第3話めんつゆは飲料に含まれますか?


 何というか、伊勢くんの言った通り家の中は結構普通だった。

 ただ、十年以上空き家として放置されていた割には壁はくすんでおらず、床も光沢を放っている。天井の隅に蜘蛛糸一本垂れ下がっていることもなく、まるで新築のようだった。


「すごい綺麗なお家だね」

「ほとんど使っていなかったから。当時のままさ」

「え、もしかして昔住んでたの?」

「少しだけ。この家は僕の両親が建てたものだよ」

「異世界人なのに?」

「当時色々あったみたいでね。その後すぐに元の世界に帰ってしまったけど」


 とすると、私達は小さい頃に会ったことがあるかもしれないのか。まぁ、覚えてないんだけども。


「適当にソファにでも座っていてくれ。飲み物はめんつゆと青汁があるけどどっちがいい?」

「……ねぇ、やっぱり私帰った方がよかった?私嫌われてる?」

「そんなことはないさ。君みたいな美人な子と一緒にいられて嬉しいよ」


 おおっ、美人だって。嬉しいだって。

 私も嬉しい。

 ただ、それはそれとしてなんなんだよその二択は。


「もしかして、別のものが良かったかな」

「そりゃそうだよ。めんつゆは飲料じゃないでしょ……」


 私はリビングのソファに腰を沈めながら、伊勢くんに不満顔を向けた。


「そうなのかい?美味しいし、体にいい飲み物だと思っていたよ。なかなか味わい深いからね。ただ、何故かやたらと喉が乾くから、それを紛らわすためさらにめんつゆを飲むんだけど、そうすると今度は頭痛がしてくるんだ。だから帳尻合わせとして、青汁も飲むようにしているんだよ」


 帳尻合わせに健康飲料を飲んでる時点で、めんつゆが体に悪いの薄々自覚してるでしょ。


「出してもらう身分で申し訳ないんだけど、他の物はないの?」

「後は青い汁とかかな」


 青い汁って、それ略したら青汁でしかないじゃん。どうしてこの人私に青汁を飲ませようとするの。私は健康だよ。少なくともめんつゆを常飲してる人間よりは。

 彼は異世界人らしいし、価値観の違いというやつだろうか。普通の飲み物が分からないのかもしれない。いやでも、私を誘った時に『お茶』って単語出してたけどな。


「はいこれ」


 伊勢くんが持ってきた物は青汁ですらなかった。

 本当に青い。青い液体だ。


「甘くて美味しいよ」

「甘いって……あ、これブルーハワイ味か。なんで青い汁とか不気味な言い方したの」

「あぁ、確かそんな名前だったね。長くて覚えられないよ。四文字が限界さ」


 どうやって自分の名前を覚えたんだろう。

 『めんつゆ』と『あおじる』。変な組み合わせだとは思っていたけど、微妙な共通点が発覚した。


「名前で思い出した。君のことはなんて呼んだらいいかな」

「そういえば自己紹介してなかったかも。私は広井絵衣葉(ひろいえいは)」

「ちょっと長いね。三文字以内じゃないと難しく感じられるよ」


 伊勢モーメント改レイジくんに言われたくないよ。

 というか、あなたの記憶上限四文字だったはずでしょ。さらっと一文字減らすな。


「ひろいが苗字で、えいはが下の名前ね。どっちも三文字だから好きな方で呼んで」

「広井さんでいいかな」

「うん」


 さすがに下の名前では読んでくれないか。ちょっと残念。


「ねぇ、伊勢くん。どうして伊勢くんはこの世界にやってきたの?なにか狙われてるみたいなこと言ってたけど」

「えぇと……」


 伊勢くんはブルーハワイの入ったグラスのコップを持ち、鮮やかな青を薄く綺麗に引き立てててる氷を、軽く回し溶かすようしてから口をつけた。それが三回ほど繰り返され、どうやら伊勢くんは言い渋っている様子だった。


「ごめん、聞いちゃいけないことだった?」

「いや、君に話したところで何も問題はないだろうけどね。狙われてる理由は一応機密情報なんだ」

「機密情報だなんて、なんだか秘密組織の一員みたい」

「大まかその認識で間違っていないよ。元、だけどね」

「え、本当に?凄い、凄いよ伊勢くん!どんなことをしてたの?」


 異世界の秘密組織の活動内容なんて想像もつかない。


「うぅん、そういうのも機密情報だから。色々やっていたけど、言えることだけに絞ると…………ケーキの販売とかやっていたかな」


 なんで?


「……他には?」

「生地もつくるよ」


 ただのケーキ屋じゃないですか。そりゃあ想像もつかないよ。


「最近はなんと、配達も始めたんだ」


 このご時世、異世界でもお客様の立場に寄り添った営業形態が求められているのかも知れない。

 どうでもよい。


「あはは、伊勢くんの言ってることをまとめると、なんだかケーキ屋さんみたいだね」

「ははっ、確かにそうかもしれない。でもケーキ屋ではないよ」


 嘘をつくな。ケーキ屋であることを自白しろよ。狙われてるって言ってたのは、産業スパイになんでしょ。

 ……まぁ、何か理由があって元の世界を離れたのだろうし、言いたくないことを根掘り葉掘り聞くのも良くないかもしれない。


「というか、異世界にケーキ屋とかあるんだね」

「それぐらいはあるさ。どんな所だと思っていたんだい」

「えーと、移動は馬車で、生活用水は井戸から汲み上げて、電気の代わりに魔術を使ったりとか」

「車も水道も普通にあるよ。車はこっちのもの程洗練された形はしていないけどね。電気の代わりに魔術というのがよく分からないけど、電気もある」

「そうなんだ。あんまりこっちと変わらないんだね。ドラゴンが空を飛んでたりするものだと思ってたのに……」


 もっとファンタジーな世界だと想像していたけれど、そうでもないみたいだ。


「ドラゴンならいるよ」

「本当!詳しく聞かせて」

「ピヨピヨ言って飛ぶんだよ。黄色くて──」

「ごめん。やっぱりいいや……」


 ピヨピヨって鳥じゃん。というかひよこだよね、それ。ひよこが空を飛んでいたら、それはある意味ファンタジーなんだろうけども。

 これ以上、彼の住んでいた世界について聞いていたら、夢が壊れてしまいそうだ……


「……はぁ、ところでこっちの暮らしは、学校はどうだった?」

「なかなかいいところだと思うよ。可愛い子もいたしね」


 私のこと?


「僕の前の席の友杉さんという人なんだけど」

「と、ともちゃんか?ともちゃんのことか?!」

「どうしたんだい急に。僕そんなテンション上がるようなこと言ったかな」

「ともちゃんはダメだよ!ともちゃんに手を出したら許さんぞ!」

「何故だい?」

「だってともちゃんは私の親友だから」

「それ関係あるのかい?……あ、もしかして、君は女の子が好きな女の子というやつなのかな」

「ち、違うよ。親友であるともちゃんが、私より先に彼氏を作るのは許されないから」


 伊勢くんは呆れ気味に、


「…………恐らくだけど、彼女は君のことを親友だと思っていない気がするよ」

「そんなことないもん。私達仲良いし」

「どうなんだろうね」


 伊勢くんは再びグラスを持ち上げると、その中身を飲み干してしまった。


「君もおかわりどうだい。めんつゆも──」

「いらない。ねぇ、なんでともちゃんがいいの?確かに可愛らしいけど、着痩せするタイプで、服の下は結構太ましいんだよ。顔に肉がつかないだけで」

「それはいいことだと思うよ」


 クソっ、こいつむっちり派だったか。


「僕、可愛い系が好きなんだ」

「私は?」

「うん?」

「私の容姿についてはどう思う?ほら、男の子の意見って中々聞ける機会ないから、よかったら私も評価してくれたら嬉しいな……みたいな」


 ちょっと無理があったかな。でも伊勢くんの率直な評価を聞いてみたい。


「どう思うって言われても、面と向かって言うのはさすがに照れ臭いものがあるよ」

「えー、いいじゃんせっかくだし」


 伊勢くんは少し迷ったような素振りを見せてから、顎に手を当てじっと私の顔を見つめ、


「そうだね。スッと通った鼻筋と、くっきりした目元が綺麗だね。肌はかなりの色白で、それとは反対に黒くて長い髪は艶やかで……」


 あ、なんかすごいかも。確かに評価してくれとは言ったけど、そんなに細かく褒められると、なんだか私まで照れ臭い。というかドキドキしてきた……


「正直、今まで見た女の子の中で一番の『美人』だと思うよ」

「…………ありがとう」


 結局私は美人カテゴリーですか。

 可愛い子ってどんな子だろう。小さくてふわふわしているような気がする。柔らかくてなんだか丸みを帯びていて、楽しそうにたまごボーロでも頬張っていれば尚可愛く見えるかも知れない。……赤ちゃんか?


「……でも、伊勢くんにとって一番可愛い子ってやっぱりともちゃんなんでしょ?」

「妙にそこへ食いつくね。まぁ、好みの問題もあるけど、その……友杉さんが気になるのは、ここへやってきてから初めて仲良くなった女の子だったんだ。僕がこの辺りの案内を頼んだら、快く引き受けてくれてね。一緒に歩いてまわったんだよ」


 ともちゃんが言ってた約束の相手って、伊勢くんのことだったのか。

 よくよく考えてみれば、伊勢くんが学校からすぐに直帰したのなら、あの通りで見かけるわけがないものね。ともちゃんと別れた後だったわけだ。

 というか一日一緒に過ごしただけで好きになっちゃうなんて、伊勢くんはちょろいなぁ。

 ……私はまだ、伊勢くんはちょっと気になる気になる存在ってだけだからセーフ。私はちょろくない。と思う。


「じゃあ、明日は私と一緒に遊んでよ」

「構わないよ。でも、僕は明日も学校があるから終わった後でいいかな」

「実は私も学校があるの。ちなみに同じ学校で同じクラスだよ」

「そうだった」


 クールに見えてその実ポンコツ気味な、少し変わり者の伊勢くん。別世界からやってきた彼と送るこれからの学校生活は、一体どんなものになるのだろう。

 私はそこはかとなく期待しつつ、空グラスにめんつゆを注ぐ彼の姿に一抹の不安を抱かないこともなかった。


「あ、帰るのかい?よかったら送って行こうか」

「私、隣の家に住んでるって言ったよね。色々と記憶力大丈夫ですか伊勢くん……」


 もしかして、異世界人はこっちの人間よりも馬鹿なのかな。いや、単純に彼の記憶能力が、引き算の出来るニワトリレベルなだけかもしれない。


「それに関しては忘れていたわけじゃないよ。あのタイミングで都合の良すぎる話だったからね」

「あぁ、そういうこと。本当のことだよ。これからお隣さんとしてもよろしくね、伊勢くん」

「こちらこそよろしくお願いするよ、広木さん」


 広井さんです。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る