13.良介、大いに語る

「もう我慢ならねぇ」

 昼休憩中に喫煙所で煙草を吸っていると、良介がやって来るなり吐き捨てた。美奈はまぶたに滲んだ涙をあくびをする振りをしてごまかした。

「あのコンビニは人をバカにしてる。清水さんも気をつけたほうがいい」

 美奈は大げさに顔をしかめた。口元に半笑いを浮かべ、呆れた様子で良介を見る。

「今度はなに?」

「清水さんどうしたの?」

「え? なにが?」

「なんかいつもと違うけど……」

 美奈はとっさにコルセットに手をやった。首がずれているのではないかと心配になった。が、首の向きに問題はなかった。

「なにが違うの?」

「目、かな」

 良介はニット帽にさしてあった煙草を取って口にくわえた。

「目力がないよ、今日は。化粧変えた?」

 美奈が目元に指先をやると、ドアが開き、貴之が首をコリコリ鳴らしながら出てきた。笑顔で美奈の顔を見て、すぐに片眉を上げる。

「美奈ちゃん、どうしたの?」

「貴之さんまで」

「怒ってるの?」

「いや、別に怒ってないよ」

 美奈はそこで、今朝、メイクをしてこなかったことを思い出した。髪の毛をいじる振りをして、手で顔を隠す。

「メイクしてないだけだよ」

「あ、わかった。合コンが最悪でキレてんだ」

「なに清水さん、合コンなんて行ってたの? 好きだねぇ」

「葵ちゃんもブツブツ言ってたからね。最低な合コンだったって」

「なに、そんなにひどい合コンだったの?」

「まぁね……」

 仕方がないので、合コンについて話した。葛西健太やイチゴポテトの話をすると、貴之と良介は可笑しそうに笑った。成り行き上仕方なく、下田とのデートの話もした。貴之は「ひどい男だな」と同情したように顔をしかめた。良介は可笑しそうに笑っていた。

「オレ、知ってる、そのゴールデン街の生ゴミってやつ」

「有名人なの?」

「昔ゴールデン街にしょっちゅう行ってたんだけど、そう呼ばれてる奴がいたよ。すげぇめんどくせぇ奴だった。まだあの人ゴールデン街にいるんだな」

「いくらその人がめんどくさいとしても、デート中に行くとかありえなくない?」

 美奈が言うと、貴之が弁護するように頷いた。

「デート中はダメだね。そんなことされたら、悲しいよね」

 貴之が味方になってくれたことがすごく嬉しく感じられ、美奈は泣きそうになった。

「おれなら泣いちゃうよ」

「なに言ってんだよ」

 良介が鼻で笑う。

「泣いちゃダメだよ。泣いたってなんにもならねぇんだから」

 勢いよく鼻から煙を吹く。

「色恋に関してなにかっていうとすぐ泣く奴がいるけどな、ありゃ自分に酔ってんだな。そんなことじゃいつまで経っても前にゃ進めねぇよ。オレは絶対に泣かない」

「でもおまえ、恋ってのはしんどいもんだ。泣いたって仕方がないだろ」

「貴之さん、あんた正気かよ。いいか、二人とも、よく聞けよ。恋でひどい目にあったらな、泣くんじゃない」

「どうすんだ?」

「怒るんだよ。怒り狂うんだよ。なんで自分がこんな目に遭わなくちゃいけねぇんだ! って嵐のように暴れまわるんだ」

「はた迷惑なやつだ」

「冗談じゃない。怒りってのは推進力になるんだ。悲しんでたって後退するだけ。喜んでたって足踏み。怒りだけだよ、前に進めるのは。なにくそ精神で一気に前進するんだ」

「だから良介はいつも怒ってるのか」

「そうだよ。怒りは愛だ。本当に相手のことを思っているなら、泣いてばかりいちゃダメだ。怒らないと。怒りの赴くままに走り、たとえ殺されようとも愛する人のためにヤクザに立ち向かわないと!」

「なんだか話が違う方向へ行ってないか?」

「そんなことはない! ヤクザだろうとシャブ中だろうと、敢然と立ち向かわねぇと!」

「ヤクザに立ち向かうとか、絶対ムリ、速攻逃げる……」

 美奈が言うと、良介は力強く首を横に振った。

「いいや、少なくとも男は、愛する女のために身を呈して命を投げ出すくらいの覚悟がないとダメだ! そのためには恐怖に打ち勝たねぇと! そんなときに必要なのが怒りだ! 怒り狂え! 二人の愛のために……あ、そうだ、オレはいま怒ってんだよ。あのコンビニ、あのコンビニ! いよいよオレは本気で怒ったぜ。嫌がらせとしか思えねぇんだから……」

 それから良介は、「コンビニ店員が、コロッケを包む紙袋の切り口にテープを貼ったこと」に対する怒りをぶちまけた。

 貴之は笑って聞いていたが、美奈は冷静に話を聞いていられなかった。

 恋というものに対する向き合い方が、ここにいる二人とどこかずれているような気がしてならなかった。

 美奈はこれまで、恋のために泣いたことも、怒ったこともなかった。涙が出るほど悔しかったり、腹立たしかったりすることはあったが、それはすべて自分自身のために起こった感情に過ぎず、男のために感情が動かされたことなど皆無に近かった。

 美奈はいままで、恋に恋したことさえなかった。常に満たされていた。男はほとんど自分の意のままに動き、手に入れたいと思った相手はすべて手に入れてきた。美奈にとって「恋」は、必ず勝つと約束された八百長試合のようなものだった。

 そんな試合を繰り返して、なにが悲しいものか、腹立たしいものか。

 美奈はため息をついた。

 良介と貴之の会話を聞いていると、喫煙所のドアが開いた。そこから優子が顔を出し、美奈を見つけて嬉しそうに笑った。

「あ、いたいた。やだ、ほんとにひどい顔してるじゃない、美奈」

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