10.クソみたいな合コン

 八時半に、吉祥寺のはずれにあるイタリアンレストランで集合することになっている。

 美奈たちが店にたどり着くと久美子が入口の前に立っていた。ほかのメンバーはすでに席についているらしい。

 八人がけの席で、手前の席に葵が座り、奥にレイを始めとした男性陣が並んでいる。美奈とエミが挨拶すると、レイが軽く会釈し、ほかの男たちもそれにならって頭を下げた。

 美奈好みの男はいなかった。

 とりあえず生ビールで乾杯する。まず、レイが軽く喋って、次に久美子、葵、エミ、そして美奈の順で自己紹介した。男性陣は多少首元に目をやっていたが、コルセットよりも美奈の美貌に見惚れているようだった。

 次に男性陣の自己紹介となった。

 レイの隣に座っていたのは葛西健太というベンチャー企業の営業マンだった。これだけ聞けば問題ないが、実際はいろいろと難ありだった。

「俺は、フリーの詩人なんだ。もしも、心にぽっかり穴が開いて、どうしようもなく苦しくなったときは、俺に連絡してよ」

 そう言って葛西は、一冊のノートを広げて見せた。そこには自作の詩がいくつか載っていた。葵が手に取り、何ページかペラペラめくって「へぇ」と言ってエミに回した。エミは表紙だけ眺めて「へぇ」と言って美奈に回した。美奈は適当に開いて、いくつかに目を通した。


 君の心はたんぽぽの綿帽子

 柔らかくて軽やかで

 そっと息を吹きかけると

 ふわっと飛んで

 たくさんの花を咲かせるよ


 苦笑いしそうになるのをこらえて次のページへ。


 下りのエスカレーターは

 上ってはいけない

 いったん下まで降りてみれば

 上りのエスカレーターが見つかるよ


 なんのこっちゃわからずチラリと次のページに目をやる。


 僕の見ている世界はきっと

 世界一美しいんだ

 君を見ているから?

 ううん、違う

 僕の目から僕の顔は見えないから


 少し意味を考えて笑ってしまった。

 美奈はノートを閉じた。葛西に返しながら、笑顔で「へぇ」。とにかくこの男はナシだ。

 葛西健太の横に座っている男は、問題外だった。

 まず、顔がまずかった。デコボコのイチゴみたいに輪郭がいびつで、顔中ブツブツ無精髭だらけ。どこ出身なのかは不明だが、どことなく言葉がなまっていて、ドンくさいお芋さんのような印象だ(合コン後、葵が命名した「イチゴポテト」というあだ名が印象的で、美奈は彼の本名を覚えられなかった)。

 大学院でドイツ文学の研究をしているとかで、来年の四月からフランクフルトへ留学すると言っているが、真否は不明。文学の話などほとんどせず、ずっとわけのわからないことばかり言っている。

「清水さん、その首はもしかして、横綱とのぶつかり稽古で痛めちゃったの?」

「え? ぶつかり稽古?」

「パァンッパァンッて胸を借りたんじゃないの?」

 ニヤニヤしているのが気持ち悪くてなにも答えられない。

 美奈は否定するのも面倒になってただ苦笑いしてその場をしのいだ。するとその苦笑いをウケたものと解釈したのか、イチゴポテトが、

「清水さんは、どんな男がタイプなの?」

 踏み込んだことを訊いてきた。少なくともあなたは違うと言ってやりたいのをこらえて、

「細身で、清潔感がある人かな」

 イチゴポテトの特徴とは真逆のことを言った。イチゴポテトは腕を組み、

「じゃあ、細身で清潔感のある男がいたとして、清水さんがその人のことを好きになったとするよね。もしその人の名前が『ゲリウンコ漏れ太郎』だったらどうする?」

 なぜそのようなことを考えなければいけないのか。

「イヤだよ、そんなの」

 美奈はイライラして、それ以降イチゴポテトの話は無視することに決めた。

「下田忠士です。よろしくお願いします」

 イチゴポテトの隣、美奈の正面に座っていた男は自己紹介で恥ずかしそうにそう言うだけだった。

 ツーブロックに髪の毛を刈り上げており、薄いもみあげから顎にかけて、切りそろえられた髭が延びている。身長はそれほど高くなく、顔も美奈好みではなかったが、今回集まった中では一番まともだと思った。

 紫のサテンの長袖シャツの袖をまくっていて、太い腕は硬く引き締まり、日焼けしているのかかなり日本人離れした色の濃さである。一見遊び人のようだが、終始恥ずかしそうにうつむいていて、口数も少なく、ビールを飲みながら皆の話に相づちを打つだけだった。

「しもやんは、写真家なんだよな」

 葛西健太がなにも言わない下田にちょっかいを出す。下田は美奈を一瞥し、観念したように頷いた。

「写真家ではないけど」

 そう言って足下に置いてあった鞄から、一眼レフと文庫本を取り出した。

「写真を撮ってるだけ。趣味の延長みたいなもんです」

「原宿で個展開いたりしてたじゃん」

 レイが口を挟む。

「個展とかやってるの?」

 美奈はレイのほうに顔を向けるのが面倒で、直接下田に訊ねた。下田はうつむきがちに美奈を見た。

「いや、まあ、自分で金払ってスペース借りてって感じですけどね」

「どんな写真を撮るの?」

「うん。山に登ったり、旅先の風景を撮ったり」

「ええ、すごぉい」

 美奈はできるだけ高い声を出して下田を褒めた。

「どんな写真か見てみたぁい」

 さほど興味はなかったが、今夜の男性陣の中では一番無難だと思い、下田に照準をしぼることにした。

 下田は一冊の本を鞄から取り出した。自信満々だった葛西とは違い、下田は怖ず怖ずとしている。まるで親に赤点のテストを見せる中学生のようだ。

 それは下田が撮った写真を収めた写真集だった。とは言え、そんなに大げさなものではない。A4サイズでプリントされた写真の背を、型紙にのり付けして製本した、手作本である。それにしても葛西健太の大学ノートの詩集よりははるかに立派だった。

 白バックの表紙には【The Wind of Paris】と筆記体で書かれており、真ん中にエッフェル塔の白黒写真、そしてその下に筆記体で「Tadashi Shimoda」と印刷されている。美奈は写真集を両手で顔の前に持ち上げ、ページを開いた。

 中身はパリの風景を撮った白黒写真だった。エッフェル塔や凱旋門、シャンゼリゼ通りにルーヴル美術館といったパリの名所から、どこだかわからないゴミで溢れた路地裏の景色や、カフェでコーヒーを飲む老人など、被写体はさまざまだった。

「美奈さん、こいつの行動力ハンパじゃないんですよ」

 レイが笑いながら言う。

「こいつ、突然酔っ払って俺に電話してきて。明日パリに行くからチケット取って! とか言うんですよ」

「明日のチケットとかって急に取れるものなの?」

 久美子が興味津々に訊ねる。レイが頷く。

「あれば取れるよ。っていうか、こいついつも急なんだよね。パリの前にもカンボジアとかインドとか、ネパールとか。明日のチケット! って酔っ払って電話してくんの」

「へぇ、すごぉい。行動派なんだぁ」

 美奈は下田に向き直って、親近感を込めた声で言った。なにがすごいのかはわからないが、こう言っておけば男は喜ぶ。美奈が相手の目を見て言いさえすれば。

「でも、酒飲むたびに旅行だもんな」

 レイの呆れたような声が聞こえてくる。

「飲むたびじゃないよ」

 下田が首を振る。

「でも、どうしてパリなの?」

 美奈は写真集を返しながら訊ねた。

 下田くんは写真集を鞄にしまい、さっきテーブルに置いた文庫本をひっくり返した。美奈は目だけでそれを見た。何度も繰り返し読んだのか、表紙がよれよれになっている。

「『ミスター・ロンリネス』が好きで」

 下田くんが文庫本をこちらに向ける。カフェのテラス席に座っている五人の男女のシルエットが、デッサン風に描かれた表紙だった。

「清水さんは、『ミスター・ロンリネス』って知ってますか?」

「名前はもちろん知ってるけど、読んだことはないなあ。私、『人魚姫』くらいしかしっかり読んで来なかったから」

 美奈は苦笑いで『ミスター・ロンリネス』の文庫本を手に取った。

『ミスター・ロンリネス』は十年前に映画化されて話題になった、フランスの小説だった。原作自体は三十年ほど前に出版された世界的なベストセラー。パリ在住の五人の男女が、それぞれ心に孤独の闇を抱えながら、その孤独を受け入れ強く生きていくという青春群像劇である。

 作者のリュック・ベルナールドは権威ある文学賞を多数受賞した大作家であると同時に、変人であることでも有名だった。生涯独身で、パリの浮浪者を自宅に集めてパーティを開き、自宅をそのままホームレスたちに譲って、自分がホームレスになった時期もあった。極度のマゾヒストで、友人に「蜘蛛のオスは交尾をした後、メスに食われるんだ」と興奮しながら語っていたとの逸話が残されている。十一年前、マスターベーション中に自ら首を吊って死亡。七十二歳。他殺、自殺、いろいろな線で捜査されたが、最終的には「自己愛性災害」という、自慰行為中の事故として処理された。

 作者のショッキングな死を受け、追悼の意味で製作されたのが映画『ミスター・ロンリネス』だった。フランスの新進気鋭の若手俳優陣が総出演するという豪華なキャスティングが注目され、日本でもかなり話題になった。

 美奈は小説を読んだことも映画を観たこともなかったが、優子と良介が熱心に語り合っているのを聞いたことがあった。また、優子は次のコールド・ウォーターズのライブで、この映画をテーマにして作詞したオリジナル曲を演奏すると言っていた。

「『ミスター・ロンリネス』、好きなの?」

 美奈が文庫本を返して訊ねると、下田はページをめくりながら頷いた。それから、自分が好きなシーンや登場人物についていろいろ恥ずかしそうに語った。

 まったく好みのタイプではなかったが、葛西健太やイチゴポテトよりはだいぶマシだと思った。せっかく合コンに来たのに手ぶらで帰るのはつまらないし、聞けばそれなりの企業に勤めているらしい。美奈は下田にチャンスを与えることにした。

 下田も、興味を持って話を聞いてくれた美奈に気持ちがあったようで、美奈はこっそり下田と連絡先を交換した。

 その後、久美子とレイは二人でレイの家へ行き、残りの男性陣はそれぞれ帰宅した。美奈とエミは憤る葵に連れられて、ハーモニカ横丁で遅くまで飲んだ。


「クソみたいな合コンだったね! ごめんね!」

 日曜日に出勤すると、美奈を見つけた久美子が大声を上げながら近寄って来た。

「マジ、あれはさすがにないわ、と思って、レイくんのこと叱っといた」

「たしかにあのイチゴポテトはないわ」

 久美子が吹き出す。

「なになにイチゴポテトって?」

「葵ちゃんがそう呼んでた」

「もしかして、あのぶつかり稽古とか言ってた奴? イチゴポテトとかウケる! 秀逸!」

「『絶対遺伝子組み換えされてますよアイツ!』って葵ちゃんマジで口悪い」

「辛辣すぎ、ほんとウケる。うまいよねぇ、葵ちゃん、そういうこと言うの」

「でも、あの下田くんはわりといいと思った」

「え? 下田くんってあの写真家? ええ? マジで? 私はないわ。あの人自分に自信なさすぎだもん」

「そこがいいんじゃん。こっちの言うこと絶対なんでも聞いてくれる」

「そっか、美奈はお姫様になりたいんだもんね」

「彼氏にあれこれ言われるのとか、絶対ムリ」

「私は逆だなぁ。彼氏とは何も包み隠さずぎゃあぎゃあ言い合いたいもん。ってか下田くん『ミスター・ロンリネス』が好きとか、絶対メンヘラじゃん。私はムリ」

「じゃあ、久美子は葛西健太がいいの?」

「いや、ないっしょ」

「ね、あの中じゃ下田くんが一番マシ」

 笑う久美子を後にして、美奈は控室に入った。

 手に持っていたスマホが振動した。見ると、ラインが一通届いていた。差出人は下田だった。美奈は喜びよりも安心を強く感じた。

 ヘッと心の中でほくそ笑む。

 私の魅力は消えていない。首がもげていることを隠し通せば、まだまだ泉はこんこんと湧き出ている。立っているだけで男がふらふら寄ってくる、私はオアシスなのだ。

『今週の金曜日、一緒に出かけませんか』

 なんの前振りもない突然の誘いだった。シンプルな誘いにはシンプルに返す。

『わーい。よろこんで〜』

 久美子のところへ行き、交渉する。久美子は先週の月曜日サボったのだから、その借りを返して貰う。

 事情を説明したら、久美子が美奈の代わりに金曜日に出勤してくれることになった。

 その晩帰宅すると、武田整形外科から特注デザインがいくつか送られてきた。その中から、淡いブルーのものを選び首に巻く。特注品ということもあり、首の座りがかなり安定した。多少動き回っても、首が外れてしまう心配はなさそうだった。

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