第12話 隠していた事実と、知らなかった現実
ダールトンが女好きというイメージが定着しているのは、もちろんその情報を本人が利用しているのもそうだが、実際に女性の出入りがある。
その日の夜も、それなりの人数の女性が屋敷に入っていくのを、きっと見た人もいただろう。ダールトンは隠していないし、大半は娼婦のような服装だが。
今回集まったのは、ファズカ王国の娼館を束ねるメイコ。ギルド支部長のコーリー。情報部少佐のアイラの三人だった。
集まったらいつものよう、情報交換を中心とした、愚痴の言い合いである。
話題の中心は、シロのこと。
被害者とは言い過ぎだが、関係のあったコーリーとアイラがお互いに情報を出し合っての話し合いで、メイコは膝に黒猫を乗せて撫でながら、どこか楽しそうに二人の会話を聞いていた。
そして、会話の合間に。
「シロちゃん、良い子だったけどねえ」
なんてことを呟いた。
「なあにメイコ、知ってるの?」
「うん、わたしのところまで来たもの」
「……? それは、お前に面会を申し出たと、そういうことか?」
「うんそう。系列店じゃなくて、うちのお店。にっこり笑顔で、ダールトンちゃんのサインが入った封筒を差し出して、わたしに直通。中を開いたら、なんもなし。こっそり盗んできたんだって」
その時は驚いたし、つい雑談に興じるくらいには気に入った。
何故と問えば、街の主要メンバーに顔を見せておくことは、最低限だと言う。
「うちのお店では雇えないねえ、もったいないけど」
「あの子の行動範囲、広いというか……ちょっと呆れた」
扉が開き、最後にやってきたのは屋敷の主であるダールトンと、侍女のケイセだ。
「待たせたか」
ダールトン以外は、明日は休息日になっている。そのための息抜きであるし、集まりだ。普段から何かを企むような間柄ではない。
飲み物に軽食、つまみが乗ったテーブルについたダールトンは、煙草に火を点けて一息。そこで箱をテーブルに置くと、メイコの膝に乗っていた黒猫がテーブルへ乗り、その煙草を手で引き抜いた。
「あら――」
そして、術式で火を点けると、紫煙を吐き出した。
「――報告は後でいいと言っておきながら、この場でいいのか、ダールトン」
「ああ、私は構わない。あとはお前の判断だ、アカ」
「俺は気にしないさ。綺麗な姉ちゃんの膝にも乗れたしな」
「あら嬉しい」
「驚いてる間抜けに言っておくと、俺はシロの保護者だ。お前らの話は聞いてるよ。ま、内容は情けねえとは思うが、俺にはできねえことだ、文句はない。でだ、今回は二つある。それなりに面白い内容だとは思うけどな」
「アカ、一つ聞かせろ」
「なんだ?」
「それは、必要な情報か? それとも、知っておくべき情報か?」
「お前らにとっては、どちらもだぜ」
「いいだろう」
「じゃあまず、将来的にそれほど影響のない話からだ。知りたいかどうかは知らないが――イルミディース教についてだ」
全員の視線が、一度、ダールトンへ向かい、それからケイセへ。
「やっぱりお前は、ケイセを助けるためにこいつらへの助力を請うたみたいだな?」
「気付いていたのか」
「いくら上手くやろうとも、その場しのぎがせいぜいだ。つじつまを合わせるには、一人じゃ手が足りねえだろ。まあ過去の話だ、俺がとやかく言うことはねえよ。――だが、イルミディース教の本質を知らないでいる」
ただ。
「間違いじゃねえんだよなあ、その認識は。あれは危険だし、教徒を全滅させる必要性も、何もかもは間違いじゃない。だが、何故なのか、その点に関しての研究が甘すぎる。ところでダールトン、魔導書の知識はあるか?」
「今日来る予定だったラーシアが、魔術師だ。俺としてはそれほど知識はないが、危険だって認識はある」
「そうか」
小さく笑ったアカは火を消し、足元から一冊の本を取り出した。
「こいつは軽い部類だ、読んでみろ。俺が対策をしてやるから」
「……百聞は一見に如かず、か」
一息で覚悟を決め、手を伸ばす。
表紙に触れても何も感じなかったが、中を開いて読み進めると、2ページ目から一気に情報が流れ込んできた。
違う。
これは本を読んでいるのではない。
読まされている。
流れてくる情報の隙間から、誰とも知らない声が聞こえてきて、意識を引っ張られるような感覚があった。
まるで、物語の中で出てくる、悪魔のささやきのようだった。
黒色の術陣が、ぱちんと音を立てて弾かれるよう消えた。
「――はっ」
我に返ったダールトンは、すぐ本を閉じる。うっすらと額に汗が浮かんでいるのを自覚しつつ、呼吸を整えてから、飲み物に手を伸ばした。
「わかったか?」
「ああ……意識をのっとられそうだった。ほぼ強制的だな」
「お前はいい方だぜ? そもそも魔導書ってやつは、適正者を選ぶ性質がある。つまり、その本を手にする者ってのは、適正がある前提だから、ほぼほぼ必然的に意識が魔導書に食われるんだよ」
さてと、本を再び戻してから、話を続ける。
「魔術書と魔導書の違いは大きい。魔術書は、簡単に言ってしまえばメモ帳のようなものだ。術者が記したそれを読み解くには、本人と同じ適正がなくては、繋がりが見えてこない――と、まあ、そんな認識でいい。だが、魔導書には著者の意識そのものが書き込まれている」
「……ああ、納得だ」
「経験するとよくわかるだろう? つまり、イルミディース・エリエルカの意識そのものが、経典と呼ばれた魔導書には書き込まれていた。これも簡単に言おう、――あれは悪意そのものだ」
「それに触れた者が、かつての信者か?」
「そうだ。そして現在にもみられる刻印は、いわゆる魔導書への適合者だな。安心しろ、今のところ元凶である魔導書は封じられている」
「――それは確かか」
「ああ、俺でも解除には二十年かかるくらいには、高度な結界だ」
「そうか……」
「ま、事実そうであっても、周知は難しいだろうな。あれだけの騒ぎが起こったんだ、警戒心はなくならない。――あるいは、一人を犠牲にすることで、ここにいる全員が教徒であることを隠しているのなら、有益な情報かもしれないな?」
ケイセ一人が、信徒であると証明は、まだされていないのだから。
「それは深読みだな。だが、手札になりうる情報だ、感謝する」
「俺にとっては大した情報じゃない。調べればわかることだ」
言って、二本目の煙草に手を伸ばすと、入り口の扉が開いた。
「おーう、いるか親父」
やってきたのは、シロだった。
――いや。
「クロ、お前はまた面倒な……」
「あ? なんだよ? おう、いいのが揃ってるな。そっちの綺麗な姉ちゃん、酒を一杯だけくれ。軽めのやつでいいし、小さいグラスな」
「いいわよー」
「あんた、当たり前に対応するわね、もう。――で、あなたシロなの?」
外見は、そうだ、間違いなくシロである。
だが口調と、表情が違っていた。
「……そういや説明してなかったっけ。オレはクロ、まあ二重人格だと思ってくれりゃそれでいい。実際には違うけどな?」
「シロはどうした」
「内側に引っ込んで、本格的に対策を考え中だ。しばらくはオレに任せるってよ」
「そうか」
対策とはもちろん、ダンジョンで
「はい、どうぞ」
「おう、ありがとな姉ちゃん。メイコだっけ? シロが見て聞いたものは全部知ってるから、あんま気にすることはねえよ。んで、何の話だ?」
「
「ああ、あれか。ふうん……じゃ、オレの用事は後回しでいいや。酒一杯ぶんくらいは、黙って聞いてやれるだろ。まあ、コーリーにはそれとなく言ったけどな」
「うん……?」
「魔物の大量発生があっただろう? ほぼ確定だが、あれは
「その獄門というのは、なんだ」
「現象そのものに、名づけられているんだよ。魔界については詳しいか?」
「いや、――コーリー」
「私? ……確かに私だろうけど、アイラはどうなの」
「軍は、そんな手の届かないところの情報まで、熱心に仕入れない」
「といっても、こっちもあまり情報はないのよね。ランクA以上の冒険者は、魔界に立ち入る許可が出てるんだけど」
「あら、行く人は少ないのぉ?」
「そうでもない。魔界とこちら側は壁によって区切られて、制限はされているけど、出入りが可能なら、滞在日数だって調整できるから、行きやすいのね。ただ、――戻ってきて、口を開く冒険者がいないのよ」
「理由はなんだ」
「さあ……あのレベルになると、はっきりと話したくないって言うから、それ以上は追求できないの」
「なるほどな。一応聞いておくがアカ、お前は魔界の出身なのか?」
「いや、違うね。猫がしゃべるからって、そこに直結するのはあまり賢くないぜ、アイラ」
「それ以外に何があるっつーんだよ。猫がしゃべるわけねえだろ」
「クロ、口を挟むんじゃねえよ」
「へいへい……」
実際に違うのだから、論じても仕方がない。
「ということは、魔界の成り立ちも知らないのか」
「一般常識として教わるのは」
ダールトンも煙草に手を伸ばす。
「魔界には異種族が多くいて、彼らは壁の向こうで生活している――という、ごく簡単なものだけだ」
「それはそれで、間違ってはいないんだけどな。過去の文献を探ればそれなりに出てくるが、あの壁は異種族が、お前たち人族を気遣って作ったものだ。見た目が違うだけならともかく、違うがゆえに性質も変わる。小柄なガキみてえな姿で、家を一つ持ち上げるような力を持っていたりな」
「そういう話は聞いたことがある」
「ちなみに、こっそりこっちに来てるやつもいるぜ。そいつらは
「大陸?」
「一応、地続きなんだけどな。そこでは不定期に、普段住んでる魔物以外が大量に発生することがある。それを、――
「……十数年前、こちらで起きたものと同じか」
「まだ調べてる最中だから、なんとも言えないが、現象だけ見れば同じだ」
「――何故、お前がそれを知っている?」
「世界で起きる現象を記録する、そんな仕事をしてる知り合いがいてな……あまり話したくはないが、そいつらはあくまでも、記録するだけで、手出しはしない」
「……」
「私はまったく、魔界でそんなことが行われてるなんて、知らなかったけど」
「ああ、悲観はしなくていいぜ。あっちは獄門が開けば、お祭り騒ぎだ。腕自慢が嬉しそうに大陸を渡るし、鍛治師は稼ぎ時だ。死者もそこそこ出るが、それすら祭りにしちまうのが、あっちの流儀だからな」
「へえ……」
「どういう現象なのか、解明はされているのか?」
ダールトンの問いかけに、疑念が含まれているのを感じながらも、アカは小さく苦笑した。
「されては、いない。ただ何かしらの
「あくまでも説なんだな?」
「調べるのが難しいってのが一番の理由だな。獄門の名の通り、そいつは――そうだな、魔物しかいない世界と繋がった門だ。繋がった瞬間、中に入って確かめてみるか?」
「なるほど、確かめられたとしても、戻ってこれない」
「基本的には、言葉通り魔物が溢れたと考えられている」
「溢れる?」
「門が開く、この前提なら別の場所が必要になる。あちらとこちらを繋いでいるのだから当然だ。いつ開くのか、このタイミングは不定期だが、魔物が発生する以上、これはあちら側で抑えきれない、つまり溢れた魔物を放出していると考えるのが自然だ」
「――なら、魔界ではこれ以上、放出できないほど溢れたから、こちらで発生したと?」
「別口の可能性もある。あちら側のことは完全に不明だからな、同じ器が二つあったとしても驚かねえよ。ただ、考え方としては、外れてはいないな」
「そうか。つまりお前はこう言いたいんだな? 次がいつ起きても、おかしくはない」
「ああ、うん、それはシロに忠告された。偶然でも実力者が揃うと、トラブルを発生させやすいって」
「あのなコーリー、間違っちゃいねえけど、そりゃオレらがいるから注意しろって話だぜ? ただでさえ親父はちょっと規格外なんだから……」
「俺は興味ねえよ」
「だからだろ? 獄門が開いた時に親父が動かないんじゃ、押し返せるかどうか微妙なところだぜ。あいつら、単純にこっちの勢力を数値化して送り込むような感じじゃねえか」
「ふん」
煙草を消したアカは、大きく伸びをしてから、改めてメイコの膝に乗った。
「あら可愛い」
「それでクロ、用事はなんだ」
「ん? ああ、そろそろシロのストレスが溜まってるって話だ」
「そうか、そろそろ一年くらいになるのか」
「楽しんではいるが、まともに戦闘をしてるとは言えねえからな。ケイセとやった時に、こりゃそろそろだろうなって感じたぞ」
「私との訓練は、勉強になりました」
「おう。まあシロは、基本的に相手の実力に合わせることで、戦闘そのものを楽しむ性質があるから、そう極端にストレスを感じることはないんだが、戦闘好きってのは、どうしても不満があるんだと」
「……お前は違うのか?」
「オレか? オレはお前と同じだよ、ダールトン。シロとオレは同じだし、実力も似たようなもんだが、戦闘を楽しもうと思ったことはない。とっとと終わらせた方が面倒もなくて済む」
「そうか」
「ただシロの相手がいねえんだよ。今のところ、レノとダールトン、あとはぎりぎりミカが範囲内か」
「ミカだと?」
「あ? ……なんだアイラ、気付いてねえのか。となるとダールトン、隠してんのか?」
ダールトンは無言のまま、視線だけで先を促した。
こちらがどこまで把握してるのかを確認するつもりだろう。
「じゃあ遠慮なく言うけどな、戦技帝とかいうヤツの、本当の弟子はお前とレノだろ。ほかの連中は、それの目隠しだ。その上で、メインはレノだな。ダールトン、お前はこう言われただろ? 教える方が向いているから、とにかく覚えろってな。その結果がミカだ」
「ダールトン、これは事実か?」
「訂正部分はないな」
「言っておと、戦闘能力ならアイラよりミカの方が上だぜ。そうだろ?」
「……まあ、な」
「周囲を誤魔化したのは、軽い幻覚系の術式だろ。親父なら予想がつくか?」
「おそらくディリニーク草とカフェインあたりの配合だろう」
「それも正解だ。まったく、参る話だな、これは……」
「オレや親父だって、隠してるようなことまで話そうとは思っちゃいねえよ。場を荒らすのは趣味じゃねえし、クソ面倒だ」
小さく、ダールトンはため息を落とした。
「アカ、ラーシアに逢ってくれ。一応、宮廷魔術師として働いてはいるが、周囲に馴染めるほど丸くない女だ。それなりに話が通じるだろう。その代わり、レノには声をかけておく。ただし、相手がミカになっても文句を言わないでくれ」
「殺さないようにはするけど、三日くれえ使い物にならねえから、アイラは承諾しとけよ」
「三日か……」
「やめておけ、アイラ」
「ダールトン」
「見ても面白いものじゃないし、何も理解できん。場合によってはやる気を失くすから、見学はやめとけ」
「……そうか」
「じゃ、頼んだぜ。オレは寝る、酒はおいしかった、ご馳走さん」
クロは、足早に部屋を出て行った。子供は寝る時間だとアカが言えば、メイコは小さく笑った。
そこからは、本格的な雑談の始まりだ。
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