おとぎの国の魔法の夜

結包 翠

おとぎの国の魔法の夜


 アーモンドクッキーにフロランタン。季節のベリーのプチパイ、それからメープルとクルミのオータムスコーン。おいしいお菓子をたくさん詰めた籐かごは、世界で一番魅力的な宝物。夕焼けに染まる煉瓦道を歩きながら、あたしは宝物を片手に様変わりしていく街を楽しんでいた。


 この時期、街はどこも浮き足立っている。街を挙げての大イベント、ハロウィンパーティーがあさってに控えているからだ。円形大広場では大道芸人や歌姫達がリハーサルをし、大人達は装飾の仕上げに奔走している。あたしと同い年くらいの子達は大人の手伝いをしたり、あたしと同じように、いそいそとお菓子や衣装の準備をしている。


 あさって、楽しみだな。みんなが魔法にかかったように笑顔になる日が、あたしは大好きだ。歩みに合わせて揺れる籐かごから、バターのいい匂いがふわりと香る。とびきりおいしい焼き菓子屋さんに注文していたお菓子達は、早く食べて、早く食べて、と囁くように、甘い香りで誘惑してくるのだ。


「はぁ〜、あさってが待ち遠しいなぁ。みんなどんなお菓子を用意してるんだろう!」


 両手で顔を包みながら、あたしは去年貰ったお菓子を思い出した。スイートポテト、ひよこ型のプチモンブラン、それからそれから……。


「ハルル、よだれ垂れてる」

「えっ!」


 慌ててサッと口元を隠すと、シオンはおかしそうに笑った。


「うそ。冗談だよ」

「もう〜、シオンのいじわる!」

「からかうとハルルが可愛い顔見せてくれるから、ついね、つい」


 シオンはいたずらっぽく目を細めて、くすくす喉を鳴らした。シオンは数ヶ月前、この街に越してきたばかりの同級生だ。大人っぽくて綺麗な子だけど、慣れた相手にはこうしてちょっとしたいたずらをしてくる。


 飼い主にじゃれつく無邪気な猫みたいだ。シオンがミステリアスな女性に憧れているのを知ってるから、そう思ってるのは内緒だけど。


「ねぇハルル、あさってはどんな格好をするの?」

「実はまだ悩んでて……トランプ模様のワンピースを着たうさぎがいいなって思ってるんだけど、これだ!っていう被り物とパニエがないんだよねぇ」


 肩をすくめてそう言うと、シオンは何かを思い出す素振りを見せた。


「私の家にハルルに似合いそうなのがあるけど、貸そうか?」

「ん〜、今日探して駄目だったらお願い!」

「オッケー。お菓子、一つ多くくれるならね」

「もっちろん! いっぱい余りがあるから、二つオマケであげるよ!」


 おいしい物を喜んでくれる人に渡すのは、あたしのささやかな幸せだ。胸を張っていると、今度はシオンが肩をすくめた。


「いっぱい余りがあるって、それ、自分用にするつもりだったんでしょ」

「あはは、バレた?」

「バレバレ」


 シオンはニッと笑ってみせた。そうしてあたし達はお喋りを楽しみながら、雑貨屋さんや洋服屋さんを渡り歩いた。歩き疲れたら、コーヒースタンドでひと休み。あちこち見て回って、最後に寄ったのは花屋さんだ。


「おばさーん! こんにちは!」

「おや、ハルルちゃんにシオンちゃん、いらっしゃい。今日はどうしたの?」


 にっこりと笑うおばさんに、シオンはおずおずと歩み寄る。


「あの、花束を作ってほしいんです。あまり大きくない、小ぶりのを……お願いできますか?」

「もちろんだよ。ほら、お花たくさんあるから色々見てごらん」


 頷いて店内へ進むシオン。その肩を叩いて、あたしはクラシカルな装いの洋服屋さんを指差した。


「ねぇシオン、さっき入ったあのお店に気になった物があったの。もう一度見たいから、行ってきていい?」

「うん。じゃあ、終わったら大広場の噴水で待ち合わせでいい?」

「分かった! 花選び、焦らなくていいからね」


 手をヒラヒラ振ってその場を去る。しばらくして振り返ると、もうシオンは店内に入った後だった。ほっと胸をなでおろす。なんとか自然にあの場から離れられた。


 シオンが花束を作ってもらっている間、あたしがそこにいたら、シオンの気が散ってしまう。シオンが作ってもらおうとしてるのは特別な花束だ。

 この街に来る少し前に亡くなった、シオンの大事な家族……猫のロゼが、寂しい思いをしないで幸せでいられますようにと願うもの。邪魔をするわけにはいかない。


「さってっと。もう噴水のところに行っちゃおうかな」


 洋服屋さんに戻るのもいいけど、それより大広場で楽しげな喧騒を浴びたかった。よし、決まり。鼻歌を歌いながら軽やかに大広場に足を向ける。その時だった。


「ア〜ォ」

「……ん?」


 猫の鳴き声が聞こえた。辺りを見回していると、猫はもう一度鳴いた。


「なんか……すごく近いところから聞こえた気が……」


 まさか、と思って視線を落とすと、猫はそこにいた。いつからそこにいたのか、猫はあたしの真横にたたずんでいたのだ。


「うわ! びっくりした!」

「ニャ、ニャニャンニャ」


 猫はてしてしとあたしの足を前足で踏むと、とててて……と路地裏に向かう。立ち止まってちらりと振り返る猫は、来ないのかと問いかけているように見えた。


 変な猫……。綺麗な猫だけど。左耳は白、右耳は黒とグレーのまだら。口周りや胸元、足先も白くて、それ以外はみんな黒。黒毛は街灯の光を受けて紫のツヤを流していて、目は満月みたいな金色。たしか、ハチワレっていう種類の猫だ。


 ハチワレで耳の色が左右で違うなんて珍しい。でも、どこかでそんな猫の話を聞いた。ううん、聞いただけじゃない。ロケットペンダントに入れてる写真を見せてもらった事がある。それを見せてくれた人は愛情深くその写真を見つめて、寂しそうにこう言っていた。


 かわいいでしょう。ロゼっていうの。この街に来る前に、天国に行っちゃった。

 当時のシオンの声が、頭の中に響いた。


「……あっ⁉ ロゼ⁉」


 ロゼは尻尾を一振りすると、路地裏の奥へ走っていった。


「待って! ねぇ! ロゼ!」


 あたしは慌てて後を追いかけた。一心不乱。童話でうさぎを追いかける女の子がいたけど、その子の気持ちが分かる気がした。見失うわけにはいかない尻尾を必死に追いかけて、周りなんて気にしてられない。


 早い! 息を切らして走っているのに、全然追いつかない!


「ロゼったら、待ってってば!」


 呼んでもロゼは止まってくれなかった。ついに体が悲鳴をあげて、あたしは立ち止まって膝に手をついた。ぜぇ、はぁ、と呼吸を整えている内に、ロゼはどこかへ消えてしまった。


「もぉ〜! シオンに会わせたかったのに……!」


 シオンがどんなにロゼを大切に思ってるか、持ち物や普段の様子で痛いくらいに分かってる。だから会わせてあげたかったのに、うまくいかなかった。なんだか悲しくなってきて、がっくり肩を落とす。


 それにしても、ロゼはどうして現れたんだろう。死者が帰ってくるハロウィンが近いから? だとしても、どうしてあたしの所に来たんだろう。シオンに直接、会いに行けばいいのに。


「うう〜ん?」


 大きく首を傾げても、答えは一向に出てこない。分からないことはもう一つある。


「ここ……どこ?」


 路地裏に入ったのは覚えてるけど、その後は右へ左へ何度も曲がっては狭い階段を駆け上がったり駆け下りたり、屋根に飛び乗ったりして、目まぐるしく景色が変わっていったせいでどこに出たのか分からない。


 不思議な場所だ。商店街みたいだけど道に誰もいないし、店員さんまでいない。空が暗くなり始めているのに知らない場所で一人なんて、ちょっと怖い。だけど怖さなんて吹き飛ぶくらい、石畳の道の両脇に立ち並ぶお店はどれも素敵だった。


 アンティーク調の大きな窓に囲まれた紅茶屋さんは豪華なドレスを纏ったトルソーや琥珀色の香水瓶が並んでて、まるで貴婦人ご用達の仕立て屋が忙しい合間をぬってティータイムを楽しんでいるかのよう。


 ワインカラーの重厚なドアの両脇に半円形の出窓を配置してる本屋さんは、出窓の中にいくつも鳥かごを吊るしていて、その中に美しい装丁の古書を入れている。鳥は綺麗な歌や勇猛な姿で人間を魅了する。本にもそんな魅力があるんだって伝えてるみたい。


 オレンジ色の街灯に照らされたお店にはそれぞれ物語があって、いくら眺めていても飽きなかった。その中でも一際目を引いたのは、色とりどりのランプと花樹のアーチに入口を囲まれたお店だった。興味津々で近づいてみる。


「うっわぁ……!」


 窓の奥にある世界に、あたしはすっかり心を奪われた。天井は吊り下げられたドライフラワーに覆われていて、その隙間から月や星のライトがいくつも降りている。


 あたしの身長と同じくらいの大きなアクセサリーキャビネットには、絵本に出てくるお姫様達のお気に入りみたいなイヤリングやネックレスが並んでいる。それに、りすや小鳥、子鹿のぬいぐるみ達が頭に花かんむりを乗せて、遊んでいるかのようにお店のあちこちにいた。


 かわいい!


 我慢できなくて店内に飛びこむと、ほんのり香る香辛料の匂いと、明るいオルゴールの音色が迎えてくれた。そして。


「いらっしゃい、迷子のお嬢さん」


 ふんわり優しく笑う、店員さんも。


「あ、あれ? 人がいた……?」

「うん、そりゃいるよ」

「でも、他のお店には誰もいなかったのに」


 店員さんは、そりゃあね、と頷く。


「この一帯はぼくの所有物だし、あるお店は全部、ぼくのお店だからね」

「ええ⁉」

「あはは、いい反応だね。驚いてくれると思ったんだ」


 店員さんはにこにこ笑ったけど、あたしは青ざめて返す言葉もない。慌てて深々と頭を下げる。


「ご、ごっごごごめんなさい! あ、あたし、ここがお金持ちの人の敷地って知らないで来ちゃって……! すぐ帰ります!」

「いやぁ、お金持ちではないけど……ま、いっか。そういうことで」


 店主さん――男性なのか女性なのか分からない不思議な人――は、急いで店から脱出しようとするあたしより先に扉の前に躍り出た。


「お嬢さん、これも何かの縁だ。せっかくだし、帰る前に店内を見てごらんよ」

「え……で、でも、いいんですか?」

「いいよ。君、うちの店にずいぶん興味を持ってくれたみたいだし。ほら、貴重品以外の荷物は預かっとくから。当店自慢の品々を楽しんで」


 はい、と両手を差し出す店主さんに、あたしは震えながらもう一度頭を下げた。


「ありがとうございます! あたし、あたし、こんなお店に初めて出会って!」

「うんうん」

「すーーーっごく! お店をよく見て回りたかったんです!」

「だろうと思ったよ。君の顔にそう書いてあるもの」


 ちょんちょん、と自分の頬に指を当てた店主さんはおかしそうに笑った。つられて笑いながら籐かごを渡すと、店主さんは首を傾げる。


「これ、中身は?」

「焼き菓子です」

「焼き菓子」


 パチパチとまばたきして、店主さんは小さく唸る。


「無事かなぁ。だめだったら、サービスで直しておこうかね」

「え?」

「こっちの話。さ、お嬢さんは隅々まで探検しておいで」


 店主さんはそう言ってあたしの後ろに回ると、そっと店の奥に向かって背を押してきた。その後、小さく「わぁぁ、やっぱり中身、大惨事になってる」とか、「あの子を走って追いかけたらこうなるか……」とか言ってるのが聞こえたけど、何の話だろう。


「あ、そうだ。店主さん」

「うん?」

「このお店って、被り物とかパニエってありますか?」


 ハロウィンパーティーに使うのに丁度いいものが、まだ見つかってなかった。店主さんはすぐ頷いた。


「あるよ。お嬢さん、ちょっと手を出して」

「? は、はい」


 言われた通りに手を出すと、店主さんはポケットから何かを取り出して、あたしの手に置いた。


「わぁ……」


 それは木の実をかたどったブローチだった。木製のドングリ、アーモンド、くるみにつやつやな蜂蜜のようなガラスがとろりとかかっている。秋の宝物に見とれていたら、ふわっとした何かがブローチを食べちゃった!


「えっ! ぬいぐるみの子鹿⁉」

「そ。その子がお嬢さんを案内してくれるよ。ついていって」


 店主さんはそう言ってヒラヒラと手を振った。呆然とするあたしを置いて、子鹿はお店の奥にあった螺旋階段に向かった。慌てて後を追いかけながら、あたしはほっぺをつねってみた。痛い。夢でも見てるんじゃないかと思ったけど、ここはれっきとした現実らしい。


 じっと子鹿を見つめる。本物の子鹿くらいの大きさのぬいぐるみ。ふりふり揺れるお尻がチャーミング。じゃなくて、きっとこれは、ねじ巻き人形なんだ。あたしがブローチに集中してる間に、店主さんがねじを巻いて、まるで生きてるように見せかけただけなんだ。うん、きっとそう。


 子鹿が食べてしまったブローチの事は考えないようにして、あたしはそれで納得する事にした。案内された先で、理想を超える欲しい物の山に喜びの悲鳴をあげたのは、それからすぐの事だった。




「あ、おかえり。うちの店はどうだった?」

「大満足です!」


 選んだものを抱きしめながら戻ってきたあたしを見て、店主さんはうんうん、と満足そうに頷いた。


「そりゃよかった。じゃ、楽しかった思い出が逃げないようにそれらをラッピングしてあげるから、もう少しその辺りを見ててくれるかい」

「ありがとうございます。じゃあ、お言葉に甘えて」


 店主さんに商品を手渡して、ほぅ……と胸に溜まっていた感嘆を吐き出した。お店を見て回って、ここに住みたいと泣きたくなるくらい強く思うなんて初めてだ。余韻を噛みしめながら、じっくり棚を眺めていく。


「ここにある物、全部買えたらいいのにな……って、あれ?」


 棚の上を滑っていた視線が、ある物を見つけて止まった。それは雑貨や服飾品に囲まれるには、ずいぶん場違いな物だった。


「薬……?」


 手に取ったガラス瓶の中には、動物の顔の形の錠剤がたくさん詰まっていた。瓶の札には、わたしを食べて!と書かれている。不思議の国が登場する童話にも、こんなものが出てきた気がする。


「おお。お嬢さん、お目が高いね」


 店主さんは包装用のリボンを吟味しながらあたしに声を投げかけた。


「それは魔法薬だよ。誰かを大切に思う気持ちに反応するの。効果は使ってみてのお楽しみ」


 にっこり笑う店主さんは、嘘をついているようには見えなかった。と言っても、魔法を信じるわけじゃない。きっと店主さんは、お菓子好きな友達と分け合って食べると一層美味しくなる、ってことを夢で包んだ言葉にしたんだろう。


 魔法の薬。この薬の正体はきっと、タブレット菓子だ。おしゃれな雑貨屋さんは、たまに紅茶やお菓子も売っている。これもきっとそう。

 買うか、買わないか。そんなの、もう決まってる。


「店主さん、これも買います!」

「はぁい、ありがとうね」


 店主さんはガラス瓶を受け取ると、手際よく包装してショッパーバッグにそっと入れた。


「この薬はサービスね」

「え?」


 何を言ってるんだろうと目を見開くと、店主さんはにやりと笑った。


「この店ね、よくよく見ると、値札がついてない商品がまぎれてるんだよ。それに気付かず、たまたま見つけて、たまたま気に入ってくれたラッキーな人にタダであげてるの。ぼくからのささやかなプレゼントってことで。……あ、他のお店で値札がないものがあっても、貼り忘れだろうからタダにしろとか言っちゃだめだよ」


 お嬢さんなら大丈夫だろうけど。そう言い添えてお代を計算し始めた店主さんは、あたしには魔法使いみたいに見えた。


 本当にガラス瓶に値札がついていなかったのか、あたしには分からない。実は値札はついてて、店主さんが包装中にこっそり取っていたのかもしれない。帰ってから開封して確認したとしても、本当のところは分からない。


 でも、ドキドキする。どっちにしても、店主さんのサプライズに心が跳ねる。まるで魔法にかけられたみたいに。


「ありがとうございます、店主さん」

「どういたしまして」


 店主さんの声に、シャラン、と心地よい音が重なる。店主さんが身につけている装飾品が揺れた音。心が優しくきらめく音。




「そういえば店主さん、ここってどこなんですか?」


 外まで見送りに来てくれた店主さんに問いかけると、店主さんはうーん、と唸った。


「内緒。適当に歩いてれば行きつく場所だよ」


 そんなばかな。


「あ、今、そんなばかなって思ったね」

「そんなに分かりやすい顔ですか⁉」


 パッと頬をおさえると、店主さんは朗らかに頷いてみせた。


「感情がストレートに出る小動物みたいで面白いね、君」

「よ、喜んでいいのかなぁ……?」


 昔から隠し事は下手だったけど、初対面の人にまでこんなに心を読まれるのはどうなんだろう。


「素直でいいと思うよ。それで、帰り道だけど……」


 店主さんは道の先を指差した。


「この道をまっすぐ行って、T字路にぶつかったら右へ。次の十字路を左へ。後はまっすぐ進めば、円形大広場に出るよ」

「ありがとうございます。……あれ。あたし、大広場に戻りたいって言いましたっけ?」


 まだ言ってなかったような気がする。


「ここに来る人は大体、大広場に戻りたいって言うからね。君もそうかと思って」


 そう言いながら、店主さんは籐かごとショッパーバッグを手渡してくれた。


「さ、君の世界にお帰り。お嬢さんを待ってる人がいるんでしょ?」

「……あの、店主さん!」

「うん?」

「今度また、友達と来ます。きっと!」


 シオンの笑顔を思い出しながら、あたしは声を張り上げた。こんなに素敵な場所を独り占めなんてできない。

 ロゼを失ったシオンは、いくら元気そうにしててもふとした時に悲しそうな顔になる。表面の奥でずっと続いている悲しさを、一瞬でも、完全に忘れるようなこの夢の世界に、連れてきたい。


 店主さんは目を丸くして黙った後、ゆっくりと微笑んだ。


「……うん。ぜひおいで。いつでも歓迎する」

「ありがとうございます!」


 頭を下げて、小走りで大広場を目指す。振り返ってみると、店主さんが手を振ってくれた。手を振り返して、あたしは不思議なお店から遠ざかっていった。




「素敵だったなぁ……あの場所……」


 夜。帰宅してようやく一息ついたあたしは、木の匂いがするベッドに横たわりながら、夕方の出来事を思い出していた。


 あれからすぐに大広場についたあたしは、驚いて籐かごをその場に落としそうになっていた。あれだけお店に長居したのに見上げた空はまだ明るかったし、街の喧騒も何も変わらなかったから。

 ハテナを浮かべながら噴水近くのベンチに腰掛けていたシオンを見つけて、大急ぎで謝ると、さっき自分も終わったばかりだといつも通りの様子で話しかけてくるだけだった。


 もし記憶の他に何も残ってなかったら、やっぱり夢でも見ていたんじゃないかと疑っていたところだ。


「……」


 ベッドから身を起こして、あたしはハロウィンパーティー用の衣装やグッズをかけたトルソーを裸にしていく。そして、外した一つ一つを自分の体にまとわせる。


 全身を映す鏡に現れたのは、窓から差し込む月明かりを受けた、理想の女の子。トランプ模様のワンピースの裾はふんわり広がって、僅かに覗くパニエは花型のレースやパールを揺らしている。帽子には大きなトランプが差し込まれてて、それを囲う花飾りとよく合っている。


 童話とサーカスをかけ合わせたような、怪しくかわいい女の子。それが、鏡に映るあたし。


 勝手に口の端があがって、頬が熱くなる。あのお店で感じた胸の高鳴りを、今、そのまま思い出している。あたしがまとっているのは、夢がたっぷり詰まった魔法そのものだ。


「魔法……そうだ、魔法といえば」


 鏡の前から離れるのを名残惜しく思いながら、足早に机に向かう。机上にちょこんと乗っているのは、あの店主さんが魔法薬と言っていたものだ。


 コルクの蓋を外して手を添えながら瓶を傾けると、動物の顔の形のタブレットが出てきた。


「瓶に説明は……あったあった。えーと、一回につき一錠お飲みください。喉を詰まらせないようにしてくださいね。ほんのり甘くておいしいですよ……か。やっぱりお菓子だよね?」


 ひよこ色のタブレットをヒョイと口に放る。ほろほろと口内で崩れていくそれは、ふわふわのパンケーキみたいな優しい味がした。


 おいしい。目を閉じて、ゆったりとその味に浸る。まるで日だまりの中にいるような、温かな幸せが全身を巡っていく。


 懐かしい。ずっと前に飼っていたうさぎのルルを思い出す。あの子を抱っこしたり、二人で一緒にお昼寝した時も、こんな気持ちになっていた。うさぎなのに牛みたいな模様が耳にも尻尾にもあったっけ。

 よく懐いていたルルが可愛くて仕方なかった。いつも側にいるのが当たり前だったルルを思う気持ちは、今でも変わらない。


 ずっと大切な、あたしの家族だ。


「……ん?」


 異変を感じて、あたしは頭の上を両手でまさぐった。なんだかムズムズする。おかしいのはそれだけじゃない。


 サラサラとした光の粒子がふわりと宙に漂っている。空が飛べるようになる妖精の粉。童話のそれによく似た光は、部屋を照らすろうそくの明かりが届かない暗闇にも流れて、あたしの部屋は満天の星空とそっくりになった。


 その様子に見入っている間に、光の粒子はオーロラみたいに揺らめいてあたしを包んだ。心地よい温もりが頭の先からつま先まで滑っていく。浅い眠りで心も体も軽くなって、満ち足りて頬が緩むあの感覚と似ている。全身を花びらで包まれたような、柔らかな肌触りにうっとりして目を閉じた。


 どれくらい経ったのか、穏やかな幸せがゆっくりと遠ざかり、現実が戻ってくる感覚があった。夢から覚めてしまうようで寂しい。


 だけど、頭の違和感をはっきり捉えたらそれどころじゃなくなった。急いで鏡の前に飛び出る。鏡には目をまん丸にしたあたしと、その頭からピンと生えたうさぎ耳が映ってる!


「ど……どういうことぉ……⁉」


 まさか、と思って後ろを確かめると、そこには短い尻尾があった。ふわふわのうさぎの尻尾が、ちょこんとワンピースの上に乗っている。ちゃんと服の上に尻尾が出るなんてすごい。違う違う、気にするのはそこじゃなかった。


 光の粒子は溶けるように消えていった。だけど、うさぎの耳と尻尾はそのまま。


「…………」


 ゆっくりと頭を左右に動かしたり、鏡に尻尾を映したりしてみる。ああ、やっぱり。やっぱり!


「かわいい……!」


 完璧だった。結局うさぎの耳と尻尾の装飾でいいものは見つからなくて、しょうがないからうさぎの女の子になるのはやめて、偽物の牙でも使おうと思っていた。だけど、その必要はなくなった。


 なんて素敵なんだろう。妖精のいたずらに遭ったみたい。嬉しくてその場で一回りしてみる。ふわりと広がるスカート。遅れて軌跡を描く装飾品。そしてしなやかに揺れる、耳と尻尾。


「ああ、ルルと同じ模様の耳と尻尾なんて夢みたい! ルルと一緒にこのお洋服を着ているような……」


 その時、ふとある考えが脳裏をよぎった。アイデアが消えない内にメモを取って、あたしは、よし、と気合いを入れた。この鮮やかな喜びと驚きを、これならシオンに届けられる。


「当日、うまくいきますように!」


 あさってのパーティーが最高のパーティーになるように、あたしは強く祈った。窓の外からロゼがじっと様子を見ている事に、気付かずに。




 ハロウィンパーティー当日。空が薄暗くなってきた頃、大広場では参加者を歓迎する紙吹雪が舞い、人々の笑い声や陽気な音楽が絶え間なく響いていた。

 


 この日は眠らない街になる。怪しく華やかなパレードが大広場を中心にして練り歩き、ハロウィン限定の屋台もズラリと並ぶ。音も匂いも賑やかで、ワクワクするのを止められない。


 待ち合わせ場所についてすぐ、シオンが遠くから手を振ってやってきた。


「ハルル! いいね、最高の衣装だよ」

「えへへ、可愛い?」

「うん。そのうさぎの耳と尻尾もよく似合ってる」

「ありがとう。シオンもとってもお似合いだよ」


 シオンは葡萄の装飾をまとう魔女の姿になっていた。ワインカラーの手袋や、目元を隠すヴェールが大人っぽくて素敵だ。


「それじゃあシオン、とっておきを始めるよ!」

「そうだね。早速いくよ」


 あたし達は大きく息を吸って、同時に言った。


「トリック・オア・トリート!」


 街の家々を巡って言う言葉。最初は友達に仕掛けてお菓子を交換して、それを食べながら目的地を目指す。お行儀は悪いけど、浮かれたハロウィンの時だけはそれが許されるから楽しいんだ。


 シオンは葡萄とマスカットのシロップ漬けを包んだ一口クレープをくれた。

 甘さを抑えた生クリームとスライスアーモンドもクレープの内側に入ってて、果汁のおいしさを引き立てている。手作りだと言っていたけど、お店で売ってるものみたいにおいしい。


 さぁ、今度はあたしの番。


「シオン、あーんして」

「? あーん」


 開いたシオンの口に、あたしはあの薬を放りこむ。


「ん? 何これ?」

「魔法の薬! シオン、よ〜くそれを味わって、自分の周りを見ててね」


 シオンは怪訝そうに首を傾げながらも頷いた。あたしが鞄から鏡を取り出している間に、光の粒が舞い始める。シオンはこの前のあたしと同じように驚いて、周りの人達はどよめいてシオンに注目している。


「ハルル⁉ これ……⁉」

「魔法だよ! ほら、鏡を見てシオン!」


 光の波がシオンを包み、サァッと周囲に流れ去っていくのを見計らって折り畳みの大きな鏡を見せると、シオンは両手で口元を覆った。周囲から歓声と拍手があがる。シオンに代わってスカートを摘んでお辞儀をしてみせると、シオンは小さく呟いた。


「……ロゼ」


 呆然とする頭には、猫の耳が生えていた。左耳は白、右耳は黒とグレーのまだら。生えた尻尾は黒。そして、鏡を見つめて細かく揺れる瞳は、満月みたいな金色。


「これはね、お互いに思い合っていないと起こらない不思議な魔法なんだって。シオンがロゼを大切に思うように、ロゼもシオンの事が大好きだから、シオンはその姿になれるんだって」

「…………」


 シオンは俯いて、顔を覆い隠した。


「ロゼ……ちゃんと、幸せでいるかな」

「それはシオンが一番よく知ってるんじゃない? ね、耳と尻尾が生えた時、どんな気持ちだった?」


 シオンは鼻を鳴らして、あたしに顔を向ける。厚い涙の膜に覆われた目は泣きそうで、でも、とても幸せそうだった。


「ロゼと……一緒にいた時の温かさを、感じてた。ロゼも甘えたり、本当に幸せそうに眠ったりして……」

「そんな思い出が沢山あるんだからさ、きっと向こうでも幸せだよ」

「……うん……!」


 シオンは涙をにじませながら、とびきりの笑顔を見せた。悲しそうな影のない、晴れ晴れとした笑顔。つられて笑いながら、あたしはシオンに魔法薬入りのガラス瓶を見せた。


「これは眠りにつくまで続く魔法なの。ねぇ、いたずらにもってこいだと思わない?」


 シオンはきょとんとして、すぐににやりとほくそ笑む。


「街中の人を変身させちゃう?」

「何になるかはお楽しみだね」

「花とか時計に変身する人もいるかも」

「あははっ面白そう!」

「ねぇ、あなた達」


 ひそひそと話し合うあたし達に、街の人が話しかけてきた。


「さっきの凄かったねぇ。一体どうやったの?」


 どうやらシオンの変身を見ていた人らしい。あたし達は顔を見合わせて、にっこり笑った。


「教えてあげる!」

「でも、タダで教えるわけにはいかないよ」

 大きな声で、あたし達は言った。

「トリック・オア・トリート!」







「あはは、やっぱり成功した。君のご主人様のお友達、いい子じゃないか」


 箒に腰かけながらそう言うと、腿の上に乗る友人は不満そうに尻尾を揺らした。


「ロゼの次くらいにニャ」

「こらこら、拗ねないの。君だって見込みがあると思ったから、彼女をぼくの店に連れてきたんでしょ?」


 頭を撫でてそう言うと、ロゼはフンと鼻を鳴らして前足を舐め始めた。


 うさぎのお嬢さんは、友達思いの嘘をついた。あの魔法薬は、利己的な思惑のない純粋な愛情に反応して発動する。

 お互いに思い合っているかどうかが要になるなら、思う相手にも魔法が及ばなければならないから大規模な仕掛けがいる。あんなに小さな粒一つじゃ、とても足りない。


 彼女が魔法の発動条件を偽ったのは、ロゼのご主人を励ます為だ。ささやかな、優しい嘘。


「勝手にロゼの事を知った風に言わないでほしいニャ」

「まぁまぁ。でも、彼女が言っていた事は間違ってなかったね」


 自分を心の底から大切に思ってくれたご主人を心配して、この世に留まっていた猫。

 ロゼはご主人が元気にやっていけるのか、うさぎのお嬢さんは信頼できる友達なのか、ずっと気にしていた。ご主人にも負けないくらい愛情深い子なのだ。


 心残りがなくなった魂は、晴れやかな気持ちであの世へ渡る。とはいえ、今日はハロウィン。あの世とこの世がつながる愉快な日だ。


「ご主人様の魔法が切れるまでこの世に留まれるよう、特別な魔法をあげよう。君も楽しんでおいで」


 ロゼの体をそっと抱きしめてあげる。

 星、花樹、水、光、心のきらめき。それらが放つ綺麗な上澄みを、ロゼや、ロゼを取り巻く人達へ向ける称賛に絡ませる。


 蔦のようにロゼへ絡みつく光の粒子が溶け消えた時、ロゼは嬉しそうに伸びをした。


「体が軽いニャ! カラント、ありがとニャ!」

「どういたしまして。さ、行っておいで」


 手を振ると、ロゼはゴロゴロと喉を鳴らして体をすり寄せて、大広場へ向けて跳躍した。きっとすぐにご主人の元に辿りついて、楽しい時間を過ごすだろう。


「ぼくもパーティーに参加しようかな」


 箒から降りながら宙返りする。光の波紋がふわりと広がって、ぼくの体は球体人形に様変わりした。顔の造形も声も変えた。ロゼ達と出くわしても、これなら気まずい思いはさせないだろう。


「さて、行きますか」


 誰が食べてもおいしさのあまり笑顔になるお菓子をその場で生み出して、ぼくは大広場へ向かった。一夜限りの、素晴らしいおとぎの世界へ。


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おとぎの国の魔法の夜 結包 翠 @yudutsu_midori

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