第14話
私は逃亡している。
放浪している。
警察の目を掻い潜って、何度か在来線を乗り継いだ。自分がどこにいるのかを、私自身が把握していない。
テレビも見ていない。
スマホのニュースも見ていない。
ひょっとしたら、私の顔写真が報道されて、指名手配されているのかもしれない。
借りられなくなると不安なので、早いうちにレンタカー屋に向かった。
運転に慣れたNBOXを借りて、そのまま二県程南下した。
凶器がないと困るので大型のスポーツ用品店で金属バットとグローブと硬球を買った。怪しまれないようにという判断だが、平日に成人女性が野球道具を一式購入することは相当に怪しいことだ。
この辺りにターゲットはいただろうか。
自分で調べたターゲット情報をスマホで確認した。実家や職場、見慣れぬ番号からの着信が山程入っていたが、全て無視した。
ひょっとしたら、GPSとかで私の居場所バレてたりするのだろうか。いや、バレているんだろうな。
電源をオフにするのが、逃亡者として正しい判断なのだろう。Bluetoothに繋いで、カーステレオでロペのグループの曲を流した。
単調な音楽だ。歌詞もよくわからない。
心が動かされることはない。
それでも、私は何度もこの曲を聴いている。
何十回、何百回、何千回と、聴いている。
何千回と聴いているのに、私はロペの声を聴き分けることができない。
他のメンバーの声と混ざって、違う声に聴こえる。
私はロペが大好きなのに、ロペの声を聴き分けることすらできない。
涙が溢れて、視界が歪んだ。
「なんでなんだよ」
ロペがわからない。
友達のことがわからない。
大好きな人のことがわからない。
私がロペの声を聴き分けられていたら、ロペは私に相談してくれたのかな。
「ロペ、なんで?」
こんなにもロペのことを理解しようとしたのに、ロペのために沢山の人を殺したのに、それでも、私にはロペの声を聴き分けられない。
ロペが何処にいるのかわからない。
「なんでなんだよぉ」
泣きじゃくりながら、私は車を走らせる。
もう止まることができない。
戻ることなどできないのだ。
シャカシャカと、誰が歌っているのかわからないアイドル曲が車内に響き続けていた。
夢を見た。
ロペは純白のドレスを着ている。
この世のものとは思えない程の美しく荘厳な花嫁姿。
新郎の顔は見えない。見えないけれど、きっと幸せに微笑んでいるのだろう。
ロペが新郎に微笑みかける。
万雷の拍手が彼女たちを包む。
光が降り注ぎ、花びらが舞う。
私はその光景を一番近い場所で見ている。
ロペが私に微笑む。
私は泣きながら彼女の幸せを祈る。
祈る。
ロペが私の手を取る。
壇上のマイクまで誘導する。
「私の親友、藍ちゃんです」
ロペが私を紹介する。
大勢の視線が私に向けられ、私は少し緊張したようにスピーチを始める。
なんてことはない。
なんてことはないありふれた光景。
ただの幸せな結婚式の風景。
でも、私にとっては残酷な悪夢だった。
固いリクライニングで身体は強張っていた。首筋と背中にぐっしょりと汗をかいていた。運転席の寝心地は最悪だった。地獄だってもう少しマシな寝床を用意してくれるはずだ。
長時間の運転に疲れ、見知らぬ河川敷の側の人通りの少ない道路に路上駐車して眠っていた。泥のように眠っていた。
眠る前にコンビニで買った納豆巻きとスモークタンと酒の入った袋と、野球道具一式を抱えて外に出た。河川敷へと降りられる場所を探し、高架を目指した。高架下に降りて缶チューハイを開けた。もう今日は運転できない。
購入したバットを置いて、グローブを左手に嵌めた。握り締めた軟球を高架の壁に投げつける。数回バウンドした弱々しい白球をグローブに収める。
再び、球を投げる。
私とロペはこんな関係だったんだ。
キャッチボールにすらなってなかった。
私はただロペに自分の感情をぶつけるだけ。ロペも私に感情をぶつけるだけ。お互いに都合のいいようにして、お互いのことを考えていた。お互いを壁にして、下手くそな壁打ちを繰り返していただけだった。
私の投げた球はロペの構えたグローブを超えて、背後の壁にぶつかり、ぽてぽてと返ってくる。
それでいいと思っていた。
ただそれだけのことだった。
数回の壁打ちの後、白球は左手のグローブを通り過ぎて私の背後に転がっていき、そして、川に落ちた。
流れていく白球をゆっくりと眺める。
このまま消えていくだけの白球を眺める。
私はもう、あんなにわかっていた気になっていたロペのことが分からなくなってしまった。
白球を見送る。
このまま消えていく白球と共にロペの死を認めようとしていた。
ロペは死んだ。
私の世界は終わったのだ。
そう、終わってしまったのだ。
私は仰向けに寝転んで、眠ろうとした。
願いが叶うのなら、このまま目が覚めなければいい。
緩やかに死んでいきたい。
全て、全てがどうでもいい。
川の流れに目をやった。
白球が岸から迫り出した流木に引っかかっていた。流れていってしまいそうで、けれど、白球はそこにまだあった。
しがみつくように。
この世界にまだ執着があるように。
私に気付いて欲しそうに。
気がついたら私は川に飛び込んでいた。
白球を目指して泥臭い水をかき分けて歩んだ。
違っていたんだ。
最初から違っていたんだ。私たちは。
そんなことはわかっていた。
でも、そんなこと私は認めない。わかっていたけど、認めたくない。私たちは間違えていたけれど、それでもいい。
倒れ込むようにして白球を掴む。川に沈み込んだ。臭い水を随分と飲んだ。
息を切らして岸に上がる。水を吸った服は重く、寝転がるようにして高架を見上げる。
ねえ、ロペ。聞いてよ。
「私、あんたとキャッチボールしたかった」
高架の上を電車が通過して、私の呟きはかき消される。線路の軋む音が残っていく。
白球が掌から零れ落ちる。
力なくそれを追おうとして土の上を這う。
私は壁打ちしかできない。
ロペが受け取ってくれていると信じて、その背後に思い切り球を投げることしかできない。
本当のロペのことなんてわからない。自分勝手にしか生きられない。私が思い描くロペという偶像のことしかわからない。
自分のエゴを貫くことしかできない。
だから、私はキャッチボールを諦める。
私は私が思い描くロペのことだけを考える。
私は私の命が尽きるまで、ロペを殺したあいつらを殺し続ける。
私の酸素を奪ったあいつらを、最後の一呼吸分の酸素が続く限りにバットでぺちゃんこにして回るんだ。
それでいいよね。ロペ。
私、間違ってないよね。
「間違ってないって言ってよロペ」
壁にむかって思い切り白球を投げ込む。跳ね返った白球は今度は勢いよく川に飛び込んで、取れないくらいの深みまで行ってしまった。
私は崩れ落ちて泣いた。私の泣き声に被さるように誰かのすすり泣きの声がした気がした。
目的の住所についた。音の少ないNBOXを緩やかに路上に停車させた。鼓動が高まる。疲れた身体を無理矢理動かす。命の最後の一滴になっても、私はこの身体を動かす。バックミラーを見ると、後部座席にロペの姿が見えた。彼女は私に微笑んだ。
幻覚に違いないが、そんなことどうでもいい。私は助手席の金属バットのグリップを強くにぎり、夜の空の下に出た。
大好きだよ、ロペ。大好き。
重い金属バットがアスファルトを擦る音が闇の中に響いていた。
あなたはわたしの心の酸素 寺田 @soegi-soetarou
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます