第7話有意義な放課後


 目の前にいる女の子の名前が思い出せない。

 昨日時点でも名前呼びの流れになって、分からないから有耶無耶にしてしまっていた。

 時間の猶予はない。

 間が空いてしまっては不自然だ。

 私は刹那的判断で、彼女の名前を言い当てるしかなかった。


永瀬刹那ながせせつなさん、だよね。これからは刹那さんって呼ばせてもらうね」


 刹那さんは一瞬なにかを言いかけてから、俯き加減に、


「はい、刹那です。よろしくお願いします……」


 長い前髪の奥にある瞳が、気まずそうに逸らされた。

 絶対刹那さんじゃないわ。刹那的に判断した結果がこれだよ。


「ごめん、違うなら違うって言って……」

「私、颯樹さつきって言います」

「本当にごめんなさい、颯樹さん……」

「いえ、いいですよ。逆に絵衣葉さんが覚えていたらびっくりしてました。私って地味ですし」


 颯樹さんってその辺の男子より身長が高かったりするけど、確かに学校ではあまり目立たない。雰囲気の問題だろうか。


「あ、そうだ。颯樹さんイメチェンしてみない?」

「イメージチェンジですか?私お洒落とか苦手なんですよ」

「思い切って髪型変えてみるとか。バッサリいってみようよ」

「髪を切るのはちょっと抵抗あるんですが……」

「短い方が絶対似合うって。きっとモテモテになるよ」

「……絵衣葉さんがそこまで言うのなら。最近伸び過ぎて煩わしかったですし。あ、ちょうど近くに理髪店がありますね」

「え、いや、そこはやめた方が……」


 私が制止する前に、颯樹さんが理髪店のドアを開けてしまった。

 すると、備え付けてあった金属製のドアベルが古風な低めの音を奏で、どこにでもいそうな冴えないおじさんが出迎えた。


「いらっしゃい。モヒカンですか。パフェですか」


 開幕その二択しかないのか。ヤバい店だ。


「いえ、全体的に短く切ってもらいたいだけなんですが」

「あぁ、散髪のお客さんね」


 モヒカンは散髪の内に入らないんですか。


「そっちのお嬢さんは向こうで漫画でも読んで待っててね。この子が終わったらモヒカンにするから」

「ち、違います!私は颯樹さんの、その子の付き添いなのでモヒカンにはしません」

「でもほら、漫画とかあるよ」


 だからなんだ。

 この店主、漫画がモヒカンの対価になるとでも思ってるの。たとえお金をもらってもやだよ。


「結構です」

「そう……?」


 おっさんのいじらしくも寂しげな上目遣い向けられたところで、私はどうしたらいいのか。はっ倒せばいいのか。


「可愛いから似合うと思うんだけどなぁ」

「はっ倒しますよ」可愛いって言ってくれてありがとうございます。


「仕方ないね。じゃあ、背の高い君はこっちへ。ここに座ってね」


 颯樹さんが散髪用の椅子に腰を下ろすと、店主は慣れた感じで椅子の高さを調節し、手早く散髪用のケープを彼女の首から下に羽織らせた。


「首元は苦しくないかな」

「大丈夫です」

「それで、今日はどんな感じにしましょうか」

「全体的すっきりさせてもらえますか」

「つまりお任せってことかな」

「そうなりますかね」

「オーケー。ピッタリの髪型があるよ」

「ちょっ、ちょっと待ってください!」


 私は口を挟まずにはいられなかった。


「お任せって、どんな髪型にする気ですか」

「あはは、やだなぁ。まさか僕が彼女をモヒカンにすると思ったのかい。そんなことするわけない……じゃ……」


 どうして語尾を濁すんだよ。はっきり否定しろよ。

 そうだ。こうなったら、髪型を指定してしまおう。

 私は鞄からファッション雑誌を取り出して、パラパラとページをめくっていった。

 あ、これがいいかも。


「店主さんこれ、こんな感じの髪型にしてあげてください」


 私は、ショートヘアがよく似合うモデルの写真を指さした。


「あーそういう感じね。はいはい、ちょっとお借りするよ」


 店主は雑誌を取り上げ、縦横斜めに角度を変えて唸りながら入念にモデルの写真を観察した後、雑誌を私に返してよこし、ハサミを手に取った。

 すると、目にもとまらぬ速さで颯樹さんの髪をカットしていき、


「このままだと似てないな。ちょっと整髪料も付けさせてもらうね」


 そして、しなやかな手つきで形を整え、あっという間にバッチリきまったショートヘアを完成させてしまった。


「す、凄い。颯樹さんモデルみたい」

「君もモデルみたいだよ」

「え、あぁ、どうも……」


 なんだこのおっさん。なんで唐突に私を褒めたの。

 でもこのおっさん凄い。雑誌の髪型をここまで完璧に素早く再現してしまうなんて、まさしくプロの仕事だ。


「どうでしょう。似合いますかね」


 颯樹さんは少し気恥ずかしそうにしながら私にたずねた。


「めちゃめちゃ素敵!こんなに似合ってるのに、どうして今まで雑に伸ばしてたの?」

「私、髪質があまり良くないので、子供のころは今みたいに短くしていたんですけど、ある時クラスの男子から男みたいだってしつこくからかわれてしまって。私今、ちゃんと女の子に見えてますかね」


 確かに言われてみれば、背が高いのも相まって、美人を通り越し、甘いマスクをした美青年に見えなくもない。


「だ、大丈夫だよ。スカート履いてるし」

「あぁ、やっぱりダメみたいですね」

「でもイケメン、超イケメンだから。ほら、私不覚にもちょっとときめいちゃった、かも」

「そ、そうですか?絵衣葉さんにそう言って貰えるのなら」


 どうしてそこで少し顔を赤らめるのか。女同士ですよ私達。


「いやぁ、背の高いお嬢さんはカッコよくなったねぇ。でももっとカッコイイ髪型があるよ」


 そう言いながら店主さんはハサミの刃を連続でスライドさせた。

 このおっさんまだ諦めてなかったのか。ハサミをしまえ。


「遠慮しておきます。というか、なんでモヒカンにこだわるんですか?」

「モヒカンは男の魂だからね」

「私は女です。そういう店員さんは普通の髪型みたいですが」

「いやぁ、この年でモヒカンはちょっと」


 男の魂はどこへいった。


 その後店主から、ついでにとパフェを勧められたが、ジュエリーデラックスパフェの名に相応しいお値段を前に、手持ちが足りていなかったので諦めることになった。

 モヒカンにすると格安で提供してくれるとのことだったので、しっかりお金を貯めてからまた来たいと思う。

 お店を出た後は、せっかくなので遊びに行こうことになり、颯樹さんの提案で私達はゲームセンターの方へと足を運んだ。

 私的には、颯樹さんのイメチェンついでに服屋さんに寄って、彼女の着せ替えなんかをしたかったから正直あまり気乗りはしていなかったけど、結局待ち合わせのの時間まで熱中して遊んでしまったのだった。


「そろそろ約束の時間かぁ。別に無視して颯樹さんと帰っても良かった気がするけど……」


 でもそれじゃあ伊勢くんが可哀想だ。彼を放っては帰れない。

 確か集合場所って理髪店の前だったっけ。また戻らなくちゃいけないのか。あの店主に鉢合わせたらやだなぁ……


「っと、いけない。伊勢くんを待たせちゃ悪いし、近道していこうかな」


 昔から住んでいるし、この辺りの地理は、目立たない道とは呼べなさそうな小道も大体把握している。

 こっちの裏路地を道なりにいけば、理髪店の近くに出られたはずだ。

 入ってみると路地は存外に薄暗く、灯り始めた防犯灯を頼りにしなければならないほどだった。

 どこからか、猫が喧嘩しているような鳴き声がきこえてくる。

 ……ここってこんなに雰囲気悪かったっけ?

 そういえば日が落ちてからこの辺を歩くのは初めてかもしれない。なんか怖いし、早歩きでさっさと抜けてしまおう。

 途中、脇を走り抜けていく猫や、もうとっくに潰れているだろうと思っていたボロい居酒屋に暖簾のれんがかかって明かりが漏れていたことに驚きを覚えつつも、なお歩調を強めていく。

 遠目に、床屋によく置いてある赤、白、青のサインポールが路地を抜けた先に小さく見えたところで、不意打ち的に声をかけられた。

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