第4話

飲み会はその後、恙無く進行して、二次会に向かうもの、そのまま帰宅するものに別れた。

「ふざけんな!梶のクソ野郎。寄り目!」

「おぉ~。イイね。白熱してきたね」

何故か私はブランコを全力で漕ぎながら梶の悪口を叫び散らしていた。何がどうなってこうなったのか全くわからないが、私は橋下と二人、深夜の公園で安いバカみたいな缶チューハイをしこたま呑んで騒いでいた。

「橋下ォ~!なんでそんなでけえんだ!!」

「うおっ。飛び火だ。なんでだろな。腹弱いから牛乳も嫌いだったのに」

「先祖がキリンなのか!!!」

「首は普通だろ」

橋下は酔っ払って無茶苦茶なことを言う私に取り合わず、しゃらんとした感じで流していく。そんな態度がありがたく、そして同時に腹立たしかった。

「どけぇ!!橋下!!私が飛ぶぞ!!」

「は?ちょ、やめとけって、バカ。おいっ!」

私は手を離し、等速運動を続けるブランコから勢いよく飛び立った。視界が空を写し、それから空が遠ざかる。一瞬の浮遊感と腰に衝撃。それから鈍い痛み。口の中に血の味が広がる。息ができなくなる。

私を見下ろす橋下の心配そうな顔が見えた。しきりに繰り返す腰の痛みが酩酊状態の頭を徐々に覚醒させた。

「見るんじゃねえ」

「こんなに面白い光景をか?」

「速攻で立ち上がるから、ちょっと向こう向いてろ」

「無事ならいいんだよ無事なら」

橋下は溜息をつきながら、背中を見せた。すぐに立ち上がろうとするが、脚に力が入らない。なんとか立ち上がるが、筋肉が麻痺したように弛緩し、そのまま倒れこむ。受け身も取れず無様に顔から地面に落ちる。

その音を聞いてか、橋下が「手助けいるか?」と心配そうに尋ねてくる。苛つく。

「いいから、こっち向くなよ。こっち向いたら絶交だから」

「大して親しくないじゃない」

「うるさい」

動物特番で必ず流される産まれたてのヤギのように、ふらふらと情けなく立ち上がり、滑り台へと足を進める。

「おい、あんまり動くなよ」

「うるさい、リハビリなの」

「リハビリを滑り台から始めるな。もっと無難にいけ」

やけに細い手すりを握るが、力を込め辛いせいか、前傾姿勢になってしまう。よろよろと徘徊老人の様相で、滑り台の上に立つ。

大した高さがないくせに、見晴らしのいい坂の上の公園にあるせいか、冷たく光る街並みがやけに綺麗だった。

「エキセントリック!エキセントリック!エキセントリック少年ボウイ」

私はすべり台のてっぺんで叫んだ。アルコールで脳がどろどろに溶けている。脚を無理しない程度に上げて、さながらロカビリーだった。寒々とした風がすべり台から叫ぶ馬鹿みたいな女を吹きさらしにした。

子供の頃に観ていた「ごっつええ感じ」は時折私の頭の中に浮かんで暴れ出す。

痛みを酔いに任せて吹き飛ばしたかった。頭は思考をやめており、勝手に口が、音程の狂った浜田雅功になってしまう。別にいいけどね、浜ちゃん好きだし。

「おー、懐かしい」

「この街が悪い!全部この街が悪い。冷たすぎる。九州はこんな冷たくない!常夏だ!」

「あ、マチって九州生まれなんだ」

「鹿児島ね。火山灰ヤバいとこ」

「帰省したら焼酎よろ」

「あんたどこ出身よ」

「え、東京」

「つまんねー」

私はロカビリー状態のまま、福山雅治の「東京にもあったんだ」を熱唱する。思い切り皮肉を込めて。橋下はゲラゲラ笑いながら、私に硬貨を投げつけてきた。投げ銭ってやつか?感じ悪いぞテメェ。

「写真撮ってやろうか?」

すべり台の下で橋下はどこから出したのか一眼のカメラを構えていた。その姿がどこか様になっていた。

「やめろ」

「なんだよ」

「こんな痴態映すんじゃねえ」

「残るからいいんじゃないか。わからんな」

橋下は残念そうにカメラを鞄にしまった。絶対に残されたくない姿はなんとか撮られずに済んだ。

「誰も撮ってくれって言わないんだよな」

拗ねたように橋下は手元の鞄を弄る。

「そりゃ、あんた見るからに下手くそだからでしょ」

「失礼なこと言う奴だな。自分で言うのもなんだけど、俺は結構上手いぞ」

「指とか写りそう」

「偶にね。じゃあ、あいつもそれで撮るなって言ったのかな。自信無くすわ」

「あいつって?」

「あー、大学の、んー、友達?みたいな人。いや、友達の友達?くらいの」

橋下は考え込むようにして、唸った。中途半端な関係の人間が出てきた。

「そんな希薄な関係の奴、よく被写体に選んだね」

「なんか虚ろな感じがクールだなって、それだけ。よくわかんねーけど」

適当な奴だなと呆れた。

その友達の友達の某君は不運だ。こいつの適当に運悪く遭遇してしまって。もしかしたら、こいつの適当な言葉で人生を変えられたりしてないだろうか。

「だいたいなんなの?そんな高価そうなカメラ持ち歩いて。カメラマンにでもなるつもり?」

冗談のつもりでそう笑い飛ばした。でも、橋下からは返事が返ってこなかった。てっきり、「そうそう、こうやってすぐにスクープをな」とか薄ら寒いボケを振ってくるものだと思っていた。

街灯の光も外れ、闇の中、橋下の顔が見えない。黙ったままの橋下がどんな顔でいるのかわからない。

「ははは。まさか」

薄いプレパラートがぱきりと割れるような、乾いた笑いと、投げやりな声が聞こえた。

柔らかなゼリーに何か鋭いものを突き刺した。私の胸にはそんな感覚が残った。

空気を変えようと話題を探すが何も思い浮かばない。そんな焦りから酔いが回ったのか、突如、吐き気を催した。そのまま止めることができず、すべり台から勢いよく嘔吐した。地面を重たい流体の音が鳴らす。

「うっわ、きたねっ!」

橋下が本気の声で叫んだ。ドン引きしているらしい。介抱しようとしているらしいが、橋下はすべり台の下だ。

「ちょ、マチ。滑ってこい。ほら」

すべり台の下で手を広げているが、今、すべり台なんかしたら残りも全部ブチまけそうだ。それくらい想像しろ。

「ああ。わかった。担ぐわ」

そう言って、何故か坂の方から登って来ようとする。なんでだよ。梯子から昇れよ。案の定、自分も酔っている橋下が途中で足を滑らせ、緩やかに滑落していく。間抜けだ。遊んでんじゃねえと怒鳴りたい。

「だめだ!上がれない!救急車呼ぶか?」

「頭おかしいだろ、あんた」

橋下の思考もアルコールで停止している。結局私は、その後二度嘔吐して、公園の入り口に呼んでもらったタクシーで帰宅した。

胃の中を空にしたおかげで、酔いはある程度冷めて、ベッドの中では必要以上に苦しむことなく眠りに落ちた。

何度かの浅い目覚めののち、重い身体を無理に引き起こした。中に泥を詰め込まれたサンドバッグのようだった。

水垢の着いた鏡に写る自分の姿を見て、あまりのブスさに衝撃を受けた。化粧はドロドロになり、アイシャドウが目の周りに広がり、暴漢に殴られたと勘違いされてもしょうがない感じだ。

唇と肌はアルコールの脱水症状で乾燥して、目は澱み、クマが腫れぼったく盛り上がって出来ていた。

水死体のようだった。

「会社休も」

私は有休申請をメールで送った。頭痛いし、なんか背中も痛いし。服を脱いで熱いシャワーに突入して、部屋着に着替えた後、再びベッドへダイブした。

「橋本、泣きそうだったな」

昨夜の橋下の態度が気になったが、そんなこと考えてられない状況になった。

二度寝の後の起床時、昨夜のブランコ飛翔事件の際、思い切り打ち付けた腰、というか背中が激しく痛んでいた。立ち上がるのも困難で、結局、救急車を呼んだ。仰々しくMRIに通されて、ぐるぐる回転して診察室に通された。スケベ顔の先生が笑っていた。背骨を骨折していた。背骨の、あの出っ張ったトゲみたいなところ、横突起って部分がポキリと折れていた。

幸い、症状は痛いだけで済むし、安静にしていれば、通院も必要ないとの事だったが、やっぱめちゃくちゃ痛い。コルセットをギチギチに巻いて、次の日出社すると、橋下は涙を流しながら大笑いした。

「アホだ。アホがいる。腹痛い。やめて、顔見せないで。帰って。マジで死ぬ。腹痛い」

橋下は過呼吸になって、本当に死にそうになるほど笑っていた。一昨日のおかしな態度なんて私の頭からすぽんと抜け落ちて、橋下に蹴りを入れる。そして激痛が腰を襲う。二人してデスクに突っ伏しているところを上長に叱られた。

二週間ほど、コルセットを巻いて、ガリガリと鎮痛剤を噛み砕いていると、次第に鈍い痛みは引いていて、気がつくと私の背骨は完璧に元気になっていた。完璧元気ちゃんだった。

それでもふとしたタイミングで笑うと激痛が走ったりもしたけれど。

ブランコから離陸して、不時着後、背骨骨折。

実際は大した怪我ではなかったが、文字にするとセンセーショナルな出来事になったその事件は瞬く間に部署の中を駆け巡った。

それと同時に、私と橋下が付き合ってるなんていうひどい誤解も同様に浸透した。

年齢の近い女性の先輩にその話を聞いた私は案の定、激怒して、橋下の肩を殴った。

「なにすんだよ」

「お前のせいだ」

「何が?」

「噂!!」

「ああ……」

橋下はニヤリと笑い、ポッキーをしゃくしゃくやり始めた。

「ほっとけばいいじゃない。誤解なんだから」

橋下の指先は次から次へとポッキーを摘んで口の中に押し込んでいく。喉に刺されと思った。

「食べる?」

差し出されたポッキーを摘んで、橋下の頬に突き刺す。強度のないポッキーが情けなく摘んだ端から折れ、橋下の頬には溶けたチョコレートが付いた。

その顔がバカ丸出しで笑った。

腰が痛いのに笑いが止まらなくて死ぬかと思った。

馬鹿に殺されるかと思った。



コルセットが取れた頃になって、私が酔ってブランコから投身して背骨を折ったことと、橋下と私が付き合ってるという噂は社内から姿を消した。

私への興味は、所詮その程度の期間しか持続しなかった。

橋下はその間も仕事に奮闘しつつ、クソガキみたいなちょっかいをかけてきたので、クソガキみたいな対応で返した。腹が立つことに、橋下は私の対応に満足げだった。

適当にあしらっていた頃より、生き生きとチョコやらキャンディーをボムにして投下してきた。

橋下がフロアの窓際にぼーっと立っているのを見かけた。陽射しを浴びて目を細めている。

「なにやってんの」

私の問いかけに気付いて、橋下は目をぱちりとさせた。

「日向ぼっこ」

「バカじゃないの」

「なんで?普通じゃん」

「給料貰ってんだよ、恥ずかしくないの」

「ちゃんと還元してるから問題ないのよ」

自信げに胸を張る橋下を蹴り飛ばした。橋下の自慢は嫌味がないが、イラっとくる。

「マチはさ、キックボクシングとか習いに行ったら?結構いいローキック持ってる」

膝を抑えながら涙目で私を見上げてくる橋下。

何年も前から、何十年も前からこうして二人でバカな話をしていたと錯覚した。本当はまだ出会って数ヶ月で、飲みに行った回数も数えられる程度で、それでも私はこの関係に満足していた。充実していた。これから先、何年もこんなゆるい関係が続いていくのだと錯覚した。

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