第5話 大海を行け!

次の日、ブタノスケはブタムラ先生と大ブタ島の東の海岸にある港町に行き、漁師のアミブタさんに会って話をすることができました。

「だからやめとけ。わしら漁師でも、ブタクロ島に行くのは難しいんだ」

「ぼくは兄さんを、どうしても助けたいのです」

「アミブタさん、私からもお願いです」

「ブタムラ先生には、借りがあるからなぁ。よし!分かった。この使っていない船を貸してやろう」

「アミブタさん!本当にありがとうございます」とブタノスケがアミブタさんの手を握りしめました。

「でもブタノスケくん、ブタクロ島に行くのは簡単じゃないぞ」

そう言ってアミブタさんは海図を取り出してブタノスケに見せてくれました。

「この島から、真っ直ぐ南に80マイル行ったところにハチブタ列島という8つの島が並んでいるところがあるんだ。この列島の一番南の島がブタクロ島だ。ただ大ブタ島から南に30マイル進んだところに激しい海流の流れがあって、もし、ここの渦潮に巻き込まれたら、こんな船、いっぺんでバラバラになって沈んでしまう」

「では、どうすれば良いのですか」

「まず東に40マイルほど進むと海流の流れが比較的ゆるやかな場所があるから、その場所を横切ってから、南に舵を切って真っ直ぐ80マイル進んでから、今度は西に40マイル進むのがブタクロ島に行く一番安全な方法だろう」

「なんだか大変そうですね」

「ブタノスケくん、やめるなら今のうちだぞ」

「いえ、僕はブタクロ島に行くことに決めたのです」


次の日の朝早く、ブタノスケはブタムラ先生とアミブタさんに見送られて港を出発しました。橙色に染まった一面の海は、とても穏やかで、まるでブタノスケの乗った船を受け入れてくれているかのようでした。

太陽が白く輝きはじめると、空には青空が広がり、いくつもの小さくて軽そうな白い雲の塊が風に揺られて、ゆっくりと列をつくりながら流れていきました。海の色は深い紺色に変わり、表面の波がキラキラと眩しく輝いています。ブタノスケは、思っていたよりも簡単にブタクロ島に辿り着くことができるような気がしてきました。

それから、しばらくすると船のへさきに白と黒のツートンカラーの鳥が魚をくわえて降り立ちました。この鳥はカツオドリです。ブタノスケがカツオドリに、ゆっくりと近づいていくと、カツオドリは、くちばしにくわえていた魚を落として飛んでいってしまいました。ブタノスケは魚を拾いあげました。魚はブタノスケの手の上で大きく跳ね上がりました。青く輝く鱗と銀色の翼を持つこの魚はトビウオでした。ブタノスケは、そっとトビウオを海に戻しました。するとトビウオがブタノスケの船をつけてくるように、船の直ぐ左横で何度も弧を描いて飛んでくるではありませんか。更に、無数のトビウオが水しぶきをあげながら船の進行方向にトンネルみたいなものをつくって飛び交っています。その水しぶきはキラキラと輝き、水しぶきの中には小さな虹が現れては消え、現れては消えを繰り返しています。『なんて綺麗なんだろう』とブタノスケが水しぶきのトンネルに見とれていると、急に水しぶきのトンネルは消え去ってしまいました。ブタノスケが空を見上げると、カツオドリが大空に群れをなして飛びかっているではありませんか。

突然、空を飛んでいたカツオドリが、雨あられの如く急降下してきました。ブタノスケの乗った船の周りに、ボチャン、ボチャンとカツオドリが次々に落ちてきたのです。びっくりしたブタノスケは、つい船の上で足をすべらせて転んでしまいました。しかし冷静になって周囲を見まわすと、特に自分の乗った船が攻撃された訳ではないことに気がつきました。更に船が進行方向とは別に横に流されていくのがわかりました。

「もしかすると、この辺りが漁師のアミブタさんが言っていた海流の流れが比較的ゆるやかな場所なのかもしれない」とブタノスケは直感的に思いました。

それからブタノスケは船の舵を大きく切って、船を南方向へ進めました。すると波の流れが変わったのが感じられました。船に大きなずっしりとした横揺れがしばらくの間つづきました。そのあとに押し出されるような揺れが生じたかと思ったら、船にゆったりとした波のリズムが戻ってきました。

 太陽が折り返し地点を過ぎてから、だいぶ時が流れた頃、今度は船に生暖かい風が吹き込んできました。ブタノスケはふと、トン次郎兄さんがベットで、もがき苦しんでいるときのこと、トン太郎兄さんが亡くなったときのことを思い出しました。そして、もしかしたらトン次郎兄さんまで死んでしまうのではないだろうか、という不安が心の中に広がってきました。「なんとしてもブタクロ島で薬草を手に入れなければならない」と何度も、何度も心の中で同じ言葉を繰り返しました。その度にブタノスケは湿った海の風を感じていました。

気がつくと太陽が燃えるようなオレンジ色に変わり、海一面が橙色に染まっていました。海鳥たちが急ぐように空を羽ばたいて陸に帰っていく姿がありました。東の空は薄暗い紫色に変わり、ポツリポツリと白い星が瞬きはじめていました。するとオレンジ色に揺れる太陽が、まるで逃げるかのように水平線の下に隠れてしまいました。

 空は暗くなり、冷たい風が吹いてきました。西の方からドス黒い雲が流れてきて小さな星たちの光を、あっという間に飲み込んでしまいました。

天から海に向かって青白い稲光が走りました。それに少し遅れて、天地を引き裂くような轟音が海面をゆさぶるように響き渡ります。ブタノスケが船室の扉の鍵を閉めたのとほぼ同時に、船のガラス窓に無数の水玉がぶつかってきました。まるで何千、何万の小人たちが船の上で一斉に太鼓のバチを乱雑に叩いているかのような音が響き渡りました。ブタノスケの眼の前で再び稲妻の光が縦に走りました。船は大きく揺れ動き、この海の大波によってつくられた山の上から谷底に、何度も何度も突き落とされ続けました。次の瞬間、ブタノスケの眼の前が真っ白な光に包まれました。そして雷が落ちた時の爆発音があたり一面に広がりました。ブタノスケの船室に冷たい風が吹き込んできました。あれっ、鍵をしめた筈の扉が完全になくなっているではありませんか。いまの雷で扉が吹き飛んでしまったのです。扉のない船室の入り口から、大波の水がごっそりと入ってきました。ブタノスケは急いで壁に架かっていたオレンジ色の浮き輪を、壁から取り外しました。すると大波の水がオレンジ色の浮き輪を奪って海の中へ持ち去ってしまいました。更に船室の右側の窓ガラスが割れて、そこからも海水が滝のように流れ込んできました。ブタノスケが棚の上にある金属製の箱を開けると、オレンジ色をしたライフジャケットが入っていました。ブタノスケがライフジャケットを身につけた瞬間、左側の窓ガラスが割れて海水が流れ込んできました。船室の中は海水によってグルグルと渦が巻き、ブタノスケは船室の入口から外に押し出され、遂には荒れ狂う海に投げ出されてしまいました。

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