第14話 初めての魔術戦闘

 十日後のことである。

 軍の訓練場ではなく、冒険者ギルドへ向かったクロだが、目的はコトネとの待ち合わせだ。

 この日数がどうであれ、きちんとこちらを呼び出したのは良いことだ――と思って行けば、わざわざ入り口付近の表で待っていた。

 しかも。

「おう、ミカじゃねェか」

「あれ、クロ? シロじゃないんだ」

「あいつは満足して休んでるさ。まさかコトネの相手になるって言うんじゃないだろうな?」

「まさかぁ。冒険者ギルドとはいえ、さすがにコトネ様の護衛は必要でしょ」

「いつもミカには迷惑をかけていますね」

「好きでやっていますから、問題ありません。……というか、まあ、仕事の時はともかく、普段は敬語なしで話してるし」

「日ごろは世間話ばかりですけれど」

「あー、確かにミカじゃ、まだ教える段階にはねェか。とりあえず中なんだろ?」

「はい。妹が先に来ていますので、そちらに同乗させていただきました」

「動きはそこそこだな」

 言いながら中に入り、クロは受付に軽く手を上げておく。

「駆け出し冒険者よりも、ちょい上ってくらいなもんか」

「あんたの覚知範囲は、相変わらずおかしいね」

「まあ普段なら、そこまで広げる理由はねえよな。――お前、妹とは仲が良いのか」

「コトネですわ」

 まったくと、彼女は腰に手を当てる。

「悪くはありません。だからこそ、戦闘という妹の領分に踏み込むべきかどうか、悩みました」

「へえ」

「だから相談して、相手をしてくれると」

「んー、お前がどこまで仕込んできた?」

「教わったことは、一通り」

「ラーシアはなんて言ってた」

 裏にある訓練場に行き、とりあえず入り口のそばで立ち止まった。

「――少なくとも、間違ってはいないと」

「正しいと言わないだろ? 魔術の世界に正解はない。ラーシアも同じことをすると言ったか」

「いえ、そこまでは。まずはやってみることだ、と」

「だろうな」

「……あの、ところで、妙な視線が集まっているのですが、クロ様は何かしたんですか?」

「何もしてねェよ。一応、あいつらにはオレに関わるなって指示が出てるからな」

「だから逆に、興味があるのね」

「シロじゃあるまいし、いちいち相手なんかしてられねェよ。ただ、ちょっと無理だろ、ありゃ」

「――妹のことですか?」

 訓練に区切りをつけ、その少女がやってきた。

「姉さん、そっちが言ってた人か?」

「クロだ」

「ネネだ、よろしく。先に準備運動しといたから、いつでもいいよ」

「そのことに関してなんだけどな? お前、どうしても姉とやり合いたいか? もちろん訓練だが」

「どうしてもって……姉さんからの要求なんだけど」

「おいミカ」

「私からは何も」

 軍人としてはさすがに王家の人間に口出しはできないらしい。

「めんどくせェ、どうでもいいか。ミカ、こいつが駄目そうならお前が相手だ」

「え、クロがやるんじゃないの?」

「それはお前ができないって証明でいいのか?」

「いいけど……ほかの護衛に、それを認められるのは嫌だなあ」

「決まりだ。開始の合図はしない。剣を抜く前に仕掛けても文句言うなよ」

「そりゃ――まあ、うん、いいけど」

「ネネ、なんだか嫌な予感がするので、無理はしないようになさい」

「いや相手は姉さんだろ、そこはどうにかしてくれよ」

「努力はします」


 ――さて。


 腕を組んで位置につくのを見守る。十歩の距離くらいで対峙する姉妹、妹の近くにいるミカは、もちろん護衛としてついて来ているため、槍を持っていた。

 周囲に護衛らしき姿は三名。服装は変えているが、動きが軍人であるし、ネネたちを見守るような視線ですぐわかる。

 冒険者は六名ほど。このうちの一人は先ほどまでネネの相手をしていたが、誰もがこれから起こることを興味半分で見ていて。

 そして。

 きちんと教わった通り。


 ――コトネは、ほぼ全ての魔力を周囲に放出した。


 現代において魔術師と呼ばれる者のほとんどは、魔力を制御することを第一とする。

 実際にそれは間違っていないし、一つ間違えれば命を落とす危険性があるため、制御することは必要だ。実際にコトネも、生命に関わるほどの魔力を出しているわけではない。

 ないが。

 その魔力で訓練場全域どころか、表を含めた冒険者ギルド全体にまき散らすとは、大した魔力量だ。


 自然発生する魔力は、ここまで濃くならない。いわゆる魔力溜まりと呼ばれる場所ではありうるが、多くは魔力を好む魔物の巣窟そうくつとなっている。

 息苦しさ。

 魔力とは空気ではないが、空気と同化するものでもある。しかし、密度が濃かったり、量が多ければ、当然のように酸素などを排除して展開され――その上で、物理的な圧力をかける。

 ただ濃い、というだけでも、躰には重くのしかかる。

 ――そこに、一滴の敵意が混じれば。


 それを瘴気しょうきと呼ぶのだ。


 まき散らすという表現をしたよう、放出された魔力は制御されていない。

 本来はそれを、自分が得意な間合いに展開し、動きやすくする。剣士でいうところの間合い――そして、それを、自己領域ドメインと呼んだ。


 ネネは剣を引き抜こうとした瞬間、現実を見た。

 ぴたりと手は止まり、額から流れる汗を感じるより前に、がたがたと躰が震えるのを抑えきれず、ぺたんと地面に尻から落ちた。

 剣士の威圧とは比べ物にならない。

 これは、目に見えて、誰でも感じられる、恐怖を喚起させる威圧だ。


 だから、すぐに背中にかばうよう、ミカが前へ出た。


「ネネ様、退避を。――どうぞコトネ様、存分に」

「はい、やります」


 護衛の一人が慌てて状況を飲み込み、すぐネネに肩を貸すよう移動を始めたので、クロは手招きをしておいた。

「――結界くらい張ったらどうだ」

「お前がやるだろ」

 声だけが届くが、クロは驚かない。

「ギルドの外まで漏れてたところで、オレにとっちゃ大した問題じゃねェよ」

「できるだろう」

「さあな」

「まったく……僕が姿を消していることにも驚かないとは、可愛くないね」

「姿が見えなくなっても、存在が消えないなんてのは、お前ら魔術師がよくわかってることじゃねェか」

 座り込んでしまったネネに対し、ラーシアは小型の結界で対処した。

「つーか、隠れてこそこそする必要はあるか?」

「けしかけたのは僕じゃなくてクロ、お前だ」

「あ、そう」

 次の言葉を放つ前に、ラーシアの気配が遠ざかった。やることはやった、そういうことらしい。

 良い判断だ。


 ――どうせ長くは続かない。


 ミカが槍を使い、術式を回避し、受け流し、時には壊す。ただそれだけの時間は五分ほど続き、明らかな疲労が見えた時点で、大きく槍を一振り。

 それだけで、周囲に展開されていた魔力を散らした。そして、倒れる前にコトネを支えている。

「……ネネ」

「姉さん」

「改めて、尊敬、します。こんな怖いことを、あなたは、よく……」

「はいはい、とりあえず休みますよ、コトネ様」

「ええ……」

「ギルド内から出るなよ、ミカ。隅のテーブルでも使わせてもらえ」

「うん」

 さてと、クロはネネの頭に手を置いた。

「お前の護衛は、ちょっと若すぎる」

「――うん?」

「今回のこと、どうにかしてェと思うなら、戻って……そうだな、四十から六十くらいの軍人に声をかけてみろ。事情を話せば、助言をくれるはずだ」

「……わかった、そうする」

「立てるか?」

「ありがとう」

 手を貸して立たせれば、そこでクロの役目は終わりだ。


 ネネたちはすぐギルドを出て、王城へと戻るらしく、それを見送ってからコトネが休んでいるテーブルへ。

 ここでは軽食を出しているので、しばらくすれば体力も戻るだろう。

「お疲れさん。頭は回ってるか?」

「はい」

「問題点は?」

「まず、魔力を広範囲に展開し過ぎました。実際に術式を使ってみてわかったのですが、展開速度は上がったものの、ほとんど魔力を無駄にした感覚です」

「そうだな。実際に術式を使う場合、構成に対して魔力を流せば発動するわけで、展開する魔力もその量で充分だ。けど、それじゃ遅い」

「その、遅いという意味合いを、よく理解できました。構成の展開数、また、構成だけの展開速度も、頭が混乱するほどではなく、速くなったように思います」

「そこからは、自分に合った戦闘方法を模索するんだな。オレは魔術師じゃねェし」

「狙いは悪くなかったよ。実際にだいぶ嫌なことするなあって思ってた」

「でもミカ、対応していたではありませんか」

「あーうん、そりゃね。これは戦闘の基本なんだけど、自分が嫌なことっていうのは、対策してて当然なんだよね。訓練の時点でそれを想定して、解決しなくちゃ実戦では使えない。当たり前だけど、解決できたのを意識する前に仕えるのを習得って呼ぶ」

「想像力ですね」

「クロのレベルになると、頭の中で違うこと考えても行動できる」

「――そうなのですか?」

「まったく別のことじゃねェよ、戦闘中なら相手のことや次のことだ。少なくとも、何をやられたのかは回避してから気付くこともあるし、やる前に気づくこともある。一般的な、どう攻撃しようか、なんてことはあまり考えねェな」

「そう――なのですか?」

「現実ってのはな、いつだって、一瞬で終わる」

 首元に突き付けたナイフは、しかし、ミカの持つフォークの取っ手で位置をずらされていた。

「こら、ネネに手出ししない」

「今の攻撃、見えていねェだろ? 考える時間あったか?」

「……ありませんでした」

「今のは速度じゃなく、死角を使って、不自然さを消して、躰を動かしただけだぜ。お前には見えなくて、ミカには見えた。この違いが、経験と、想像力だ」

「つまりその二つが、対応力なのですね?」

「そういうことね」

「ま、お前はまず改良を考えるのが先だろ」

「通用していたのかどうか、半信半疑です」

「んなこたァ考えるな。通用しねェ相手が出てきたら死ぬのか? 抵抗するだろ?」

「それは、そうですが……」

「結果は見ろ、成果は考えるな。そんなのはいつでも確認できる」

「はい、わかりました」

「そんだけ覚えておけば、あとはいいだろ。努力しとけ」

「……え? もう教えてはいただけないのですか?」

「オレを何だと思ってんだ、ガキの面倒をいちいち見て欲しいなら、乳母にでも頼むんだな」

「む……」

「それと、わかっていると思うが、今日は術式を使うなよ。死ぬから」

「ああ大丈夫、それは私が監視するし、引継ぎもするから」

「わたくしは子供ではありません」

「どうかなあ……」

「ま、よそから見りゃオレもミカもガキさ」

「にしても、本当に意外だった。クロって面倒見が良んだね」

「親父はあれで他人の理解を待つタイプじゃねェし、シロはそもそも育成に興味もない上に、できるとも思っちゃいねェ。となりゃ必然的にオレしかいねェだろ」

「苦労されているのですね」

「かけてるのはお前だろ」

「コトネです」

「名前で呼ぶほど親しくはねェよ。それでもっていうなら、まともに戦闘くらいできるようになってからにしろ」

 言って、クロは鼻で笑った。

 実際にはそんな拘りもないし、特に気にしてはいないのだが――呼べと言われると、呼びたくなくなるのが、人というものだ。


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