28.田島と万能神経

 父親の還暦祝いをしているときに、美奈のスマホに着信があった。パーティが終わってから電話がかかっていたことに気がついた。発信者を見ると、武田医師だった。

 美奈は急いで折り返し電話をかけた。四回ベルが鳴り、武田が出た。

「もしもし清水です……」

「清水さん!」

 弾んでいる武田の声に美奈の胸は一層高鳴った。

「先生、電話くれまし……」

「清水さん! いまから来て!」

 武田は美奈の言葉が耳に届かないほど興奮しているようだった。

「え? いまから? いま、ちょっと実家に帰ってて。どうしたんで……」

「実家? 実家ってどこ!」

「えっ、成田です」

「成田? 成田って千葉の成田?」

「あ、はい」

「それなら都合がいい! 明日! 明日、なにか予定ある? あってもキャンセルして! たとえ清水さんの結婚式だとしても、絶対キャンセル! ウェディングドレスを脱ぎ捨ててでも……」

「いや、結婚はしないですけど、どうしたんですか?」

「田島が! 田島が、万能神経を完成させて帰国したんだよ!」

「田島さんが?」

 武田の説明では、すでに動物実験が終わり、人体への適用も問題なしと判断されたとのことだった。万能神経を利用した第一号の手術を行うために、先日、アメリカから研究チームを引き連れ帰国し、母校である千葉の大学病院で手術の準備をしているらしい。

「第一号の患者さんって、日本人なんですか?」

「日本人? なに言ってんの? 清水さんだよ!」

「私が?」

 美奈は四つ葉のクローバーを一度に五本くらい見つけた少女のように喜び、そのことを父親に伝えた。酔っ払ってソファに寝転んでいた父親は、いっきに酔いが覚めたと見え、がばりと起き上がり美奈を抱きしめた。

 それから「いますぐ行こう!」と叫び、おぼつかない足取りでジャガーのキーを掴んで転んだところを見ると、まだ酔っているらしい。


 翌日、父親が運転するジャガーで大学病院を目指した。武田と、午前十一時に病院で待ち合わせになっていた。

 十一時前に病院に着くと、白衣姿の武田が玄関口に立っていて、ジャガーを見つけて大きく跳ねるようにして手を振った。ジャガーに乗っているということは車中、電話で伝えてあった。

 美奈を降ろし、父親は車を停めるために駐車場を回った。

「早く! 早く! 田島が待ってるよ!」

 武田は挨拶もなしに言うと、駆け足で病院の中へ入って行った。美奈も早足でその後を追った。

 病院内は閑散としていた。

「今回の手術は、極秘なんだよ。大学病院の関係者しか知らない。本当だったら、マスコミが駆けつけていたっておかしかないんだ」

 エレベーターの中で武田が言った。

「でも、清水さんが名前を出したくないって言うから、完全にシャットアウト。というか、田島が日本に帰って来ていることも公表してない。俺だって昨日知ったんだから」

 エレベーターが脳神経外科のフロアに止まり、美奈は田島の待つ診察室へと歩いた。

 診察室に入り、なにやらガヤガヤと声が聞こえるパーテーションの向こう側に案内されると、そこに白衣を着た西洋人やラテン系の男女が五、六人いた。カルテを見ながらなにやら英語で議論をしている。

 その中心に、白髪をオールバックにし、白い口髭を蓄えた面長の日本人がいた。

 武田が片言の英語で声をあげる。

「ドクターズ! アイ ウィル イントロデュース ユー ザ レイディ ザット アイ トールド ユー ビフォー……」

「清水美奈さん?」

 面長の日本人が一直線に美奈を見て言った。

「イエス シー イズ」

 頷けない美奈の代わりに武田が答えた。

 面長の日本人は口元に小さく笑みを浮かべた。

 白衣の集団が美奈の顔を一斉に見ている。セミの羽化を初めて観察する夏休みの小学生男子のような好奇の目をしている。

 外国人の白衣集団に見つめられ、美奈はたじろいだ。それを察したのか面長の日本人が大きな目を優しく細めて美奈に近寄った。

「はじめまして、田島です」

 その日本人が田島だった。

 それから、いろいろな説明がされた。

 自分が研究していること、万能神経の万全さ、研究チームについて、それぞれのドクターの経歴、そして万能神経を使った首接合手術の方法など、わかりやすく簡単な言葉で説明されたが、美奈には外国語のように意味不明だった。

 遅れて父親がやって来て、同じような説明がもう一度なされた。父親は田島がなにかを言うたびに、「あ、なるほど、お願いします」と言うだけだった。

 美奈が首を取って見せると、手練れの精鋭部隊もひどく驚いたようで、悲鳴のような声が上がった。

「Unbelievable!」

「Is this real!?」

「How come she can stay alive!?」

 しかし田島は落ち着いていて、

「Calm down guys, she is our patient, you know」

 美奈にはなにを言っているのかわからなかったが、落ち着いてドクターズを諭す田島を見て、この人は信頼できそうだという安心を覚えた。

 そのまま入院することになった。

 美奈の病室は完全個室で、部屋に入れるのは田島をはじめとする研究チームの医者と、ごく限られた看護師、そして美奈の家族だけだった。

 毎日、朝から晩まで入念な検査が行われ、四日目の夜に、無事、手術を行える判断が下された。

 美奈は夢見心地だった。

 ようやく、生活が元に戻る。サクサフォンにも復帰できるし、自信を持って恋愛もできる。歌手になってステージに立つこともできるだろう。

 翌日の午前中、美奈はストレッチャーにのせられ手術室に入った。

 両親と奈央が病院まで駆けつけてくれた。

 田島の話では、首接合手術ではあるが、現時点で命に危険があるものではないから、特に難しい手術ではないとのことだった。田島は終始笑顔で、だれもが田島の言葉で安心できた。美奈もそれほど緊張せず、笑顔で家族に手を振りながら手術室へ入った。

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