第13話 魔術の研究者と第一王女
王宮への出入りは難しいが、軍部はある程度の独立が認められており、情報部指揮官、厳密には他国諜報を主任務とする第二情報部の長であるアイラの許可があれば入ることはできる。
ただ、案内されたのは軍付属の魔術研究所だ。
「……宮廷魔術師なんて呼ばれてるくせに、軍部じゃねえか。嫌われてんのか、ここの十人は」
いや。
「そのくらいの方が、魔術師としては正常なのかもな」
それなりに広い研究室らしく、部屋がいくつかにわかれている。廊下の窓から中が見えるので、一つずつ確認していくが、本のある部屋が多い。
まるで実験室のような部屋に、白衣を着た彼女はいた。
中に入っても気づかない。さてどうするかと肩にいるアカに視線を投げると、彼はテーブルに降りた。
「――来客は聞いているよ。質問は?」
これは面倒だなと、クロは苦笑した。
彼女への来訪は、基本的に何かを訊ねに来るらしい。まるで学校の教員室みたいなものだ――つまり。
会話を成立させるのが、難しい。
こういう時の常套手段は、興味を惹くところから始めるのがいい。
いいんだけれど。
クロは、アカの性格が悪いのを知っている。
「……ほう」
散らばっている紙に目を通したアカは、にやりと口元をゆがめ、目で見えるよう構成式を周囲に展開しだした。
その
「――」
「こんな感じか?」
本来、構成式なんてものは、見て解析できるものでもない。しかし、相手に理解させるために見せることもある。
それはたとえば、学校の授業などが、そうだ。
つまり、複雑化したものをより明瞭に――。
「やめろ!」
慌てて彼女は眼鏡を外し、顔を隠すよう机に突っ伏した。
「やめてくれ! 今すぐそれを消せ! ――僕の楽しみを奪うな!」
なるほど、どうやら彼女は、ちゃんとした魔術師らしい。
完成を目指すのに、そのための過程を一番楽しむとは。
「しょうがないな、ほれ、消してやったぞ」
その言葉に顔を上げ、魔力を隠しただけだと理解した彼女は、まだ展開されている公式に目をやり、また突っ伏す。
「おい!」
「わかったわかった」
「クソッ……余計な油汚れだけを取り除いて、完璧に育ち切ったナベを育成する術式が一足飛びで完成するじゃないか」
「生活系の術式がメインか?」
「まあね。誰かが手を出してない分野ってのは、それだけで面白いじゃないか。――おい待て、猫がしゃべってるぞう」
なんだこれは、と言いながら眼鏡を拭くが、現実は変わらない。
「そっちのちっこいのは、ダールトンが言っていたシロか?」
「今はクロだ。ちっこいのはお互い様だろ、ラーシア。会合にツラ出せば、それで済んだ話なんだぜ」
「僕はメイコが苦手なんだ……あんな、おっぱいを半分も放り出してるクソ女、正面からも横からも見たくない」
「まあ、俺の好みの躰じゃないが、あれはあれで悪くない。男なんてのは、そういうところが正直だからな」
「……で、何の用だ」
「ああ、そうだったな。ある本を探している」
「本?」
「かなり古い文献の中に、スライド、という単語が書かれていたようだ」
「ちょっと待っていろ。できるなら、珈琲を淹れてくれ」
「クロ、頼む」
「おう」
座ったまま目を閉じたラーシアの周囲に、いくつもの数字が浮かんでは消えている。なかなか面白い、特徴的な構成だなと横目で見ながら、まずはお湯を沸かすところからだ。
「情報圧縮系の術式か何かだろ? 親父はやってんのか?」
「そもそも
「それはいまいち理解できてねえけど、仕組みはわかる。まあでも、こういうタイプの魔術師は珍しいぜ」
「そうだな。今の主流は、当たり前の術式を使う方が一般的だ。研究もどちらかといえば、大勢が扱える単純化した術式ばかり。少なくとも俺は、そこらに転がっている魔術書なんてものは、読むに堪えない――というか、お前だって読まんだろ」
「いやいや、学校で一通りは読んだぜ? なかなか面白い読み物だ、シロと一緒に笑いが絶えない時間を過ごせた」
「笑ってるじゃねえか」
「笑うだろ、あれは。学生がかわいそうだ」
「――見つけた」
珈琲はもうちょっと待ってくれと言っておいた。
「見つけたが、こいつは……」
「いいから言え」
「おおよそ八十年前の書物だ」
「なんだ、新しいな」
「ある手記を発見した。しかし、見る限り解読が難しい状態だ――だから、その手記を改める意味も込めて、解説書を作った」
「なるほど?」
「その解説書を発見して、八十年前にそれの解読を始めて、解説書にしたらしい」
「――最悪だ」
さすがのアカも、天井を見上げた。
また聞きの、また聞きみたいなもので、それは極端に信憑性が落ちる。
「……、一応、内容を教えてくれ」
「スライドはもうない、という描写の信憑性だが、厳密にはスライ、ない、という二単語が書かれていたものからの推測だよ。補足という名の言い訳が長いね」
地上において、移動ができないという言葉から、その書物のスライドに着眼したレノの思考の速さはどうなっているんだと、クロは苦笑した。よくもまあ、そこを繋げられるものだ。
――いや、あるいは閃きか。
もしかしたらレノは、スライドはもうない、という記載を見た時に、移動が阻害されていたのだと解釈したのかもしれない。
「何か重要なことか?」
「ダンジョンの探索をしていた時に、存在そのものに疑問を抱いた」
「現時点で、ダンジョンの管理はせいぜい一階だけ。二層目以降は監視にとどめるのが一般的だね。少なくとも僕が知る限り、国の管理下にあるダンジョンはそのくらいが丁度良い」
「まあな」
「珈琲、できたぜ。それと来客」
「――お前、僕の布陣に干渉したな?」
「干渉じゃなく、ただ乗っただけ。結界が得た情報を取得しただけだろ、とやかく言うな」
「油断もできないね、まったく。相手をしておいてくれ、僕はまだこの猫に聞きたいことがある」
「オレかよ」
「クロ、ほどほどにな」
「そりゃこっちの台詞だよ、親父」
まあ別にいいかと、珈琲を片手に部屋を出たクロは、さてと間取りを考えて、とりあえず相手を出迎えることにした。
一応、来客用の、リビングみたいな場所があるので、そこなら気軽に会話もできるだろう。
「――あら、お客様ですか」
また女か、と内心で思うが、きっとこれはダールトンが原因だろう。
ぱっと見た感じでは、まだ二十歳くらい。ただ背丈を含めた発育で言えば、まあクロと似たようなものだろう。
「おう、ラーシアは客の相手をしてるから、オレにはお前の相手をしろってさ。クロだ」
「第一王女、コトネですわ」
「あ? お前んとこ、兄貴が一番上だっけ?」
「はい、そうです」
「ふうん。で、いつもラーシアとは何を話してるんだ? 持ってるのはノートだろ」
「いろいろと魔術の話を」
座れよと言って、先に腰を下ろしたクロは、珈琲を一口飲んでから。
「――お前、実戦経験がねェだろ」
その言葉に対し、コトネは少し詰まらなそうに言う。
「戦闘は苦手ですから」
「あー……こりゃ根本的に間違ってんな。いや、間違ってるのはオレらの方か? ……そうでもねェだろ、だったらラーシアだって間違ってる」
「はい?」
「余計な油だけを除去して、完璧に育ち切った鍋を作るための術式を今しがた作ってる女だけどな?」
「またあの人はそういう、よくわからない式を……」
「いや、わかるだろ。つーか同じ女として、わかってやれよ。シャワーを浴びるたびに、肌を流れる水滴が弾かなくなるのが目に見える年齢だぜ? そりゃ余計な油汚れだけを除去して、肌の質感を高めようって美容に意識を向けたくもなるだろ。鍋を作るなんて方便っつーか、それもできるってだけだ――」
がちゃりと、扉が開き、顔を見せたラーシアがクロの頭を叩いた。
割と本気で。
「いてぇな、図星じゃねェか」
「うるさい黙れ、聞こえてる」
それだけ言って、また戻っていった。
「口が悪いですわねえ……」
「現実を知るのは大事だぜ? どうにかしようって思うだけ、可愛げがあるじゃねェか。さあて、何の話をしてやればわかりやすいか……そうだな、ここにある侵入者警報に関してはどうだ?」
「来訪者を察知する結界ですわね?」
「さすがに知ってるか」
「何度も来ていますから」
「だが、三種の効果が含まれてることには気付いてねェ」
「……その通りですけれど、断言されるとムッとします」
「断言できるだけ、お前が未熟なんだよ。そのことを見てわかるくらいにはな」
「むう……」
「来訪者の察知、これは基本だな。区切った境界を渡った相手を選別する。簡単に言うと、部屋の扉をノックするのと同じだ」
「来訪者に対し、アラームを鳴らす機能ですわね」
「こいつの弱点はな、術式を使えば簡単に無効化できることだ。たとえば?」
「アラームそのものを消す……あるいは、鳴らないよう、察知されないよう入る、です」
「それを防ぐために二つ目、
「それは――」
「時間をくださいって口にするヤツは、実戦経験が少ない。状況の想定能力も不足してるし、魔術師としての発想もないってな」
「意地が悪い人ですわね……」
少しだけ待ってやると、考え込んでいたコトネはノートを開こうとして、ふいに。
「――あ」
「そう、その閃きは重要だ」
「ラーシア様は、術式を使うたびにアラームが鳴らない」
「ま、それが一番簡単で、効果的な手段だ」
正解だ、とは言わない。
何故って、魔術の世界において、正解なんてものは理屈を通した数だけあるからだ。
「手法はこの際、問わないが、オレならもうラーシアと接触してるし、その
「ですから、そこで三つ目ですわね?」
「ここで使われているのは、空間把握だな。これもやり方はいろいろあるが、人の形をした物体をそのまま把握し、アラームを鳴らす」
「確かに、その空間把握だけでは、誤魔化しようもありますが、魔力感知と組み合わせるだけで良いのでは?」
「そうすると、お前みたいに気付かない間抜けがたくさん出てきてクソ面倒だし、相手に警戒させるから、余計な対策をされるんだよ」
「む……ごほん。その空間把握に関してですが、どういう仕組みなのですか?」
「一般的な理屈の通し方としては、水がわかりやすい。風呂の中に躰が沈めば、そのぶんだけ水があふれるだろ? あふれたぶんが、お前の存在だし、水が押し出される物質の輪郭を作れば、それが人間だとわかる」
「なるほど、わかりやすいですわ」
「じゃ、――本題だ」
クロは小さく笑った。
「本題?」
「そうだよ、こっからが本題。今説明して三種類を、一つずつ展開するんじゃなく、三つを一つの術式として完成させ、展開速度を早めつつ最小限の魔力で可能とする効率化をした上で、規模を限りなく小さくしたものをスイッチ、そして範囲を広くしたものを
「あ――」
「オレが最初に警報って口にして、結界と言わなかったことにまで気付けば、及第点だ」
「……その、スイッチというのは?」
「ここの台所、水を出すのに、軽く手をかざすだけでいいだろ? あれもこれを利用してる。要は、手だろうが足だろうが、何だっていいんだ。スイッチでもあり、起爆剤でもある。罠系の術式には必ず必要な部分だぜ。簡単に火系術式を圧縮して内部に押し込んでおいて、これで覆っておけば、即席トラップだ」
「…………」
「実戦経験ってのは、そういうところの発想もあるわけだ。お前は、どうせあれだろ、魔術師なんてのは後方支援で、接近戦闘に向かないからとか言われて、苦手意識を植え付けられたんだろ」
「え、ああ、いえ、似たようなものですわ。妹が戦闘好きなもので、それが少しコンプレックスになってますの。あと、わたくしはコトネです」
「接近戦闘なあ……怖いからできないって言うなら、そもそも接近させなきゃいいんだぜ? もちろん、できた方が良いんだが」
「けれど、剣を振る方が早いですわよ」
「そりゃお前の術式展開が遅いって言い訳か?」
「…………殴っていいですか」
「証明ありがとよ」
本当に殴ってきたので、軽く回避する。素人同然の体術だ、当たるわけがない。
「まず一つ、意識を変えろ。あらゆる術式は戦闘において攻撃材料になりうる」
「それは――言い過ぎではありませんか? たとえばラーシア様が今研究している、余計な油を落とす術式も?」
「どの程度の規模でやるかによるが、まあ厄介だな。気付かないとそれだけで致命傷になりうるぜ? 術式そのままでも、手の油だけ落としちまえば、少なくとも剣はすっぽ抜ける」
あとは、タイミングの問題だ。
最初からやれば抜けない、途中でやればすっぽ抜ける。
「あいつのことだ、どうせ油って部分を簡単に変更可能な構造式にしてるはずだ。加減せずに、水と指定しただけで、全身が干上がるぜ」
「……そんなこと、思いつきもしませんでした」
「だから最初に言っただろ、実戦を経験してねェって。やるかやらないかは別にして、魔術師としてはこういう思考を持ってなきゃ発展しねェだろ。訓練なんて、勝っても負けてもいいんだから、気軽にやりゃいい」
「でも、それでも剣の方が早いですわ」
「魔術師がやる一般的な戦闘方法を教えてやるよ。お前は人より魔力が多いだろ、そう言われたことは?」
「はい、あります。幼少期は魔力制御に重点を置いていましたし、今も――消せていませんか?」
「消すことに術式を使ってんだろ、だからその使ってる術式を感知される。だから普段、魔術師は魔力を抑え込むんだよ。実力を隠すのは初歩だ」
「あなたもですか?」
「オレは魔術師じゃねェよ」
「え? ですが、これだけの知識を得ているではありませんか」
「あのなあ……」
どうしたものか。
こういう時、シロならば、上手く受け流すのだろうけれど。
「あらゆる戦闘は、最小限の力で、余計なことをせずに最速で、最大効率を初手で出して殺すのが――いや、終わらせるのが、良しとされる。剣を振る? お前の言うそいつは、腰から引き抜いて構えて、相手へ踏み込んで振り下ろす動作のことか? 遅い遅い、現実には剣に手をかけた時点で首が飛んでる」
「――極端な話ではないのですか?」
「いや、お前くらいの相手なら、一言しゃべるのも限界だぞ。自分ができるかどうかは別としても、相手が何をするのか、それがわからないとすぐ死ぬ。実際にそれで失敗したこともあるぜ。つーか、一つの指標だな」
「指標?」
「相手を見て、何もわからない時点で、ほぼ負けは確定する。負けとは、基本的に死ぬことだ。――つまり、魔術師としての知識なんて、ありゃあっただけ損はしねェ」
「……」
「まだそういう現場には早いし、冒険者でもそこまで考えてるやつは、ランクA以上だろうけどな。さて、話を戻すぜ?」
「あ、はい」
「まずは八割がた、魔力を周囲に展開しろ。最初は全力展開でも構わない。んで、自分が使えるあらゆる術式の構成も展開する」
「え……でも、そうすると術式は魔力に触れて完成してしまいます」
「完成するぎりぎりで止めるんだよ、そういう構造式にしちまうんだ。論理式はもう完成しているんだから、そう難しいことじゃねェ。最後のところに紙を一枚挟むみたいに、勝手に発動しないよう制御する。すると、どうなる?」
「……発動しないなら魔力の消費はほとんどなく、展開された術式は、発動しないまま停滞して……」
「お前の意志で発動する。――剣を振るのとどっちが早い?」
「――」
接近戦闘をしない魔術師でも、このくらいのことはやる。
ただし、ラーシアくらいの魔術師なら、その上で、接近戦闘もどうにかする方法を持っているだろう。
「戦術は、とにかく相手の嫌がることをやれ。術式で簡単なのは、自分の躰に作用するものだ。次に、空間に作用するもの。最後に、一番難しいのは、相手の躰に作用するもの。それをよくよく理解して、戦術ってやつを組み立てる――手にしているものが違うだけで、剣士の戦闘とやることはかわらねェよ」
「それが、一般的な戦闘ですか?」
「そうだ。魔術師なんてのは、まずはそれをやってから、自分に合った戦闘方法を模索するんだよ。効率化を求めながらな」
「威力――では、ないのですね」
「相手が何か、にもよるな。とりあえずやってみろ、話はそれからだ。それほど難しいことは言っちゃいねェだろ?」
「それは、そうですね。簡易的なものなら、構造式に差し込めば良いだけですから」
「実際にやる時は相手を――選べって言っても、わかんねェか。あー、あんまり慣れた相手だと訓練にならんし、未熟が相手だとやり過ぎが危ないなあ」
「慣れた相手だと、いけないのですか?」
「普通の相手なら、まず魔力を展開した時点で驚きに身を竦めるか、距離を取る。この時間でお前は、術式を展開する余裕を得られるわけだ。ただそこそこの冒険者レベルだと、魔力を展開した時点で、踏み込む。お前が何かをする前に、喉元に切っ先が突き付けられるって結果だな」
「……まるで、見てきたかのようにおっしゃるのですね」
「当然の結果だろ。誰でもわかる」
「ああ、だから一般的ですのね」
「もしやるなら、オレに声をかけろ。まあ、ラーシアが付き添うなら問題はねェから、そっちでもいいけどな。ダールトンのところにいるから、正規ルートなら要請をしろ」
「それ以外なら?」
「ラーシアなら、ほかの方法でつなぎを取るだろうぜ」
「わかりました。ともかくやってみろと、そういうことですのね?」
「実戦経験がねえと、言われ続けたくなけりゃな」
「嫌がってばかりじゃ、やっぱり駄目ですわよねえ……」
「どうせ試すだけなら、その妹ってやつが相手でもいいんじゃねェか? 実際、問題になってんだよな、そういうちゃんとした魔術師がいねえから」
「問題、ですか」
「錬度が低いって問題だ」
だから相手がいなくて、シロがストレスを溜める結果になる。
まあ、シロの場合は、そもそも相手を見つけるのは難しいのだ。何しろ、育てた相手が規格外だったから。
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