15.映画版と小説版
映画『ミスター・ロンリネス』にも、原作と同じように「男の家を渡り歩く女」が登場する。
その女は、ひとりになるのがイヤで、知り合いの男の家を渡り歩いている。美人で色気があり、男たちは女の頼みを断れない。宿のお礼に、毎晩、肉体を提供する。女は自分の力で宿賃を稼いでいるのだとカフェの仲間たちに豪語するが、結局やっていることは娼婦と変わらない。
ある日、女はちょっとした口論の末に家を追い出され、泣きながらスクーターに乗って暴走しているところをトラックに轢かれてしまう。半死半生の狭間をさまよう中、自分の肉体が元通りにならないかもしれないという恐怖に襲われる。そのとき、ミスター・ロンリネスが病室に現れ、彼女にいろいろ語りかける。
のちに彼女は、顎に小さな傷だけを残して退院する。以降は男の家を渡り歩くのをやめ、自立した生活を送るようになる、というストーリーである。
「ライオンの肛門に顔を突っ込みたがる男」や「自分が腹話術で操るダッチワイフに恋をしてしまう男」など、オムニバス形式で展開される『ミスター・ロンリネス』には、強烈な個性を持った登場人物がほかにもいた。しかし美奈は、「男の家を渡り歩く女」により強い興味を抱いた。容姿や性格、そして境遇がどことなく自分に似ていて、感情移入がしやすかったのかもしれない。
良介や優子の話では、「『ミスター・ロンリネス』は、映画と原作で全然違う」とのことだった。美奈は映画を観た後、すぐに小説を購入した。
下田が持っていたのと同じ装丁の文庫本だった。訳者の文章がへたくそなのか、活字慣れしていない美奈の読解力に問題があったのか、内容はほとんど頭に入ってこなかった。
それでもなんとか、「男の家を渡り歩く女」の章だけは読み切った。
原作では、「男の家を渡り歩く女」は、自分を追い出した男の家に火をつけて、そこから逃げている最中に、走ってきたスクーターとぶつかることになっていた。
映画にはこの、「家に火をつける」描写がなかった。美奈は映画版でカットになった理由をネットで調べたが、はっきりとした情報は得られなかった。匿名の書き込みによれば、「放火してしまえば女が犯罪者になってしまい、視聴者の共感を得られないからだろう」とのことだったが、これもあくまで一視聴者の推測に過ぎない。
美奈は、原作のほうが好きだった。たしかに放火するのは衝撃的で、女は犯罪者だ。しかし、良介ではないけれど、「どうして自分がこんな目に遭わなくちゃいけないんだ」と暴れまわりたくなるときが人間だれしもあるのではないかと思った。
行動に移すか移さないかの差でしかなく、人間というのは結局、大なり小なり、放火したい願望を心のどこかに持っているのではないだろうか。
久しぶりに読書をしたせいか、自分がとても知的な存在であるような気になった。背伸びして哲学めいたことを考えて、首がもげている事実を忘れようとした。本を読み、偉そうなことを考えている間は、自尊心を保てた。
しかし、身の丈に合っていない哲学的空想はすぐに打ち破られる。シャワーを浴びる、ご飯を食べる、発泡酒を飲む、煙草を吸う、凝った肩を回す……そんなさりげない動作が、首がもげているという事実を鼻先に突きつけてくる。
ひと月足らずで三キロも太った事実を、無感情で伝える体重計のように。
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