第2話彼の正体


 住宅街に入って人通りも少なくなり、私はあらためて慎重に伊勢くんの尾行を続けていた。

 彼が曲がり角に差し掛かると、極力視界に入らないように、バカバカしいとは思いつつも念のため電柱を利用して隠れる。そうして、電柱の根本に広がる染みを踏んづけてしまった時などは、「これは降った雨が乾いていないだけ」と自分にいい聞かせるのだった。

 いや、やっぱり降ってないわ。今日はずっと晴れてたもの。この染み黄色いよ。

 心に悲しみの雨が降ったところで、伊勢くんが一軒の家の前で立ち止まった。

 外壁に蔦が這っており、少し古びてはいるがなかなか立派な家だ。

 有名というほどでもないけれど、この辺りで大きい家といったらここを思い浮かべる。確かずっと空き家のはずだったけど、引っ越してきたのかな。

 私もいつかこんな家に住んでみたいなとか考えながら、毎日この家の隣から登校してて…………というか、ここ私の家の真横じゃん!

 なんという偶然だろう。

 席は隣にならなかったけど、実はお隣さんだったなんて。やっぱり運命的な──


「ねぇ、君」


 いきなり呼びかけけられて隠れる暇もなく、私はがっつり伊勢くんと目を合わせてしまった。


「こ、こんにちは伊勢くん」

「ずっと僕の後をつけていたみたいだけど」


 しかもバレてる。


「え、違うよ。実は隣が私の家なんだ。凄い偶然だよね。じゃあ、またね伊勢くん」

「君が僕の後をつけ始めてから、ここにくるまでにあえて回り道もしたんだ。だけどその間もずっと、僕の後方に居たじゃないか」

「い、伊勢くんて結構鋭いね……」

「別に鋭いってわけじゃない。慣れているだけだよ」


 どうしよう。こんなことなら、彼を見つけた段階で、普通に声をかけていればよかった気がする。


「……それで、君はどっち側なんだい?」


 いきなりどっち側、なんて聞かれても、彼が何を知りたいのかが分からない。せいぜい、私の家の位置が左右どちらなのかを答えるしかないだろう。しかし、彼の身構えた雰囲気からくる私を縛り付けるような眼差しが、そんなことを聞きたいのではないと雄弁に語っている。

 

「なんのこと?」

「とぼけないでくれ。僕を狙っているんだろう」


 何か裏の事情があるのだろうか。

 最初見た時から思っていたけど、やはり彼は普通ではない気がする。……なんて漫画の読みすぎかな。

 仮の話として、伊勢くんが何か事情を抱えた本物か、もしくは電波さんの真面目なごっこ遊びなのか。もし後者なら彼とは仲良くできるかもしれない。何故なら、私は物語のメインヒロインだから。……という妄想を、寝る前に布団の中でするような女の子だから。

 もう何回危機的状況から助け出されたか分からないよ。妄想の中で。

 彼もあんなことを言い出すあたり、秘密組織とかバトル物の主人公に自己投影しているのだろう。


「答えてはくれないのかい」


 どうしよう、せかされてしまった。私もカッコつけて、意味深なセリフとか言った方がいいんだろうけど、いざとなるとなかなか出てこないな。えーと……


「私の家はあなたの家の左側ですよ」


 結局、中学英語を和訳したような文章しか思いつかなかった。


「君は何を言ってるんだい?」


 伊勢くんが怪訝な目を私に向けている。

 ごめん伊勢くん。つまらん女でごめん。


「まぁ、どちらでも僕にとってはあまり変わらないけどね。君ももう知っているだろうけど、この世界で魔法を使うのは難しいよ。僕に『スキル』のみで勝負を仕掛けて、優位に立てるとは思わないでほしい。できれば引いてくれないかな」


 お前が何を言ってるんだ。

 魔法やスキルというと異世界系かな。ステータスオープンとかいうやつ。伊勢くんてそういうのが好きなんだ。私も好き。


「引かないと言うのであれば……」


 その時、私に鋭い視線を投げかけていた彼の目が大きく見開かれた。


「『注視幻覚(ゲイズミラージュ)』!」


 ……何かの必殺技だろうか。

 私自身オタク寄りだと思うし、理解はあるつもりだったけど、こうやってリアルで技名を叫ばれるとかなり痛々しいな。

 ドジっ子のともちゃんが怪我をする度に、「ホーリーヒール!」と言って消毒液と絆創膏を貼り付けてたけど今度からやめよう。


「君の周りを壁で囲わせてもらったよ」


 引いてくれとか言ってたのに、どうして退路を塞ぐのか。その頭の悪さと謎のスキルとやらに引くよ。

 なんか急に冷めてきちゃったかも。面倒くさいからもう無視して帰ろ…………え?

 振り返ったその場所には、この辺りでは見た事のない本格的なレンガ造りの壁が、悠然と私を見下ろしていた。

 そしてさらには、その壁が眩しく照らされる。

 まるで高エネルギーを圧縮してるとでも言わんばかりに、光の粒子のようなものが、私に向けられた伊勢くんの掌に集まっていた。

 瞬間、様々な感情が頭の中を駆け巡る。

 あるはずのないものが現れ、さらには見たこともない力を目の当たりにして、言いようのない不安が胸を覆いそうになった。が、しかし、そんなものはすぐに薄れてしまう。どうしてか私の心は、期待と謎の高揚感で膨み、色めいてしまっていた。

 自分の中の愚かな冷静さが、「見間違いじゃないか」「何かのトリックだ」と膨らんだ心をつつこうとしたが、状況の理解がそれらを突っぱねた。

 だってこんな事、普通の人間には出来ないから。

 理屈じゃない。

 ある日突然転校してきたどこにでもいそうな男の子が、実は特別な力を持っていたなんて、こんな素敵なことはない。

 突然のことに冷静さを欠いたのもあいまって、何か、彼への想いがそのまま溢れそうだったが、


「さぁ、この場から立ち去るんだ」


 というアホなセリフで、私はそれなりに落ち着きを取り戻した。

 だから、壁があったら逃げられないじゃん!それとも、私を殺す気まんまんなの?

 素でやってるのか、わざとやってるのか分からないんだけど。いや、今はそんなことどうでもいい。


「い、伊勢くん!」

「なんだい?」

「伊勢くんって魔法使いなの!?」

「魔法じゃないよ。これはスキルだ」

「じゃあスキル使い?スキルって何?」

「一体何を言って……」


 ここで伊勢くんが挙動不審になりはじめた。


「き、君ってもしかして、この世界の人間なのか」

「この世界?伊勢くんは別世界からやってきたの?」

「まぁ、うん……」

「ま、まさか、謎の転校生が特別な力を操る異世界人だったなんて……」

 

 転校してきた時点では別に謎でもなんでもなかった気がするけど、なんとなく『謎』とつけてしまった。いや、名前がよく分からん謎だったか。


「どうして僕が転校してきたことを知っているんだい?」

「同じクラスでしょう」

「そうなんだ。そういえば君の制服は同じ学校の物だね」


 悔しい。学校一番の美人と言われるこの私を気にもとめないどころか、存在すら認識していなかったなんて。「彼は一体なんなのよ?!」みたいな感じで恋に発展していきたい。……と言いたいところだけど普通にショックでした。


「……はぁ、とりあえずこの壁消してほしいかも。なんか角度的に倒れてきそうで怖い」

「あぁ、実はそれ実体がないんだよ」

「なんだ、これ幻なの」


 触れてみようとすると感触はなく、簡単に通り抜けてまい、瞬きをした時には消えてしまった。

 壁もエネルギーっぽい光も、実在したわけではなかったみたいだ。ちょっと残念。


「まぁ、追い返すためのハッタリだったわけだね」

「そうは言うけどさ、私あの壁のせいで逃げられなかったんだけど」

「あ……」


 素だったか。伊勢くんて少し残念なやつだな。


「ごめんね。こんなことをしておいてなんだけど、学校の皆には僕のことを内緒にしておいてくれないかな」

「それは構わないけど……」

「よかったらお詫びに、うちでお茶でもどうだい」

「おぉ、伊勢くんのお家行ってみたいかも」


 異世界人の家の中って凄く気になる。そうでなくても、普通に伊勢くんと仲良くするチャンスだし。


「あ、来るんだね」


 自分から誘っておいて、なんなのその反応は。


「日も傾いてきているし、『また今度』と遠慮されるかと思ったよ」

「だって異世界人の暮らしを見てみたいんだもん」

「別に変わったところなんて何もないよ。それでもよければ」


 私は彼に連れられて、家の中に足を踏み入れた。

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