(4)

 ――正確には、「乙女ゲームに似た世界」……かな。


 あのね、わたしは転生者みたい。


 今日頭を打ったときに前世の記憶を思い出したんだ。まあ、前世のわたしも今世のわたしもあんまり変わりはないけど……。あ、でも見た目は前世よりいいかも? まあ、そんなことは今は置いておいて。


 これはいわゆる「異世界転生」ってやつなんだと思う。


 わたしが前に生きていた世界と、この世界はちょっと違うから。異世界ってよりも、パラレルワールドって言ったほうが近いかも?


 それでね、その乙女ゲームの名前は『ダブル・ラブ ~ふたりのカレに溺愛されて…~』っていう……もう題名だけでどういう内容か想像がつくよね?


 そうなの。わたしはその『ダブル・ラブ』のヒロインの立場にすごく近いところにいるって、気づいちゃったんだよ。


 え? 悪役令嬢?


 そんなキャラはいないから安心して!


 そもそも『ダブル・ラブ』のコンセプトは「溺愛」。シリアス展開を極力排除して、キャラとの甘々なイベントを楽しむっていう方向性の乙女ゲームだから。


 ううーん。ダブルヒロイン……ともちょっと違うかな。


『ダブル・ラブ』はCSコンシューマゲーじゃなくて、PCゲーでオムニバス式の乙女ゲームなの。ほぼ一本道でフルコンプまでの時間も短いけれど、ロープライスで手軽に楽しめる……そういうタイトル。


 それの第一弾の「義兄弟編」のヒロインがわたしで、第二弾の「双子幼馴染編」のヒロインがかおるなの!


 わたしとかおるが親友同士なのはゲームでも一緒で、第一弾の「義兄弟編」のシナリオでちょろっとかおるも出てくるの。逆もまたしかり。


 それでね、タイトル名でお察しかもしてないけれど……わたしはアオイ兄さんとイズミに溺愛されて、かおるは建と樹に溺愛される……そういうシナリオがゲーム中では展開されるってわけ。


 黙っていればクール系美人のかおるはともかくもさ、なーんでわたしがこんなにふたりに過保護に愛され? ちゃってるんだろうって、ずっと疑問だったの!


 だってわたしって冴えないオタク女だし。基本的に二次元にしか興味なくて、会話のネタも大体そんな感じだし。


 でもね、わかったんだよ。ここは乙女ゲームの世界で、わたしはヒロイン……だからこんな風に謎の「愛され」が発生してるんだって!



 ……かおるは頭痛を覚えた。頭がくらくらして、最後のほうは花がなにを言っているのかまったく理解できなかった。


「……ねえ、病院に行ったんだよね?」

「行ったし、ちゃんと検査してもらった」

「じゃあメンタルクリニックね」

「いや! わたしの言っていることはホントだから! ホントにホントにここは乙女ゲームの世界なんだって!」

「……そんなこと言われてもね」


 かおるは思わず目を平たくして花を見る。しかし花は先ほどまでの戯言を「冗談」だと言うつもりは一切ないようだった。


 ひどく真剣で――そしてどこか青白い顔をしたままなので、かおるは純粋に花のことが心配になった。


 かおるに比べれば不真面目と言えど、花はタチの悪いイタズラや冗談などは仕掛けないタイプだ。そんな花がひどく真剣な目で必死に訴えかけてくる。親友としては信じてやりたい気持ちは山々だが――。



 ……この世界の男女比は崩壊しつつある、らしい。幼い頃からそういう風にかおるたちは習ってきたし、統計がそれを事実だと証明している。


 よって世の中は徐々に「女性は複数の男性をはべらせて子供をたくさん産むべし」という方向へと舵を切り出した。


 かおるの親世代はそうでもないのだが、かおるたちの世代では複数の男子とお付き合いしている女子は、そう珍しい存在でもなかった。


 法改正もされて複数婚が可能になると、ますますそういった価値観に弾みがつく。


 かおるはそういった価値観を否定しているわけではない。しかし肯定しているわけでもなかった。要は、どっちつかずのちゅうぶらりん。中途半端なのがかおるなのだ。


 そして花も似たようなものだった。思春期を迎えた周囲の女子たちが、大人に言われるがまま「よりよい男子」を獲得せんと躍起になっているのを尻目に、ふたりは二次元に耽溺していた。それがふたりを親友という形で結び付けていた。


「三次は惨事」とまで言うわけではないものの、現実リアルの男子に興味を持てない点は、かおるも花も同じだった。同性で価値観も近い相手と一緒にいるほうが楽しいというのが、今の彼女らの本音なわけである。


 女子も男子も賛美されるのは肉食系。男子は女子を半ばお姫様扱いし、いかに自分が優れた相手であるかアピールするのに余念がないし、女子は女子でそんな男子を品定めする目で見たって、たしなめる大人はいない。


 そういう空気がかおるは苦手で、花もそうだった。だからふたりはいつもふたりきりで固まって、理解のない人間からすれば「くだらない二次元」の話題に興じるのが常だった。


 かおるにとって、花は「くだらない」話ができる数少ない友人だ。


 花が「異世界転生者だ」などという、普通であれば頭がおかしいと思われても仕方がないことを言い出したのは、自分に対する信頼があるからだ、ということくらいはかおるにもわかっていた。


 わかっていたが――しかし、信じがたい。


「かおるが戸惑うのもわかる。わたしだって未だに信じられないし。でもね、かおるにはちゃんと言わなきゃって思ったの」

「……どうして?」

「あのね……『ダブル・ラブ』はね……一八禁のエロ乙女ゲーなの」


 かおるは引っくり返りそうになった。


「え?! じゃ、なに? 私たちがヒロインってことはさ……つまり」

「そう。このままだとわたしはアオイ兄さんとイズミに、かおるは建と樹に――エロいことされるんだよ!!!」

「ええええええ?!」


 花はかすかに青白かった顔をさらに青くさせて言い切った。その仰天の内容に、かおるはまた引っくり返りそうになる。


「そりゃ……建と樹からはなんていうか……好意? みたいなものは感じてたけど……いや、でも……」

「信じられないよね?! わたしも信じらんないよ! でもでもわたしの前世の記憶がこのままだとエロ展開に持って行かれるって言ってるんだよ!」

「いや、でも、私たちその気はないし、樹はともかく建は無理矢理なんてしないと思うけど……」

「樹の信頼感……ゴホン。でも『ダブル・ラブ』のキャラはちょっと強引にヒロインに迫ってて……ヒロインもそれにちょっと流されちゃう~みたいな感じの乙女ゲーだったんだよね」

「流される……か」

「強引に迫られて絶対に流されないって言い切れる?」


 花は言外に「無理だろう」と言っていた。その意見にはかおるも残念ながら「そうだ」と答えなければならない。


 この世に「絶対」などというものは存在せず、そしてかおるは引っ込み思案の典型的陰キャオタク。そんな人間が、多少好意があって顔がいいことを認めている男に迫られて、「絶対に」流されないということはあり得るのだろうか?


 かおるは花のことはともかく、自分のことは基本的に信用していない。だから「絶対にあり得ない」などという言葉はどうしても発することができなかった。


「それに……乙女ゲームの世界なら強制力とか、そういうファンタジーなアレがあるかもしれないし」

「アレ」

「そう、世界の選択的なアレ」


 かおるだってオタクだ。ゲームの強制力に翻弄される作品はいくつも目を通している。しかしそれが実際に自分の身に降りかかるかもしれないとなると、そんなことはなかなか認めたくないものであった。


「ねえ、本当にこの世界は……乙女ゲームの世界なの? せ、せめて全年齢版とか!」


 知らずのうちに哀切がこもったかおるの言葉を、花は一刀両断する。


「残念だけど……ここは一八禁エロ乙女ゲーの世界だよ。あと、そもそも全年齢版はないから」

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