46.希望の光
その晩、美奈は久しぶりにテレビをつけた。夜のニュースを見ると、どのチャンネルにしても万能神経の話題で持ちきりだった。
田島がテレビでインタビューを受けていた。自分のことを言いやしないかと美奈は心配したが、万能神経の仕組みや今後の応用方法などを話すだけで、患者については一切喋らなかった。
万能神経のことが世間に周知されたことを知り、美奈は忘れていた不安が大きくなった。腹が痛くなって、吐き気がした。電気を消してベッドに横になるが、なかなか寝付けない。
いつか、自分の首がもげたことを世界中の人が知ってしまうのではないか。道行く人が自分を見ながらひそひそ囁き合う、「あれ、首がもげた女だよ」……。
美奈はベッドから飛び起きて、洗面所の鏡で自分の首を見た。手術痕は一切ない。きめの細かいキレイな肌だ。まさか、知られることはないだろう。田島も武田も、大学病院の事情を知っている人間たちも、守秘義務で、自分のことを口外することはないはずだ。
橋田の姪っ子に首が落ちたのを見られたが、都市伝説みたいな信憑性の薄い、単なる噂話になっただけだ。トイレで男たちに襲われたときに首が大きくずれたが、男たちは酔っ払っていたし、助けてくれた良介も、ただの見間違いだと思っているらしい。
ただ、ひとつ不安があるとすれば、声が突然低くなってしまったことだった。ずっと首にコルセットをしていた美奈の声が、コルセットが外れるとともに低くなった。この不自然な変化を訝しがる人間がいるかもしれない。コルセットと低音ボイスの因果関係はわからないにしても、美奈の首になにかがあったと勘ぐる人がいるかもしれない。
「だとしたら……」
あれこれ考えている内に恐ろしくなった。考えれば考えるほど、悪いほう悪いほうへと想像が転がっていった。最終的に美奈は想像の中で、見世物小屋のトップスターになっていた。
恐怖を振り払おうと、美奈はマーティンを手に取って、駅前まで走った。カラオケボックスに入り、朝までギターを弾き続けた。ギターを弾いている間は、すべてのことを忘れて、恐怖や不安をはねのけることができた。
翌朝、部屋に戻ってシャワーを浴びた美奈は、寝不足で落ちくぼんだ目元を濃いめの化粧で覆い隠し、ふらふらと覚束ない足取りでサクサフォンに出かけた。
不安で仕方がなかった。常に心臓が高鳴って、口元はひくひく小さな痙攣を繰り返していた。
昼休憩中に喫煙所で煙草を吸っていると、スマホが鳴った。武田からだった。
「もしもし?」
「あ、もしもし? 清水美奈さんの電話番号で、間違いないですか?」
「そうですよ。何度も電話してきてるじゃないですか」
「ああ、よかった。そうなんだけど、声が低いから、間違えたかと思っちゃって」
「どうしたんですか?」
「いや、あのね、その後、どうかなと思って」
「問題ないですよ」
「声は、相変わらず、低いよね。うん」
「用事はそれだけですか?」
「いや、あのね、その声についてなんだけど。田島がさ、もう一度、声をチェックしたいんだって。やっぱり気になってるみたいなんだよね。田島の方からさ、直々に、もう一度清水さんの喉を診てみたいって要望があって。なんだか、解決策が見つかったみたいなこと言ってたから、もしかしたら、そのまま手術になるかもしれないんだけど……」
「いつですか?」
美奈は冷静さを少し失い、食いつくように訊ねた。
「えっとね、六月末の日曜日。俺のところに田島が来るから。ほら、いま、田島は時の人でしょ? 大学病院で治療をするとなると、マスコミがさ、黙ってないから。俺のところなら、いまのところはマスコミもかぎつけてないからね。それに今回は万能神経使わない手術になるだろうから、大学病院でやる必要もないんだ。清水さんも、田島の手術を受けることでマスコミにいろいろ注目されるのはイヤでしょ?」
六月末の日曜日となると、優子の結婚報告パーティの後だった。
美奈はがっかりした。しかし、喉が治るかもしれないというのは希望だった。声が元の高さに戻れば、首がもげていた過去と完全にお別れできる。
美奈は武田の申し出を受け入れた。武田が安心したように息を吐く。
「田島も、悔しかったんだろうね。かなり過密なスケジュールの合間を縫って、清水さんを診たいって言っているんだから」
それから武田は詳しいことはまた連絡すると言い残して、電話を切った。
トンネルを抜けたような気分だった。美奈は煙草を吸い殻入れに放り込み、寝不足を忘れたような軽い足取りで店に戻った。
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