第13話

何度目かの裏路地を曲がった際、路地の向こうにスーツ姿の男がいた。男は私を見つめ、こちらに近づいてきた。

「村山藍さんだよね?」

私の名前を知っている。

完全に私を私として認識して追ってきた。

胸元から警察手帳を取り出す。

「今、逃げてるよね?ちょっと同行してもらってもいい?」

警官は申し訳なさそうにしながらも、強気に踏み込んできた。その身体を勢いよく押す。

「くるなよ!」

警官は一瞬、ふらついたが、すぐに体勢を立て直して近づいてきた。

「なんで邪魔すんの?」

「邪魔?逮捕ってことですか?当たり前でしょ。今、あなた、殺人の容疑者なんですよ」

私に突き飛ばされた腹をさすりながら、警官は捕獲しようと体勢を整えた。

「私の前にあいつら逮捕しろよ」

「あいつら?誰ですか?」

「ロペ自殺に追い込んだ奴らだよ。全員!捕まえろよ!」

「被害者のことですか?彼らを捕まえる意味がありますか?」

「あいつらがロペ殺したんだよ!なんでわかんないの!捕まえろよ!捕まえて死刑にしろよ」

なんでわかってくれないんだろう。

ロペはあんな奴らに殺されていい人間じゃない。

せめて警察があいつらを全員捕まえてくれれば。せめてあいつらを全員死刑にしてくれたら。

私は簡単に自殺を選べたのに。

お前らのせいだ。

お前らのせいで、私は、殺人者なんかにならないといけなくなってしまったんだ。

「それが動機ですか?連続殺人の動機」

「お前らがロペ殺したあいつら全員捕まえて、全員死刑にしろよ。やらねえから私がやってんだろ!」

私の叫びに警官は目を背ける。醜いものを見るように、信じられないものを見るように。

なんで。

なんで、わかってくれないんだろう。

「私にはあなたの犯行動機、正直、ちょっと付いていけません」

溜息混じりで警官は呟いた。やりきれないとでも言いたげに、私の犯行をつまらないもののように扱った。

ロペの死をなんでもないことのように、扱った。

沸騰した。

血液が一気に脳に立ち昇る。

「理解できないなら、そんな部外者が私たちの邪魔すんな!!」

私は転がるようにして、その警官にあびせ蹴りを放った。身体を倒し、転倒と変わらなかったその蹴りは、運良く警官の顎に当たった。スニーカーがズレる感覚があった。

何があったか理解できず、ふらつく警官の脚に倒れながらもしがみついた。諸手狩りの要領で、両腕で警官の脚を持ち上げる。

油断はあったと思う。

殺人犯と言えど、所詮は女だという侮りが、この警官を地面に倒れ込ませている。

呻く警官の体に力が込められた。のしかかっていた私を跳ね上げようともがく。思い切り顔を引っ掻く。悲鳴と一緒に私の爪に削げた皮膚の質感が浮かんだ。

何度も掌を顔に落とした。後頭部とアスファルトが何度もぶつかる。荒い呼吸音と手の痛みだけが現実としてあった。

警官は弱っていたが、それでも最期の力で私を跳ね飛ばした。馬乗りに組み伏せられる。どれだけ力を込めても警官を押し除けることはできない。

無線を手にとり、私を取り押さえたことを仲間に伝えようとした瞬間。そこに隙が生まれた。ポケットの中で指先に触れたものを警官の眼球目掛けて突き出す。

ずぷり、と、柔らかいものを突き破る感覚があった。

警官は絶叫し、私から離れて左目を押さえていた。その手の隙間から薄く光る赤い血がこぽこぽと流れ落ちていた。

私は手の中の車の鍵を握りしめる。鍵は暖かい血でぬるぬると滑った。ふらつきながら、倒れ込んだ警官に向けて、思い切り蹴りを入れた。それから、何度も何度も警官の顔を踏んだ。体重をかけて、頭を潰し壊すように、何度も何度も踏んだ。

反応がなくなって、私はその警官が絶命したことに気付いた。

身体の奥が焼けるように熱い。度の強い酒を空腹時に流し込んだときのような、胃の底が暖かくなる現象。そのように、身体が熱い。

「逃げなきゃ」

重い体を無理矢理引き起こした。

全身がだるい。

無茶な動きの連続で身体を痛めてしまったのかもしれない。

どこまで逃げればいいのか。

否、逃げてもいいのだろうか。

私の頭にはそんな疑問が延々と流れ続けた。

捕まることは自明のことであるし、何より逃げる必要性というものが私にはあまりない。

半ば、自暴自棄に近い形での犯行である。

どうなってもいいの精神で、私は今を生きている。

ロペを死に追いやった連中を追うハンターとして、なんとか未練がましくこの世界を生きている。いや、漂っていると言った方がいいかもしれない。

浮かんでいる。

波のごとく押し寄せ、引いていく現実の中を泳ぐこともせず、ただ漂っている。

鴉の声が聞こえる。

電柱に幾羽かの鴉が止まり、波を見ている。

透明で、薄暗い、時折光る粒子の見える波を眺めている。

射干玉の闇羽が濡れて輝く。

私は漂っている。

無機質な街を波と共に、行き場のないままに。

できることなど何もない。

死んでしまったロペのために、生者である私ができることなど本当のところ、何一つないのである。

そんなことはとっくの前から理解していた。

理解していて、なお、私は殺人を犯し続けた。

怒りという感情と、悲しみという感情とが綯交ぜになったものを原動力として、漂う理由をそこに見据えていた。

雑多とした都心の街並みの中にも、神社や寺院はバグのように散見する。

こじんまりとした教会のステンドグラスの鈍い色彩を見た。

ロペは死んで、どうなったのだろうか。

仮に天国というものがあったとして、それはどんなものなのだろうか。

幽体として、煙に近い姿で、薄く光り続けるロペを思った。

きっとこういう姿だろう。

私の知っているロペは、このようにして在る。

それは、今もなおだ。

偶像として、アイコンとして、そして、友人として。

私の中には無数のロペがいる。ロペという事実が在る。

この影が消えてしまうまでは、私は歩みを止めないだろう。

私の中でロペが息を止めるまでは、私は止まらないのだろう。

人目を避けるようにして歩く。

私が捕まらないようにして歩くのは、このロペの残影を認めきれていないからだ。ロペの死を認めきれていないからだ。

もう終わってしまった世界を、私はまだ未練がましく信じ続けているのだ。

鴉はそんな私を含めた波を、悲しげな眼で見下ろし続けている。

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