3.フラれた
タクシーで太一の住んでいる恵比寿へ向かう。
恵比寿駅で降りて、二人はコンビニで缶ビールを数本と、おつまみの惣菜を買ってマンションへ行った。
美奈は帰りたかったが、太一がどうしても一緒に晩御飯を食べたいと言って聞かなかった。
一人暮らしにしては広すぎる2LDKの、広いダイニングにあるテーブルに惣菜を並べ、二人はビールで乾杯した。
「そんなにひどく寝違えたの?」
太一がビールを美味しそうに半分ほど一気に飲んで笑った。
「うん、そう」
美奈は姿勢よくビールをちびちび飲んでいる。
「マフラー取りなよ」
美奈はマフラーをしたままだった。
「部屋の中にいるんだし。寒かったらエアコンつけるよ」
「ううん。大丈夫。すぐ、帰るし」
「なんで。泊まっていけばいいだろう」
「今日は、いい」
「どうして。いいじゃんか」
太一が近づいてきて肩に手を置いた。美奈は体の向きを変え、真剣な目で太一を上目遣いで見た。美奈としては、本気で帰りたがっていることを目で訴えるつもりだった。しかし、それがいけなかった。
「今日はかえファ」
太一がキスをした。
後頭部へ手を回し、ぐっと押さえつける。太一の匂いが鼻をつきうっとりした。媚薬のようなものだった。全身が一気に熱くなり、じんわりと汗が湧き出る。
美奈は思わず目を閉じた。
「帰っちゃダメだよ」
太一が顔を離して言った。美奈は全身で頷いてしまった。すると視界が下を向いたまま上へ戻らなかった。
咄嗟に両手で頭を押し上げた。キスの衝撃と汗とで、テーピングが緩んでしまったのかもしれない。昼に巻いたものだから、そもそも粘着力が落ちていたのだろう。
美奈は慌ててマフラーをきつく結んだ。太一は気づいていないようだった。
「美奈……」
また口を近づけてきた。
「や!」
美奈は叫んで太一の顔を手で制した。勢いが強すぎて、掌底がアゴに入ってしまった。しかし太一は美奈の掌底アッパーごときで倒れるほどヤワな男ではない。アゴをさすりながら顔をしかめた。
「どうしたんだよ」
「今日は、ダメ。やっぱり帰る」
「ダメ、帰さない」
太一が美奈の体をひょいと抱きかかえた。そのままなすがままに運ばれる。太一は美奈をリビングのソファに優しく寝転がした。
「美奈……」
仕切り直しというように目を閉じて口を近づける。手が美奈の胸をまさぐる。美奈の両手は頭を押さえるので塞がってしまっている。太一の手がセーターの中に入ってきて、もう片方の手がマフラーに伸びる。いよいよまずい。
「やめて!」
美奈は思い切り太一の股間を蹴り上げた。太一は「ぶっ」と汚らしい声をあげて跳び上がり、ピョンピョン跳ねた。美奈は姿勢を正し、頭の位置や向きを確認してからマフラーを苦しくなるくらいキツく結んだ。
「チクショウ!」
太一が上ずった声で叫んだ。股間を押さえながら美奈を睨む。
「ふざけんなよ! 遅刻してきた上に一日中つまんなそうにしやがって! こっちが話しても上の空で、露骨に帰りたがって、挙句がこの仕打ちか!」
太一のひどい剣幕に気圧されて、美奈は言い訳の言葉すら見つけられなかった。
「チクショウ! おめぇの顔なんかもう見たくねぇ出て行け!」
「ごめん、太一……」
美奈は気が動転した。
「うるせぇ! もう終わりだ! チクショウ! 痛てぇよぉ!」
「太一、違うの、ねぇ、聞いて……」
「出て行けって言ってるだろ! 二度と連絡してくんな!」
美奈はコートとバッグを片手に抱え、反対の手で頭を押さえながら部屋を飛び出した。
涙が止めどなく溢れた。太一との関係が終わってしまったことはどうでもよかった。ただ、自分が振るのではなく、太一が自分を振ったのが悔しかった。
美奈はそれまで振られたことがなかった。恋の終わりはいつも自分が告げていた。自分ならまた、もっとステキな彼氏を見つけられる。恋人たちを振るときには、いつもそういう自信があった。恋の終わりは美奈にとって、新しい恋の始まりでもあったのだ。
しかし今回は違う。失恋の主導権は太一にあった。それに、新しい彼氏を見つけられるという自信が全く湧いてこなかった。
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