廊下ににぶい音が響くほど、思い切り頭をぶつけたのだ。かおるは心配で仕方がなかった。


 しかし花はかおるの呼びかけに対して、にぶい反応しか返さない。しきりになにかを考え込むような仕草をして、だんまりだ。


 そんな花の様子にかおるは違和を覚える。花はかおると同じ陰キャのオタクだが、かおるほど陰キャは極めていない。かおるよりは社交性があるほうで、いつもはハキハキとしたしゃべり方をする。


 そんな花が自他ともに認める親友であるかおるを、まるで視界にでも入っていないかのような様子を見せるのだ。


「打ちどころが悪かったんだろうか?」――かおるは花の頭が心配になった。


 そのあと、花は養護教諭に連れられて病院へ行った。


 スマートフォンにインストールしたチャットアプリを介して、花から無事の報告を聞かされたかおるは、ほっと胸をなでおろす。


 続いて、花から送られてきたテキストは「帰りにうちにきて欲しい」というような内容だった。


「かおるに話したいことがある」――昼間の花のおかしな様子を思い出して、かおるはなんだか胸騒ぎを覚えた。


 花から無事というメッセージを受け取ったものの、心配であることに変わりはないし、なにより彼女はかおるの親友なのだ。そんな親友の頼み――というほど大げさでもないが――ならば、聞かない理由はなかった。


 放課後になるやいなや、かおるは授業で配られたプリント類を届けるためにもと、花の家へ足早に向かうことにした。


 ……が、しかしもちろんひとりで行くわけにはいかない。


 かおるは過保護な双子の幼馴染、たつるたつきにテキストを送信する。返事はすぐにあり、そっけないかおるのテキストとは違う、いかにも陽気で甘ったるい印象を受ける文章が返ってきた。


 内容は「危ないから教室で待っていて」というようなものであったが、それだけの文章でもいかに彼らが自分を溺愛しているが、かおるにはその普段の様子が浮かんでくるようだった。


 すぐに出られる準備を整えて、教室の席でふたりを待つ。いつもは花と一緒にいるかおるが、ひとりでいるのは珍しいのか、男子生徒の視線が突き刺さる。


 かおるはスマートフォンでSNSを見るフリをしながらふたりを待った。心の中で男子生徒たちに向かって近づいてくるなよと強く祈りながら、できる限り話しかけにくいオーラを放つ努力をする。


 けれどもそれは一部の男子生徒には効果がなかったらしい。


 坊主頭に筋肉はそれなり。いかにもスポーツマンといった焼けた肌が陽キャらしい男子生徒がかおるに話しかけてくる。


「藤島! 山野がいないなら俺と――」


 大して親しくもないのに、いきなり呼び捨てにされて下校を共にしようと誘われたかおるは、制服の袖の下で鳥肌を立てた。


 陰キャオタクであるかおるにとって、馴れ馴れしい態度を――特に異性から――取られるのは、どうにも気持ち悪く感じてしまって仕方がないのだ。


 けれどもかおるは引っ込み思案の陰キャオタク。心の中で「キモッ」くらいは言うが、声に出しては言えるはずもない。相手がかおるよりもずっと力のある男子生徒なら、なおさら。


 しかし無視も出来ないのが悲しい陰キャオタクのサガ。悲しいかな、かおるの神経は弱々しく、ソッコーで要求を突っぱねられる度胸はないのだ。


「ごめんなさい。待ち合わせしてるんです」


 下手に出つつ、だがハッキリきっぱりと断る。こういうときに言葉を濁したりしても、いい結果になりはしないということを、かおるは経験上知っていた。


 なんでこんな男にへこへこしなきゃなんないんだか――というのがかおるの本心だが、仕方がない。かおるはしがない女子生徒。目の前に立つ男子生徒に比べれば、ずいぶんと弱っちいから仕方がないのだ。


「それって村崎むらさきたちか? あんななよっちいやつらより、俺の方が力があるし君を守れる!」


 ――いや、そんなこと今だれも聞いてねえよ。


 かおるは胸中で毒づく。続いて「建と樹は普通に筋肉あるし。着やせするタイプなだけだし」とだれにも届かない、言い訳めいた言葉を心の中でひとりごちる。


 それでもかおるは表面上は困ったような笑みを浮かべたまま、坊主頭の男子生徒を見上げる。彼は謙虚に身を引くという気は一切ないらしい。「そんながっついたら女の子は引くと思う」とかおるは眉を下げたまま心の中でつぶやく。


「俺の方が村崎たちより藤島のこと――」

「――オレらがなんだって?」


 不意に聞き慣れた声がかかったので、かおるは自然とうつむきがちになっていた視線を上げる。


 坊主頭の男子生徒のうしろに立つのは、かおるの待ち合わせ相手である双子の幼馴染、建と樹だった。

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