9.ゆうたん帰国

 木曜は美奈の定休日で、一日中家でグダグダしていた。普段ならだれかしらに連絡をとってランチをしたりカフェでお茶をしたりするのだが、人と会うのが億劫だった。

 いちいち首のコルセットについて質問されたくなかった。専門学生時代の友達からの誘いを断り、発泡酒を飲みながらネットで動画を観て一日を過ごした。武田からの連絡はなかった。

 翌日、合コン当日の金曜日は久美子が定休だった。朝、久美子から、レイとのツーショット写真と、『今日、合コンだからね!』というメッセージが送られてきた。

 企画から開催までの期間が短い合コンにそれほど期待はしていなかったが、美奈は黒い薄手のセーターにベージュのスカートという勝負服を着て出勤した。これで過去に何人もの男を落としてきた。しかしコルセットをしているからか、セクシーさに少し欠けているようだった。

 

 店に入ると、優子がいた。優子は体にぴったり合った白いニットのタートルネックを着て、ダメージジーンズを履き、丈の長いレースのアウターを羽織っていた。

 スラッと脚が長く、小ぶりだが形のいい胸の膨らみが目をひく。肌の露出がほとんどないのにこれほどの色気が出せるのはすごいと、美奈はいつも感心していた。びっくりするほどの美人というわけではないが、とても魅力的な女性である。

 優子は美奈を見つけると、歯を見せて笑い、両腕を広げて近寄ってきた。

「美奈、ただいま!」

 優子が美奈にハグをする。さわやかな香りが鼻先をたゆたう。

「おかえり」

「聞いたよ、美奈」

 優子が体を離し、美奈の両肩に手をやりながら首を見た。

「とてつもなく寝違えたんだって? どんな姿勢で寝てたの」

「いや、普通に寝てたつもりなんだけど」

「いつ外せるの?」

「わからないんだよね」

「でも、それほど違和感ないのね。さすが、コルセットさえも着こなすわね、あなたは」

「やめてよ。ってか、いつ帰ってきたの?」

「昨日、昨日。昨日の昼ごろ羽田に着いて、一度店に顔を出したんだけど、美奈はお休みでしょ? そのとき久美子に美奈の首のこと聞いたの」

「そういうことね。羽田だったんだ?」

「今回は行きも帰りも羽田。成田だったら美奈のご両親に挨拶してきたんだけど」

「しなくていいから」

 優子は微笑み、商品棚のチェックを始めた。美奈は控え室に入った。

「あ、そこにあるチョコレート、ニューヨーク土産。食べていいからね!」

 優子の声が聞こえてくる。見るとテーブルの上に見慣れないチョコレートの箱が置いてある。すでに封は開けられていた。ひとつ取って食べる。体重が一気に五キロ増えそうなくらい甘かった。

「そういえば、ニューヨークどうだった?」

 美奈は売り場に戻り、優子に訊いた。優子は胸の前に手を合わせて少女のように目を輝かせた。

「ニューヨークってホントに素敵な街よね。わたし、興奮しちゃった」

「初めてじゃないでしょ」

「初めてじゃなくてもよ。ニューヨークは、生きているの。行くたびに違う顔を見せてくれてね、新しい世界に来たみたいな気持ちにさせてくれるの。恋と一緒ね。どれだけ男と付き合っていたって、だれかを好きになったときには、まるでなにも知らない中学生のように緊張しちゃうでしょ?」

「そんなことないけどなあ」

「いいわよ、ニューヨーク。街に躍動感があって、エネルギーに満ち溢れてる。あの街にいると、なんでもできるような気になるわ。今回は隆一も一緒に来てね、アポロシアターとか、ブロードウェイを観たんだけど、世界最高峰がある街ってやっぱり街としての格が違うのね」

「ニューヨークか。私はどちらかというとヨーロッパに行きたい」

「あ、そうだ。ニューヨークじゃないんだけど、今度パリに出張するから、そのときはあなたもついてくる? 隆一のお友達がいるらしいから、案内してもらえば? パリも素敵よ」

「冗談でしょ」

 美奈が鼻で笑うと、優子はペロッと舌を出し、パリの話をうやむやにしてしまった。

 それから、ニューヨークの知り合いのアパレルショップで「ゆうたんブランド」を売り出してくれることになったという話や、ブロードウェイの『シカゴ』が素晴らしかったこと、そしてアポロシアターで聴いたマディ・ウォーターズのトリビュートバンドが最高だったなどの話をした。

 マディ・ウォーターズは五十年代から八十年代にかけて活躍したアメリカのブルースシンガーである。「シカゴブルースの父」と呼ばれ、いろいろなバンドマンに影響を及ぼした伝説のプレイヤーで、たまに店内のBGMでもかけることがあるので美奈も何曲か知っている。

 優子の恋人の隆一は、このブルースシンガーの名前をもじって、「コールド・ウォーターズ」というバンドを組んでいた。優子もサックス担当で、曲によっては一緒に演奏しているバンドである。

「あなたも一度、行くべきよ」

「いつかね」

 そんな話をしているうちに就業時間が来て、美奈たちは仕事モードに入った。


 仕事を終えると、事情をすでに知っていた優子のはからいで、美奈とエミの二人はクローズ作業を免除された。

「恋にコンプライアンスはないのよ!」

 やけにはしゃいでいる優子を置き、二人はサクサフォンを後にした。

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