18.おばけはいるよ
優子の綿のように柔らかい歌声がオールウェイズを包んだ。
寒い冬の夜に一枚の毛布にくるまっているような、心許ない温もりを美奈は感じた。
拍手をするのを忘れ、店内に鳴り響く喝采に恥ずかしそうに会釈する優子の笑顔をぼんやり眺めていた。
バンドメンバーがステージを降りて、観客と挨拶を交わす。
優子は美奈たちを見つけると、嬉しそうに両手を広げた。
「来てくれてありがとう!」
そう言いながら美奈、葵、良介、橋田と順番にハグをした。
美奈の心臓はバクバクと大きな音を立てていた。全身が熱くなり、背中や胸の辺りを生ぬるい汗が流れる。
優子の後ろに、隆一とジョージが立っていた。ジョージの存在が、美奈を途方もなくナーバスにさせた。
サングラスをしているから表情は読めないが、痩せた頬は引きつっていて、口角はぴくりとも上がろうとしない。他人を寄せ付けない殺気のようなものを発しながら、所在なさげにぼぉっとどこかを見つめている。
黒いサングラスの向こうで光る目が、美奈を捉えた。美奈は背筋に冷たいものを感じて思わず視線をそらした。
どこかで感じたことがあるような感覚だった。以前もこの目に見られたことがあるような気がする。美奈は暑くなりマフラーを緩めた。
「あれ、美奈さん、首にコルセットしてるんですか?」
橋田が声を上げた。
「どうしたんですか? ケガですか?」
美奈は慌ててマフラーを締め直した。
「いや、寝違えて筋をやられちゃって」
「へぇ。大変ですね……あ、そうだ、みんな、首なし女って知ってる?」
橋田が思い出したように言う。
「首なし女?」
優子が興味津々に聞き返す。興奮しているからどんな話にも食いつく。
「そう、首なし女。俺の姪っ子が教えてくれた話なんだけどね。この間、姪っ子が街で迷子になったらしくて、ひとりで泣いていたんだって。そしたら、美人のお姉さんが『どうしたの?』って訊ねてきてね。姪っ子はそれでも泣き続けていたんだけど、そしたら、そのお姉さんの首が、ごろっと転がって地面に落っこちたんだってさ」
皆が笑った。
「なんだ、その話。都市伝説か」
隆一が呆れたように首を振りながら腕を組む。優子が首を傾げた。
「でも、なにと見間違えたのかしらね」
「それで、首が落ちてどうなったんですか?」
葵が不安そうに続きを話すよう促した。
「うん。姪っ子の話ではお姉さんは首を拾い上げて、『おばけじゃないの』って言ったらしいよ。その後すぐ逃げちゃったってさ」
「なんだか、不気味。どこの話?」
橋田が姪っ子の住んでいる街の名前を言った。
美奈が住んでいる街だった。
自分の話だと美奈は気付いた。
「美奈さんが首にコルセットしているから、思い出したんだ」
目の前が暗くなった。絶望感に襲われた。息がしづらくなった。
「おばけなんているわけないですよ」
怖い話が苦手な葵が大きな声を出す。そこにいる皆が声を出して笑った。
「大丈夫? 美奈?」
優子が美奈の異変に気づいて声をかけた。美奈は泥酔して意識が飛びそうな酔っ払いのように、消え入るような声で「大丈夫……」と吐息のように漏らした。
「……さい」
どこからか、声が聞こえた。なにを言っているのか判然としない。
「……ください」
美奈が声のするほうへ体を向けると、そこに、ジョージが立っていた。
「……元気、出してください」
ジョージが震える小さな声で言っている。その声に聞き覚えがあった。
ゴーストだ。
美奈はすぐにわかった。
背格好、シャープな顎、痩せた頬、長い髪の毛、震える不明瞭な声。気づいた途端に、それらすべてが、ゴーストのものであるようにしか感じられなくなった。
世界が突然、自分の知らない形に存在の仕方を変えてしまったみたいだった。自分の居場所がなくなったように感じられた。
美奈はその場を離れ、トイレへ入った。
美奈は個室のドアに額を当て、ため息をついた。首の接地面が浮き上がり、がくんと上を向いた。頭が後方へ転がり落ちそうになるのを、慌てて両手で押さえた。
首さえもげなければ。
過去に戻りたかった。不安などない、幼い頃に戻りたかった。家族に守られていたあの頃に、戻りたかった。
美奈は涙を出任せにして、下唇を強く噛んだ。さっき葵が言っていた言葉を思い出しながらつぶやいた。
「おばけは、いるよ」
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