第15話 魔術師という異質な者

 ノックの音に対して、入れと短い言葉を放つのは、彼にとって当たり前のことである。

 軍部第三大隊長であるラグは、大勢の部下の長であり、デスクでの仕事も多いが、メインは部隊を引っ張って一番先頭で動く軍人だ。日ごろからの態度も、それなりに取り繕う必要もある――が。

 しかし。

 入ってきたのがネネであったのならば、自分の対応が間違っていたと認識すべきだろう。

「ネネ様、失礼しました」

「構わないから、ラグは座ったままでいいぞ。というか、仕事が忙しいなら、出直すから」

「いえ」

 どこか気落ちしているようにも見えるネネは、空いているソファに座った。

「ネネ様の用件よりも優先すべき仕事はありませんから」

「そう言ってもらえるのは嬉しいけど、ちょっとした相談だから、あー……そうだね、休憩みたいにしてくれると助かる」

「休憩、ですか」

「そう、休憩ついでの会話。ラグの仕事を止めてまで、話したいことじゃないし、個人的なことだよ」

 やはり――。

「では、そのつもりで聞きますが、何かあったのですか?」

「うん。今日はさ、冒険者ギルドで手合わせをしてたんだけど、事前に姉さんが、ちょっと試したいって言って来たんだ」

「それは、珍しいことですね。……まさか、何か事故でも?」

「そうじゃない」

 そうじゃないんだよと、深呼吸を一つ。

「――初手、姉さんが魔力を全域に展開して、私は何もできなかった。恐怖もあったけど、まず、呼吸ができなくなった。息苦しさをどうにかしようと、息を吸おうと意識しても、何か異物が入ってくるような感覚があって……そのまま、私は尻もちをついていたよ。そこで驚きと、恐怖と、感情がごちゃ混ぜになって、――避難させられた」

 ラグは口を挟まない。

 きっとそれは、弱音みたいなもので、ネネが話したいのだと思ったからだ。

「姉さんの知り合いがいたんだ。ちょっと話を聞いたら、たぶん、姉さんにそれを教えた人だとは思う。その人が、どうにかしたいなら、四十以上の軍人に話を聞けってさ。――なあラグ、対抗心があるわけじゃない。ただ、あんなの、どうにかなるものなのか?」

「なるほど」

 その人物が誰なのか、情報部あたりに調査させておこうと、手元の紙にペンを走らせておいた。

 実際に情報部のアイラは知っているし、あとになってラグの耳にも入ることになる。

「ネネ様はまだ、十八歳でしたか」

「うん」

「自分から正直に申し上げれば、――まだ早い経験だと思います。仮に自分の部下がそのような経験をするのならば、間違いなく止めるでしょう」

「何故?」

「強い魔力が充満した空気を経験した者は、確かに四十以上でしょう。自分もかつて、十五年前に魔物の大量発生があった時に初めて、触れることとなりました」

「――あ」

「魔物は大小の魔力を持っています。術式を使う魔物もおります」

「……ラグはその時、どう対応したの?」

「こう言うとおかしいかもしれませんが、……気合いです」

「気合い?」

「慣れる、というのも近いかもしれませんね。今にして考えれば、腹の底に力を入れて、異物を外側へ押し出す感じです。理屈で言えば、己の魔力を意識して、異物を排除してしまう」

「空気に飲み込まれないよう、自分の周囲に魔力を展開する感じ――で、合ってる?」

「はい、それが第一歩です。慣れないと動けませんし、気持ち悪くて吐く者もいました。……しかし」

 かつてを、十五年前を思い出せば。

「現場に適応できたのは、戦技帝殿を除けば、あの――魔術師ラーシアだけでしょう」

「ラーシアが? 姉さんがよく逢いに行っているけど、あの人は魔術の研究者で、しかも宮廷魔術師の中でも異質なんだろう?」

「今は、そうです。若い宮廷魔術師は、彼女の本質も知らないでしょうが、ラーシアは軍の大隊二つぶんくらいの戦力を有しています」

「……そんなに、か?」

「ええ、要請があれば前線に出られる魔術師です。ただし、彼女の欠点は、単独での戦闘を前提にしていることでしょう」

「それは軍との連携ができない、という意味?」

「彼女の戦闘に、戦場に、介入ができないという意味合いです。……十五年前、自分は彼女のそばで前線に出ていました。当時は目の前のことで精一杯でしたが、自分には彼女の方がよほど怖かった。常に魔力を周囲に展開しての戦闘でしたから、その領域に触れると自分が驚いて避けるくらいでした」

「……どういう仕組みなのか、わかるか? わたしにもできそうなら、訓練をしたい」

「かつて自分も聞きましたが、やっていることは剣士と変わらないそうです」

「同じとは思えないけど」

「まあ、実際には違いますからな。たとえば、ハンマーを持った男を想像してください。今の魔術師は、基本的に術式の威力を重視し、その破壊力から、冒険者などでは後衛からフォローをする役割が多くあります」

「うん、わたしの認識もそうなってる。だから、対一戦闘には向かない――と」

「それがまさに、ハンマーを持った男なのです。そのハンマーが大きければ大きいほど、威力は増します……が」

「隙も増える」

「どう対応なさいますか?」

「理想も含めて、攻撃を誘発してから回避、そこから踏み込む」

「そうですね、効果的かと。実際の魔術師であっても、攻撃後、または攻撃前、大きな隙を見せますし、それをフォローするのが前衛です。――だから、対一戦闘を想定した魔術師は、その行動をまずやめなくてはならない。少なくともハンマーではなく、剣を持たなければ、対等にはなれないでしょう。もちろん、たとえ話の中ですが」

「ああうん、現実にはもっと複雑だからってのは、わかるよ」

「想像できるなら充分でしょう。彼女――ラーシアにとって、魔力を展開するのは、間合いを作る行為に近しいそうです」

「そう言われれば、なんとなくわかる気もするけど……そんなラーシアが、今は一人で研究してるのは、どういうこと? 話を聞く限り、かなり有望だと思うんだけど」

「戦闘面、研究面、こと魔術において、あるいはそれ以外であっても、今のラーシアの話について行ける者がいないのですよ」

「いない?」

「言い過ぎではありません。なんというか……そうですね、これはかつて言われたことですが、ネネ様は術式を使いますか?」

「うん、状況に応じて身体強化系は使う」

「ではその話を。自分もそうしていましたが、ラーシアは首を傾げるのです。一体それは何をしているんだ、と。ネネ様はどういう状況で使いますか?」

「そうだね、普通の思考をするけど、自分の腕力じゃ斬れないものを前にした時は腕を強化するし、速度を増す時にも使う」

「おかしなことはありません」

「ん? ……うん、間違ってはないと思うけど」

「しかし、彼女はそれをおかしいと言う。つまり、――何故」

 それは疑問の提示。

「だったら折れない剣や、相手を遅くした方が効果的ではないのかと、そう言われました」

「折れない剣って、それは理屈が通らないだろう」

「同じことを言いましたが、笑われましたね。それは確かに無理難題だが、やろうともしない者が口にするものではない、と。その台詞がどうであれ、確かに自分を含めた剣士は、自分のことを中心に考えすぎています」

「自分を強化したり、自己鍛錬も、訓練も……確かにそう言われれば、そうだけど」

「自分が言うのも、おかしいかもしれませんが、彼女はすごいですよ。なんというか、こう、着眼点が違う」

「それは戦闘の話か?」

「そうです。ラーシアにはさんざん、自分の至らぬ点を指摘されました。――いや、それは今でもそうです、お恥ずかしい話になりますが」

「ラグが?」

「ええ。対魔術師戦闘、または魔術師の戦闘。たとえば、ここからだと少し遠いですが、ハウズ湿地帯まで足を伸ばしたとしましょう。いつもの装備に加えて長くつを持って行きますし、動きにくいことは想定できます」

「沼地も多そうだね」

「そこです。自分たちは、そこに沼地があることを想定して準備をしますが、では、水が得意な魔術師が、今戦闘をしている足元を沼地にした時、対応できません」

「それは――……うん、わたしも無理だ。その前に片付けるくらいが正攻法だと思う」

「この話の問題点はいくつかありますが、まず一つは、水を扱う術式ならば、それが可能であるということ」

「――そうか」

 それは。

「大問題じゃないか! だってそんなの、それこそ初級魔術の、水を集める術式で充分だ。コップに水を発生させるなんて、中等部に入ったばかりで、誰でもできる……」

「そうなんですよ。ラーシアが言うには、どんな術式だって、扱うことができるならば、やり方次第でどうとでも戦闘に転用できてしまう。それこそ、致命的なものまで」

「……」

「しかし、術式を使う時には構造式が出てしまう。腕や足、それによって相手の式を予想することができます」

「一般的な魔術師の場合も、展開する構造式は目に見えるね」

「だからこそ、魔術師は威力を追及する前に、効率化を追求すべきだ、と彼女は言う。――それが、自分の魔力を周囲に展開することで、術式の完成速度を向上させる方法なんだそうです」

「それで……」

「いうなれば、剣を鞘から抜いておく行為なんだそうです。……恐ろしいのは、彼女にとって抜いたものが、剣だとは限らないことでしょう」

「それは、それこそ扱える術式のすべてってことか。ナイフでもあり、剣でもあり、それこそハンマーまである」

 勝てる気がしない、と思ったのならば、それは、まだまだ未熟ということだ。

「――ありがとう、ラグ。仕事の邪魔をしたね」

「構いませんよ。それよりネネ様、次に訓練をするようでしたら、自分を呼んでください」

「いいのか?」

「似たような状況を経験しましあたから、助言ができるかもしれません」

「それは頼もしいね。でも、しばらくは考える時間が欲しいよ。今までやってきたことと、今日のこと、それから姉さんも……」

「あまり根詰め過ぎないよう、休憩を挟んでください」

「うん、そうする」

 今日はありがとうと、改めて言ってネネは退室した。

 ――まだ早い、そんな最初の感想を改めて思う。

 何事も経験だと笑ってやれば良かったのかもしれないが、相手はまだ少女だ。遅くても良い、立ち直ってまた訓練に打ち込むようになれば、いずれ壁は突破できる。

 ラグは、半年かかった。

 もちろん、魔物の大量発生があり、その戦闘の被害も含めてだったが――。

 いや。

 精神的にも、ネネが強いのは周知されているし、フォローする人間も多い。

 だとしたら、いずれやってくるその時まで待つのが、ラグの役割だ。


 その日の夜、ラグは私服でその場所を訪れていた。

 ラーシアの研究所である。

 夜間であるのにも関わらず、灯りがついている部署はいくつかあるが、全域ではなく一つの部屋だけに灯りがついており、歩くたびに足元の小さな灯りが道しるべになる研究所は、なかなかほかに見ない。

 そして、部屋の中では相変わらず、いつものように、ペンを走らせているラーシアがいた。

「ラグか」

「ん……」

 作業の邪魔をする気はないが、そのくらいしないと会話が成立しそうにないので、ラーシアの手元に手のひらサイズの箱を置いた。

「なに?」

「今日、誕生日だろう」

「……そうだっけ」

 箱を開けると、赤色の宝石がついた指輪が入っていた。ごく自然に、右手の薬指に入れる。

「ぴったり」

「そりゃそうだろ……」

「あんまり体格が変化しない女で良かったな」

「いつでも左手につけても良いようにって、お前が言ったんじゃねえか」

「それもそうだ」

「珈琲か?」

「うん、頼む」

 そういえば去年は、外出の時につけているネックレスを貰ったんだったと思い出す。

「今日、ネネ様が俺のところに来たぞ」

「――へえ? どういう選別だ?」

「四十歳くらいの軍人」

「魔物との大戦を生き抜いた、だね」

「コトネ様にやり方を教えたのは、お前じゃないんだな?」

「私じゃないね。確かに、魔術師には必要なことだ。戦闘ができない、は視野が狭い。戦闘もできるが苦手だ、これは問題ない。つまり、あらゆる術式に対し、理屈も、構造も、戦闘でどう使うべきかを考察するかどうかは、重要になる」

「それによって通せなかった理屈も、通せるようになるものか?」

「視野が広がるから、そうなることは多い。逆に、戦闘に使う術式を考察すると、今度は違う意味での視野狭窄が発生しやすいが」

「誰の影響だ?」

「数日前、訓練所で少し騒ぎが起きただろう」

「ん……あれか? 戦技帝の弟子がやり合ったとか」

「圧倒されて手も足も出ない間抜けぶり、だったとさ。その相手が、ここに来てね。その時にちょうど、コトネも来たから」

「まだ、制御せずに魔力を放出した段階だな?」

「制御はこれから」

「ほぼほぼ瘴気しょうきと同じか。ネネ様にはまだ早い」

「早いだって? かつては、あんただって似たような年齢だったろう?」

「似てたのはお前で、俺は二十三だった」

「大差はないよ」

「そうかもな……だがあれは、もう実戦の領域だ」

「私は関与してないから、なんとも言えないね。コトネもうちに来たけど、怖がってたよ。訓練とはいえ、よくネネはこんな真似ができるってね」

「……国王は、好きにやらせているから、本来は俺が口を挟むべきじゃないんだろうが、あまり良い影響はないだろう、これは」

「知ったことじゃないさ。目指すべき何かがあるわけじゃないんだ、それを探すための選択肢を多く持つのは良いことだ」

「問題が起きないようにするのは、俺たち大人の配慮だぞ、ラーシア」

「コトネの莫大な魔力を放出した際に、悪影響が出ないよう、ギルド内で収めるために結界を張ったり、か?」

「――関わっていることを見せたくないのか」

「選択がどうであれ、私のようになることが幸せだとは思っちゃいないさ」

「そうか?」

「私は幸せだけどね」

「……そんなものか。ほら珈琲、ちゃんと休めよ」

「なんだもう行くのか? 誕生日なんだ、泊まっていきなよ」

「ここ、研究室であって、お前の自室じゃないんだが」

「その二つは同じようなものさ」

「わかった、わかった。部屋の片づけをしておく」

「部屋から出さないでくれよ」

「それもわかっている」

 それこそ、十五年の付き合いだ、お互いの性格くらいわかっている。

 問題があるとするのならば。

 どうして結婚しないんだと、部下や同僚に言われた時、的確な返答ができないこと――くらいである。

 結婚してなくても、していても、お互いの関係が同じなら、それでいいと。

 そう伝えても、返ってくるのは、よくわからないといった、微妙な表情ばかりなのだ。


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